第二章 2 クォーツ邸
そんな光景を、同じくうっとおしそうに溜息をつきながら眺めていた女性がいた。
――どうしてこうなったのだろう……。
彼女は寝室の窓辺から外の様子を眺めていた。
外に広がるのは彼女が治める《アキヅキの街》。
カラカラと回る水車。その隣を走る馬車。すれ違う者たちは笑顔で笑っている……一部喧嘩が見られるところもあるが、それでも許容の範囲内。微笑ましいものだった。
そのすべては彼女の父が作り出した贈り物……それは領主にとっての自慢でもあった。
だというのに彼女は溜息を吐く。それというのも、今は少し事情が変わっているのだ。
そう、彼女は《ナインテイル九商家》の一角にして、《アキヅキの街》を治めるクォーツ家の当主だった。皆からはクォーツ嬢と呼ばれ愛されていた。
だが、あくまでクォーツ家の当主として立っていたのは約十カ月前までの事だった。当時……《冒険者》が《大災害》という異変が起きてから、すぐの事だった。この《アキヅキの街》に《神聖皇国ウェストランデ》の影が忍び寄ってきたのだ。
彼女は、その影から贈り物を守るために必死になっていた。だけど、結局守り切れずにこの《アキヅキの街》は《神聖皇国ウェストランデ》の支配下となってしまった。それからは少しずつだが、この《アキヅキの街》も変わってきている。疲れ果てるように身を削られていく感覚……それが若者が少なくなった風景の向こうから見て取れる。
――なのに私は何もできない。今の私は《神聖皇国ウェストランデ》のいう事をそのまま聞くしかない。
今やクォーツ家は《神聖皇国ウェストランデ》に拘束され、人質を捉えられ、何の力も残っていない。それでも彼女がこうしてクォーツ邸にいれるのは、おそらく《アキヅキの街》にいる民の反抗を抑え、商業都市として機能させるためだろう……つまり、彼女自身も人質と言わざる終えなかった。
彼女は溜息を吐く。窓ガラスに映るのはそんな決意とは縁遠い女性の姿。まだ二十五の年若い女性の姿だった。
彼女自身もわかっている……十年、たったそれだけしか当主を務められなかった自身は未熟者であると。それも五年の間は当主の名代として執事が代わりに事を担っていた。
だからかもしれない。実際にはたった五年しか担っていない元当主は、どうしたら迫りくる影をなくすことができるのか、その方法を見つけられずにいた。経験も知識も足りなかった。
すると噂をすれば影というものか、彼女の寝室にノックが鳴り響いた。執事が静かに扉を開ける。その後ろから中に入ってきたのは顔をおしろいで塗ったかのような貴族だった。
「ご機嫌はいかがか。クォーツ嬢」
その声は男性でありながら声が高く、その容姿とともに気味が悪いという一言に尽きる。しかし彼女は頭を下げた。
「おかげさまで、清々しい朝を迎えております。マルヴェス卿」
そう、男性の名はマルヴェス。《神聖皇国ウェストランデ》の商取引を管轄におく侯爵家だった。
そんな貴族様が《アキヅキの街》にやってきたのは一か月前。《ウェストランデ》に入れる商品の鑑査のために来た、と彼は公言している。
けれど彼女は知っている……ここ最近マルヴェス卿がクォーツ邸を起点に何かを始めようとしていることを。
「ん、どうかしたのかな?」
「いいえ、何でもありませんわ」
彼女は日ごろ教わっていた通りに軽く裾を持ち上げ会釈した。知らずのうちに睨みつけていたらしいその表情を変える。すると、たやすくマルヴェスは「うむ」と満足げに頷き返した。
これでも元商家の娘。作り笑顔はお手の物だった。
しかし、彼女は心中で首を傾げる。なんと不躾なのだろうか、と。貴族とはいえ淑女の寝室に土足で入るとは、失礼にもほどがあるのではないか……。
――いいえ、そうじゃないわ。
とっさに、彼女は脱線しかけた思考を振り払った。
そう、不躾よりも前に不思議に思った事がある。《ウェストランデ》の貴族はこうもあっさり人を信用してしまうのだろうか、ということだ。『こうも都合よく解釈するものだろうか』と言い換えてもいい。
