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58話 桜の最後

 弱った桜の胸がさらに弾けた。

 彼女は苦しげに胸を押さえだした。

 よく見ると、胸元のコアがまた砕けたようだ。

 そしてその中から白いモヤが一つ立ち上り始める。

 どこへ向かうわけでもなく、ただ舞い上がるそれに鈴芽は妙な懐かしさを覚える。

 


 今にも消えてしまいそうな弱々しいモヤに、私は必死に手を伸ばした。

 その煙をそっと手で掬い上げると、自分の胸の中に入ってきた。

 


 『ハッ!! どうなったんだ!?』

 


 胸に入ってすぐに、頭の中に男の声が響いた。

 その男の声は、悪夢から目覚めたように息を荒げている。

 


「大樹! やっぱりそうだった!」


 

 そのモヤは、失ったはずのもう一つの魂――大樹だった。

 さっきから溢れ出していたモヤでお兄ちゃんやポッド内の女性たちが意識を取り戻したから、もしやと思ったけど、生きててよかった!

 胸を押さえながらホッと息を吐く。


 

 『鈴芽ちゃん!? そうか俺、戻ってきたのか……。良かったぁぁ〜』


 『ほんと死んだかと思ったわよ。生きてて良かった……。それと、お兄ちゃんを助けてくれてありがとう』


 『俺が、雪也お兄ちゃんを? そっか。やっぱりあれで助け出せたのか』


 『あんたに一体何があったっていうの?』


 『それがとんでもない蜘蛛に追われるわ、食われかけるわでもう大変でさ〜……って、その話はあとあと!』


 

 大樹がそう諭す理由は、目の前の桜が立ち上がろうとしていたからだ。

 彼女の胸のコアは完全に砕け、地面に破片がぱらりと散っていくのが見える。

 姿勢は完全に崩れ、老いぼれた姿になり、“最強”と呼ぶのも烏滸がましいほど見窄らしい姿と成り果てた。


 

「な、なぜ……」


 

 現状を理解できていない彼女の声はシワがれ、枯れている。

 肌も一気に老け込み、六十代とは思えないほど年老いているじゃないか。


 

「九条桜さん……。もうお終いですよ〜」


 

 後ろから来栖さんが、お兄ちゃんと共に武器を構え、蹲る桜に向けた。

 


「私が……お終いですって?」


「はい〜。今のあなたはコアを砕かれ、取り込んでいた力を失ったようですしね〜。その老け具合も、今まで力を酷使した反動ってところではないですか〜?」


「そんなはずない! 私はまだ――」


 

 立ち上がろうとして膝がガクンと崩れた。

 自分の体が思うように動かせないのか、彼女の顔からは焦りが滲んだ。

 


「私は、まだここで負けるわけにはいかないのよ! 九条家の名を……栄光を世界に轟かせるまでは!」


「哀れだな、婆さん」


「雪也……」

 


 お兄ちゃんが眉間に皺を寄せ、刀を桜の顔に突き立てた。


 

「もう諦めろよ。九条家の栄光だかなんだか知らないけど、人の道を外れたあんたが世界から認められるわけないだろ」


「うるさい! うるさいうるさい……うるさい! 斉藤! 何をしてるの! 早くこいつらを殺しなさい!」



 駄々をこねるように地面を叩きながら、もう一人の味方であるはずの斉藤先生を呼んだ。

 だが――。

 


「無駄ですよ」

 


 柳先生と八重さんが、身体中を傷まみれにした斉藤先生を拘束し、桜の前に放り投げた。

 彼女はすぅすぅと寝息を立てていて、気を失っているようだ。


 

 『形成逆転だな』


 

 大樹の言う通り、もはやこの場で桜が逆転する要素は消え失せた。

 桜は横たわる斉藤先生を見てはギリッと歯軋りし、彼女の体を弱々しい拳で殴りつけた。

 


「この役立たず! これまで面倒を見てやったっていうのに……!」

 


 つくづく哀れね。こんな人に今まで怯えていたかと思うと、自分が本当に情けなく感じるわ。

 でも、それもこれでお終い――。

 


 一歩前に出て、私は彼女に引導を渡そうとお兄ちゃんと並んで立ち、レイピアを突き立てた。

 


「主になった。あんたを生かす道理はないわ」


「この……鈴芽! 貴方をこれまで生かしてきたのは私なのよ!? それを感謝もせず殺す? 恩知らずにも程があるわよ!」

 


