累積するノイズ
探索を始めてから一週間、亮太は自宅のワンルームマンションから一歩も出られずにいた。
部屋のカーテンを閉め切り、照明もつけない。わずかな光でさえ、今の彼には暴力的な刺激に感じられた。
彼は鏡の前に立ち、上半身を剥き出しにした。
左腕の火傷痕。足首を掴む青黒い痣。右肩に残る、白く浮き出た指の跡。
それらは単なる怪我ではない。それぞれの場所で彼が触れた「恐怖の具現」が、彼の肉体をキャンバスにして描き出した、死者たちの自画像だった。
「……うるさいんだよ」
亮太は、耳を塞いで蹲った。
部屋は無音のはずなのに、意識の奥底で、数多の「声」が渦巻いている。
鏡を見つめながら崩れ落ちる女の熱い吐息、金貨をかき集める老女の骨の軋み、そして、踏切で自分の体が砕けるのをただ困惑して見つめる女の、答えのない問い。
それらはバラバラの事件であり、バラバラの死だったはずだ。
だが、亮太の中に蓄積された「痕」を通して、それらは一つの大きな、歪んだうねりへと変わりつつあった。
これまでの探索で見てきたものは、どれも世間で言われる「恨みを晴らす幽霊」ではなかった。
そこにいたのは、自分の恐怖を形にし、その中に閉じ込められた「意識の檻」だ。
そして今、亮太自身がその檻の扉を開け、中身を自分の体へと移し替えてしまっている。
亮太は、机の上に乱雑に広げた資料を眺めた。
これまで訪れた心霊スポットの共通点。それは悲劇の凄惨さではなく、その死の瞬間に、どれほど強固な「主観的な真実」が空間に焼き付けられたか、ではないか。
もし、幽霊が「死者の意識」そのものであるなら。
今、俺の体にあるこの痕は、俺自身の意識をどう変えていくのか。
ふと、右肩の白い指跡が、以前より少しだけ位置を動かしているように見えた。
鎖骨をなぞるように、ゆっくりと、首筋へ向かって。
「……あ」
亮太は、自分の呼吸が不自然に浅くなっていることに気づいた。
彼が死者たちの恐怖を「理解」しようとすればするほど、彼自身の境界線が曖昧になっていく。
他人の絶望を自分の一部として取り込むことが、果たして「接続」なのか、それとも「侵食」なのか。
彼は、震える手で古い手帳を手に取った。
そこには、次の目的地の候補がいくつか記されている。
本当は、もう止めるべきなのだ。このままでは、自分という器が、他者の意識の重みに耐えきれず、粉々に砕けてしまう。
しかし、亮太の指は、ある一行の上で止まった。
『――誰もいないはずの湖畔で、自分を呼ぶ声が聞こえる』
彼は、無意識に首筋の痕をさすった。
そこにはまだ何もない。だが、次に行くべき場所が、自分を呼んでいるような、逃れられない引力を感じていた。
亮太は立ち上がり、暗い部屋の中で着替えを始めた。
整理すべきは、場所のリストではない。
自分の内側で増殖し続ける、この「他者の断片」とどう向き合うべきか。
その答えを見つけない限り、彼はいつか、自分自身の顔さえ思い出せなくなるだろう。
彼は鍵を手に取り、静かに部屋のドアを閉めた。
外の空気は冷たく、彼の体に刻まれた三つの痕が、呼応するように熱を帯び始めた。