商人は基本、利益不利益でしか人は信用できない。いくら優しい人でも礼を尽くさねば嫌な気持ちになるし、逆に礼を尽くしすぎる人間は裏で別のことを考えているからだ。これはこれまでの経験で重々承知していた。
だからこそ商人は利益不利益でその度合いを確認しているようなものだ。『信頼関係を作る』という行為がそれほど難しいことだと知っている上の行為である。そして、それは商いをする者は誰しも承知しているはずだ。
けれど、マルヴェスは何も言わない。取引をしないのだ。それが不気味で仕方なかった。
そして、彼女も彼女でそれを表に出して言うことができなかった。《ウェストランデ》に人質として取られた妹のことを考えれば何も言えなかった。だから、
――せめて《第三分室》に送った密書が良い方向へ向くといいのだけど。
その時だった。
「失礼します」
また新たにドアから入室する者がいた。その者は鼠色と灰色の服を身にまとい、フードで顔を隠した女性……マルヴェスが雇った《冒険者》とともに現れた怪しい女性だった。
何を隠そう、マルヴェスの不穏な動きに気づいたのもその女性がきっかけだった。女性は《大地人》でありながらも何かあるごとに常にマルヴェスと行動を共にしていた。重要な役割を任されているに違いない。
けれど、マルヴェス自身はその女性のことを快く思っていないようだった。顔をゆがめ、せっかくの優越感を邪魔されたせいか遠回しに愚痴を走らせる。
「アミュレットか。忌まわしい《冒険者》といい、下賤な者は礼儀がなっていないな。会話の最中に割り込んでくるとは」
「……申し訳ありません。ですが、少々お耳に入れたい用件ができてしまったうえ、失礼を承知していただきたきたく存じます」
そうして、アミュレットと呼ばれたその女性は自身のフードをはぎ取って首を垂れる。
フードの下に隠れていたのはセミロングの黒髪女性……けれど瞳には黒々とした想いを携えており、それを表現するかのように隈がくっきりと入っている。
その威はまるで魔女のよう……女性の黒髪がその雰囲気を魔が魔がしいものへと変貌させている。それは自身の首さえも絞めつけてしまうのではないかと怪しむほど。それほどまでに畏怖を感じさせる何かがあった。
だからなのか、アミュレットは始まりを告げるかのごとく呟いた。
「思惑通り《供贄の巫女》が現れました」
――《供贄の巫女》?
直後、彼女はアミュレットの言葉を耳を傾けた……隙あらば、少しでも企みを暴こうとして。
けれど、マルヴェスは口端を吊り上げて、隠すことなくケタケタ笑う。
「そうか、やっとか……では行こうか、クォーツ嬢」
「え?」
途端に彼女は慌てた……突然、マルヴェスが自身の腕を掴んで引っ張ったからだ。するとマルヴェスが不思議そうに首をかしげる。
「何を呆けているのだ? クォーツ嬢、あなたが呼んだのでしょう……《アライアンス第三分室》とやらを」
「――――っ!!!!」
そして、ようやく彼女は自身がマルヴェスの思惑に知らずのうちに乗っていたことに気づく。
そう、マルヴェスは密書のことを知っていたのだ。そして、わざと彼女に付きまといそれを出させるよう仕向けた……助けを呼ぶのを虎視眈々と待っていたのだ。だからこそ、密書に気づいていないふりをしていた。
つまり、
――最初から目的は《アライアンス第三分室》!
その事実に至った彼女は自身が判断を誤った事を思い知る。けれど、もう遅い。
「さっそく働いてもらうぞ。もちろん言うことは聞いてもらえますよな?」
「……」
彼女は口惜しく唇を噛んだ。
こうして、のちに彼女は、ただ道化のように操られることになる……マルヴェスの良いように遣われる駒になった。
◇
そうとは知らず、少しばかりの時間が過ぎた。そこで僕、セイは呑気にコールから事情を聞いている。
「……つまり、コールが幽閉されていた時のお世話役がその『アミュレット』さんってことなのか?」
そして、コールの言葉をかいつまんだ。
