第三章 2 勝てやしない
どうやら《忘れられた古の牢獄》は水路を利用した区画整備がなされているらしい。
そのことに気づいたのは三十分前。区画ごとに水を流し、上下解放式の橋を架けることで隔壁のように自由な移動を制限している。
加えて奥に行くごとに敵のレベルも上がっていった。確かに銃や爆弾がない《エルダーテイル》では隔壁までする必要もないし、壁がないおかげで遠くの通路も見渡せる。精鋭ぞろいをおけば、奇襲はされにくい。なるほど《エルダーテイル》ではこちらの方が有効なのかもしれない。
だからまずは橋を降ろす……僕ことセイはそれを目標に牢獄内を走り回った。
そして、これが最後。
「《アクセルファング》!」
剣を突き立て、僕は《忘れられた古の牢獄》の最奥……最後の大橋を守っていた《スケルトン》を切り裂いた。そうして、光の中消えていく彼らを尻目に橋の昇降装置のレバーを引く。すると、最後の大橋が音を成して下がっていく。
この先は間違いなく最深部……ボスのいる部屋だ。そこに続く大げさすぎるギミックにセイは息をのんだ。そして、懐から手持ちで最後の回復ポーションを取り出す。
もともと自分のHPは自分で管理するのが《ナカスの街》を起点とした《冒険者》の常識だ。僕だって多少なりの回復ポーションや治療薬は持っていた。そしてそれが枯渇した今、栓を抜くと、一気にそれを飲んだ。
「……味気ない」
そうしてしばらくすると僕は空になった最後のポーションを投げ捨てた。徐々にHPゲージは全快まで戻る。
いつもならノエルがちょっかい出してきておちおち回復もできなかった。最近では回復職のミコトがいてくれたから使う機会も少なくなっていた。
そして、やっと使う時が来たってのに、その味は味気のないただの水。着色料を使っていそうなのに、実際は何もない。まるで僕みたいじゃないか。
――って、また逃げようとしている。
僕は我に返って首を振った。現実逃避もいい加減にしろ……今は感慨にふけっている場合ではない。大橋もまもなく歯車が噛み合うようにつながる……やっと出口へと至る道が現れるのだ。
「さーて、この先はどんな強敵がいるのやら」
そうだ、無理やりにでも自身を鼓舞しなければボスに挑めやしない……弱い僕は弱い僕なりに抗うんだ。
その時、ガコン、と歯車がかみ合う音が響き、同時に鼓動が僕の胸を打った。腕で口元を拭うと笑みをこぼす。
――やってやろうじゃないか!
そうして、弱弱しい足を前に出した。次第に歩幅は長くなり、リズムが刻まさる。それは一人ゆえに橋の上にて木霊して、弱い僕にのしかかる。天井は狭まってドーム状になっていく。
次第に大橋は一つの小さな道になっていた。それから橋を通り越し、金網の足場が続く。下は底知れぬ水路……勢いを増して流れゆくその様は物々しさと共に出口が確実にあることも意味していた。
そして、眩い光と共にその場所は現れる。
螺旋状に設置された上へとつながる階段、それの中心には大広場、そして、階段の終着点には二体の銅像が守る大きな扉。《忘れられた古の牢獄》最終難関の階段広間……ついに僕はボス部屋までたどり着いたのだ。
と、同時に地響きの如く轟音が響き渡る。
視線を向けると、階段の先……出口へとつながる大扉を守る二体の銅像が膝を伸ばして立ち上がる。錆びた苔を払うかのように散り積もった土埃が流れ落ち、地面へ……やがてそこに二体が飛び降りた。土煙が舞い、そこでようやく扉を守る番人が完全に姿を現す。
僕はとっさに彼らのステータスを読み取った。
【モンスター:右の扉を守る鬼神 レベル:70 ランク:パーティ】
【モンスター:左の扉を塞ぐ鬼神 レベル:70 ランク:パーティ】
三メートルにも及ぶ彼らはどちらとも鬼を模ったような体形、それに加えて阿修羅像の如くいかつい腕が三本も伸びている。その手には剣と弓……それぞれ右と左で、前衛と後衛を担っているようだった。
気になるのはもう一つの手でそれぞれ右は太陽を、左は月のようなモニュメントを持って掲げている事。
だが、気にしても仕方ない……すでに二体の《鬼神》はそれぞれ後悔と懺悔の表情を向けながらこちらを見つめていた。そうして《右の扉を守る鬼神》が戦いの狼煙をあげるかのように剣を振り上げる……ボス戦の始まりだ!
