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No.002_絶望からの転機

 目が覚めるとそこは見覚えのある。だが、普段は誰も近づかない場所だった。

 訓練院の旧武器庫。埃臭い空気と、薄暗さが思考を鈍らせる。


 身体が……動かない。

 猿轡に両手首と足首がロープで縛られている。これは拘束されている?


「目ぇ覚めた? レイジさーん」


 若い男の話声がいくつか聞こえる。

 俺へ向けられた声の主は、見下ろしていた数人の男子のうちの一人だった。

 へらへらと笑う顔が、暗闇でよく見えない。

 額に、傷がある?


「俺たちさー、レイジさんと“友達”になりたくて。

 でも、照れくさくてこんな方法しか取れなかったんだよねぇ。悪いねぇ?」


 ふざけんな。

 これはどう見ても“友達”になりたい奴の態度じゃない。

 どうせ、また妬みだろう。優等生、模範的、いつも敬語。

 そんなの、気に入らないってやつが一定数いるのは知ってる。


 だが、こういう時は下手に煽るより、さっさと処理して帰るに限る。


「おい見ろよ、こいつの財布。……大金入ってるぞ」

「マジで? うわ、これ数ヶ月は遊べる額じゃん」


 おいおいいつの間に……。

 それは、義父さんが俺に「困った時に使え」って持たせてくれた小遣いじゃないか。


 ――もういい。いっちょ派手にやってやるか。


「△#%&……!」


 呪文のような音と共に、口元を震わせる。

 《アシスト》起動。ムーブアシストを使って、ロープを断ち、反撃――


 ……あれ? 起動しない?


