No.007_やるじゃん
「ヘルマーン? どこいったんだよ、あいつ」
軽く拳を打ち込みながら、きょろきょろと辺りを見渡す。
けど、どこにもあのごつい顔は見えない。
逃げた? いや、あのヘルマンがそんなマヌケな真似するか?
とか考えてたら、妙な違和感が襲ってきた。
――ムーブアシスト、長くね?
いつもなら数十秒で終わるのに、今回はやけに粘ってくる。
それもそのはずだった。男の姿を見て、ようやく合点がいった。
え? 誰? 体格変わってないか。
さっきまでの小汚い浮浪者が、今や筋肉の塊だ。
肩幅は二倍、腕は丸太、脚なんて地面にめり込みそうな太さしてやがる。
服なんて今にも破けそうだ。
――これが魔力の暴走? ってレベルじゃねぇぞ。
ちょっとワクワクしてたのに、一気に警戒心が勝ってくる。
「Var.4-Combat、指示変更。眼前の敵を分析した上で、最適な打撃で体力を削る」
《Var.4-Combat:変更完了。対象を解析中……魔力循環値、平均個体比で異常上昇を確認。有効打撃パターンを提示。推奨:魔力強化による高威力打撃、または急所への精密打撃。急所打撃を実行します。》
「……って、つまり“普通に殴っても無駄”ってことだろ、要するに」
苦笑しながら構え直す。
急所か……まあ、やるしかないか。
俺はただ“動かされてる”わけじゃない。
状況を読み、指示を出し、最適解を引き出してる。
そう、これは“俺のスキル”なんだ。単なる自動操作とは違う——
その瞬間だった。
音もなく懐に潜り込まれ、拳が飛んできた。
「ッ!」
反射的に両手で受け止め、体ごと後方に弾かれる。
重い。一撃が、桁違いに重い。
くそ、こいつ――動けるぞ。
体重差がでかすぎる。このままじゃ、押し潰される。
「Var.4-Think:起動、体格差のある相手に、急所に、大打撃を与える方法」
俺の声に、即座に電子音が返ってくる。
《Var.4-Think:起動。提案:使用者の魔力を集中し、打撃部位に魔力干渉を発生させることで内部から損傷を与えます》
魔力を――集中して、打撃にのせる?
そんなこと、俺にできんのか?
「魔力……俺にも、できる?」
《確認:使用者は常時、魔力を展開中。アシスト機能を一時停止することで、魔力干渉の発生が可能です。》
……へえ。知らなかったな。
常時展開? 俺、そんな器用なことしてたのか。
思わず口元が緩む。どこかくすぐったい。
あの化け物みたいな相手に、今の俺でも一撃入れられるってんなら――やってやるよ。
「よっしゃ! Var.4-Combat:起動。魔力干渉で、相手をぶっ飛ばす」
《確認:条件成立時にアシスト機能を終了します。》
……ん? 今、なんつった?
「え、ちょっと待て。アシスト“終了”? それってつまり――」
《判断優先度の変更により、以後の動作補助は使用者に移行します。》
……マジか。
アシスト、手ぇ離すなんてよ。言い方ってもんがあるだろ。
だが、まぁいい。俺の拳は、もう止まんねえ。
右拳に力が集まる。ギュッと、灼けるような熱が凝縮されていく。
拳の周囲の空気が歪んで、淡く蒼い光が瞬いた。
皮膚の下を、火花みたいな魔力が暴れてる。
「だったら、見せてやるよ。俺の《魔力》ってやつを――!」
咆哮とともに踏み込み、狙うはひとつ。
ぶくぶくと膨れ上がった相手の鳩尾に、魔力をまとった拳をぶち込む!
脳筋野郎の動きは、わかりやすいにもほどがある。
真正面から力任せに突っ込んでくるから、こっちは《アシスト》に身を任せて、するすると回避の連続だ。
焦ってる。図体ばかりでかいくせに、冷静さがカケラもねぇ。
――チャンスだ。
《アシスト》が、奴の動きに隙を見つけた。
俺の魔力が右拳に集まっていく。ちりちりとした感覚が、骨の奥まで染みる。
……いける、いけるぞ。
そして――その瞬間は、不意にやってきた。
相手が勢いよく振りかぶった腕を、《アシスト》がスッと引きつける。
タイミングは完璧だった。巨体がよろめき、重心が前に崩れる。
今だ――!