ここは《アキヅキの街》北東にある屋敷、クォーツ邸の大広間。そこからさらに続く応接間に僕たちはいる。そこは眺めがいいテラスと質感の良いテーブルセットが並べられた部屋だった。僕はその一つに腰を掛けていた。
つまりは、少し前……コールが必死にアミュレットと呼ばれる《供贄の一族》を追いかけ始めたあれから、結局僕たちは出会うことなく、ここクォーツ邸に着いてしまったのである。
さすがに目的地を目の前にして通り過ぎては元も子もない。そういうことで、アミュレットの捜索を中断。コールはへこみながらも、僕たちと一緒にクォーツ邸を訪れることになった。
こうして通されたクォーツ邸の応接間は落ち着きと高貴さを彩る朱色の絨毯で彩られている。余計な装飾品もなく、けれど微かに掘られた家紋らしき模様は堅苦しさをなくし、ここがクォーツ家のもの、だと主張する。きっとクォーツ家の現当主は家を誇りに思っているのだろう。
その誇り高き場所でコールはアミュレットのことを僕にこっそりと話し、僕はその言葉を要約したという経緯になる。
「思い起こせばアミュレットにも黙って一族から家出してきてしまいました。今彼女がどうしているのかどうか……」
そんなコールはアミュレットを見かけたときからずっと塞ぎ込んでいた。きっとアミュレットという女性と親しかったのだろう……考えてみれば、幽閉されていた頃は、彼女が唯一、世界との接点だったとも言える。
――浮世離れしていたわりに物を作れたり、冒険者の街を知っていたのはそのせいか。
僕はテーブルに出された紅茶を飲みながら考えに浸る。
この紅茶はクォーツ家の現当主を呼びに行った執事が丁寧に淹れてくれたものだった。呼んでいる間に退屈させないよう、という気遣いが感じられる。さすが商家の執事といったところだろう。
ともなれば、僕たちも出されたものを残すわけにはいかなかった。ノエルとウルルカは隅でいち早く紅茶のカップに手をかけている。
絶対抗戦のミコトも同じく奥にいた。体制を崩さず本を盾のように開いていたが、次第と本にのめり込んで紅茶を一口。
一方、反対側の隅っこではナガレが応接間中を逃げ回っている。紅茶は苦手らしく、意地になっても手を付けないと言い張ったが、ユキヒコが捕まえて無理矢理にでも飲ませていた……地味で気づかなかったが、ユキヒコは意外と強引な性格なのかもしれない。
――これは僕も早く飲み干すのが吉かな……。
そう思ってカップに口をつける。
その味はほろ苦く、渋い。
――って、あれ……紅茶って渋かったか?
僕は首を傾げた。丁寧に入れてくれたわりには味がはっきりと出ていない……その事に不思議と思考を巡らせる。
けれどその時、突然状況が変転した。
「うぉぉぉ! コールちゃんまじ悲劇のヒロインじゃねぇか!!」
いつの間に僕とコールの間に割り込んだのか、いきなりナガレが雄たけびを上げて跳びだしてきたのだ。
そして、見るからにうるうると目に涙を浮かべたナガレは、即座にコールの隣へ。紅茶を飲み終えたコールの手を取った。
――というか、あの状態のユキヒコから抜け出してきたのか!!
さすが、長年相棒を務めているだけのことはある、というべきか……ってそんなこと思っている場合ではない!
僕は周りを見渡す。すると、予想通りナガレの言葉が引き金になってミコトが本の世界から抜け出して、こちらに視線を向けた。その視線は人一倍痛い。
「まさか俺たちの出会う前に幽閉されていたとか……なんでお前ら何も言わないんだよぉ」
一方、ナガレはナガレで号泣と共に手に頬へすりすり。途端にユキヒコが「はいはい、あなたは女の子に触りたいだけでしょ」と場違いのナガレの首根っこを掴んで引きはがした。
けれど待って……この状況は非常にまずい気がする。
冷汗は滝のようにあふれ出てやまない。そうだった……ナガレたちにはコールが《供贄の巫女》という事実はふせていたんだ。このままだとコールのことがばれてしまう。
――というか、ナガレはどこまで聞いたんだ!?
