第三章 1 一人っきりの戦い
どこまで行っても錆びた鉄の匂いと粉塵ばかり……華やかしい物なんて何一つもない牢屋。
それが僕、セイが《忘れられた古の牢獄》の奥に入り込んだ時の印象だった。
鉄の匂いが漂う空気、鉄板を壁に突き立てただけのベッド、あちこちに落ちているスプーンや食器……何もかもが劣化して赤茶けている。
そう、まるで錆びた町……すべてが過去のもので、すべてが幻になった牢獄。そこは自らを驕った囚人が収監されるところで……今の僕にぴったりな場所だった。
そんな様々な業が入り混じった渡り通路で息を荒げる音と複数の足音が重なって雑多なメロディーを刻みだす。その先頭にいたのは僕……そして、そんな僕を捕まえようと看守たちが迫ってきていた。一直線に牢獄をかける僕は走りながら背後をみつめた。
【モンスター:《動く骸骨》 レベル:25 ランク:ノーマル】
そう、僕は今追われている。追っているのはモンスター。一体では動かず、数体で行動する《スケルトン》だった。
その数は五。これだけでも仲間を置き去りにした僕には皮肉めいているのだが、さらに笑えることに僕はそんな彼らの武器を奪えないかと単身で突っ込んだのである。その結果が数で押し切られ、返り討ち……つまりは、このざまなのである。
――やっぱり無理があったか。
そんな僕をあざ笑うように五体の《スケルトン》たちは錆びた剣と鎧を身に着け、それを巧みに操り、カタカタと微笑みかける……一緒に死のうと微笑みかける。骨の心髄には青く燃える恨みの炎あって、熱い視線を向けてぎらぎらと私怨をたぎらせていた。
その証拠に、灯篭の光が剣に反射して軌跡を描く。右へ左へ……いくつもの剣が宙を舞った。そのどれもが我先に僕の心臓を一突きしようとせめぎあう。まるで誰が一番に僕を死につれていかせるか競争しているように……でも、ただで心臓をくれてやるつもりはない!
「僕はコールを助けるんだ……だから邪魔をするなぁぁああ!!」
僕だってやらなければならないことがある。そのために僕は近くにいた《スケルトン》に《シャドウバインド》をかけた。途端に先頭の《スケルトン》は一瞬だけただの骨の塊になり、留まり、そこに立ち塞がる。
そして、僕は踵を返した。骨の塊にありったけの力を込めて拳を打ち込んだのだ。
すると、予想通り《スケルトン》の身体は浮き上がり、後ろの《スケルトン》を巻き込んでさながら雪だるまのように転がっていく。骨はバラバラになり、砕けて飛び散る。
「よし!!」
僕はガッツポーズをして口元を緩めた。その感触に、何か得体のしれない高揚感を覚えたからだ。
何かが自分を満たしていく……これがもしかして『自由』というものだろうか?
――そうか、やっぱりだ、やっぱり仲間なんてただの荷物だったんだ。
そう、まるで解放されたかのように僕は夢心地に浸かった……仲間なんてただの夢で、仲間なんてただの幻で、仲間なんて迫ってくる危機には何の意味もない、と。
実際、一人でも《スケルトン》は退治できる……僕は間違っていなかった。
――ああ、そうさ。僕が強ければ助けるのに仲間なんていらない……いらないんだ。
それが嬉しかった……僕は強いのだと確信できた。
仲間からの束縛を離れ、やっと自由に羽ばたける。ずっと抑えていたものを解放できる……《冒険者》としての自分を発揮できるのだ、と。
――でも……でもなんだろう、この気持ちは。
どこか満足できなかった。《スケルトン》は退けた……だけど、勝った気になれない。自由に立ち回れたのに戦った実感が持てなかった。
すると、再びカタカタという音が響いて、僕はその緩んだ口を再び引き締めることになる。
振り返ると、進む先から新たな《スケルトン》が現れた。数は六……レベルが低いからと言って、とても一人で対処できる数ではなかった。先ほどの攻撃で巡回をしていた兵に察知されたのか……。
そして、今度はそのカタカタという効果音に重低音が加わる……転がっていた《スケルトン》も起き上がり始めたのだ。所詮は『素手』による攻撃……HPの一割も削れていなかった。
結果として数は十一。僕は自業自得ではあるが挟み撃ちにあっている。
――そっか、まだ勝ってなかった……。