とっさに僕は背後へ跳んだ。直後《鬼神》の剣が地面に打ち付けられる。追撃は出ない。レベルが高いとはいえ、ランクはパーティ……そんなにきつい攻撃範囲やバッドステータスはないということか。
だけど、その時暴風のような衝撃が僕にのしかかった。そのまま吹っ飛ばされ、地べたに這いつくされる。そして、その胴体から一本の大きな矢が零れ落ちた。《左の扉を塞ぐ鬼神》……弓を手にした《鬼神》が追い打ちをかけたのである。
――そうだった……今は一対一じゃない、一対二なんだ。
数の優位もなく、根本的なレベルも相手の方が上手……ランクがパーティだからといっても、どこをどうみても勝ち目のない勝負。第三者が見れば『バカだ』としか思えない有様。再度状況を確認して僕はゆっくり立ち上がった。汚れた部分を腕で拭き取りながら、HPを確認……今のクリティカルヒットで一割を削り取られたか。
――上等だ。
これでこそボス戦、これこそ本当の闘い……血肉沸き立つ熱と命のやり取りをする切迫感が僕を駆り立てる。
何より戦っている時は何も考えなくていい……僕は剣を構えて微笑んだ。その笑みが歪んでいたとはつゆ知らず、剣を大げさに振りかざして宣言した。
「かかってこいよ!!!! 一人じゃ何もできない弱虫ヤロウが!!!!」
その言葉がまるで悪役のように僕自身を映し出していることにも気づかずに……。そしてその言葉に煽られて《鬼神》たちが牙をむいた。
《右の鬼神》が剣を横なぎに払う。それを僕は受け流して斬撃の隙間をくぐるようによけた。すかさず《左の鬼神》が弓を引くので、僕は駆け抜けだした。走りながらやり過ごすつもりだった。
けれど矢は一本ではなく何本も連射され途絶えぬことがない。その矢は天変地異のごとく地面に深く突き刺さり、自らの衝撃に耐えかね粉々になっていく……いうなれば《砕け散る矢》だ。その余波を受けて僕は吹き飛ばされ、壁にめり込む。
とっさに僕は、どうしたのか、と首を傾げた。確認すると、HPが減っている……『追撃』効果があるのか。
そして、直後、僕の上空に影が生まれる。つまりは、《右の鬼神》が目の前に接近していた。剣をまっすぐに、僕に向かって突き立てる。その一瞬で僕の背筋は凍りついた。
「《シャドウバインド》!!」
文字通り、一瞬がなければ死んでいた。《シャドウバインド》と、僕の手に握られた《シミター》の柄を利用してめり込んだ部分を壊さなかったら抜け出せなかった。
必死に壁を蹴って逃げた次の瞬間、《右の鬼神》の剣はその体躯に似合わない超速で壁を貫く。それはリーチの長さまでも無視して深く深く壁を抉った……《崩すように貫く剣》のようだ。あんなものをくらったらHPはひとたまりもない。ここはいったん離れて様子を、
「――――っ!?」
だれど、間合いを外れ視界が晴れると、またしても予期していないことが起きる。《左の鬼神》が弓を引いてこちらを狙っていたのだ。同時に弦が弾ける音が響き、矢が放たれる。
今度は直前で気づいたおかげもあってクリティカルヒットにならずに済んだ。体勢を崩し、軌道がわずかに外れたのだ。それでも矢は頬をかすり、僕は吹き飛ばされて地面に転がり這いつくばる。
「くそっ!!」
僕は思わず声を漏らした。だけど何度も剣を取り、何度も立ち上がる。何もたった一回挑戦しただけで勝てるとは思っていない。むしろ勝てるまで攻撃をし続けるつもりだった。
けれどそのたびに《鬼神》たちに打ちのめされ、ぎりぎりのところで成り立っていた僕の虚栄心がひっぺがされていく。
まさしく一方的ななぶり殺し。無様にも地べたを駆け回っても、攻撃一つ出せやしない。
不甲斐ない……不甲斐なさすぎる……恐るべき連携がなぶられるたびに僕の醜い心をどんどん露わにされ、剣を握りしめる力も弱まっていく。僕はこんなにも弱かったのか、自分はこんなにも哀れな存在だったのか……僕の強さはどこに行ったんだ、半月前に《レイドボス》を倒したあれは何だったんだ!?
