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世界を股にかける予定だった吾輩

掲載日:2026/10/10

吾輩は鮭である。

 川で生まれたが、川だけの器ではない。


 若き日の吾輩は、細く、頼りなく、いかにも世間知らずといった風情で流れに身を任せていた。生まれ故郷の川はたしかに悪くなかった。水は冷たく、流れは清く、空腹であれば何かしら口に入る。だが、それだけで一生を終えるには、あまりに世界が狭いではないか。


 だから吾輩は海へ出た。


 それは別に、故郷が嫌だったからではない。

 もっと大きなものを見たかったのである。

 川幅の話ではない。

 世界の話である。


 実際、サケの仲間は川で生まれたのち海へ下り、北太平洋を広く回遊して成長し、成熟すると生まれた川へ戻ると説明されている。つまり海へ出ること自体は、吾輩だけの特別な野心ではなく、わりと一族ぐるみの定番進路である。だが、若い頃の吾輩にそんな冷静な見方はなかった。吾輩はもっとこう、自分の意志で世界へ打って出た気でいた。

 海は広かった。


 たいへん広かった。

 これは誇張ではない。

 川の外には、まず河口があり、沿岸があり、その先に、どこまで行っても水しかない世界がひらけていた。初めて大海原へ出た日の吾輩は、感動のあまりしばらく口を閉じ忘れたほどである。危うく余計なものを飲み込むところだった。海とは、感動と危険がいつも隣り合っている場所であった。


 だが、吾輩は慣れた。

 潮の流れにも、広さにも、海の理不尽にも慣れた。


 いつしか吾輩は、自分を旅人だと思うようになっていた。


 北へ行けば水は冷たく、南へ寄れば匂いが違う。海には海の筋道があり、魚には魚の都合がある。こちらが美しく泳いでいても、向こうは容赦なく追ってくることがあるし、こちらが腹を空かせていても、獲物の方に予定があるわけではない。それでも吾輩は泳いだ。広い海を知り、遠い水を知り、世界の端までは無理にせよ、かなりのところまで見てやるつもりでいた。


 世界を股にかける予定だったのである。


 予定だった、というのは、世の中には予定のまま終わるものが案外多いからである。


 ある日から、妙な感じがしはじめた。


 海は相変わらず広い。

 潮も変わらぬ。

 食べようと思えば食べられるし、泳ごうと思えば泳げる。

 なのに心のどこかが、妙に落ち着かない。


 何かが吾輩を呼んでいるのである。


 最初は気のせいだと思った。

 旅人には、そういう時期がある。

 少し疲れると故郷を思うものだ。

 遠くまで来た者ほど、帰る場所の輪郭を心に描いてしまう。

 それだけのことだと、吾輩は自分に言い聞かせた。


 だが、違った。


 体が、勝手に向きを変えるのである。


 これはなかなか衝撃的な経験だった。

 吾輩はまだ行けると思っていた。

 海の向こうにはまだ知らぬ流れがあり、知らぬ群れがあり、知らぬ水温がある。旅はこれからますます本番になるはずだった。そう、少なくとも気持ちの上では。


 しかし現実の吾輩は、じわじわと故郷の方角へ引かれていった。


 実に遺憾である。


 サケが成熟すると生まれた川へ回帰することは、研究機関や大学の解説でも母川回帰として広く説明されている。子孫を残すための行動で、川のにおいを若い時期に記憶し、それを手がかりに帰る仕組みが研究されている。つまり吾輩のこの落ち着かなさも、浪漫というよりかなり本能に近い。分かってはいるが、旅人気取りの身には少々つらい。


 吾輩は帰る道すがら、できるだけ平然を装った。


 べつに戻りたいわけではない。

 立ち寄るだけである。

 少し様子を見るだけだ。

 生まれた川がどうなったか、確認しておくのも旅人の務めというものだろう。


 誰に向けた言い訳なのか、自分でもよく分からなかった。


 やがて川の匂いがした。


 その瞬間、吾輩の胸のどこか深いところが、きゅうと縮んだ。

 懐かしい、というのとは少し違う。

 もっと抗いがたいものである。

 思い出というより命令に近い。

 ああ、ここだ。ここだった。ここへ来ることになっていたのだ、と、体の方が先に知っている感じであった。


 故郷の川は、出て行った頃より狭く見えた。

 いや、川が狭くなったのではない。

 海を知った吾輩が大きくなったのである。

 それは少し誇らしく、少し寂しかった。


 川をのぼるのは、思ったより骨が折れた。

 流れは容赦がない。

 跳ねる。

 進む。

 また流される。

 海では広さにまぎれていた疲れが、川でははっきり脚ならぬ身にこたえる。


 しかも、周りにも同じような連中がいる。

 皆、海を見てきた顔をしている。

 だが目的地が近づくにつれ、旅の風格より別のものが前へ出てきた。

 殺気である。

 いや、殺気というと少し物騒だが、恋にまつわる本気である。


 ここで吾輩は、たいへん都合の悪い事実に直面した。


 オスは、帰ってきたあとが本番なのである。


 メスが産卵し、オスはそこへ放精して受精を成立させる。そのため、オスもまた成熟した個体として川へ戻る。回帰は単なる帰省ではなく、繁殖の場へ向かう移動である。つまり吾輩は、世界を見てきた旅人として悠然と故郷へ凱旋したつもりでいたが、実際には恋の競争に参加する者の一匹にすぎなかった。


 これは少々、いやかなり、聞いていない。


 海での回遊なら、まだよかった。

 大きく泳げばそれらしく見える。

 遠くを見れば哲学的にも見える。

 だが故郷の川ではそうはいかぬ。

 皆が皆、似たように傷つき、似たように疲れ、似たように必死である。

 そこに旅人の余裕など入り込む隙はなかった。


 吾輩は思った。

 世界を股にかける予定だったのにな、と。


 その予定表の最後に、

 実家に帰る

 と、こんなにはっきり書いてあるとは思わなかったのである。


 それでも、川底の石の感触は確かだった。

 流れの匂いも、冷たさも、どこか体が覚えていた。

 みっともなく息を切らし、思ったほど優雅でなく、旅人ぶる余地もほとんどなかったが、それでも吾輩はちゃんとここへ帰ってきた。


 大海原を見た。

 遠い水を渡った。

 そして最後に、この川へ戻った。


 たとえ帰る理由が浪漫ではなく本能であっても、旅そのものまで嘘になるわけではない。

 見てきた海は本物だったし、泳いできた距離も本物だった。

 故郷へ引き戻されたのだとしても、そこへ戻るまでの道のりが消えるわけではない。


 ならば、まあよいかと思った。


 旅人として格好はつかなかったが、鮭としてはだいぶ正しい。

 世界を股にかける予定は少し縮んだ。

 だがその代わり、吾輩はちゃんと自分の川まで帰ってきた。

 それはそれで、なかなか大したことではあるまいか。


 もっとも、できることなら、帰郷の真の目的が恋と放精である件については、もう少し詩的にぼかしていただきたかった。

 旅には旅の、見栄というものがあるのである。

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