第三章 4 もう一度
結局のところ、パーティを一番振り回していたのは僕……そういう事なのだろうか。
そんなことを考えながら僕はウルルカに担がれられて逃げた。ミコトたちは階段広場から離脱した後も走り続けた。まるで行き先があったかのように。その予想は当たったようで、ダンジョンの中央に向かって突き進んでいく。そして、パーティの前衛にいたナガレが地面を蹴り飛ばすとそこに穴が開いた。
いや、もともとそこに出入り口があったのか……つまりはここは、
「『地下独房』……セーフゾーンか」
僕は静かに見下ろした。中は静まり返っていて暗い。壁に転々と設置された灯篭だけではとても補いきれないほど空間が広いのだろう。地面でさえもはっきりとは見えなかった。そこへ梯子がかけられる。
――まるで奈落の底みたいだ。
終わりの見えない暗闇に僕は少し気圧される……おそらく今の僕の心境と似ているせいかもしれない。
その時、ふいに僕はウルルカの脇から落とされて顎を打ってうめき声をあげた……その真横をウルルカが通り過ぎる。
僕は黙るしかなかった。ノエルの火傷が目に入ってしまったのだ。
「ほら、行くぞ。少し休んで動けるようになったんだろ」
そして、前方からつままれるようにナガレに背を押された僕は一歩前に出た。確かにずっとウルルカに抱えられてじっとしていたせいか歩くくらいの余力は出せるようになってきていた。そうして僕はその動けるようになった手で梯子を掴む。一段ずつ足を踏み入れていく……暗いくらい奈落の底へ。だけどよく見るとそこに一つだけポツンと明かりが灯っていた。
――先客……いや、こんなところにいるわけない。だとしたら……灯篭?
どっちにしてもその光はまるで希望のように僕の目に映った。
そんな時、声が駆け上がってきた。その声はパーティの誰でもない……だけどごく最近に聞き覚えのある声だった。
「……どうやらセイ様とは不思議な縁があるようですね」
そして僕は地面に足をついた瞬間に目を丸くした。目の前に現れたのはランタンを手にした女性……光に照らされた赤い眼鏡のフレームが特徴的な女性だったからだ。
「グ……グレイスさん!?」
逆にそれ以外……灰色と鼠色のローブと黒い髪は予想以上に目立たなかった女性は僕を見ると静かにお辞儀をしたのだった。
◇
その後、僕たちはそれぞれで休息をとることになった。ナガレとウルルカは僕のように武器庫から拝借した装備の点検を、ユキヒコはノエルの治療に専念しはじめたのである。
そして、残った僕とミコトは……正確にはミコトはまた逃げ出さないように僕を見張っているわけだが……とりあえず二人で静かにグレイスから事情を聴いていた。
「……では、グレイスさんも同じ《供贄の一族》の方に地下水路へと落とされて、ここに流れ着いたのですか?」
「そういうことになります。そして、セイ様達の事情を照らし合わせると、その人物は百パーセントの確率でアミュレットでしょう……」
そうしてわかりやすく要約すると、グレイスは目を伏せながら首を縦に振った……さながら見当はついていたようだった。
僕はミコトと顔を合わせる。だけど、ミコトはすかした顔をして、無関心……次の瞬間、能天気な質問をかけた。
「しかし、よく生きてセーフゾーンまでこれましたね? モンスターもいたでしょうに」
「そこはこれを使いました」
そう言うと、グレイスは片側の髪をすくって耳にかけた。その耳から小さな宝石が埋め込まれたイヤリングが顔をのぞかせる。その名称は《警戒の耳飾り》……グレイスが言うには、モンスターが装着者の半径十メートルに入った場合、振動で知らせてくれるそうだ。さすがに場所まではわからないそうだが、《警戒の耳飾り》のおかげで戦闘を行わずにやり過ごすことができたらしい。少し値は張ったが何の迷いもなく《冒険者》の行商人から買い上げたそうだ。
「半月前の騒ぎでかなり懲りましたので」
「確かにモンスターに襲われてましたものね……あは、あはは」
あは、あはは……僕は少し戸惑いながらも頷き返す。けれど、一向に冷めた空気は変わらなかった。
