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No.008_守るべきもの

「時にミランダ、僕は嫌な予感がしています」


 素直に思っていることを口にした。

 すると、彼女は首をかしげて、


「なによ。嫌な予感って。イリュドに行くの、本当は嫌とか?」


 ……的外れすぎる。今の流れでなんでそうなるだ。


「違いますよ。本当にイリュドに行くなら、義父様に報告しないといけないでしょ?」

「ああ、そのことね」


 ミランダはあっさり頷いて、どこ吹く風と言わんばかりに肩をすくめた。


「大丈夫じゃない? 私、怒られたことないし」


 ……ほうら出た、箱入り貴族ムーブ。

 クラウス義父さん、甘やかしすぎですって。

 あなたの手塩にかけたお嬢様、立派にわがままに育ってますよ?


 心の中でだけそう突っ込みながら、俺は話を変えることにした。


「僕はインターンまでの間、屋敷で過ごそうと思っています。まだかろうじて動ける程度の回復ですし、久しぶりに顔でも見せようかと」


 そう言った瞬間、ミランダが不思議そうに俺を見つめてきた。

 目をぱちぱちさせて、まるで何かの冗談を言われたかのように。


「……どうしたのよ? 珍しいわね。レイジが自分の意思で屋敷に帰るなんて」

「僕だって、たまには帰りますよ」


 わざとらしく肩をすくめて返す。


 もちろん、本音は別だ。

 寮になんて帰れるかよ。噂されてたら恥ずかしすぎる。

 優等生だった俺が倉庫でリンチされて漏らしたなんて前代未聞だし、絶対に変なあだ名ついてる。


 だから、逃げ道として実家を使うだけだ。

 ……そんな情けない理由、死んでも言えないね。恥ずかし!


「レイジが帰るなら一緒に帰るわ。父様にはついでに報告しましょう」


 いやついでかよ。ミランダにとってはメインイベントだろ。

 でもこれ、もしかして俺が怒られる?


