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05:騎士・ユノーの滞在

「どうでしょう。ヒースラント伯爵夫人」

「……変装じゃない、ですね。多分……っていうか、よく考えると」


 ミネルはそう言ってユノーの頬から手をはなした。

 ミネルが話し出そうとすると、ユノーは自分の頬を撫でていた手を止めてミネルをしっかりと見ながら耳を傾けた。


「私は変装というのがどういうものなのかわからないし、騎士・ユノーという名も噂で聞いただけで実際に会った事があるわけではないので、触れて確認したところで本物かどうかわからないです」


 つまり無駄だった、という事をきっぱりと直接的に言うミネル。ユノーはきょとんとした顔をしていたが、すぐに笑顔になった。


「それでも、安心材料になりそうであればよかったです」


 疑われていいようにされた後でこんな言葉を言う人間がいるのか。

 もしこの男が怪盗・ユピテルではないとして、本心から言っているなら相当なお人よしだ。


「お客人になんてことを……! 大丈夫ですか、ユノーさま」

「はい。全然大丈夫です」


 ナージャの言葉にユノーはニコニコと笑いながら返事をする。

 しかし、ミネルが遠慮なく引っ張ったユノーの両頬は赤くなっていた。


 視線を感じてナージャを見ると、彼女は本当に信じられないという表情をしていた。


 そこでミネルは、もう一階層冷静になる。


 自分の行動が間違えているとは思わない。なぜなら、ナージャは知らないはずだからだ。そしてミネルも警備隊に所属するまでは知らなかった。


 本当に切羽詰まった人間の、精神の極限状態。人間は必要ならどこまでもプライドを地に落とすことが出来るし、体裁がない人間は平気で悪事に手を染める。

 ナージャはきっと、そんな人間を知らない。体裁に守られている人間しか見たことがないから、最低限の生活を守られている人間しか知らないから、疑うという事が甘すぎるのだ。


「失礼いたしました」


 悪い事をしたとは思っていない。だけど考えなしに動いてしまったとは思うから、ミネルはユノーに頭を下げた。


「気にしないでください。僕も疑われても仕方がないと思いながら参りましたので。陛下が手紙を書くのも待たずに、しかもみんなを置いて一人で来てしまいましたから。……数日もすれば他の者もこちらへ来ます。ご安心ください、ヒースラント伯爵夫人。僕は正真正銘、国王陛下とヘンデル公爵にお仕えしている騎士ですので」


 この男の言う通り。数日待って他の騎士たちがここに来れば、この男が本物の騎士・ユノーかどうかは分かる。


「ヒースラント家を守ってくださる騎士さまを疑うなんてとんでもないことですわ。さあ、どうぞこちらにユノーさま。長旅でお疲れでしょう」


 ナージャはユノーに優しい言葉をかけてこの場を去るように促した。

 短く返事をしたユノーがミネルの隣を通るときにちらりと見せたのは、心配そうな、もの言いたげな表情。

 ミネルはそれに、気付かないふりをした。


 屈託のない笑顔。すぐに態度が顔に出る性格。誠実な大人の皮をかぶった子どものようだ。


 騎士・ユノー。公爵・リナルド・ヘンデルに仕える騎士。


 噂は聞いていたが、会うのは初めてだ。ヘンデル公爵のお気に入りの騎士で、貴族や騎士たちの男社会での評判も高ければ、社交界での女性人気も高い。あの顔であの気遣いが出来れば、女性から人気があるのも頷ける。

 上流社会を虜にする騎士・ユノー。


 ミネルはユノーの後ろ姿が完全に消えた頃、思わず笑顔を浮かべた。

 彼がもし、怪盗王・ユピテルだったら。可能性はある。もしそうなら、どんな手を使って封蝋印(フォブ・シール)を盗もうというのだろう。


 強行突破か。色仕掛けでも使うのか。

 何にせよ、騎士・ユノーの顔を知らないから騙し通せると思っているのなら、この手で暴いて打ちのめしてやりたい。


 あの男が怪盗・ユピテルならいいのに。もしそうならきっと、すごく楽しい。

 ミネルは落ち着けと言い聞かせながらゆっくりと息を吐くと、来た道を戻って書斎へと向かった。


「何ですかお嬢様、あの態度は!!」


 ナージャは内側にある熱を放出したくてたまらないと言った様子でミネルに向かって叫ぶ。

 ミネルは机に腰かけて仕事の手紙に目を通しながら口を開いた。


「悪人はどんな手でも使うの。私達が騎士・ユノーの顔を知らないのをいいことに別人を装う事もあり得ると思ったから」

「彼が怪盗王・ユピテルとやらなら、もう今ごろこの屋敷にはいませんよ。もう数日もすれば本物の騎士・ユノーとその部下たちがやってきて、あっという間に嘘がバレてしまうんですから」