余談だがグレイスが買い上げた《警戒の耳飾り》は、どこかのギルドが開発しているアイテムだそうで、これでも失敗作だという。どうやらそのギルドは、待ち伏せ、隠密、毒、即死効果……あらゆる害意に対して反応するようにしたかったそうだ。僕からしたらかなりの贅沢品と言わざる終えない。だが、必要だから用意しているのだろう……逆に《大災害》が起きた今、何の準備もしていない《冒険者》がいたら見てみたいものだ。
とにかく、その《警戒の耳飾り》の効果で敵を避けながらグレイスはここ『地下独房』までたどり着いた。
「それから私たちもセーフゾーンに到着し、《供贄の一族》の協力のもと攻略を進めていったというわけです」
そうしてミコトが補足する。そうか、グレイスが集めた情報があったから僕に追いついたのか……僕は納得して「なるほど」とつぶやいた。
「それでわざわざ助けてくれたのか」
すると、ミコトは真顔のままこちらを見下ろした。
「そうね。本当ならじっくり装備をそろえながら堅実に攻略を進めるつもりだったのに……思わぬ人が思わぬ突進を仕掛けて大変でした。ええ……大変でしたねぇ……」
「うっ……」
怖い。背後から鋭い目線が突きつけられて怖いです、ミコトさん……僕は背中にものすごく冷や汗を掻きながらそそくさと正座になった。反省の色は見せないといろいろな意味で手遅れになりそうな気がする。
と、それはそうと……。
「ごめん。まずは助けてくれてありがとうございます……あと、迷惑をかけてすまなかった」
そう、まずは全てを謝らなければならない。僕はミコトに顔を向けて頭を下げた。グレイスの事で話がそれてしまったが、僕が勘違いしていたことで多大なる迷惑をかけたことを忘れてはならない。
ミコトはしばらく黙っていたが、踵を返すように背を見せた。
「……とにかく今はマルヴェス卿を止めることが優先です。今度こそパーティリーダーとして実力を発揮してくれることを願います」
そうしてミコトが振り返ろうとした時、僕は慌てて立ち上がった。直感でわかった……おそらくミコトは全員に集合をかけようとしたのだろう、と。
でも、それは困る……今のまま始められるときっとよくないことが起こる。そんな気がした。だから僕はとっさにミコトの口をふさいだ。
「ま、待った! そのことなんだけど……ちょっと提案があるんだ」
「ん……んっ!!!!」
「あ、ごめん」
けれど、どうやら押さえつけすぎたようだ。ミコトが空気を求めるように足掻きだして、僕は慌てて謝りながら手を離した。いけない、余裕がなくなっている。
そして、振り向いたミコトはあの《カゲトモ街道》で見せた独特な視線……見定めるような眼で僕をにらみつけていた。いったい僕のどこを見極めようとしているのかわからないが、期待だけはしている気がする……そんな中でミコトは口を開いた。
「で、提案とは何ですか?」
◇
そして数分後、パンッという音が僕の中で響きた。
「……あなたはそうやってまた逃げるつもりですか!?」
僕の頬が紅く染まる。ミコトの掌によって……つまりは僕は平手打ちをされたのである。
その音は周りにも伝わっていたようで、ミコトの肩越しから見える仲間は皆こちらに視線を向けている。されど誰も止めなかった……いや、ユキヒコだけは止めよう立ち上がったが、ナガレがそれを止めた。
そんな中、ミコトは顔を俯かせて拳を握る。その拳で憤慨する気持ちを表していた。歯を食いしばって、唇を噛んで、煮えくり返る想いに耐え……そこまでさせる言葉を僕は口にしたのだ。
「本気で言っているんですか……」
「うん。僕はパーティリーダーをやめる」
でも最終的には抑えられなくて、ミコトは僕をにらみつけた……その目には先ほどの期待の眼差しはなく、嫌悪感だけが瞳の奥にまじまじと現れていた。その瞳に隠しきれない涙が浮かび上がる……ああ、きっと『見限られた』というのはこういうことをいうのかもしれない。けれど僕も自分の意見を変えるつもりはなかった。
それを理解したのか、次の瞬間、ミコトはもうこちらを見ようともしなかった。
ただ一言、
「それはただの責任転嫁でしょう……」
とだけ言った。
「認めない……こんな奴があのホネストを動かした大物なんて思えない。絶対に認めない……」