それがわからなければごまかしようがない……けれど今更聞くわけにもいかない。どうしたらいい……。
すると、ナガレが僕の背中を押してきた。そして、親指を立てて『俺、役に立つだろう』とポーズをする……いや、今はそれをされると腹が立つだけだから。
だ、だめだ……僕はオーバーアクション過ぎるナガレの行動にドン引きしながらも、罪の意識を感じて顔を伏せた。いつもならこういう時ノエルが助け舟を出してくれるのだが、今はなぜか何もないし……。
すると、勘も鋭いのか、ミコトは眉をひそめた。
「あなた、もしかして私たちに隠し事を……」
「お待たせしました」
そんな時だった。微妙な空気の応接間にノックの音が響いて、途端にドアが開く。そして、そこから一人の女性が現れた。
ナイスタイミング。僕は心中でガッツポーズをとる。
そして、振り返るとそこにはストールを一枚羽織り、家柄を鼻にかけない雰囲気をまとった女性がいた……あの人がこの家の当主であり、《ナインテイル自治領》の一角、《アキヅキの街》を治めるクォーツ嬢なのだろうか。
――……にしても噂以上に若いな。
《ナインテイル自治領》の一角、《アキヅキの街》のクォーツ家といえば、《冒険者》にとっても噂になるほどの有名人だった。
その中でもクォーツ嬢といえば年若い領主として名をはせているお方だった。
聞けば《冒険者》の中にもファンクラブがあるとかないとか……綺麗で、美人で、お淑やかで、まさに男性なら夢見る理想の女性と言われている。なおかつ自らの経験不足を必死に補おうとする誠意が買われて領主としても一目置かれているとか。
けれどそんな彼女は今、困ったような、はたまた浮足立つような表情をしている。まるで『はやく逃げて』と言わんばかりに。
しかし、それよりも前にその原因と思われる男が後ろから現れる。その恰好はいかにも高級な布をはぎ合わせたかのような佇まい。それに加え、
「おい、あれ見ろよ! 顔白すぎだろう、どんだけ化粧濃い……んぐぐ」
途端にナガレが笑って指摘したように、顔の表面をおしろいか何かで真っ白にしていた。まるで醜い顔を隠そうとしてかのように……余計に目立っていることに気づいていないのかもしれない。
とその時、ユキヒコがナガレの口を押えた……さりげなく男性の視界からナガレを引きはがした。そして、忠告する。
「毎度、毎度、あなたという人は……! 少しぐらい空気を読んでください!! かわいそうでしょ」
――そういうユキヒコさんが一番きついです。
そして、さすがに男性も白い額に青筋を浮かばせ始めた。さすがにフォローしないといけないだろう。
僕はいささか騒がしい中で申し訳なさそうに首を傾げながら、視界に男性を捉えて話す。
「えっと、クォーツ家の者……ってわけではなさそうですね」
すると男性が強がりなのか、その能天気さを嘲笑うかのごとく「ふっ」と鼻で笑った。
「さすが《冒険者》。相も変わらず、下賤で、野蛮で、無知と見える……わたしの名も知らないとは」
「んだとぉぉ―――ん、んぐぐ!!!!」
途端にナガレが挑発に乗って騒ぎ出す。それをユキヒコが今度は頭を掴んで完全に机の陰に抑え込む。
そんな僕たちを見てミコトがあきれぎみに絶対抗戦の構えだった本を閉じた。そして、空気を入れ替えるかのごとく会話を引き継ぐ。
「……では、なぜここに《神聖皇国》の貴族様がいるか聞いてもよろしいのでしょうか?」
「――っ!!」
同時に僕は驚いてミコトに視線を向ける。ミコトは静かに頷いた。
「間違いありません……《神聖皇国ウェストランデ》の侯爵、海運を中心に商いを管轄におくマルヴェス卿です」
僕はごくりと息をのむ。すると、応接間に満ちていた穏やかな空気が急に粘っこくてまとわりつく雰囲気に変わった。それに呼応するかのように太陽は隠れ、窓から差し込む光に影が宿る。応接間は一変してどす黒い空気に包まれた。
《神聖皇国ウェストランデ》……《アライアンス第三分室》の目下の敵であり、僕たちの敵にあたる存在……その貴族。ゆえに元から《第三分室》にいたミコトが知っていた。
「セイさん」
コールが心配そうにこちらを向いた……大丈夫、むやみに突っ込んだりはしない。
そう、僕たちはまだ《アライアンス第三分室》に入ったばかりの新入り。相手にとって僕たちはまだ顔が知られていない《冒険者》に過ぎない。むしろこのまま歯向かって捕まったりした方が大惨事だ。
けれど、マルヴェスと呼ばれる男性貴族は僕の表情を読んで、自分が恐れられていると確信した途端に甲高い声で高笑いした。それはまるで誰かと比べて馬鹿にされている気がして腹が立った。
「……なにがおかしいんですか」
「いや、《アキバ》と比べると……うむ、やはりあの時は『あの者』が特別だっただけか。これはうれしい誤算だ」
「あ、あの者……?」
僕は誰のことを言っているのかわからず、首を傾げた。
すると、マルヴェスはトラウマが甦ったかのように身震いをした後、「……いや、それよりも」と思考を切り替えて、口元をニヤリと歪ませた。
