ニンジャ、魔女と出会う 004
よく見ると、後ろのおとこが携帯電話で話をしているようだ。
「ま、殺されるんならしかたないけどな。死ぬ前に、煙草を吸ってもいいか?」
黒スーツは、目を細めたがハクの弛緩した態度に気を許したのか頷いてみせた。あるいは、撃ち殺せる口実が欲しかったのかもしれない。
「ゆっくり、動け」
言われなくてもと思いながら、ハクは頭の後ろで組んでいた手をほどく。その後におこったことは、ハクには到底信じることができないことだ。
ハクは振り下ろす自分の左手から、何かが飛び出すのを感じる。月明かりに一瞬怜悧な輝きを見せた刃が宙を飛び、携帯電話を手にしたおとこの額に突きたてられた。
三丁の銃が火を吹いたが、銃弾は反射的に身を屈めたハクの頭上を通り抜けたので、ハクは無傷だ。ハクは、自分の左手から飛び出した刃がチタンクロームのワイヤーで左手に繋がっているのを感じる。そしてそのワイヤーは生き物のように宙を舞い、黒スーツのおとこたちへ巻き付く。
夜に、紅い血飛沫の花が三つ咲いた。黒スーツを赤く染めながら、おとこたちの首が地面におちてゆく。
ハクは四つの死体を目にして、目眩を感じる。これが自分がやったことだとは、とても信じられない。ハクが左手を振ると、黒スーツの額からハクの手へと刃が戻る。粟田口吉光の鎧通しという言葉が、頭に浮かぶ。なぜそのようなことを自分が知っているのか、とても不思議だ。
手のひらには傷口のような切れ目があり、そこからワイヤーが出ている。ハクはポケットからだしたハンカチで血糊を拭うと、左手を軽く振った。カチンと音を立てて刃が左手の中へ、収まる。全てが夢のように、現実感がない。
もう一台のドイツ車から、NBC防護服をきたおとこたちが降りてくる。おとこたちは手際よく死体を袋に詰めて密閉し、ウォーターガンで血を洗い流すと消毒液を吹きかけていく。
ドイツ車から、もうひとりおんなが降りてきた。夜のように黒いロングコートを靡かせ、海辺に降り立つ。鍔広の帽子で顔を隠し、沈黙を海の静寂に溶け込ませていた。
NBC防護服のおとこたちは、ものの数分であたりを何事もなかったように片付け終える。袋詰めにされた死体は、大きなドイツ車に収容されたようだ。
おんなを残し、二台のドイツ車は去ってゆく。おんなは、夢見心地の足取りでハクに歩み寄ってくる。ハクがここへつれてきた白衣のおんなは異様であったが、黒衣の女はそれを上回っていた。
見た目がというわけでは、ない。むしろ上流社会の夜会からぬけ出してきた淑女のようですらあり、とても美しい。ただその美しさは、頭のいかれた芸術が描いた肖像画のそれであった。夜中に燃え盛る真夏の黒い太陽とでもいうべきか、異様なオーラが瘴気のように漂ってくる。
気がつけば黒衣のおんなは、ハクが手を伸ばせば触れることができるところまできていた。おんなは、ポケットからシガリロを出すと咥える。すうっと、顔をハクに近づけた。
「火を、貸してくれないか」
ハクはジポーを出すと、火をつける。狂い咲いた大輪の白薔薇を思わせるおんなの顔が、闇に浮かび上がった。
おんながシガリロを吸い、官能的な甘い香りが少し漂う。おんなは目を細め、御伽話の猫のように笑った。
「こうした魂を堕落させる嗜好品が手軽に手に入るのが、資本主義のよいところだと思わないか?」
ハクは、どこか棒読みの台詞を思わせるおんなの言葉にうんざりしたように応える。
「資本主義のおかげで、あんたらカンパニーは好き勝手できるしな。それはともかく、あんたはいったいなんなんだ。黒スーツの、上司なのか?」
おんなは上品な香りのする紫煙を、そっと吐くとくすくす笑う。
「わたしはね、魔女なんだ」
ハクは、はぁ? という顔でおんなを見る。おんなは、パーティ会場にいるような艶やかな笑みで言葉を続ける。
「ルビャンカの魔女、そう呼ばれているよ」
ハクは、むうと唸る。
「カンパニーかと思ったら、ボリシェビキなのか、あんたは」
おんなは、そっと首をふる。
「むしろ、ボリシェビキに仇なすものさ。わたしはね、」
おんなは黒い瞳を、暗黒の太陽がごとく輝かす。
「ルビャンカの地下で生まれたんだ」
ハクは、肩をすくめた。
「じゃあ、生まれた時からシベリアを眺めて暮らしたんだな」
おんなは、声をあげて笑う。
「有名な、アネクドートだね。だが、シベリアはむしろわたしの中にあるのさ」
ハクはうんざりしたように、首をふる。
「移動式収容所かよ、あんたは。で、おれを飲み込むつもりなのか?」
おんなは、首をふる。
「いったろう、わたしは魔女だ。魔法をかけるのが、仕事なのさ」
おんなは、ハクの左手を指差す。
「さっそく魔法の成果を使ってくれたようで、何よりだ」
ハクは、思わず自分の左手をみる。
「じゃあ、そろそろ行こうか?」
おんなの言葉に、ハクは驚いた顔をする。
「え、どこへ?」
おんなはまさに魔女らしい美しさに邪悪さの混じった笑みを、みせる。
「ここではない、どこかだよ。もちろん、カンパニーの隔離された研究所ではないからね」