その2
部屋中にチャイムの音がなる。
時計を見ると七時半。
堀川さんが、いつもお弁当を届けてくれる時間だ。
といっても、僕の部屋に訪れる人なんて、彼女くらいなんだけどね…。
たった今、誓った決心を実行するため、いつもよりドアノブに力を込めてドアをあける。
外の空気と一緒に、女の人の匂いが入り込み、それには今だに慣れず、はずかしながらドキドキしてしまう自分が少しくやしい。
「夕食まだでしたら、いつも余り物で申し訳ないですが良かったら食べてもらえますか?」
「いつもありがとうございます。でも、今日はお休みじゃなかったんですか?」
「今日のは、うちの夕食の余り物なんです。お店のじゃないからお口に合うかわかりませんが…」
いつもと同じビニール袋にはいった、いつもと違うお弁当は、少し家庭的な温かさがあった。
だけど、今の僕はこんな事で決心を鈍らすことはしない。
さっき決めたばかりの台詞を口に出そうとする。
「「 あの… 」」
同じ台詞、同じタイミング、僕と、堀川さんの言葉がぶつかり、お互いが遠慮し合ってか、沈黙になってしまった。
しかしそこは、相変わらずの僕。この沈黙を破るため、先に切り出す… ってことはできないのが僕のクオリティー。だらしなく笑ってごまかすしかできない… なさけない。
「失礼だと思ったんですけど…」
先に切り出したのは、堀川さんだった。さすが、一児の母は強い。
「失礼だと思ったんですけど、一つ聞いてもいいですか?」
「あ…はい… なんでしょうか?」
なさけない!僕の声は間違いなくうわずってる。
「今日、日向から聞いたのですが…最近いつも今日みたいな服装で出かけてるって…。」
僕は、堀川さんが何を言いたいか分かってしまった。
しかし、僕は言葉が出ない。
「帰宅される時間もバラバラみたいですし…、もしかしたらこの前の件でなにかあったのかと…」
この前の件とは、おそらく堀川親子と会った誘拐の事だろう。
堀川さんドンピシャですよ…。
しかし僕は、相変わらず言葉がでない…。
「せっかくのご親切を私は、あんな大騒ぎにしてしまって、浅野さんにご迷惑までかけて…。なんで言ってくれなかったんですか!」
堀川さんの言葉が徐々に力が入っていく。
「今だって、なんで何にも言わないのですか?怒ってもらって良いんですよ!文句言っても良いんですよ?」
「いや、落ちついてください。堀川さんに怒ってるとかはもう無いですよ。仕事だってもともとは僕が…」
あまりの彼女の勢いに、思わず僕は、口を滑らした。
「仕事」という言葉を彼女は、聞き逃してはくれなかった。
「お… お仕事…どうかなされたんですか?」
僕の今の状況を理解した彼女の顔から、血の気というものが引いたのが鈍い僕でもわかった。
そしてこれが、嵐の前の静けさだと数秒後に骨身に沁みるほどわからせられた。
「なんでですか!あなたはなんでそんなに迷惑かけた私たちに、何も言わないんですか!おかしいですよ!そんな大変な事になってるなんて私ちっとも…」
きっと、彼女は自分のしでかした事の大きさに混乱しているのであろう…、どんどん言葉がつよくなってくる。
とりあえず、落ち着かせないと話にならない。
「あの…」
「あなたは、これからどうするつもりなんですか!」
「いや…ちょっ」
「このままのつもりだったんですか!!」
「話が…」
「本当にどんだけお人好しなんですか!!!!」
塞き止められずあふれだす彼女からの怒号… 彼女のあまりの言い分にさすがの僕もカチンときてしまった。
僕だって一応男です。
言うときはガツンと言ってやるのです!
怒りにまかせて大声を出そうと力を込めて、さあいこう!! とした時僕はみてしまった。
彼女の目から溜まりにたまった涙が一つの雫として流れると同時にあふれだすのを…。
「…」
僕は、何も言えなくなってしまった。
気づけば彼女も黙ってしまっていた…泣いているのを見られたくなく我慢している子供のように落ち着こうとしている。
ここで、かっこ良い言葉の一つでもかけられればいいんだけど、できるわけもなく…日向の泣き顔に似てるなってわけわからない事を考えてしまうほど僕自身も混乱してしまっていた。
泣いてる女性の接し方など生まれてから今まで覚える機会すらなく、ただ、あたふたとするしている僕に気づいた彼女は、震えた声で小さくつぶやき僕の前から去って行った。
「ごめんなさい。」
彼女が最後につぶやいた言葉。
彼女達のせいで、仕事をクビになった事への言葉?
それとも、パニクって言いすぎてしまった事への言葉?
僕をあたふたさせて困らせてしまった事への言葉?
