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No.001_中身はからっぽ

 聖環騎士団訓練院。

 王都セイオルが未来の騎士を育成するために設立した、貴族から貧民まで受け入れる機関だ。

 15歳以上であれば、貴族でもイリュドの難民でも入学は可能。

 もっとも、入るにはそれなりの身体検査や体力試験、識字・計算の試験をクリアしないといけない。


 普通のやつらにとっては、そこそこ大変らしい。

 でも俺は違った。――《アシスト》がある。


 どんな問題も、どんな質問も、《アシスト》があればカンニングなんて朝飯前だった。

 俺はすべての試験で模範解答を出し、上位成績で訓練院に滑り込んだ。


 結果、周囲からの扱いはちょっとしたアイドル枠だった。


「レイジさん、先週の訓練で習った剣技のカウンターのコツなんですけど……」


 はい、出ました。日課。

 毎日誰かしらが俺に話しかけてくる。教官じゃない、同期だ。モブの凡人たちが、俺にアドバイスを求めてくる。


「ええ、剣技のカウンターですね……アシスト、起動」


 小声で呟き、視線をわずかに逸らす。ほんの一瞬で、左目に宿る“声”が反応する。


 《アシスト:起動。カウンター実行時の条件を解析。敵剣動作よりも手首・足の動きを優先して感知。肩関節の動き及び腰の回転は次動作の指標と判定されます。》


 この性能。俺しか知らない。いや、知られてはいけない。


「相手の剣ばかり見ないで、足首や手首の角度に注目してみてください。

 特に、肩や腰の回転には次の動作がそのまま現れます。……見ようとすれば、意外と読めるものですよ」


「へぇ……さすがです。ありがとうございます!」


「僕で力になれることがあれば、またいつでも声をかけてくださいね」


 そう微笑んで返す。完璧な敬語、完璧な善意、完璧な人当たり。


 ――中身が空っぽでも、《アシスト》さえあれば問題ない。


(……答えてるのは、俺じゃないけどな)


