ニンジャ、ドラゴンと戦う 001
ブラッドローズと名乗ったものの笑みは、愛らしい少女のそれであったがハクはその笑みがひどく恐ろしく感じる。実際対峙していると、生気を吸い取られているのではないかと思うように力を奪われていく。まるで驟雨がごとく禍々しい瘴気がふりそそぎ、ハクの精神を衰弱させていた。
「さて、魔女よ。楽しき出会いをくれたことに、礼をいうぞ。早速だが、歓迎の贈り物を用意した。うけとるが、いい」
ブラッドローズはそう言うと同時に、吹き消されるように姿を消した。一瞬、空に青さが戻ったように思う。しかしそれは、本当に一瞬である。
空が、黒い稲妻に引き裂かれるように裂けた。青い皮膜となった空の裂け目から、黒い液体が零れ落ちようとしているのかとハクは思う。
闇色の裂け目から、何かが姿を現す。巨大な蛇の頭を思わせるものが、空をのたくる。長細い影が、空に黒い文字を書こうとしているかのようだ。ハクは、それが竜の頭だと理解した。
竜の頭に熾火がごとく真紅に輝く瞳が、灯る。その後から、世界を闇で覆い尽くそうとしているかのように大きな翼が姿を現す。
気がつくと冬の嵐が生み出す暗雲のように凶悪で巨大な竜が、翼を広げて空に君臨していた。ハクはその竜が生み出す圧倒的な破壊の予兆に、呻き声をあげる。
青かった空は、今や破滅の暗黒に染められていた。竜はこの世の理に縛られぬ存在に相応しい、常軌を逸した力を振り撒いている。
巨人の拳がぶつかるような風が、襲いかかってきた。ハクは足を踏ん張り、吹き飛ばされないように堪える。海は凶暴に唸りながら、メイルシュトロームを生み出していく。
「あれは、なんだ」
ハクの言葉に、ルサルカは平然と応える。
「あいつを、斬れ。ニンジャ・ボーイ」
ハクは、ルサルカの言葉に呆れ声で応える。
「無理だろ、あれは」
ルサルカは、魔女の笑みを浮かべて応えた。
「たとえこの世の理を越えた存在に見えようとも、物理的に顕現してるんだ。生き物の仕組みを、無視することはできない」
竜の口が、赤く裂ける。火山の噴火口が放つ、獰猛な輝きが闇の中から漏れてきた。
「急げ、ブレスがくる。流石にドラゴンブレスを喰らえば、わたしたちは跡形もなく消滅するぞ」
ハクは正直、それはしょうがないだろうと思う。ルサルカは笑みを深め、パチンと指を鳴らした。
ハクは、驚愕に目を見開く。竜は、動きを止めている。それだけではなく、足元で渦巻いていた海も停止していた。風も、消滅する。世界は完全に、時間を止めていた。
「全く、不甲斐ないデスね、クソ後輩」
ハクは、突然現れたキラに驚きの声をあげた。
「おう、キラ・パイセン。ちわっす」
キラの赤いシャドウに彩られた目が、凶悪に吊り上がる。
「なんデスか、その尊敬が微塵も感じられない呼び方は」
キラは、憤怒のため息をつく。
「まあ、時間が十五秒しかないデスから、とりあえずきくデス。このクソ後輩」
キラは、早口で捲し立てる。
「インスタンスはもう生成されてるんで、あとはメソッドを実行するだけデス。こんなこともわからないって、ホント無能デスね、クソ後輩」
ハクは、目の前にロジックが立体的なオブジェクトとして視覚化されているのをみる。そこに、実行すべきメソッドが赤く輝くのをみた。
「なるほど、こいつは便利だ、キラ・パイセン」
「ちゃんと尊敬をこめて呼ぶデス、クソ後輩」
突然、時間が戻ってくる。見えないリアヴィアサンが体当たりするような暴風がハクを襲い、渦巻く海が膝元まで上がってきた。ハクは吹き飛ばされないよう踏ん張りながら、左手を竜の頭に向ける。
氷の破片にも似た刃が荒れ狂う風を縫うようにして、竜の頭へと向かった。竜は刃を躱すため頭を動かそうとするが、ドラゴンブレスの噴射シーケンスに入っているためその動きは緩やかだ。
ハクは左手を動かし鎧通しについたワイヤーで、軌道をコントロールする。ハクの放った刃は、誤つことなく竜の瞳に突き刺さった。
金属のぶつかり合うような咆哮が、赤い炎とともに竜の口から漏れる。いかに竜といえど瞳の強度は限界があるらしく、鎧通しと呼ばれる肉厚の刃物は瞳の奥深くに突き立てられていた。
ハクは、左手から気を放つ。浸透勁と、呼ばれる技であった。ワイヤーを伝って気は竜の瞳からさらにその先、脳の中にたどり着く。竜の脳は暴れる悍馬を放り込まれたように、揺さぶられた。
竜は、ほんの数秒動きを止める。まさに瞬きをするほどの短い停止であったが、ハクには十分な時間であった。
ワイヤーが竜の首に、巻き付く。ワイヤーには人工ダイヤモンドのブレードが装着され、ワイヤーソーとなっている。ロックウェル硬度六十程度の金属ならバターのように切り裂くが、竜の鱗は切り裂けず少し食い込んだだけだ。
しかしそれでも、浸透勁を首の内部に放つには十分である。気が、竜の内部にある筋肉や神経を切断していく。それはごく僅かな傷ではあったが、竜が体内から噴出させようとしているブレスを、暴走させることができる傷であった。
制御を失ったドラゴンブレスが、内側から竜の首に食い込んでゆく。突然夜明けの輝きが漆黒の鱗に宿ったかのように、竜の首が赤く輝いた。竜は真紅の輪を首に嵌められたように、みえる。
轟音と共に、制御を失ったブレスが赤いアーチを描き海へ降り注ぐ。切断された竜の首が海に落ちた。灼熱のブレスが海を蹂躙すると、海神が憤怒したかのような水蒸気が巻き起こる。破裂したように弾けた海面が波をおこし、ハクたちに襲いかかった。
熱湯となった海水をルサルカとハクは頭から浴びたが、それでもふたりは無傷である。ルサルカは、満足げに頷く。
「よくやった、ニンジャ・ボーイ。それにしても、きみを廃人にするつもりで魔法をかけたのに驚くほどしぶといね」
「かんべんしてくれ」