そうしてミコトは『勝手にしろ』と言わんばかりに去っていった。とても取りつく島もなかった……いや、あったとしても今の僕では響かないのは目に見えていた。何も答えを持っていないのだから。
僕は溜息を吐いてその場に踏ん反り返った。
――僕はどれだけダメダメなんだよ……。
また誰かを泣かせてしまった……主人公に届かな過ぎて、逆に笑えてくる。僕は自分自身に溜息を吐きながら、いっそのこと地面に寝そべりかえる。
目の前は暗すぎて見えない天井。その先にそっと手をかざしながら僕は考えた。とっさに浮かんだのはナガレの言葉だった。
――『たくさんの《冒険者》に火をつけたんだ』
正直、みんな買い被りすぎだと僕は思う……冷静に振り返れば、半月前も運に頼るところが大きかった気がする。なのに、半月前の僕にあって、今の僕にないものとは何なのだろう……みんなにその言葉を言わせたものは何だったのだろう?
そんな時、掌の先で黒髪と紅い眼鏡が映りこんだ……グレイスだ。
「パーティとは仲が良いからするものではなかったのですか?」
グレイスは心底わからないと言わんばかりに首をかしげていた。でも、それは僕が聞きたいぐらいだった。いったい僕はパーティリーダーとして何をすればよかったんだろうか、仲間たちに何をしなければいけなかったのか……。
僕は顔を背ける。するとグレイスはそんな僕の隣に座りだした……もしかして励まそうとしているのか?
「……」
「……」
と思ったのだが、どうやらそうではないらしい。
「……」
「ごめん。僕が悪かったから何か言って……」
今、この状況での沈黙はかなりの精神的ダメージを食らう。
「なぜ、私がセイ様に何か言わないといけないのですか?」
そうでしたね、あなたはそんな性格でしたね……無駄なことが嫌いで、無愛想で、僕はそんなグレイスに愛想笑いを向けた。そのせいか、少しだけ身体が軽くなった気がする。空気が暖かくなって、少しだけ余裕ができたのかもしれない。
そうして思考を一回りさせていると、グレイスが「そうですね……」と口に開いた。
「あえて言うなら意外でした。私はてっきりセイ様は女でも何でもつつがなくこなす相手だと思っていました」
「まさか、僕は《冒険者》であって神様じゃないよ……あと僕はどっちかというと女の子に振り回されている方だから!」
まったく何を言わせるのだか……。けれど次の瞬間、グレイスはきょとんとした表情でこちらを眺めた……まるで『ではコール様は?』と言わんばかりに。言っておくが、口説いていないから……僕はただコールの冒険を応援したいだけだからな!!
だけど、それを差し引いてもみんな生きるために悩んで、苦しんでいる。それは半月前のバレンタインデーの騒ぎでコールを通じて《大地人》も同じだと理解した。
グレイスもそのことには気づいてくれたらしく、首を縦に振って応えた。
「ええ、本当にその通りです。でも、私は半月前のあの瞬間まで理解していなかった……だからアミュレットもあんな風になってしまったのかもしれません」
そして、僕は起き上がってグレイスに振り返った。
アミュレットというのは先ほどグレイスがダンジョンに落ちた事情を話してくれた際にでた名前だ。グレイスをこんな危険な場所に落とした張本人。その前にも一度《アキヅキの街》のクォーツ邸に着いた際にコールが少しだけアミュレットの話をしてくれた。
確か、
「アミュレットってコールのお世話役だよな。災難だったな……まさか仲間から落とされるなんて」
《供贄の一族》も一枚岩ではないということか……コールが去った後どうなったかは知らないが、僕は他人事のように話題を振った。少なくとも僕にとってアミュレットという人物は他人事だった。
すると、グレイスは一瞬だけ目を見開いた後、全てを察して頷いた。
「ええ、そうですね……そして、アミュレットは私の同期でもありました」
「…………はいっ!?」
そうして天罰が下ったかのように僕は不意打ちをくらった。まさか失言していたとは……僕はとっさに口をふさぐ。でも、まさかグレイスのお知り合いとは思わないだろ、普通!!