「そう、そんなことよりも、わたしはおまえらと取引をしに来たのだ」
「と、取引?」
そして、またとんでもないことを言い出した。さすがに話がかみ合わな過ぎて僕は頭を掻く。
「そうだ。わたしの下で働く権利をおまえたちにやろうと言っている」
それがむしろ僕に冷静さを取り戻させる。なぜだか、話すうちに『それほどの強敵ではない』という印象が顕著に出るからだ。それはあの真っ白な顔からにじみ出るのか、はたまた心の内面から垣間見れるのか……そこまでは僕にもわからない。もしかしたら先ほどマルヴェスが言った『あの者』のおかげなのかもしれない。
だけどそれを差し引いても、すごい上から目線だと思った。貴族ってのはやっぱり上から見下ろしたいものなのか……僕には到底わからない思考だった。
「で、なぜ僕たちがそんなことをする必要があるんですか?」
そして次の瞬間、僕の口から自分でもびっくりするほどはっきり言葉が紡がれる。どうやら完全に怖気づいていたのは直ったらしい。
「それにマルヴェス卿には独自で《冒険者》を雇って作った私設兵団がいるはずでは?」
すると、とっさにミコトが僕の言葉に注釈を入れる。
だが、それよりも前に僕たちはただマルヴェスの後ろに控えているクォーツ嬢にホネストから預かった手紙を届けるために来ただけだ……そうしなければ渡せないと言うならば話は別だが、どう考えても取引に応じる必要はない。
けれどマルヴェスは笑みを崩さず、僕たちの言葉に頷いた。
「確かにその通りだ……しかし、『これから』はどうだろうな?」
「……え?」
その時だった。
急に背後から何かが床に倒れる音が響いた。その位置はちょうど机の陰。ユキヒコがナガレを抑え込んだ場所だ。間違いない……振り返れば、そこにはナガレとユキヒコがいた。
ただ彼らは今地面に伏すように倒れ込んでいた。ナガレが暴れだす様子もない……。
「――っ、まさか!!」
刹那、何かに気づいたミコトは立ち上がってウルルカに駆け寄った。すると、振動に耐えられなくなったウルルカの身体が床に倒れ込む。そして、ノエルも同じように机にもたれかかった。
とその時、コールまでもがめまいが襲ったかのように倒れた。そのまま椅子の背もたれに手をつく。そして、ミコトまでもよろけて地面に伏す……。
――急に何が……!
僕は慌てて背中に括りつけていた武器を取ろうとした。けれど、次の瞬間、突然めまいが僕を襲った。
それは頭の中の思考を棒でかき回して、僕の中に不快感を作り出す。でもそれで今何が起こっているのかを理解した。
「そうか……睡眠薬か……」
急激に増幅された眠気に身体は思うように動かない。むしろこのまま石のように固まっていたいと思えるほど。この異常な眠気は『旅の疲れによるもの』で片づけられるものではない。
考えられる紅茶。紅茶に睡眠薬が入っていたために真っ先に飲んだノエルとウルルカは人一倍早く寝てしまったのだろう。
――どうりで静かだと思ったよ……。
ウルルカの笑い声もない、ノエルの怒鳴り声もない、それに加え紅茶が異様に渋かったのはそのせいか……ついには僕まで膝を折って地面に手をつく。
すると、その光景を高みからみつめるマルヴェスは口端を極限に吊り上げた。
「そう! これだ、わたしが見たかったのはこの光景だよ!!」
途端に、マルヴェスは倒れていることをいいことに僕の腹を蹴った……蹴って、蹴って蹴り続けた。その形相はここ九か月間のうちにできた恨み、妬みがにじみ出ていた。
「九か月前のあの日から《冒険者》は図々しくなった! 何が《Plant hwyaden》だ!! 《円卓会議》だ!! 金を出せば動くだけだった駒ふぜいが主張するなんておこがましいにもほどがある!!!!」
それでも不快感……いや、眠気は襲ってくる。痛みで何とか堪えていたが、さすがにもう耐えられそうもない……瞼が重い。
すると、もだえ苦しむ姿を見れずに萎えたのか、マルヴェスは「ちっ」と舌打ちをしながら落ち着きを取り戻して一回だけ深呼吸をする。そして、
「……では、またのちほど『特別室』の方でお会いしましょう」
とわざとらしく礼をすると、踵を返して肩を小刻みに震わせていたクォーツ嬢に「こいつらを『牢』へ入れておけ!」と怒鳴り散らして応接間を去った。
後に残ったのは、クォーツ嬢と応接間にしては静かすぎる空気。
刹那、僕は確信した……ああ、きっとホネストならこうなることを予期したんだろうな、と。
――……あの、『悪魔の笑み』め……。
そうして、僕は恨みつらみを心中で唱えながら、ひとたびの悪夢を夢見るはめになったのだった。
またもや遅くなってしまいました。ごめんなさい。
ここまでずっと書いていたから気力が持たなくなってきたので、ちょくちょく気分転換しながら書いていこうと思います。(更新はまちまちになるかも)
2/2 冒頭からシーンの区切りまで文章変更。(クォーツ家の立ち位置を《神聖皇国ウェストランデ》に拘束された状態に)