ならば実感がないのも頷ける。そして戦況は悪くなっていた。だけど、だからってここで引けるわけでもなかった。
「…………け」
僕は再び意識を向けるため声を上げた。《スケルトン》たちが一瞬だけ困惑する。彼らにも学習能力はあるみたいで《シャドウバインド》を警戒したのかもしれない。
だけど今回の声はそんなものではない……これは雄たけびだ。
「そこを……どけぇぇぇぇぇえええ!!!!」
そして、目の前の敵に突っ込む。次に響いたのは骨が砕ける音と生存競争でもしているかのような悲痛な叫び声だった。
◇
そうして長い戦いの後、僕は牢屋の隅で右手を抱えていた。
その右手は動かない……複数の刺し傷と少量ながらも漏れ出す血に濡れていた。右手を盾にして《スケルトン》の群れを突っ切った当然の結果である。もちろん痛みだってある。だけど、
「はは……《冒険者》でも腕が動かなくなることがあるんだ」
そんなことさえ実感が持てないほど僕はおかしくなっていた。助けるためなら、もう痛みなどどうでもよくなっていた。
ただ身体というのは正直で、立ち上がろうとしても足に力が入らず、崩れ落ちるように座り込んでいた。
その時、カタカタと音が鳴る。
僕はすぐさまメニューを開いて《ハイドシャドウ》の特技を発動させた。
《ハイドシャドウ》は職業《暗殺者》が使える特技の一つで、呼吸の音すら消して気配を断つ技……つまりは姿を隠す技だ。その効果は『隠密状態』と呼ばれ、その状態でいると敵に見つかりにくくなるのだ。
その証拠に僕の視界……牢屋の前にある通路から出た《スケルトン》たちは僕が目の前にある陰で隠れていることに気づかなかった。なのに、慌てた様子でバーティに支持を出して、二方向に別れる。もしかしたら探索の手を広めるのかもしれない。
だが、何にしろとりあえずいなくなったことにほっと一息ついて僕は肩をなでおろした。力なく垂れた腕が地面に当たり、『コツン』と音を立てる……すると、音を立てたせいか《ハイドシャドウ》が解けて、陰と同化していた身体が浮き彫りになった。
――やっぱり初伝だとこんなものか。
《エルダーテイル》の特技には『階級』という特技だけのレベルが存在する。その階級は初伝、中伝、奥伝、秘伝と上がるにつれ効果もダメージも膨れ上がるわけだ……そして、初伝はその一番最初の階級。もちろん効果も長くないし、こうしたちょっとのミスで解除されたりもする。
それに発動の面でも難があった。《大災害》が起きてからというもの特技発動は、メニューから項目が出てくるコマンド操作ではなく、特定の動作から発動させるのが主流だ。そうでなくてはコマンド操作をしている合間に攻撃をされかねない。特に攻撃職である《暗殺者》はそうだろう。
つまりはまだ動作が身体に染みついていないのだ。《ハイドシャドウ》は一にも、二にも単独行動専門の特技。その名のとおり暗い闇に潜み、機会を窺うそのやり方はパーティとは一歩引いたところでしか活用できない……使い込んでいないため、階級上げも初伝で止まっているということである。
――ずっとノエルが隣にいたからな……。
そう、《大災害》後も、《大災害》前もずっと隣にはノエルがいて、一緒に戦ってくれた。
現実世界にいた時だってそうだった。目の前には助ける人がいて、僕は突っ走っていた。次第に僕は『優等生さん』なんて言われてからかわれたけど、そんな奴らをノエルは意地になって怒ってくれたんだっけ……『なんにもできないくせに知ったかぶりするな!!』って。
――別に僕はからかわれるくらいどうでもよかったのだけど……あの時はなぜかすごくうれしかったな……。
それから《大災害》が起きて、コールが現れて、最初は衝突もしたけど……それでもノエルは最後には理解してくれた。『一緒に考えさせて』……その言葉がどれだけ僕を救ってくれたのか計り知れない。
だというのに、どうしてこうなっちゃったんだろう……僕は一人は牢獄で小さくうずくもる。寒い……牢獄に吹き抜ける風はとても冷えていた。
どこで間違えたのだろう……ホネストに、《第三分室》に捕まってからだろうか? パーティリーダーになったことだろうか? それともミコトやウルルカたちとパーティを組んだ辺りだろうか?