ど、どうしよう……僕は慌てて身振り手振りでごまかす。だが、時すでに遅くグレイスは肩を透かしながら苦笑いしていた。
「ごめん」
なんだかさっきから誤ってばかりだ。けれど、グレイスは「かまいません」と注釈を入れると、空を仰いで遠い過去をみつめるかのごとく口を開いた。
「でも、昔はこうではなかったんです……アミュレットは私の良き競い相手で、アミュレットがいたから私は《伝承者》になれた。自ら言うのは恥ずかしいのですが、二人とも負けず嫌いだったのです」
ああ、それは今見てもわかる。グレイスの周りには反骨精神に似たオーラが漂っていた……みるからに『《冒険者》に低く見られたくない』と顔に書かれている。
半月前の騒ぎでもその趣は垣間見れた。もしそのアミュレットも同じであるならば強情な粘り強さがあるのかもしれない。想像しただけでも何かとダメ出しされて頭が痛くなりそうだ。
だが、それは悪いものでもないのだろう……今のグレイスの表情を見る限り元、穏やかな面影はその過去にいない僕でも青春じみた事があったことは見て取れる。
しかし、その表情にいきなり陰が映り込んだ。
「ただ、アミュレットは当時の《伝承者》に融和の道を……《冒険者》と積極的に関係を持つべきだと主張し始めましたのです。《供贄の一族》はもっと前に出ることで世界は良くなる、と」
それは……僕は言葉を紡ごうとしてやめた。その先を理解できたのだ。
《供贄の一族》はこの世界のシステムという遺産を守るために存在している。それは《冒険者》やモンスターを生み出す原因となった《森羅変転》のような事故を引き起こさせないためだ。そんな彼らが自ら事を起こすのは矛盾していた。もちろん《冒険者》とかかわりを持つなど意見が通るはずもない。その惨状は僕でも想像できた。
それを肯定するかのように、グレイスは思い出しながら顔を俯かせる。
「それからすぐの事です……アミュレットがコール様のお世話役になったのは」
僕はやるせない気持ちになった……どう考えても『左遷された』のだろう。そして、それはつまり『仲間はずれだ』と言われたのと同然だ。一気に世界が暗転し、何も信じられなくなる……居場所がなくなったことを意味している。
仲間の役に立てない今の僕はその気持ちが痛いほどわかった。アミュレットだってそれは理解できたはずだ。
「だからアミュレットは《供贄の一族》を裏切ったのか?」
だとしたら同情だけはできた気がする。けれどグレイスは首を横に振った。
「いいえ、アミュレットはそれでも融和の道を説き続けました。今にして思えば、コール様だけが彼女の言葉を信じたのでしょう」
そうか……確かに純粋なコールなら、アミュレットの言葉を信じるかもしれない。だったら唯一の救いはあったのかもしれない。僕はほっと安堵の息を吐いた。だからこそアミュレットは最後の一線を踏み堪えたのかもしれない。
でも、そうだったらどうしてアミュレットはこんな暴挙に出たのだろう……彼女を暴走させた原因はどこにあるというのだろう?