 妙な胸騒ぎを感じながらも、俺は一か月お世話になった病院を退院した。


 ◆


 久しぶりに、ヴァルト家の本邸へ戻ってきた。


 馬車の扉が開いた瞬間、玄関前に整列していた使用人たちが一斉に頭を下げた。

 敷石の並ぶ地面に、彼らの影が長く伸びる。


 俺の地毛は藍。対して、ヴァルト家の髪は代々、深紅だ。

 この一族にとって俺なんて、真逆の異物にしか見えないだろう。

 養子として屋敷に来たときは、イリュドにいた腹違いの息子、という設定だった。

 それ以来、ミランダ以外の家族と会うときは、簡易的に髪を赤っぽく染めている。

 ……本当は、嫌なんだけどな。


「おかえりなさいませ。レイジ様、ミランダ様」


 この歓迎には、未だに慣れない。

 ミランダは一歩もたじろがず、まっすぐ屋敷の中へと歩いていく。

 貴族の娘らしく、凛として隙がない。そういう場面では、いつだって堂々としている。


 それに比べて、俺ときたら。


「あ、どうも……」


 無意識に口から漏れた返事が、思いっきり“田舎育ちです”と言っているような調子だったのが自分でもわかった。

 執事の誰かがほんのわずかに眉を動かしたのを、見逃さなかった。


 ここに来るたび思う。俺はまだ、この家の空気に完全には馴染めていない。

 貴族の名を継いでも、クラウスの存在が大きすぎて、息をするのすら気を遣う気がする。


 まぁ、俺が当主になったらそのへん全部ひっくり返してやるさ。

 ちょっとぐらい威張ってもバチは当たらないだろ。


 長く静かな廊下を抜けていくと、足音が赤い絨毯に吸い込まれていく。

 壁に掛けられた絵画や古い剣が、蝋燭の灯に揺れていた。


 やがて、屋敷の主、クラウス・ヴァルトの私室の前にたどり着いた。

 俺の義父であり、王都を代表する騎士の一人でもある男。


 ミランダが扉を軽くノックした。


「父上、失礼します」


 彼女が先に入り、俺もそれに続いた。


 クラウスは書類に目を通していたようで、椅子に腰かけたまま顔だけをこちらに向けた。

 年齢はまだ五十前後のはずだが、清潔に整えられた髪と、威厳を宿す顎髭を湛えたその顔つきには、幾多の戦場をくぐり抜けてきた重みがにじんでいる。

 鋭い眼差しが俺を射抜いた瞬間、思わず背筋が伸びた。


「外部研修、二人して外環騎士団へ行くらしいな」


 エリオットが話を通しておくって言っていたな。

 情報が早いのは当然か。王都でクラウスに隠し通せることなんて、そう多くはない。


「そうよ。私はレイジについていくの」


 ミランダがあっさりと言い切る。

 俺の横で腕を組み、どこか誇らしげに胸を張っていた。

 ……いや、それじゃまるで俺がトラブルの種で、それに巻き込まれて行くみたいじゃないか。

 クラウスは黙ったまま、俺を見据えていた。やがて、静かに口を開く。


「して、レイジ。お前がなぜ外環を選ぶ。私の後を継ぎ、王都の騎士となる夢はどうするつもりだ。お前は騎士となり、正当な当主となるはずだ」


 その問いには、何度も心の中で答えを探していた。

 けれど、未だに“正しい”答えなんて見つからない。

 ただ、今は逃げたくなっただけだ。それを認めるには、あまりに情けない。

 環境が変われば、何かが見えてくる。俺はそう信じている。


「もちろんそのつもりです、義父様。来期の研修では、内環騎士団を志願します。……ですが、今回あえて外環を選んだのには理由があります」


 一拍置く。口にするべきか、迷った言葉だった。でも、言わなければ伝わらないな。


「ヘルマン・クロス。彼が外環に所属していると聞きました。……僕は、あの人に命を助けられたことがあります。その恩を、今のうちに返しておかないと、一生後悔するかもしれない。そう思ったんです」


 これははったりだ。正直外環騎士団に彼がまだいるかどうかの確証はない。

 でも、あの人に会いたい気持ちは本当だった。


 クラウスの表情が、わずかに変わる。


「……ヘルマン、か」


 ぽつりとつぶやいたその声は、妙に遠かった。

 まるで、思い出の底から誰かの名を呼ぶような──そんな声音だった。


 ふと顔を上げると、クラウスの視線は窓の外を向いていた。

 虚ろというには、あまりに深く沈んだ目。


 ──ヘルマンの名前で、これだけ揺れるとは。


 俺が知るクラウスは、常に冷静で威厳に満ちている。なのに、今の表情は……。


 何があった? クラウスとヘルマンの過去に何が。


 沈黙が部屋を満たす。窓辺のカーテンが風でわずかに揺れ、夜の空気がすうっと流れ込んできた。


「ミランダがついてくるのは……正直、想定外でした。でも、彼女が自分の意思でイリュドに行くと決めた以上、兄として、僕が責任を持って守ります。どうか、ご安心ください」


 自分でも、驚くほど自然に口から出た言葉だった。

 クラウスはしばし俺を見つめ、やがて、低く口を開いた。


「……レイジ。お前はイリュドの出身だな」

「はい。六年前までは……孤児院で暮らしていました」

「だが、今のイリュドはお前の知っているイリュドではない。闇は深く、魔力が渦を巻く」


 ──わかってる。


「あの街にはもう、帰る場所はありません。孤児院も、跡形もなく消えましたから」


 その事実を口にするたび、胸の奥で何かがひりつく。記憶が、焼け跡のように痛む。

 クラウスは少しだけ目を伏せ、わずかに表情を和らげた。


「二人がイリュドに行くことを止めるつもりはない。ただ、理由を知りたかっただけだ」


 そう言って、クラウスは静かに立ち上がった。


 彼の手が伸びたのは、書棚の横に飾られていた一本の剣。

 銀の装飾が施された黒革の鞘に収められている。

 それを慎重に外し、俺の前でわずかに抜いた。


 金属が擦れ合う音が、空気を張りつめさせた。


「それは……」

「──これは、セイルが生前使っていた剣を打ち直したものだ」


 セイル・ヴァルト。

 ミランダの実兄で、俺がこの家に来る前に戦死したと聞いた。


「回収されたとき、折れていた。剣身は裂け、柄も血で固まっていたが……鍛冶師の手で、ようやく再び刃の形を取り戻した」


 クラウスの言葉には、記憶をなぞるような静かな哀しみが滲んでいた。


「セイル……僕にとっても、義兄です」


 そう口にすると、クラウスは剣を鞘に収め、俺の前へと差し出した。


「この剣、《エルディーン》をお前に託す。セイルの想いを継ぎ──ミランダを、必ず守れ」


 この瞬間、胸の奥で何かが確かに変わった。


 剣を両手で受け取る。冷たい金属の中に、確かな重みが宿っていた。

 それは重さじゃない、想いだった。


「……はい。ありがとうございます、義父様。必ず、守ります。命に代えても」


 そう言ったとき、ふとミランダに目を向ける。

 彼女は黙っていた。目元を伏せ、口をきつく結んだまま。


 ──やっぱり、セイルの名前が出ると、ミランダは弱いんだ。


 ぱち、と蝋燭の火が小さく弾けた。

 静かな部屋の中で、それが唯一の音だった。


 にしても、ただイリュドに研修へ行くだけなのにクラウスも心配しすぎだな。

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