 何を言い出すかと思えば、そんな中身のない言葉を並び立ててこられても困る。

 


「あんた達の勝手に巻き込まれて私を捨てたくせに、何が感謝よ。バッカじゃないの?」


「ぐぅぅ! 雪也! お前が強くなるには私の知恵が必要なはずよ! 助けなさい!」


 

 助けを乞うようにお兄ちゃんに顔を向けたが、もはや答えるまでもないと口を開くことはなかった。

 誰も助けないこの状況は、まさしく因果応報ってやつね。

 これ以上は見てられないし、もう終わらせよう。

 そう思い、私はレイピアの切っ先を桜の首に押し当てる。

 


「いや……やめて……お願いよ鈴芽。殺さないで」


「さようなら九条桜。あの世でこれまでの行いを悔い改めることね」


 

 刃が首の肉にざくりと入っていく。

 桜は涙を浮かべながら嗚咽を漏らした。

 されど私は一切の同情を感じない。

 そのまま刃を横に滑らせ、私は――。


 

 桜の首を切り落とした。

 


 どさりと桜の体が地に伏せる。

 刃にこびりついた血を振り払い、亡骸となった桜を一瞥していると、お兄ちゃんが肩に手を置いてきた。


 

「終わったな」


「うん」


 

 家族を手にかけたというにも関わらず、私の心は平静を保っていた。

 彼女が【エリミネーター】に堕ちたからか?

 そうではない。最初から私はこいつのことを人間だと思いもしていなかったからだ。

 


 正直、死んで当然だと今は思う。

 そんな自分の中の悪魔を恐ろしく思う。

 


 『考えすぎちゃダメだよ? 鈴芽ちゃんのやったことは正しい。こいつが人間の姿であろうが、異形に堕ちたんだから』


 『そうだとしても、私は自分が怖いわ』


 『鈴芽ちゃん……』


 

 そう考えに耽っていると、八重さんが辺りを見渡しながら怪訝そうな顔を浮かべた。


 

「おかしいわね。主を倒したはずなのに、空間が崩壊する様子がないわ」


「本当だな。授業で聞いた通りなら、主を倒した瞬間に狭間内の空間がアビス諸共消えるはずなのに」


 

 お兄ちゃんと一緒に私も辺りを見渡す。

 洞窟は一切崩壊する様子はなく、しんと静まり返ったままだ。

 崩壊にも違いがあるのか? そう思ったが――。


 

 『ありえない。主を倒した瞬間に崩壊は起こるはずだよ?』


 

 この世界に詳しい大樹がそう言っているのだ。

 間違いなく異常。

 それが意味することはつまり――。


 

「鈴芽さん! 雪也さん! それから離れて!」

 


 来栖さんが叫んだ。

 彼女がそれと言った物――桜の亡骸に目を向けると、赤い煙が溢れ出していた。

 な、なによこれ……。

 


 その煙は意思を持っているかのように動き、お兄ちゃんに向かって突撃してきた。

 


「危ない!」


 

 咄嗟にお兄ちゃんに体当たりで突き飛ばした。

 すると煙が私の体を包み込んだ。


 

 な、に? これ……。


 

 重く、苦しい。

 そんな煙が鼻や口から入り込んでくる。

 


「鈴!!」

 


 突き飛ばされたお兄ちゃんが私に手を伸ばす。

 それを来栖さんと柳先生が抑えた。


 

「雪也さん無理です!」


「ここは離れた方がいいですよ!」


「離してくれ! 鈴が……俺のたった一人の妹が!」


 

 二人の拘束から必死に抜け出そうとするお兄ちゃんの姿が見える。

 でも、お兄ちゃんはこっちに来ちゃダメ……。

 胸に赤いコアが生成されていく。

 


 そういうことね。

 どうやら今度は私を主にするつもりみたいね……。

 


 気が遠くなり、ドサッと地に伏した。

 瞼が重く、眠い。

 抗えぬ眠気に身を任せ、私は瞳を完全に閉じた。


――――――――――――――――――――――――


 目を覚ますと、暗い空間に私はいた。


「鈴芽ちゃん! 鈴芽ちゃん!」


 

 私の体を揺さぶる男が見える。

 まだ重たい瞼を開けながらそいつを見ると、なんともパッとしないおじさんがそこにいた。

 見覚えのない姿だが、声は聞き覚えがある。

 大樹だ。

 


「大樹?」


「そうだ! 俺だよ! 早く起きて鈴芽ちゃん! 奴が来る!」


 

 奴? こいつはいったい何言ってるの?