すると、答えはすぐさま返ってきた。グレイスがアミュレットの物語はこう締めくくられたのだ。
「でも、半月前のあの日がやってきた……」
「……!?」
それで何もかもわかった気がした。僕はすぐさま立ち上がって一歩退いた。えそら寒いものが背筋を通り、脳を震えさせる……まさか、まさか。
「……おそらくアミュレットは《冒険者》にコール様を奪われた、もしくは、攫われたと思っているでしょう」
そして、その思い描いたものをグレイスが肯定した……「きっとそれを止めなかった私も恨まれているのでしょう」と付け加えながら。
「で、でも……コールが」
「はい。あれはコール様の意思です。ですが、アミュレットはその後消息を絶ちました」
その事実は僕を必要以上に責め立てた。半月前のバレンタインデー騒動の輝かしい功績さえも足元から崩れさるような錯覚が僕を襲う。コールを助けたつもりが、僕はただアミュレットを追い込んだだけだというのだろうか?
わからなくなった……もう何をすればいいか、何ができるのか、すべてがわからないすぎて顔を掌で覆った。何も見えない、見たくない……誰かを助けることは、僕の行動の正しさはどこにもなかったというのだろうか?
――結局、僕がコールを助けたのも間違っていたというのか……?
「申し訳ありませんでした」
すると声がかぶさって、僕は覆った掌をはずした。
目の前にはグレイスが立っていた……そして、その頭は水平を保つように下がっていた。
「これは《供贄の一族》の……いいえ、それを取りまとめるはずだった私の問題です……私がまきこんだのも同然です」
「え……な、なぜグレイスさんが謝るんですか!? や、やめてください!! これは僕が悪いんです。何も知らないくせに、知ったかぶりをしたから……」
そう、悪いのは何も知らない僕。コールを助けた気になって、周りの人の……アミュレットの気持ちを考えていなかった。一人で戦えていた気がして、《お触り禁止》とか言われてうぬぼれて、一人で仲間をまとめている気になってみんなの事情を知ろうとはしなかった。
それだけじゃない。今までだって、ナガレに対しても本気を出さず、どこか上から見下ろしていた。みんなが何を考えて動いているのか、またそれを考えることを忘れていた。無理をして先行独断をして仲間を危険な目に合わせた。
結局、今も昔も変わっていなかった。再確認するとあまりにもひどいありさまだった。全て自分の成したことが裏目に出てる。パーティリーダーにあるまじき行為だった。
とても……、
「僕が主人公なんておこがましかった」
「ヒーロー……?」
その時、グレイスが目を点にして語りかけた。
そこで僕は我慢できなくなって思いの丈を喉から吐き出していることに気が付いた。とっさに言葉を発してごまかそうとするが、時は戻ってくれない。いつしか目の前ではグレイスが頭に『?』マークを掲げながら迫っていた。
「ヒーローとは何ですか?」
急に場の空気が寒くなるのを感じた……眼鏡の奥から冷たい空気が流れているかのようで少し答えにくくなる。まるで責められているかのようだった。
でも、言われてみれば『主人公』とは何なのだろう? 改めて聞かれるとどう説明したらいいのかわからない。
そういえば《エルダーテイル》の世界に『ヒーロー』っていう単語がなかったことに驚いた。ファンタジー世界だからあって当然だと思っていた。しかし、考えてみれば『ヒーロー』は《冒険者》の言葉であって、《大地人》から見てみれば聞いたことがないのかもしれない。
「あなたは《冒険者》ではなかったのですか?」
「え?」
突如、グレイスの言葉は弾丸の如く鋭く突き刺さる。
おかしい……さっきから鼓動が速くなってきている。『こわい?』……違う。『苦しい?』……違う。それとは別の何かが僕をかき乱していた。
そして、これはおそらくグレイスとは関係ないものだ。ミコトのように怒り狂った仕草や表情は感じられない。グレイスは眼鏡の奥からまじまじとこちらを見ているだけで、首をかしげて聞き返していた。ただそれだけなのだ……。
「セイ様は前に言いました……『僕たちは《冒険者》で、知らないから冒険ができる』って……今は違うのですか?」
だけどグレイスのもっともな疑問に僕は立ち止まった。