「……くっ!?」
そして、ついには立ち上がる気力さえなくなり、僕は地べたへと叩きつけられた。
その時、壁に突き刺さった剣を抜いて《右の鬼神》がこちらにやってくる。その剣で小さいころの自分を、ただ何の意味もなく主人公にあこがれて必死に背伸びをする子供を殺すために。
――いやだ、こんな醜いまま死にたくない。
結局、主人公に憧れるだけで、何もできないただの子供。まねごとをしているだけの偽善者。小さければ可愛いが、大きくなればただ疎ましいだけ。時間が経てば誰も見てくれなくなる。
僕は肩を震わせた。せっかく忘れていたのに、きれいさっぱり忘れていたのに……心の奥からあふれ出る何かが山彦のように這い上がってくる。思い出したくない過去の苦い想いが、現実世界の呼び声が甦ってくる。
そして、
――『いつになったら、大人、になってくれるのかしら?』
這い上がってきた両親の声に押しつぶされて、ついに僕の緊張の糸を切れた。ぎりぎり保っていた理性が完全に吹き飛んだ。
俯いていた僕は静かに呟いた。
「……やだ」
そのまま、剣を握りなおすと涙を流しながら進んで雄たけびを上げた。
「い……やだ、負けたくない。負けたくないまけたくないいやだまけたくないいやだいやだいやだぁぁぁぁあああ――――――――――!!!!」
死ぬのが嫌ではない……ただ自分は主人公ではない認めたくなくて立ち上がった。目指すは《右の鬼神》。後悔の面を汚すために僕は真正面から激突する。
刹那、《右の鬼神》が剣を振るった。斜めに振り下ろされたそれは僕の首元を狙うかのように刃を立てる。
だけど避けられないわけではない。元より単体としては動きも反応も遅いのだ。《シャドウバインド》という隙を作ることもできる。面倒なのは《左の鬼神》との連携だけ。
――だったら先にその連携をつぶす!
直後、僕は斜めに跳んだ……そう、《右の鬼神》が振り下ろす剣に向かって。途端に剣があざ笑うように勢いを増す……迫りくる死の気配が近づいてくる。
でもまだだ。剣が鼻先まで近づいてやっと活路が見出せる。
「今!」
刹那、《シャドウバインド》が炸裂し、一瞬だけ《右の鬼神》の動きが止まった。僕はその瞬間に身の丈同等の剣を足場にする。そして、時が動き出し勢いが増した反動を利用してさらに跳びあがった。
そうして、《鬼神》の面にたどり着いた僕は《アクセルファング》を繰り出した。攻撃を命中させることに重点を置いた技は一気に駆け抜け、《鬼神》の頬に傷を入れる。
だけどそれでもHPは一割も減らない。それどころか《アクセルファング》を繰り出した僕は勢いあまって《右の鬼神》より一歩前に出る。その視界の先には《左の鬼神》の弓が待ち構えていた。
でもそれでもいい。
《アクセルファング》の有効範囲を超えて、次第に僕の身体は重さに耐えかね落ちていく。同時に《左の鬼神》から矢が発射された。それは空気が避けていくように貫き……そして、地面に落ちていく僕の頭を通り過ぎた。
次に聞こえたのは悲鳴のごとき嘶きと土煙だった。つまりは《右の鬼神》に《砕け散る矢》をぶつけて足止めしたのである。
そうして、僕は土煙にまぎれた。標的を見失った《左の鬼神》は弓を持て余し、周囲をきょろきょろ見渡す。
と、その時《左の鬼神》の背後の空間が淀んだ。そこから青い模様が散りばめられた軽鎧が……《ハイドシャドウ》で接近した僕が顔をのぞかせる。そして、
「《アサシネイト》!!」
一気にありったけの攻撃を浴びせた。《アサシネイト》だけじゃない。《アクセルファング》に、《スウィーパー》……攻撃力の高低さに関わらず、攻撃が途絶えないように技を出し続けた。
途端に《右の鬼神》が起き上がって剣を振るう。けれど結局は先ほどの繰り返し……《右の鬼神》を転ばせて《左の鬼神》にダメージを与える。それを何回もやった。幾千もやった。声が枯れ果てようとも、腕がもがれそうになるほど痛くなってもやり続けた。
一つ不自然なことがあるとすれば、それは《左の鬼神》のHP残量が二割を切っても攻撃の変化がなかったことだ。だけどそこまで気を配る余裕がなくなった僕はただひたすら攻撃をし続けた。技を使うために必要なMPさえも全部使い切ってしまうほどに。
そうして、ついに僕は、
「これで最後だぁぁぁああ――――――!!!!」
MP全損と引き換えに《左の扉を塞ぐ鬼神》の胴体へ、その手に持った剣を突き刺した。同時に《左の鬼神》は叫び声と共に光となって消えていく。
「よし!」
あと少し……僕は茫然と笑みをこぼす。何が嬉しいわけではなく、ただ倒せたことに微笑んだ。
どうしてそこまで認めたくないのかはわからなかった。だけど、あとは《右の扉を守る鬼神》を倒せば元通り……ただの子供ではないと証明できる。MPは全損してしまったけど、今までの動きから剣は大振りで、隙を付いて時間をかければ勝てるはずだ。
「……え」
けれど、その時だった。ある一点に土煙が舞い、落下の振動で僕は足を崩す。振り返ってみるとそこにはあったのはそんな甘い光景じゃなかった。
そこにあったのは剣を捨てた《右の扉を守る鬼神》。そして、一緒に持っていた太陽のモニュメントを手に取る光景だった。
そうして、手を添えられた太陽のモニュメントは熱く輝きを発する。輝きは炎に代わり、炎はどんどん大きくなって火炎になっていく。
明らかな攻撃変化、明らかな危険信号。背筋にぞくっとした寒気が襲ってくる。止めないと……何が起きているかわからない。だけど止めないと確実に死ぬと確信した。それだけが漠然と得体のしれない寒気に変わった。
――止めないと、止めないと止めないと止めないと止めないと……。
けれど、一歩踏み出すと急に目眩が僕を襲う。足が前に出ない。立っていられない。一歩どころか瞬きすれば気絶してしまいそうだ。
――どうして……まさかMPを全損したから、か?