《Conmat:終了。補助動作、停止済み。》
え、終わるの今かよ!? と一瞬思ったが、もう止まらない。
「よっしゃああああッ!」
叫びと共に踏み込み、崩れかけた背中に拳をぶち込む。
力を込める――いや、力を吐き出す。
溜めていたすべての魔力とやらを、拳を通して放出するイメージだ。
「《魔力パンチ(マナ・バースト)》」
鈍い音とともに、奴の背中がへこみ、地面がズシャッと凹んだ。砂煙が舞い上がる。
手応えは、まるで岩を砕いたような重量感。
全身に響く反動に、俺自身も少しだけ後ろによろけた。
すごい、これ……俺がやったのか?
目の前の巨体が、ぐらりと揺れて、ぴくぴくと痙攣を始めた。意識は……もう飛んでるな。
倒れ込む音さえ、もう耳に入らない。
息を整えながら、その場に立ち尽くす。
「やった……。俺、やったぞ」
初めて《アシスト》抜きで最後を決めた。
魔力を、拳にのせてぶち込んで――
「へへ。俺って、もしかして強い?」
なんか、ちょっとだけ笑えてきた。
そこへ、背後から足音。振り返ると――
「お、一人でやったのか。やるじゃねぇか」
ヘルマンだった。どこ行ってたんだ。
「逃げ出してんじゃねーよ! 俺一人で倒しちまったからな!」
「わかったわかった、よくやったな」
そう言いながら、ヘルマンの肩には何かを担いでいる。……人か? なんだあれ。
「って、何担いでんだよ」
ムカついてるはずなのに、褒められるとなんかちょっと嬉しい。くそ、素直になれねぇ。
「こいつか? 暴走が始まった瞬間に人込みに逃げ出した怪しいやつだ。たぶん、バイヤーだな」
……なるほどな。そっちを最優先したってわけか。
一瞬で判断して、逃げた奴を追ってたってこと?
「……へえ、やるじゃん」
つい、口から出た。皮肉半分、本音半分。
あの瞬間を見て逃げたってことは、ヘルマンを見て逃げたってことだろ?
……俺も、いつか、そう思わせる側になれるのかな。
今はまだ、必死に殴って、やっとの思いで倒しただけだ。
けど、確かに今日――初めて自分の力で敵を止めたんだ。
あの感触は、絶対に忘れない。
「子供を置いて現場から離れるなんて、騎士の風上にも置けないな!」
ちょっと生意気な言葉を投げてみた。
顔はニヤけてないはずだ。ちょっとだけイラッとしたフリしてやる。
「お前が“普通のガキ”だったら、優先してたっつーの。……このこと、他の騎士には言うなよ?」
苦笑い混じりにそう返すヘルマンに、俺も肩をすくめて返した。
「言わねぇよ」
口の端が勝手に上がる。なんだよ、そういうとこだけズルいんだよ。
でも心のどこかが、じんわりと温かくなった。
初めて、人から“ちゃんと”認められた。
今でも、あのときの景色を、鮮明に覚えてる。
砂煙の残る夕方の路地裏。血の臭いと、土の匂い。少しだけ火薬の焦げたにおい。
重たい拳の感触と、胸の奥で鳴っていた鼓動の強さ――
あれは、確かに俺の、最初の“一歩”だった。
◆
「どうです? このように、イリュドには怪しい薬品なんかも流通していて、外環騎士団というのは命の危険と常に隣り合わせなんです。僕はミランダの”家族”として、そんな危ない場所には連れて行きたくないんです」
必死に説得を試みてみたけど、ミランダはまっすぐに言い返した。
「なにいってんのよ。全く逆ね。王都の名門貴族としては、イリュドの現状を知る必要があると思うの。任期は関係なく、自分の目で見たことがあるか見てないか。たったそれだけの事が大切なのよ」
……ダメだ。
火がついちゃったな。あれは止まらないやつだ。
でもまあ、インターンなら大丈夫か。
現地の騎士と一緒に行動するんだろうし、俺みたいに一人で特攻するわけじゃないだろう。
任務の重さも、きっと違うはずだ。多分ね。
それに――
ヘルマンには、また会いたいな。
口には出さないけど、ずっと思ってた。あのとき初めて“認めてくれた”あの人に。
あれ以来、俺の中で何かが変わったんだ。
今の俺を見たら、なんて言うんだろう。……褒めてくれるかな。