 誰にもバレやしない。《アシスト》の声は俺にしか聞こえない。

 表面上、俺は観察眼に優れ、的確な指導ができる訓練生。

 加えて礼儀正しく、親切で、努力家――そんな“理想像”を演じていれば、誰も疑わない。


 それが、俺の生存戦略だ。

 《アシスト》を最大限に活かす方法。

 そして、俺がこの世界で“有能”として扱われるための、最も効率的な立ち回り方。


 でも――あの“空白の一年”までは、完璧だったんだ。


 気づけば、今は三年目。

 本来なら俺はもう卒業を目前にしているはずだった。

 なのに、なぜか俺には一年分の記憶がすっぽり抜け落ちている。


 医者は「断片的な記憶障害」だと診断したが、こっちは納得していない。

 だって、記憶が飛んでるどころか――その間、俺は“行方不明”だったらしい。


 王都からもイリュドからも、姿を消していた。

 どこで何をしていたのか、なぜ戻ってこれたのか。すべてが霧の中。


 得体の知れない不安だけが、じわじわと日常を蝕んでいった。


 だから、義父と話し合って決めた。

 俺が行方不明になっていたあいだは、「病気による休学」ということにしてくれていたらしい。

 その建前のまま、“訓練院二年目”からやり直す、という形式上の措置だ。


 同期だったはずの連中は、もう一年上の学年にいる。

 つまり俺の“新しい同期”は、一つ年下の奴らになる。


 もちろん、俺が行方不明になっていたことなんて、公式には伏せられてる。

 結果、周囲には「レイジは病気で留年したらしい」っていう、都合のいい噂だけが一人歩きしてる。


 ――でも、いい。むしろ好都合だ。


 下手に目立って怪しまれるより、今は“穏やかで無難”な生徒でいた方がいい。


「皆さん、今日もよろしくお願いいたします」


 年下であろうと俺はどんな相手にも、丁寧な敬語で接するようにしている。

 礼儀正しく、謙虚で、協調的に。

 絶対に威張らない。優越感は、絶対に外に出さない。


 ――もちろん、それはすべて“演技”だ。


 《アシスト》の性能は、俺が一番よく知ってる。

 誰よりも優れている。でも、それを鼻にかけたら終わりだ。

 この世界では、「目立ちすぎない天才」こそが最も生き残る。


 だから俺は、優秀なふりをしながら、凡人を演じる。


 それが、《アシスト》と俺が生きるための最適解――最も狡猾で、安全な選択だった。


 ◆


 あの日の昼休み。木陰の涼しい場所で一息ついていると、足音と気配が近づいてきた。


「ねぇ、レイジ。ちょっと指揮系統の授業でわからないところがあって、教えてほしいんだけど」

 《アラート:発動。圏内に魔力の侵入を感知しました》


 ――《アシスト》は優秀だ。

 だが、優秀なだけじゃ足りない。使える状態でなければ意味がない。


 休憩中や睡眠中など、意識が落ちているときには万が一に備えて、俺は《アラートモード》を発動している。

 一定範囲に接近者がいれば、こうして即座に感知してくれるわけだ。


「ん……ミランダですか。おはようございます」

「おはようじゃないわよ。もう午後の授業始まるわよ?」


 眠い目を擦り上体を起こすと、そばには見慣れた顔の少女が立っていた。

 深紅の髪を肩で切り揃えた女性だった。

 少し癖のある髪が、揺れるたび柔らかく光を反射する。

 背は高くない。けれど不思議と、どこか安心させられる存在感がある。

 その優しい目元や柔らかな表情は、母親に似てるって、本人はあまり気にしてなかったけど。

 騎士服の上からでも分かるくらい、スタイルも悪くない。胸も、まあ……それなりに。


 ミランダは俺のそばで腰を下ろすと、小さなカバンからノートを取り出してページを見せつけてくる。

 丁寧に書かれていて、字も丁寧だ。

 このページを見ただけで、この子の性格がよくわかる。


「指揮系統なんて簡単じゃないですか。どれです?」

「この部分なんだけど――」


 どんな質問だって、《アシスト》が答えてくれる。俺の脳内検索機能ってわけだ。


「アシスト起動。指揮系統の問題の解答例を三つほど」


 いつも通り小声で《アシスト》の起動を試みる。

 しかしこの日は違った。……返答が、ない。


「あ、あれ?」

「レイジ……? どうしたのよ、簡単なんでしょ? 私この前グレイ教官にこの部分当てられて、答えられなかったのよ。多分今日もまた当てられる……!」


 焦りと不安が、ミランダの声に滲んでいる。

 それとは対照的に、俺は違う種類の焦りに包まれていた。

 なぜだ。《アシスト》が――起動しない。


「アシスト、アシスト……」


 小声で呼びかけるが、反応なし。

 その瞬間、俺は“初めての状況”に直面していることに気づいた。


「アラートを解除。アシスト発動」

 《アシスト:起動。支援指示を待機中。》


 無事起動した。


「指揮系統の問題の解答例を三つほど」

 《指揮系統における重要な意思決定パターンは以下の三つです――》


 なるほどな…。

 アラート発動中は、接近者の感知や危機の予測に機能を集中している。

 つまり、《アシスト》は常時稼働しているようでいて、“警戒態勢”に偏っており、質問への回答や身体動作のサポートはその間できないらしい。


 一年前にこのアラート機能を開発して以来、初めての気づきだ。

 この制限、忘れないようにしておこう。


(……こういうのを積み重ねて、《アシスト》は“完全な武器”になっていくんだよ)