 そうやって一般人の思考の枠にはめられないのが悪人と言うヤツなのだ。

 しかし、話しても無駄だ。実際、同じ人間からスリや恐喝、物乞いをされてみなければわからない事もある。


 疑うべきだ。もっと真摯に。

 決して気を許してはいけない。人間の精神が行きつくところまで行ってひっくり返れば、ほとんどの想像は意味をなさない。だから出来る限り理論を構築した予測を立てなければ。


「わざわざ日にちの指定がされているのですからその日に来るという事です。少し考えればお分かりになるでしょう」


 だから変装の可能性はないのかと思って探っていただけの話だ。

 話が通じない。互いに意味が分からない。理解し合えない。どうして理解し合えないのか。互いの距離を埋める努力を、互いにしていないからだ。


「もうわかった。彼には今日中にきちんとお詫びします」

「それがよろしいですわ」


 ナージャはその一言が聞きたかったとばかりに頷くと、書斎を出て行った。


 ミネルはゆっくりと息を吐く。主が自分の家の危機を守ろうとして何が悪いというのだろう。しかしきっとナージャに聞けば、〝またそんな屁理屈を〟と言うのだ。

 じゃあ一体、どうすれば。


 先ほどまで退屈が埋まる予感に高揚していた気持ちは消え失せて、またつまらなくなる。


 しばらくして書類を片手にぼんやりとしているだけだという事に気付いて、仕事にならないと察したミネルは潔く仕事を切り上げた。そして、椅子から立ち上がり書斎を出て廊下を歩く。


 彼の部屋に向かう途中の廊下の窓から庭を見下ろすと、庭でバラの花を眺めているユノーを見つけた。

 一人だというのに柔らかい笑顔を浮かべている。甘く優しげな顔も相まって、喋りもしない花に話しかけているのではと頭を一瞬よぎるくらいあたたかな雰囲気をまとっていた。柔らかい風が、さらさらした彼の髪をもてあそんでいる。


 ミネルは廊下を歩き、踊り場から枝分かれして二階に続く階段を下り、大広間を抜ける。


「そうなの、そうなの。本当にクソ野郎だと思わない?」

「最っ低な男ね」


 キッチンから聞こえてくるのは、女同士の会話。メイドたちの悪口。


 メイドたちは愚痴を言い合うのが好きだ。メイドたちだけではなく、女社会はどこもそう。貴族も大して変わらない。


 しかし残念ながら、ミネルにはわからなかった。

 〝クソ野郎〟だと思うのなら、もう関わらなければいいのだ。発散しなければいけないほど心の内側に澱を溜めなければいい。ミネルには彼女たちのそれが、自分から集めたものを自分で罵るだけの滑稽な舞台の一幕に思えて仕方がなかった。執着や依存。そう言った類のもの、人生の枷になる邪魔なものだ。


 最初から他人に期待しなければいい。他人同士なんて、どこまで行っても自分の人生と深く交わる事はない。人間は生まれる時も死ぬときも、本当の意味で誰かと共にはいられない。わざわざ交わらせようとするから感情が大きく揺れるのだ。だから自分の影響が及ばない他人にまで〝クソ野郎〟と言うレッテルをつけて批判したくなる。


 ミネルにはわからない。しかし気持ちがわかりさえすればもう少し人生は生きやすくなって、退屈が埋まる予感はしている。きっとそれは事実なのだろう。なぜなら屋敷のメイドたちはみんな自分のように退屈そうにはしていないから。


 玄関ホールの広間を抜けて、屋敷の周りをぐるりと回るようにして庭へ移動した。

 そこには自然物を作為(さくい)的に自然と見せかけた庭が広がっている。


騎士さま(サー)


 ミネルがそう声をかけると、ユノーは振り返って笑顔を作る。


 ミネルはそれをどこか冷めた気持ちで見ていた。

 退屈さえ埋められれば、別に誰かと人生を交わらせることなんてできなくていい。

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