どうしてだろう、《冒険者》……なぜだかいつも聞いている単語のはずなのに、僕のどこかで響いていた。もっとも浸透している単語はどこか懐かしさを感じる。だけど、わからない……何か掴めそうなのに、言葉が出ない。
――でも。
そうだ、確かその言葉は半月前……バレンタインデーの夜に僕はグレイスに公言したではないか。
抱えている責任も、想いも知らない……だけど、
「あなたは『知らないことを知るために』ここにいるのではないのですか?」
その時、僕の中で風が吹いた気がした。グレイスが言葉を発した瞬間、僕が自分自身に頭突きをされたような錯覚を覚えたのだ。
冷たい風が空気に浸透するかのように吹き荒れて、風の吹く先で《冒険者》としてのセイがにやつきながら殴りつけているように思えた。その表情は実に楽しそうな笑顔だった。
ああ、そっか、そうだよ……なぜ忘れていたんだろう。僕は、
「……楽しんでいなかったんだ」
そうして僕は自分自身の身体を眺めた。そこには傷だらけの防具と埃まみれの顔と《右の門を守る鬼神》に負けた小さな手があった。
でも、それは別に今に始まったことではない。始めた当初はモンスターに負けっぱなしで、いつも傷をつけられていた。初めての対人戦の時は相手の武器に真っ二つにされて悔しかった。
けれど、ノエルと反省会をした時は楽しかった。《エルダーテイル》の特技一覧を必死に見直して、自分だけの戦い方を探して、《シャドウバインド》の階級を上げるためにお金を稼いだ。
コールと出会った時だって大変だった……初めて《供贄の一族》や《六傾姫》、《エルダーテイル》の事を知って、誰かを助けるのは嬉しくて楽しかった。
――これまであったすべての事は大変だったけど……楽しかった!!
急に視界が開けた気がした。『地下独房』の灯篭がやけに目立って星のように光りだす。
そこはまるで宇宙のようだった。
「楽しむ……?」
グレイスもつられて顔をあげる……僕はそんなグレイスの手を取って目を輝かせた。
「ありがとう、グレイスさん!! グレイスさんのおかげで思い出しました!!」
「え……は、はい」
グレイスはきょとんとしながらうなづいた……おそらくなぜ感謝されたのか理解していないのだろう。だが、確かに僕は救われた。僕が人を助ける理由なんてただ一つしかなかったんだ……。
そう、すべては楽しむためなんだ。楽しいと言っても、自分に酔う事じゃない……ただ人は誰かを助ける時だけ一致団結する。その光景は夜空の上の宇宙にだって引けを取らないほど光り出す。誰よりも強く、何よりも神々しく、暗闇でも負けずにいられるんだ……地上から見上げて見える星々のように。
僕はその光景を見ると熱くなる……自分も輝きたいと心が叫ぶ。頑張れるんだ……あのバレンタインデーの時のように。レイド級モンスターに《ナカスの街》を襲われた中でも、《冒険者》《大地人》双方ともめげずに戦い続けたあの日のように。
「そう、僕は誰のためではない……『自分のために』冒険を始めたんだった!!」
「自分のため……」
そんな僕の様子を一部始終見ていたグレイスは、唖然としながらもオウム返しのようにつぶやいた。まるで忘れないように胸に刻み込むみたいだった。
「そうだ、もう一度みんなと話さないと!」
僕はミコトが消えた方向へ顔を向けた。まだ僕は本当の自分の言葉で何も話していない。僕が何を考えて、僕がこれからどこへ向かいたいのか……それを言わない事には何も始まらない。
そう、まだ何も始まっていなかったんだ……僕たちはただの集まりにしかなっていなかったんだ。だから
「今度こそ本当にパーティを組むんだ……本当の冒険を始めるために」
「それなら私もご一緒いたします」
すると、背後からグレイスが囁いた。振り向くとグレイスも瞳の奥に何かしらの覚悟を携えていた。
「……私も答えをみつけたいんです。見届けさせてください」
そう、つまりは《大地人》も《冒険者》も関係ない……冒険をする者だけが本当の冒険者になれる。
「……わかった。それじゃ、僕が怖気つかないように見張っていてくれ」
「はい!」
そして、差し出した僕の掌をグレイスは掴んだのだった。
やっと満足いくものができた。