 午後のつまらない授業がようやく終わった。

 俺は誰よりも早く教室を出て、そそくさと寮へ帰る準備をする。


 ……ミランダ? ああ、案の定、グレイ教官に当てられてたな。

 見ていてこっちがハラハラするレベルだったけど、俺ならあんな場面でパニックなんて起こさない。

 まあ、たぶん。


 それより、昨晩から読み始めたあの分厚い冒険記の続きが気になって仕方ない。

 竜騎士が裏切られるところで止めたせいで、朝からそわそわしてたんだ。


 そんなことを考えながら校舎を出たところで、不意に声をかけられた。


「レイジ・ヴァルト訓練生、少し時間はあるのか?」


 教官の声が背後からかかった瞬間、俺は心の中で小さく舌打ちした。……今、急いでるんだけどな。


 けれど、顔には出さない。


「えっと、少しなら大丈夫です」


 表情も声も完璧に整えて、最低限の返答をする。時間は無駄にしたくない。こういうのは大体、面倒な話が多い。


 ──と思ったら、案の定だった。


「お前に、“外環”騎士団から面談の要請が来ている」


 外環……?


 一瞬、何の冗談かと思った。

 外環騎士団。つまり、俺の出身地──イリュドを管轄する部隊。最前線の治安維持にあたる連中だ。


 そんな奴らが、なんで今さら俺に?


「……はい、大丈夫、ですけど」


 言いながらも、警戒心がじわりと胸に広がる。

 教官は「それでは」とうなずき、俺を応接室まで案内した。


 案内された部屋は、普段の訓練生用の教室とはまるで別物だった。

 調度品一つとっても高級感があり、壁の装飾やカーテン、光の入り方にさえ品がある。

 貴族向けの応接室か。俺の“設定”に合わせた配慮か、それとも――相手への敬意か。


 ソファに腰を下ろしてみるものの、落ち着かない。無駄にふかふかしていて尻が浮く。


 ……なんなんだ、ほんと。


 ドアがノックもなく静かに開いたのは、そんな苛立ちがピークに達しかけた頃だった。


 空気が変わった。

 鎧の擦れる音。

 無駄のない一歩。

 研ぎ澄まされた気配が、部屋の温度を少しだけ下げる。


 入ってきたのは中年の男だった。

 銀髪にところどころ白が混じり、痩けた頬には疲労の色が見える。

 だが、その瞳だけは鋭く、まるで現場からそのまま来たような──いや、実際そうなのだろう。


「どうも、覚えていますか。エリオット・ヴァースです」


 名前を聞いた瞬間、思考が一瞬フリーズした。


「え、エリオット・ヴァース……隊長?」


 間違いない。

 イリュドの外環騎士団の現場責任者。

 あの混沌の都市で秩序を背負う、一握りの現場の“本物”だ。


 俺は背筋を伸ばし直し、反射的に敬意を込めた姿勢を取っていた。


 エリオットは俺の正面までゆっくり歩いてきて、ソファの座面へ静かに腰を下ろした。

 椅子の軋む音が、やけに重たく響く。心臓の鼓動が、それにあわせて少しだけ速くなる。


「お久しぶりです、レイジくん。そういえば、昨年の実践訓練以来ですね。今日は君に、ご提案があって来ました」


 まっすぐに見据える眼が、冗談じゃないことを告げていた。


「そ、そんな。隊長が、かしこまらないでくださいよ……」


 笑おうとしたのに、喉が乾きすぎていて、うまく声が出ない。

 舌がうまく回らず、歯に引っかかった。


 エリオットの視線に、俺は飲み込まれそうになっていた。

 心臓の鼓動が早くなって、脳の奥がじんじんする。

 これから話される内容が、ただの雑談じゃないことくらい、さすがの俺でも察していた。


 だが──

 まずい。緊張で、尿意が限界突破しそうだ。


「……すみません。ちゃんと話は聞きますんで、先に、トイレだけ行かせてください」


 俺の言葉に、エリオットは一拍だけ間を置き、それから無言でうなずいた。

 全身から変な汗が噴き出してくるのを感じながら、俺は小走りで待合室を飛び出した。


 頼む、間に合ってくれ……!


 ――だが運命は、いつも俺にやさしくない。


「あー、レイジさん。ちょっといいっすか?」


 その時、後頭部に鋭い衝撃。意識が、ぷつんと切れた。


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