黄金の亡骸
隔離病棟から戻って以来、亮太の左腕に残った火傷のような痕は消えていなかった。医者は「原因不明の接触性皮膚炎」と診断したが、あの夜の「乾燥した熱」を思い出すたびに、その痕はズキズキと脈打つように痛んだ。
「……気のせいだ」
自分に言い聞かせ、亮太は次なる目的地へ向けて車を走らせた。今夜の標的は、地方の旧家、旧佐藤邸だ。かつてこの一帯の大地主だった一族の屋敷だが、最後の当主である老女が亡くなって以来、相続争いと奇妙な噂のために、十数年も放置されている。
噂では、この屋敷に入った者は皆、激しい頭痛と「金属が擦れるような音」に悩まされ、二度と敷居を跨ごうとはしないという。
夜の闇に沈む佐藤邸は、周囲の木々に締め付けられるように立っていた。亮太は生い茂る雑草をかき分け、裏口の重い扉をこじ開けた。
中は、外の静寂が嘘のような「騒がしさ」に満ちていた。
風もないのに、どこかでカチカチと歯車が回るような音が聞こえる。亮太はペンライトを向けた。廊下の隅々まで、古びた調度品や埃を被った絵画が積み上げられている。
「……なんだ、この圧迫感は」
奥の金庫室へと続く廊下に進むにつれ、亮太は耳の奥で、無数の「小銭が落ちる音」を聞き始めた。チャリン、チャリンという軽やかな音ではない。それは、何万という硬貨が一度に降り注ぎ、肉を押し潰すような、重苦しく暴力的な音だった。
(渡さない。誰にも、一銭たりとも。これは私のものだ。私の命だ――)
誰かの叫びが脳内に突き刺さる。亮太は膝をついた。耳を塞いでも無駄だった。その「声」は鼓膜を介さず、彼の意識に直接、針を立てるように侵入してくる。
金庫室の扉が、ゆっくりと、内側から押し開けられた。
そこにいたのは、腰が折れ曲がるほど老いた女の影だった。
だが、その姿は異常だった。彼女の皮膚は、まるで古い金貨を何層にも貼り付けたような、鈍い真鍮色の鱗に覆われている。目があるべき場所には、錆びついた鍵穴が二つ。口からは、言葉の代わりに絶え間なく黄金の泥が溢れ出していた。
彼女の恐怖は、死そのものではなかった。
自分が一生をかけて積み上げた財産が、死によって他者の手に渡り、霧散していくこと。自分の価値のすべてだと思い込んでいた「所有物」を失い、ただの骸になることへの、狂気的なまでの拒絶。
その強すぎる執着が、彼女を優雅な老婦人の霊ではなく、「奪われることを恐れ、自らを金庫に変えてしまった怪物」へと変貌させていた。
「う、あ……っ」
亮太は立ち上がろうとしたが、足元が重い。見ると、床から這い出してきた真鍮色の腕が、彼の足首を掴んでいた。冷たい、金属そのものの感触。
異形が、掠れた声で呻いた。
その声は、重い扉が閉まる時の軋み音に似ていた。
(持っていかないで。それは私の、私の時間なの……!)
その瞬間、亮太は見た。
彼女の視界。死の床で、自分の周りに集まった親族たちが、悲しむふりをしながら屋敷の権利書や預金通帳を探り合っている醜悪な光景。彼女にとって、人間はすべて「自分の価値を盗みに来る泥棒」だったのだ。
「離せ、俺は何も持ってない!」
亮太は必死に足を振り払い、廊下を駆け戻った。背後からは、大量の金属が雪崩のように押し寄せる音が響く。屋敷全体が、彼女の執着に同調して、亮太を「略奪者」として飲み込もうと震えていた。
ほうほうの体で車に逃げ込み、亮太は自分の足首を見た。
そこには、きつく締め付けられたような、青黒い指の痕が刻まれていた。
隔離病棟の火傷に続き、また一つ、消えない痕が増えた。
「……あいつらは、一体何なんだ」
亮太は震える手でタバコに火をつけた。
前回の女も、今夜の老婆も、誰かに殺されたわけじゃない。
ただ、自分が抱えた恐怖や執着に、自分自身が飲み込まれて、あんな姿に成り果てていた。
「ただの霊じゃない……。何かが、あそこに残ってる」
亮太は暗闇に沈む屋敷を睨みつけた。
理解には程遠い。だが、彼の中に、ある種の確信に近い焦燥が芽生え始めていた。
あいつらが見ていた景色を、俺は共有させられた。
その「景色」こそが、この世を地獄に変えている正体なのではないか。
亮太はエンジンをかけ、夜の街へと車を走らせた。
次の「地獄」が、彼を待っている場所へと。