――いや、違うか。
次の瞬間、僕は一人で口端を吊り上げて笑う。
そう、今の言い方は卑怯だ。本当は誰かのせいじゃない……自分が弱いからこうなったのではないか。
そうだ、すべては自分の責任だ……だから、面倒臭くなって突き放したんじゃないか。
弱いからミコトとの確執も埋められなかった。弱いからウルルカとも喧嘩をした。弱いからマルヴェスの野望にも気づかなかった。弱いから何の関係もないクォーツ嬢を泣かせてしまった。
そう、すべて『弱い僕』が招いたことだ……なのに何を今更頼ろうとしているのだろう? 都合が悪くなったからまた求めようとしているだけじゃないのか? 弱音を吐いているだけではないか?
「……笑える」
自分の惨めさに呆れがくるほど笑えた。そうして僕は意外にも自分が腹黒いことを知った。
都合がいい時だけ他の人の力を借りて、都合がいいから他のものに理由を押し付けて……それでよく『パーティリーダー』なんていえたものだ。
そう、僕は『パーティリーダー』なんかじゃない。だったら一人で立ち上がるしかない……せめてコールだけでも助けられる自分であるために。
そして、助けたらホネストに託して一人でどっか別の場所に行こう……弱い自分は一人でいる方がお似合いだ。
僕は再び足に力を込めて立ち上がる……そうして、重たい身体を引きずるように牢屋を出て通路を渡る。
まずは武器だ……モンスターから奪うのは無謀だとわかった。なら今度は武器庫を探そう……『牢獄』というのだから囚人を押さえつけるために看守に武器は持たせるはずだ。そこに行けば少なからず武器があるはずである。
今なら《スケルトン》の群れも離れているはずだ……探索の手を広げたということは警備もおろそかになっていると考えていい。
足が軋む、右手が痛む……されど自然と頭は回る。
泣き言を言ったせいか……それもあるかもしれない。そういう道を僕は選んだと認識させるために、間違っても引き返すことはしてはいけないと身体に覚え込ませたのかもしれない。
途端に足取りまで軽くなる。リズムを刻んで走り出す。いくら現実世界の身体ではないにしろこの切り替えの良さは少し笑えてきた。
そんな『セイ』という《冒険者》の強靭な身体を擦って僕は呟いた。
「悪いけどもう少し頑張ってくれよ」
その時『セイ』の身体が一瞬だけ震えた気がした……きっと僕の気のせいだろう。
ともあれそうこうしているうちにけっこう進んだらしい。カタカタ、という音が鼓膜に響いて僕は立ち止まる。壁に取り付けられた灯篭の光はほんのりと周りを照らし、状況を説明する。
《スケルトン》が二体……角を曲がった先の部屋を見張っていた。そこから《スケルトン》が新たに現れて通路を出ていく……そして、その手にはあの錆びた剣があった。
――あそこが武器庫か。
僕は深呼吸して覚悟を決める。そうして適当な石を掴むとできるだけ通路の奥へと投げ飛ばした。
コロン、と音が響く。同時に見張りをしていた《スケルトン》の一体だけが気づいて様子を見に行った。もう片方は警戒を強くしたままその場で錆びた剣を構える……その瞬間を僕は待ち望んでいた。
刹那、見張りを続けていた《スケルトン》の背後の空間が揺らいだ……まるで蜃気楼のようにそこから現れた左腕が《スケルトン》の首に絡まる。
そう、いわずもがなその左腕は僕自身だった。《ハイドシャドウ》でなんとか忍び寄って《スケルトン》を押さえつけたのだ。
おそらく二体いればこうもうまく行かなかった……一体だけを押さえつけても、片方の《スケルトン》に攻撃されてしまう。
その証拠に取り押さえられた《スケルトン》が仲間を呼ぶように歯ぎしりを響かせる。すると、通路の奥に行っていたもう片方の《スケルトン》が驚いたように肩を震わせてこちらを向いた。途端にその手に持っていた槍を掲げてこちらに走ってくる。
僕はそんな《スケルトン》に押さえつけていた仲間をぶつけて部屋の中へと飛び込んだ。刹那、激突した《スケルトン》たちは一旦バラバラになって転げ落ちる。
この隙に武器を探そう……だけど、僕は部屋の中に入った途端にうろたえた。
予想を反したわけではない。予想通りそこは武器庫で、山のように刀や剣が置かれている。だが、あまりにも雑多に置かれすぎて、どこに何があるのかわからないほど整理がなされていなかった。
――えぇぇ…………。
それはもう金属の塊ではないかと思うほど武器が一つの山となっている……僕の身長を超えるこの山から剣を探せというのは無茶に等しかった。錆びるのも当然だ。
しかし、悠長なことは言ってられないのも事実。すでに外ではカタカタと音がする……《スケルトン》が起き上がってきていた。
仕方ない……僕はかじりつくかのごとく武器の山へ跳びついた。
だが、刀、鞭、弓……どれも違う。取っては投げ、投げては取ってを繰り返すが、なかなか手に馴染んだ武器はみつからない……ああ、くそっ! 少しは整理ぐらいしろよ!!