この《セルデシア》という世界はゲーム世界《エルダーテイル》とは似ているようで違う。MPを全損しても平気だったゲームとは違って、何か異常があっても不思議ではない。
失念していた……実際《アキヅキの街》に来るまでナガレと模擬戦を行っていた時は、《武士の挑戦》の精神干渉で予想外の苦労をしいられていたではないか。あの時のように今回もメニュー画面には書かれていない『第二の効果』があるのかもしれない……精神、つまり『魂』に作用する何かが。
そんな中、太陽のモニュメントはついに本物の太陽のように灼熱の球になり果てた。そして、《右の扉を守る鬼神》は三本の手で無慈悲にそれを押さえつける。同時に太陽のモニュメントはチリチリと音を成した。
僕は冷や汗を掻いた……心音が激しくなる。その先の現象は誰でも想像がついたからだ。
高威力の広範囲攻撃。攻撃までの時間《起動時間》が長いということは間違いない。回避はまず不可能……当たれば一切支援を受けていない僕なんて確実に死ぬ。生き残るためには、攻撃が放たれる前に階段広間から逃げるしかない。
でも身体は思うように動かない。そもそもなぜ今頃になって攻撃モーションが変わったのか……《左の鬼神》は二割を切っても変わらなかったのに。
いや、ある……僕は目を極限にまで見開いて《右の扉を守る鬼神》をみつめた。
――まさか『二体同時撃破』のモンスターなのか……。
『二体同時撃破』。時折、ゲームの中では特殊なモンスターとして現れるそれは二体で一対……どちらか一方だけ倒してもすぐに復活、もしくは全滅させるほどの威力を持った攻撃を放ってくる。
それは《エルダーテイル》の中にもいたはずだ。ネットの中の掲示板では幾度となく『初見殺し』という書き込みが後を絶たなかった。
――それがこいつらなのか。
おそらく別の場所にも似たような条件のモンスターはいるのだろう。だけど少なくとも目の前で攻撃モーションに入っている敵も二体同時撃破が条件のモンスターであることは疑いようのない事実だった。
でも、そうだとすると、
――勝てない……どうやっても一人じゃ勝てない。
どんなに強力な力を持っていても、どんなに頑張っていようと一人でいる限り勝てやしない。一人で同時に二回攻撃なんて物理的に不可能だ。
それが僕の肩に重くのしかかる。強くなろうとパーティを捨てたのに、今更パーティがいるっていうのか。
刹那、僕の脳裏に笑顔満点のノエルの顔が思い浮かんだ。
――無理だ。
僕は首を横に振った……戻れやしない、自分から捨てたんだから。
そう、戻れない……《右の扉を守る鬼神》はすでに太陽のモニュメントにチャージをし終えた後だった。そのモニュメントは透明度を増して紅く輝き……そして、
一気に熱が襲ってきた。
太陽のモニュメントに溜め込まれたエネルギーが限界値を超えて爆発する。それはまるで《プロミネンス》のごとき火炎で階段広場を覆い、文字通り辺り一帯を炎上させる……衰弱して満足に動けない僕まで巻き込んで。
死ぬのか……何もできないまま、何も成せぬまま……結局僕はただの子供なのか?
――くやしい……悔しいよ、ノエル。
目の前に大きな火炎が迫ってきて、僕の瞳から大粒の涙が零れ落ちる……その時だった。
「セぇぇぇぇ――――――――イ!!!!」
僕の背後から懐かしい声が響いたのだった。