 重たい顔を動かし、大樹が顔を向けた先を見る。

 するとそこには雲の体、顔があるはずの場所には若い女の体が生えた、童話に出てくるアラクネの姿をした異形がいた。

 


「なんなのあいつは!?」


 

 異常に気づき、目がパッと開いた。

 恐怖で心臓が跳ね、眠気も飛んでいった。


 

「てか大樹、なんであんたがここに? 私の中にいるんじゃなかったの?」


「俺がここにいる理由が気になる? 俺はここが、あいつの作り上げた精神世界だからだよ」


 

 あいつというのは、あのアラクネのこと?

 立ち上がり、大樹の背に手を当てる。

 


「どういうこと?」


「さっきまで俺はここに閉じ込められてたんだよ。また帰ってくるとは思わなかったけど、こんなに早く戻ることあるか? うんざりだよ」


 

 目の前のアラクネが動き始める。

 どしどしと地を踏み鳴らす音がこだまする。

 その音だけで、あれが相当な巨体であることが分かる。


 

「くるぞ! 鈴芽ちゃん、戦機を出して! 早く!」


「わ、分かった! 戦機解放!」


「戦機解放!」


 

 私と同時に、大樹も唱え、魔法陣から同じレイピアを抜き取った。

 それを同じ構えで構え、迫るアラクネに向き合う。


 

「鈴芽! よくも、よくも殺したなぁ!!」

 


 アラクネは叫び、脚を動かして迫る。

 見ると、恨みが籠もったように顔を歪ませているじゃないか。

 


「何言ってんのあいつ? あいつのことなんか私知らないんですけど!?」


「よく見て、鈴芽ちゃん!」


 

 言われた通り見ると、雲の体についた女性にはどこか桜の面影を感じる。

 って――。

 


「九条桜!?」


「そういうこと!」


 

 迫ったアラクネの突進を、二人は左右に飛び退いた。

 アラクネはUターンし、大きく飛んだ。

 


 私たちを踏み潰す気!?


 

 全力で後方に跳び、躱した。

 瞬間、アラクネの臀部から糸が放出され、眼前に迫った。

 それを大樹が庇って前に立ち、切り裂いた。


 

「集中して! こいつ、俺たちをどうしても殺したいみたいだよ?」


「言われなくても集中してるってば!」


 

 大樹の後方から走り、アラクネに肉薄する。

 デカい図体なら、私の速さに追いつけないでしょ!


 

 そう思い側面に回ろうとしたが、アラクネの女体部分――桜の両腕に太刀がふっと現れ、目の前に立ち塞がるように斬り込んできた。

 


「うそでしょ!?」

 


 まるでリンボーダンスをするかのように背を傾け、走った勢いのまま滑り込んだ。

 顔面スレスレに通過する太刀。

 それは、ここが夢の世界であるにも関わらずリアルな質感を感じさせた。

 


 当たれば間違いなく死ぬわね!

 


 もう片方の太刀が振り下ろされる。

 急ぎ立ち上がり、その場を駆け抜けようとするが、剣先の速度が加速した。

 


 夢だからってなんでもありすぎるでしょ!

 


 そう思うほどに不自然な加速。

 太刀に振り返りレイピアで受けようとすると、大樹が並び、一緒に攻撃を防いだ。

 ズシンとのしかかる重圧に、二人でなんとか堪える。


 

「おっも!」


「押して! 全力で!!」


 

 言われなくてもやってるわよ!

 足のバネを利用し、二人で太刀を押し返す。

 その一瞬の隙でその場から走り去り、アラクネとの距離を大きく取った。

 


「鈴芽ちゃん。分かってると思うけど、ここが正念場だよ」


「そうね。どうやら今、私たちが戦ってるこいつこそが【冥王】の正体ってことね?」


「はぁ、そうみたいだ。ごめん。俺がちゃんと倒して脱出してれば、こんなことにならずに済んだのに」


「謝らないで。こいつに関しては情報がなかったんだもん。まだ戦えてるだけマシよ。それに――」


 

 ニッと笑い、私は大樹に笑顔を向けた。

 


「ここにはあんたがいる! だから怖くないわ。やってやりましょ! 生きてここから出るために!」


「はは! そうだね。さすが鈴芽ちゃん。決意した顔もかわちいですなぁ〜」

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