もちろん、全部ふくまれている可能性もあるけど、今の僕はそこまで考えられない。
とりあえず、嵐のような時間が終わった事への心の底からの安堵感で、その場からすぐに動く事ができず、自分の部屋の玄関で立ち尽くすしかできなかった。
翌朝、玄関のチャイムの音で目が覚めた。
時計を見ると六時。
「こんな時間に誰がくるんだ…」
勢い良く鳴り続けるチャイムの中、どうせ、間違いか、いたずらと思い無視する事にする。
というか、昨晩なかなか寝付くことができず、チャイムに答えるだけの気力がなかった。
もちろん、昨日の騒動が原因だ。
事の発端の誘拐の件、仕事のクビ、先の見えない就職活動、今後の生活、決心した事ができない自分の弱さ、彼女からの言葉、そして彼女の涙。
すべて、頭を駆け巡ってしまい、発狂しそうなほど途方にくれて、気がつけば明け方になったところで、やっと眠る事ができたのに、こんな時間に起こされるなんて…、もう僕は知ったこっちゃ無い。
しかし、チャイムは鳴り止まない。
鳴り止まないどころか、ドアをノックする音まで追加されている…。
「どんだけの いやがらせだよ…」
だけど、決して僕は負けない。
鳴り響くチャイムとノックに対して、布団をかぶって対抗する。
騒音も、負けじと騒がしくなっていく。
チャイムはもはや間隔なく鳴り続け、ノックに至っては、何かの鈍器でドアをぶち壊すほどの大音量にまでなっていった。
「わかった!まいったからもう辞めてくれ!!」
その騒音に耐えきれなくなった僕はかぶっていた布団から顔をだし叫んでしまった。
これ以上続けたら部屋を壊されかねないため、渋々、玄関をあけた。
そこには、僕の予想を裏切る二人がたっていた。
「浅野さん、おはようございます。」
「おにいちゃん、おはよ」
堀川さんと日向が、さっきまで騒音を作り出していたとは思えないにこやか笑顔で、爽やかな朝の挨拶をしてきた。
僕はそのギャップに「おはようございます」と思わず普通に挨拶を返してしまった。
「すぐに、出かける用意をしてください。」
状況がわからず唖然としている僕に、堀川さんは、ふくみのある笑顔で僕を部屋の中へ押し込んでくる。
「ちょっと、何なんですか?」
「いいから早く着替えて下さい。あっ(笑)どうせだったら、私がお着替え手伝いましょうか?男性の着替えを手伝うなんて私、ドキドキします(笑)。」
「わたしも、おにいちゃんのおきがえてつだうよ」
おいおい、それはさすがに遠慮しますよ。
つーか堀川さんこんなキャラでしたっけ?
二人の言葉と、堀川さんの右手に握られた大家さん御用達の大きな木槌にせかされながら僕はしょうがなく出かける用意をはじめる。てか、彼女は本当にドアを壊すつもりだったのだろうか?
十分後、僕は堀川さんが運転する車に日向と乗っていた。
どんなに行き先を聞いても二人は
「秘密です(笑)」
としか、答えてくれない、今度は、僕が誘拐されるのですか?
なんだか、二人は、とても楽しそうにしている。
そんな二人の姿を見ていたら、なんだか秘密のドライブに付き合ってもいいかなって思ってしまうので不思議だ。
「さあ、着きましたよ。」
僕達の住むアパートから、約十五分、車を降りるとそこは、いつも使う駅の反対側にある商店街だった。
なんの為にここにつれてこられたか分からず、辺りを見回すと、目の前に見覚えのある店名のお店があった。
弁当屋 ほりかわ
堀川さんがくれるお弁当の包み紙にプリントされている店名、つまり彼女が働いている場所。
ますますわからず、困惑していると堀川さんが話し始めてくれた。
「昨日、あれからたくさん考えたんです。私たちのせいでたくさん迷惑をかけて、あげくの果てにお仕事まで失わせてしまって…。今の私には、こんな事しかできないんです。」
「こんなことって…」
「ちょうどですね、探してもいたので、タイミングも良くて…。」
探していた…? タイミング…? いまいち僕には理解ができないのですが…。
「すいません、僕、良くわかってないのですが…。」
すると彼女からとんでもない言葉が飛んで来た。
「浅野さん、今日からここで働くんです。」
「???」
なにか、すごい事を言われた気がしますが…。
「…です。ってことは、決定してるみたいに聞こえますが…。」
「はい。昨日の夜に電話で伝えてあって、面接無しでオーケー貰ってますから安心して下さい。」
「やったね。おにいちゃん」
朝日に照らさた二人の屈託の無い笑顔に僕は言葉を失ってしまう。
そして僕は、ここで働く事になった。いや… 決められたしまった。