第3話:情報の非対称性と破滅のアルゴリズム
翌朝、領主館の広間に、エルニア領の窮状に付け込む隣国の巨商、ガルス商会長が姿を現した。
彼は、肥え太った体を揺らしながら、俺とリーゼロッテを小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「おやおや、リーゼロッテ様。新しい愛人……いや、失礼。新しい『相談役』ですか? ですが、誰を連れてこようと、我が商会との魔石供給契約は絶対です。今日中に金貨三万枚を支払えなければ、この領地の採掘権はすべて我が商会に譲渡していただきますぞ」
金貨三万枚。現在の領の財政では逆立ちしても出せない額だ。
リーゼロッテが悔しさに唇を噛む。だが、俺は椅子の背もたれに深く寄りかかり、手元の魔導演算機に数式を走らせながら淡々と告げた。
「ガルス商会長。君の言う『市場価格』は、『情報の非対称性』に依存した極めて不健全なものだ。君は王都で魔石が暴落している事実を隠し、この領地にだけ不当に高いレートを押し付けている」
「……はっ! 証拠でもあるのですか? 王都の相場がこの辺境に届くまでには、早馬でも三日はかかる。その『タイムラグ』こそが商売の利益だ。違法性などどこにもない!」
「ああ、その通り。情報の伝達速度が光速を超えない限り、物理的な裁定は成立する。……だが、それは『魔法で因果をショートカット』しない場合の話だ」
俺は演算機のスイッチを入れる。
リーゼロッテと協力して構築した、領地全域を網羅するマナの通信網――「擬似量子もつれネットワーク」が起動する。
「リーゼロッテ、実行しろ。王都の魔石ギルドのリアルタイム・オーダーを、この空間の『市場投影膜』に同期させる」
「はい、カイト様! ……魔法式『離散時間マルチンゲール』、展開!」
広間の空中に、巨大な光の円グラフと数字の羅列が出現した。
そこには、今この瞬間に王都で行われている魔石取引の「真の価格」が、一秒の遅延もなく刻まれていた。
「な……なんだ、この光る数字は!? まさか、王都の価格を直接覗き見しているのか!?」
「覗き見じゃない。空間のトポロジーを接続し、情報の伝播距離をゼロにしただけだ。……見ろ、ガルス。君が提示した価格の10分の1が、今の『世界の適正価格』だ」
ガルスは青ざめ、額から脂汗を流す。
だが、俺の攻撃はこれだけでは終わらない。2026年の読者が求めているのは、ここからの「追い込み」だ。
「さらに言えば、君が抱えている大量の在庫。あれは、価格を吊り上げるために不当に止めているものだろう? ……俺は今、その在庫の『所有権の確率分布』を少しだけ操作した」
「な……何を言っている!?」
「君の商会の倉庫にある魔石の『存在確率』を、この領地の公共広場に100%移送した、ということだ。『確率密度関数の局所的転移』。君が契約書で『魔石の提供を保証する』と書いた以上、魔法的契約は、君の意思に関わらず物理現象として履行される」
窓の外から、領民たちの歓声が聞こえてくる。
広場に、山のような魔石が突如として「出現」したのだ。
「そんな……馬鹿な……っ! 我が商会の財産を、勝手に……!」
「勝手じゃない。契約通りだ。君は魔石を提供し、領は適正な時価――つまり、王都と同じ格安の価格でそれを買い取る。……さて、ガルス。情報の優位性を失い、在庫も市場価格で強制清算された今の君に残っているのは、王都の投資家たちへの莫大な債務だけだ。……破産おめでとう」
ガルスはその場に崩れ落ち、警備兵によって引きずり出されていった。
静まり返った広間で、リーゼロッテが呆然と俺を見つめている。
「……カイト様。あなたは、剣も魔法の矢も使わずに、ただ『数字』だけで一国の巨商を滅ぼしたのですね」
「滅ぼしたんじゃない。システムの不具合を取り除いただけだ。……さて、次は領地の教育だな。この『バグだらけの計算式』を使える人間を増やさないと、文明の再起動は終わらない」
俺はチョークを一本取り出し、彼女の石板に新しい数式――「現代数学への招待状」を書き始めた。




