7:魔術行使を
結局、私のこの日伯爵とアストの仲を確認することはできなかった。
戻ってきた私たちを見て伯爵は微笑みこそしたものの、アストのことをチラリと見ただけで、なにも咎めなかった。
ただ、アストはずっと気まずそうにしていたし伯爵もアストに話しかけることはほとんどなかった。
その代わり私とお母様、メル夫人はよく話した。
私たちが生まれたときの話や、お母様とメル夫人の昔の話なんかもしてくれて、紅茶を飲みながらゆっくりと昼を過ごした。
そして、太陽も少しずつ落ち始めたころ帰ることになった。
「ラビーナ、また来てくれる?」
帰りの馬車に乗り、後は出発するだけというところになってアストは急にそんなことを聞いてきた。
どこか不安げな、なんとなく泣きそうな顔をしているアスト。
一体どうしたんだろう。
「もちろん。また遊びに来るわね」
そう答えるとアストは頷いて手を振ってくれた。
ラビーナとして始めて出来た友達。
そんな彼に、私も手を振り返した。
――――
アルトリア家から帰って数日。
私はいつもどおり書斎にいた。
今まで読んでいた本は今の世界の状況を知るための歴史本がメインだった。
700年経って世界はどう変わったのか、それを調べていたのだけど実際に変わった点というのはほとんどない。
私の知っている国がいつの間にか滅んでいて、私の知らない国が出来ていて、後は魔導兵器が戦争の主流になっていることくらいだ。
あの時、魔導兵器に関するものは跡形なく、完璧に破壊したつもりだったのだけれど、甘かったのかもしれない。
それとも、一度試作段階まで出来上がってしまっていたものを再構築するのは簡単だったんだろうか。
魔導兵器は今、三つの大陸の主戦力であり、抑止力だ。
東大陸、西大陸、中央大陸とある大陸のうち、東大陸と西大陸はその大陸内の国で連合を組み、お互いに対立している。
と、ここまで調べたけどそれ以上は歴史書には載っていない。
現在のことが書いてある書物は書斎にはない。
新聞というものがあるみたいだけど、これは鍵の掛かったお父様の私室に置いてあるので見ることが出来ない。
要するに今書斎に私が来た理由はそういった調べもののためじゃないのだ。
今回の目的は、魔術書を探すことにある。
アルトリア家の外庭でとっさに発動してしまった魔術。
あれは間違いなく私の魔術だ。
すっかり忘れていた魔術。
あの発動をきっかけに私は自分自身の魔術を思い出していた。
きっと記憶の通りに手順を踏めばあのころと同じ魔術を発動できるはず。
けれどあのときでも最も効率よく魔術を使えていたわけじゃなかった。
学校や、魔術師だった両親からも才能は素晴らしいものがある、と言ってくれた。
ただ、ひとつだけ私には魔術を使う上でとても欠けていたものがある。
それは、魔術に使う魔力の調節。
私の魔術は魔力を無駄に使っていた、と小さいころに言われたのだ。
そんなことを考えながら書斎をあさっていると、ようやく見つけた。隅のほうに隠されたように置いてあった魔術教本。
何ページあるかも分からない分厚い本で、抱えるのにも一苦労した。
それを近くの床に広げる。
最初の項目を読み上げる。
「魔術とは何か」
最初の項目は700年と同じようでほっとした。
書いてある内容もほとんど同じだ。
魔術とは、自分の生命力、俗に言う魔力を代償に発動させる現象であり、起こせる現象は個人の魔力によって左右されるもの。
自分が今から起こしたい現象に対して、魔力を支払う事を指す。
そう、先に起こしたい現象と、その規模を設定してから魔力を消費するもの。
当然代償とする魔力量が起こしたい魔術と言う名の現象に足りなければ不発に終わってしまうし、逆に言えば必要以上の魔力を消費しても魔術は最初に設定した現象と規模で発動する。
その魔術の規模に見合った、ちょうどいい量を支払えれば一番効率がいいこととなる。
私はそのちょうどいい量を見つけるのが苦手だった。
潜在的に魔力量の多い人はちょうどいい量を狙わなくても問題は大きくはない。
しかし私は魔力量が多いほうではなかった。
今がどうかは分からないけれど、あのときのことを考えればもう一度基礎から魔術をやり直してみたい。小さいころのほうが魔術の基礎は身につきやすいというのが昔からの定石だから。
基礎を固めれば、調節だってうまく出来るようになる。
そうすればより戦いやすくなる。