そうこうするうちに《スケルトン》は完全に元の姿を取り戻して武器庫に入ってきた。僕を見るなり、剣と槍を振りかぶって襲いかかってくる……それも安全を期して左右から時間をずらして攻撃するほどだ。
「ああ、もうこの際なんでもいい!! 《暗殺者》が装備できる武器なら使いこなしてやる!!!!」
そうして次に手に取った武器を見もせずに僕はそれを右から攻めてきた《スケルトン》に突き刺した。すると、《スケルトン》はよろめき、その感触に僕は久方ぶりの境地を感じた。
――……あれ、この使い慣れた柄は確か。
そして次の瞬間……瞬きの刹那に僕は呆れ気味に苦笑いする。
――……まさかまたこれを手にする日が来るなんて思わなかった。
まさにその言葉が物語るように瞳にはある剣が映し出された。
それは曲線を描くように沿う剣……忘れようがない、今使っている曲剣《迅速豪剣》よりも前に使っていた《シミター》だった。これ以上僕にぴったりの剣なんてこの世のどこにもない……そう言わんばかりに僕は最後の最後で当たりを引き当てたのだ。本当に運がいいのか悪いのかわからない。
――だけどこれで戦える!
使い慣れた武器ならどこに力を籠めればいいかわかる。
次の瞬間、僕は《シミター》に力を込めて刺した《スケルトン》を薙ぎ払った……と、その時もう一方の《スケルトン》が左から槍を突き立てる。回避は不可能……だけど!
「《シャドウバインド》!」
僕には『一瞬』という心強い味方がいてくれる……いつもの得意技を発動するとたった一秒だけだが、時が止まった。
直後、そのたった一秒は左から攻めてくる《スケルトン》に力を抜けさせ、その隙をついて僕は槍の軌道をかわす。途端に武器による鋭い突きがくるが、もうそこには誰もいなかった。
そうして僕は《シミター》を構えた。途端に剣が光りだして倍速の速度で剣技が繰り出される……その刀身を一気に敵へと切りつけた。そして、最小限の動きでとどめをさす。
「《スウィーパー》!!」
即死効果を持つ《スウィーパー》は《スケルトン》に有効な技だ。わざわざ一気に間合いを詰めて切りつける《アクセルファング》を出すまでもない。
だが、そんなモンスターにさえ僕は手こずっていた。これは『弱っていた』という証に他ならない……油断はしてはいけない。
僕は自分を戒める。そして、覚悟を決めた。
おそらく『ダンジョン』というからにはボスモンスターがいることだろう……きっと強いだろうし、そもそもこっちは全快ではない。
それでもやるしかない。僕はもう一人でやると決めたから……『強い僕』にならなければいけないんだ。コールを助けるために……なにより自分の生き方が間違っていないと自ら証明するために。
僕は踏み込んだ足を前へ向けた。光と化すモンスターに見向きもせず、過去に振り返りもせず、たった一人で突き進んだ。
今はただボスモンスターを倒すために……この『迷い』から抜け出すために。
なんといいますか、心境が白でもなく黒でもない灰色のキャラクターって書くのが難しいですね。