「△◆□%&$!!!!!!」


 何度も試す。けれど、起動音も、反応もない。


 ――そうだ。


 俺は、もう一つの弱点に気づいてしまった。


 《アシスト》は、実際に声に出さないと起動しない。

 それは最初からわかっていた、前提条件のはずだった。

 だが、こうして口を布で塞がれた状態では、命令を出すことすらできない。


「優秀なレイジさんなのに、抵抗しないんだねー。なんか……つまんねぇな」

「俺、前からこいつのこと気に入らなかったんだよなぁ」


 男子の一人が楽しそうな声で言う。

 じりじりと近づいてくる足音、嫌な汗が、背中を伝う。


「良く見えないからさあ、間違って当たったらごめんねえ」


 ――マズい。


 本当に、マズいぞ。




 薄暗い武器庫の中で、俺はただ殴られ続けていた。


 拳、蹴り、時には木剣。

 顔も、腹も、脇腹も――やつらは容赦なかった。

 時間の感覚なんて、とっくに消えていたが、数時間は続いていた。


 やがて、動かなくなった俺を見て、モブ共次第に騒ぎ始めた。

 ざわざわとした声と足音が、逃げるように去っていった。


 武器庫の中に静寂が戻る。


 痛い。痛い……痛ぇ。

 全身が、バキバキに軋んでる。皮膚の下、筋肉がズレたまま戻らないみたいに、熱と鈍痛が入り混じっていた。

 折れてる骨もあるんだろう。動かすたび、内側で“ギチ…”と軋むような音がする気がした。


 息を吸うと、胸の奥に焼けた鉄を押し込まれたような痛みが走る。空気すら、まともに吸えねぇ。

 視界が霞んで、天井の白がぼやける。たぶん熱がある。焦げたような汗の匂いが、鼻についた。


 でも――

 それ以上に、心臓の裏側が引き裂かれるように痛かった。


 悔しい。怖い。情けない。

 自分でも整理がつかないほど、感情が胸の奥でごちゃ混ぜになって、息苦しさが倍増していく。


 ……そして、もうひとつ。

 冷たい感触が、太ももを這った。


 ピチャ、と濡れた音。

 シーツに染みていく生温い液体の感覚に、全身が硬直する。


 ――ああ、やっちまった。俺、漏らしたんだ。


 喉が焼けついたみたいに乾いて、唇を舐めても苦い味しかしない。

 何が情けないって、この情けなさから、目をそらすこともできないことだった。


 もう俺には、誇れるものなんて何も残っていない。

 こんなの、俺じゃない。


 何度も、何度も心の中で唱えた。

 《アシスト》。応えてくれよ。起きろ、頼むから。


 でも、声に出せない限り、君は応えてくれないんだよな。


 頭を打ったらしい。次第に視界が霞んでいく。

 意識が、遠のいていった。


 次に目を覚ましたとき、目の前には、見慣れた顔があった。

 その声に、表情に、抱え上げる小さな腕に不思議と心が落ち着く。


「レイジ! レイジ、しっかりして! お願い目を覚まして……!」

「ミ、ミランダ。おはようございます……」

「おはようじゃないわよ! 意識はあるのね。

 よかった……ほんとに、よかった……。一体誰が、誰がこんなことを!」


 ミランダの顔が涙で歪んでいる。


 彼女の他にも、周囲には数名の教官がいた。

 どうやらエリオットがいつまで経っても戻らないのを心配して教官に知らせてくれたらしい。


 命は助かった。


 でも俺の中で何かが壊れた感覚が、胸の奥から消えない。


 教官たちは憶測を口々に語り、どんどん話が大きくなっていく。

 外部犯じゃないか、内環に警備を要請しようとか。

 でも、正直どうでもよかった。


 そんな気力すら、もう残っていない。


 その日のうちに、俺は王都の中央病院へ運び込まれた。


 医者いわく、骨折三本、肋骨にヒビ、顔面は広範囲の内出血。

 寝返りひとつ打つだけで、全身が軋む。


 あいつら好き放題やりやがって。

 ……痛みって、こんな感じだったんだな。

 俺の身体は、人よりも虚弱だった。


 喉元まで込み上げてくる鈍い感覚に、ため息すら出ない。


『もしかして、俺って――《アシスト》がなかったら、ただの雑魚なんじゃないか?』


 そんな考えが、ふと、頭をよぎる。


「アシスト起動。俺は《アシスト》がないと最弱なのか」

 《アシスト:起動。否定。対象はアシスト非依存でも戦闘可能と判定。根拠を提示——》

「もういいよ」


 脳内で響きだしたアシストを遮る。

 ああ、なんか……それっぽい励ましなんて、今は聞きたくない。


 ……違う。

 今回は、不意打ちだった。背後からの攻撃。しかも両手足は拘束されていた。

 条件が悪かったんだ。実戦なら、違ってた——


 実戦? もしあれが、本当の戦場だったら?

 あいつらの誰かが、木剣の代わりにナイフを使ってたら?

 あるいは、当たり所が悪かったら、

 首とか、側頭部とか、

 俺は、もう……死んでたのか?


 答えを出すのが、怖くなった。


 あの時漏らしたこと、ミランダは見たのか? 教官たちは? 今頃みんなで笑ってるのか?


 俺は、考えるのを辞め、閉じこもるように布団に潜った。


 ◆


 重症だった俺の、一か月近くに及ぶ入院生活も、ようやく終わりが見えてきた。

 体はなんとか動くようになってきたけど、心のほうはまだ……どこか重たいままだった。


 昼の光が病室のカーテン越しに差し込み、ぼんやりとした影を作っている。

 その影を眺めながら、今日も何もなく終わるだろうと思っていた時――不意に、看護師が扉をノックして入ってきた。


「レイジくんに、面会希望の方がいらっしゃるのだけど……」


 その一言で、心臓が跳ねた。


「え? 僕に……ですか?」


 間抜けな声が出るのを、自分でも止められなかった。

 とっさに脳裏をよぎったのは“逃げたい”という本能的な感情だった。


 まさか、あの時の姿――

 あんな恥ずかしい負けっぷりを見て、笑いに来た誰かか? 

 それとも……義父様? こんな情けない状態を見に? 今さら、どんな顔すればいいんだよ……。


「ええ。たぶん、外環騎士団(アウターリング)の方よ」


「……外環?」


 その単語だけで、血の気が引いた。

 外環。つまり――あの人だ。


「個室に案内、お願いできますか」


 少しでも時間を稼ぎたくて言った言葉が、口先だけじゃなく心からの願いだったのは、俺自身が一番わかっていた。


 数分後――

 控えめなノックの音が病室に響く。


「レイジくん、失礼します」


 扉が開いた瞬間、空気が変わった。

 まるで外から、重金属のような気配が流れ込んでくる。


 そこに立っていたのは――

 やつれた頬、銀髪に浮かぶ数本の白髪。それを後ろで束ね、鋭い目元の奥に隠しきれない隈。

 エリオット・ヴァース。


「大丈夫ですか? あの後、暴漢に襲われたとか」

「ええ……なんとか、この通り、多少は動けるようになりました」


 皮肉にも、こうして再会するのがあの惨めな事件のあとだとは。


 エリオットは無言で俺のベッド脇まで来ると、持ってきた簡易のパイプ椅子に腰を下ろした。

 椅子の軋む音が、やけに大きく響く。

 そのたびに、胸の奥がざわついた。


(……そういえば。前回の面談、あのトイレ直行→失神のコンボで全部ぶっ飛んでたんだった)


「今日はあまり時間がないので、率直に言います。来年、訓練院を出たら――君を外環(アウター)に引き抜きたいと思っています。前回は、その提案で伺ったのです」


「……外環に、ですか?」


 一瞬、頭が真っ白になった。

 え、ちょっと待て。それ、冗談じゃなくて……マジか? 

 外環って、あのイリュドの管轄だろ? 

 違法と無法と裏切りが日常茶飯事の、あの地獄。


(せっかく王都に来て、ここで地道に評価積んで、真面目に騎士やって、

 将来は気品あふれる貴族のお嬢様と、ささやかだけど贅沢な屋敷でスローライフ送って……)


 その未来のために、俺は這い上がってきたんじゃなかったか?


 エリオットは、そんな俺の動揺など当然見透かしていたように、淡々と告げる。


「特例として、班長ポジションでの入隊許可を、環将からいただいています」


「……は? 班長……!?」


 まるで現実感がない。

 俺の中で、“戻る”か“戻らないか”の葛藤が吹き飛んだ。

 いきなり役職付き!? 新人スタートじゃなくて!?


(いや、そんな夢みたいな話――)


 ……でも、確か何期か前の先輩も「特別推薦」で班長スタートだったって、教官がぽろっと話してたな。

 あれ、本当だったのか……。


 俺は思った。

 これってつまり――かなりいい話なのでは?


「でも僕に班長なんて、最初から荷が重すぎますよ」


 そう言いながらも、心の奥では期待か欲かわからない、小さな何かが蠢いている。


「十分やっていけると思います。戦術訓練でのあの動き。一端の騎士と遜色ありませんでした」


 その一言が、じんわりと胸に染みた。

 あの戦術訓練か……。


 今から約十か月前、俺は休学のブランク明けで、リハビリも兼ねて雪山での実戦形式訓練に参加していた。

 希望者限定、選抜制、十日間。文字通り、体力も精神も削られる訓練だった。

 でも、あのときの俺は、燃えていた。もう一度、前に進みたかったから。

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