「いまさら何と戦うって言うのよね」
思わずつぶやいてしまった。
今は平和だ。少なくとも東大陸や西大陸と違って、私の住むエルフェデットがある中央大陸は戦争に参加していない。
だっていうのに、戦うことを想定してしまうのは魔術師の性か、それとも魔導兵器が存在しているからなのか……。
それが自分でも分からなかった。
――――
久しぶりに目にした魔術書を読みふけっていたら既に外は暗くなってしまっていた。
のんびりしすぎたかな、と立ち上がろうとすると書斎の扉が開いた。
「ラビ様、そろそろ夕食の時間ですが……」
扉から顔を覗かせたのはやっぱりアリアだった。
ここに私が籠もっていることを誰よりも把握している世話役の侍女は私を見て、それから私の手元に置いてある魔術書を見た。
「ラビ様、魔術に興味がおありなのですか?」
「うん。たまたま魔術書が置いてあったから読んでいたんだけど、思いの外面白くて。一通り読み終わったら庭に出て練習してみたいなぁって」
「魔力を自由に扱えるようになるのは平均で九歳ごろからと聞きますのでラビ様には少し早いかもしれません。ですが、試してみたいと言うのでしたら私もお手伝いいたします」
アリアはどこか楽しそうにそう申し出てくれた。
そういえばアリアは魔術も使えるんだった。コツみたいなものも分かっているのかもしれない。
九歳でそういった基礎的なコツを練習する機会を失ってしまった私よりも詳しいことに期待しつつ、アリアと共に夕食へ向かった。
そして次の日。
アリアと向かい合って庭に立つ。
約束の魔術特訓だ。
「まず、魔術を扱うには魔力、つまり自分の生命力の一部を支払う必要があります。命そのものを支払うことには無意識下にリミッターが掛かるようですが少なからず体力はかなり消費しますのでお気をつけください」
と、まず前置きから。
アリアはこう言うけれど自分の命を引き換えにすることが出来ないわけではない。
当然強い精神力と覚悟が必要になるし、それほどの魔力ならとんでもない規模の魔術を起動させることも出来るので最終手段に使えないことはない。
「とりあえずは私がお手本をお見せします。魔術行使は自分で起動させたい現象をイメージし、そこに生命力を流し込んで発動する、と言われていますね」
こんな風に、といいながらアリアは手の中に見事剣を出現させた。
「剣の具現化……」
「このように物体を出現させることも出来ます。当然向き不向きがありますので自分では起こしえない現象も存在しますが、まずはラビ様が一番イメージしやすいものを発現させるのが始めの一歩かと思います。ですが、規模は大きいものを考えないでください。ないとは思いますが万が一発動してしまった際に取り返しがつきませんから」
これが魔術の基本。昨日魔術教本で復習したし、以前からの感覚が残っているから発動自体は容易だと思う。
ただあまり大きいものは発動させないように、出来るだけ規模の小さいものを想定する。
私が初めて魔術を習ったときに発動させた魔術。
イメージは小さなつらら。
固まったイメージに魔力を流し込む。
量はそれほど多くない、これくらい……!
すると、小さなつららが地面に突き刺さっていた。
アリアが息を呑んでいる。一発で成功するとは思ってなかったのかもしれない。私からすれば成功しなければおかしいものだけれど。
「ラビ様、お見事です。まさか一回で成功するとは思っておりませんでした。ラビ様は素晴らしい魔術の才能をお持ちなのですね……」
「そうなのかしら? ありがとう、アリア」
意識してでの魔術行使は初めてだった。
けれど実感した、あの時と同じくらいには魔術を使える。
魔力のコントロールも、発動させる精密さも衰えてはいないみたいだ。
「それにしても、氷ですか。珍しいですね。現代ではほとんど使い手のいない魔術ですが……」
満足しているとアリアのそんな呟きが聞こえてきた。
「えっ? 珍しいの?」
氷魔術の使い手なんて、700年前はそう珍しいものではなかったはずだけど……。
「ええ。元々水に近く、なおかつ水とは違う魔力性質を求められる魔術ですから、そう簡単に扱えるものではないのです。それに700年前に「氷結の悪魔」と呼ばれる魔術師が反乱を起こした後、偏見から氷魔術の使い手は迫害され、ほとんどが処刑されたとか……」
「……え?」
後半部分が、頭に響く。
氷魔術が衰退したのは、私のせいだっていうの?
苦心。