その1
ケータイのアラームなっている事に気づく。
時計を見ると7時を少しすぎている。
徐々に意識が回復してくると昨日の悪夢のような一日が思い出される。
「夢落ちなんてことはないよね…。」
思わず口に出してしまった台詞が少し恥ずかしくなってしまった。
仕事に行く為に起きようとすると、昨日来ていた服のままである事にきづく。
どうやら、昨日あのまま眠ってしまったようだった。
もみ合った時についた服の汚れが目につき、また嫌な気分になる。
気分を変える為に、シャワーを浴び、簡単な朝食をとり、家を出る。
いつもと同じサイクル。
昨日の事は悪い夢だ と思い込むように、いつも以上に、いつも通りに行動するよう心がけ、駅に向かう。
駅前で、昨日のファーストフード店と交番が目に入ってくるが、わざと視界に入らないようにもこころがけた。
僕の、勤務している職場は、電車で、30分ほどの場所にあり、小さい運送業者で事務をしている。
「男なんだから配達員でもしたらどうだい? 給料も良くなるよ。」
なんてことをよく同じ事務のおばちゃんに言われるが、僕には最低限の給料と最低限の労働で十分なので断っている。
そんな欲の無さと、言葉の無さから職場では変わり者と思われており、仕事以外で話しかける人間なんていない。
僕的には、最低限の人間関係で十分なので逆に都合が良いのである。
居心地も良いのである。
決して、強がりでは無いのである。
「おはようございます。」
職場である小さい事務所に入るとそこには、いつものように、おばちゃん3人が始業前のお茶を飲みながらおしゃべりをしている。うん。いつもの光景だ。
僕は、自分のデスクへ向かい仕事の準備を始めてると何かおかしい…。
事務所の光景はいつもとかわらないが、雰囲気がなにか違う…。
何かしっくりこない雰囲気にぎくしゃくしていると、ふと、あることに気づいた。
静かすぎる…? ような気がする。
いつもは、もっと…。
そう、いつもは、もっとおばちゃんたちが、旦那や子供達の文句を言い合い馬鹿みたいな声で笑っているのに今日はその声が無く静かすぎる。
なにげなく、おばちゃん達のほうに視線をむけると、あきらかに僕への視線をそむけごまかした。
頭にハテナマークがいくつも浮かぶ…。
この感じ、昔にも味わった記憶がある。
そうだ!
昨年、仕事で大きなミスをした時にも今日みたいな事があったのを思い出した。
おそらく今日の話のネタは僕のミスをわらっていたんだ。
おばちゃん達はどうして、こんなにも、人の不幸が好きなのかね?
「浅野君 昨日、仕事ミスってるらしいわよ。大丈夫? おばちゃん手伝おうか?」
なんて心配されても、僕的には、逆にうっとうしいだけなので、こっちの方がありがたい。
しかし、社長に怒られる事と、ミスした仕事の修正などで今日は忙しくなる事が確定したのは、朝からとても憂鬱になってしまう。
昨日から本当に最悪だ。自宅の近くの神社で、帰りにお参りでもして帰ろうか…。
なんてことを考えていると、事務所のドアが空き、社長が入って来た。
それを見たおばちゃん達が、それぞれのデスクへ移動し、仕事の準備をはじめる。
僕は、この先の出来事を考えると、胃が締め付けられるような感覚に襲われる。
「浅野君 ちょっと来るように。」
社長は自分の席に座ると、早速僕の名前をよんだ。
一発目からですか…。
胃の締め付けがよりいっそうはげしくなり、口から何か出てきそうだ。
おばちゃん達に焦りが伝わるのが杓なので、何も知らないような顔を必死で作り、なにごともないような素振りで社長の元へ向かう。
ザクザク刺さっているおばちゃん達の視線を背中に感じる。
しかし、今の僕は、そんな視線より、震えないように言葉を出す事に必死である。
「なんでしょうか?」
お! 最初の一言目は、意外にすんなりでたぞ。ほんの少し体が楽になった気がしてきた。
「君、昨日警察の厄介になったんだってね?」
思いがけない社長の言葉に、一瞬理解ができず、言葉が何もでてこなかった。
「昨日花岡さんがね、君が警察に手錠かけられるのを見たそうなんだよ。」
花岡さんとは、おばちゃんの一人で、僕と家が近いような話は聞いた事あったけど、まさか昨日あの場所にいたなんて…。
僕は、足を踏ん張り、なんとか言葉をだした。
「それは、相手側の勘違いでして…。」
あまりにも、混乱しすぎてこれ以上言葉が出てこない。
「お客様達にも印象悪いんだよね…。このご時世…その…幼い子供への犯罪とかってね…。」
僕は、必死になって、昨日の状況を説明しようとした。
しかし。
「明日から、来なくてよいから。」
僕の言葉を遮って社長の言葉が僕の頭を貫く。
「どんな理由があっても、君自身にも落ち度があったんだろう。他の人の手前もあるし、君のような危険な人間をうちの会社にはおいてはおけない。」
多分、そんな事を話していたと思う。
それからの事は、あまり記憶に無い。
僕は、私物をまとめているとおばちゃん達の話し声がきこえる。
「いつか、こんなことになると思ってたのよ。」
とか
「一緒に働いてたと思うとぞっとするわね。」
とか、よくワイドショーで近所のおばさんが話している言葉まんまだった。
荷物をまとめ、事務所のドアを開ける。
さっきより、背中の視線が痛い…。
本当に犯罪者になったみたいに思えてくる。
最後に一礼し、事務所を後に歩いていると事務所のドアがしまる音が聞こえる。
僕の視界も暗く閉ざされた気がした。