04:ヘンデル公爵の騎士
「自分で選ぶから」
「いいえ。私にお任せくださいな」
細身のメイド長のナージャが柔らかく、しかししっかりとした意思を持った口調で言い切る。
細かな装飾がされたクローゼットの前で、ミネルとナージャは静かな押し問答を繰り広げていた。しかしこういう時、結局勝つのはいつもナージャで身を引くのはミネルと決まっている。
「ミネルお嬢さまはいつも簡素なドレスをお選びになりますから」
そう言うとナージャは迷う事なく一着のドレスを左腕にかける。それから右手を品よく、どうぞ、と言いたげに差し出した。
「私は簡素な服が悪いとは思わないけど」
「いけませんよ、お嬢様。いつ誰が来られるのかわからないんですから」
「来客はもっと先よ」
ミネルははっきりと言い切ったが、どうやら話まで打ち切ってしまったらしい。ナージャは口を開かず、しかしドレスを選びなおす様子もない。ミネルは気持ちの一切を言動に出さず、ナージャにされるがままドレスに腕を通した。
「せっかく綺麗なサファイア色の目をしていらっしゃるんですもの。それを生かすドレスを着なければ。お嬢様はそういうのが苦手でいらっしゃるから」
ナージャはそう言いながらミネルの瞳と同じ色の青いコルセットをきつく縛り上げた。
苦手、と言うのとは少し違う。派手に着飾る事に興味がないのだ。自分の気分を上げてくれる可愛いドレスも装飾品も好きだ。しかし、動きやすくシンプルというのが大前提。
もしかすると職業病なのかもしれないが、もし動きにくい格好をしているときに誰かに襲われたらと思うと恐ろしい。
「白のフリルは、デコルテを美しく見せてくれますし」
ナージャはそう言ってミネルの首元の白いフリルの形を指でなぞって整え、その下に重ねてボリュームを出している紫のフリルに触れた。それから最後に、フリル終わりに装飾された金色の刺繍をなぞる。
「全体の色をお嬢様の髪と目の色に合わせれば、印象が涼しげで柔らかくなります」
コルセット下の紫の生地は、左右に分かれて生地を寄せてボリュームが出してある。ナージャはそれに空気を含ませるようにして形を整えると、それからボリュームのあるスカートを払うような素振りでドレスの形を整えていく。
「このドレスはお嬢様によく似合います」
次にナージャはミネルの髪にブラシを通しながらいつも通り、「本当にお綺麗な髪ですこと」と言い、ゆるりと数回髪を編んでいく。
身体に沢山の布や装飾品を纏うたびにつくづく〝ご婦人は何もしない〟というステータスを押しつけられているような気がする。ゆるく結んだ髪は、おとなしくしているようにと言うナージャからの、まるで呪いのようだといつも思っている。
ピアスも、胸元の青リボンを留めるブローチもルビー。
かつて国王陛下から賜った封蝋印と同じ色。
「私は警備隊だかなんだか存じ上げませんけれどもね。このお屋敷に住まう限りは威厳というものがありませんと。ミネルお嬢様、あなたはヒースラント家の当主として歴史を背負っていかなければならないのですよ。それが運命というものです。いい加減お受入れなさいませ」
なんの気もない顔をしてドレスのしわを伸ばしながら言う、これがナージャの本心。
歴史を背負う。背負いたくもない歴史を背負って生きて行かなければいけない。
そう思った瞬間、ミネルの頭の中には牢獄の中で拘束されていた怪盗王・ユピテルが浮かんだ。
いっそあんな風に、自分の快だけを追求した先で殺された方がこんな人生よりはマシで、鮮やかなのだろう。
「ミネルさま、お客様です!!」
「今行きます。……ありがとうナージャさん」
ミネルは乙女の顔をした若いメイドの声に間髪入れずにそう言うと、未だにしつこくドレスの形を整えるナージャに一声かけて歩き出した。
ナージャははっとした様子で先を歩くミネルに続き、若いメイドの方へと顔を向けて口を開いた。
「お客様というのは一体どなたなの?」
メイド長ナージャのすごむ様な声も、今の恋する乙女の若いメイドにはやはり届かないらしい。
「ユノーさまと名乗られました」
「だから、その〝ユノーさま〟はどちらのユノーさまかと聞いているのです」
〝ユノー〟。
ミネルはその名前に一人だけ思い当たる人物がいた。
「なんでも、ヘンデル公爵邸来られた騎士だとか」
「……早すぎる」
ナージャに返事をした若いメイドの言葉にミネルはぼそりと呟き、重たいドレスの裾を持ちあげて廊下を駆けた。
「あっ、お嬢様!!!」
ナージャは急に走り出したミネルを責めるように叫ぶが、ミネルはそんなことも構わずに階段を駆け下りて広い踊り場でドレスを掴みなおして、それからまた階段を下り大広間を走り抜ける。それから大きなドアを開け放ち、長い玄関ホールの広間へと出た。
玄関ホール、つまり屋敷の顔。そこに並んでいるのは、ナージャが国中から集めて厳選した〝貴族らしい〟物。
それを興味深そうに眺めるのは、見慣れない一人の男だった。
「誰? あなた」
ミネルの冷たい声にはっとした男は、絵画からミネルへと視線を移した。初対面の人間に冷酷な態度を取られたことに驚いたのか、男はわずかに目を見開いていたが、ミネルを見てすぐに笑顔を作った。
「ヒースラント伯爵夫人でいらっしゃいますね。初めまして」
ミネルの粗暴な態度も気にしていないと言った様子で、無駄一つない動きで丁寧にあいさつをするユノーは胸に手を当てて深く頭を下げた。
「ヘンデル公爵家から参りました。ユノーと申します。実は、ずっとお会いしたかったんです」
「……あなた、怪盗王・ユピテルね」
「はい?」
ユノーはきょとんとした表情で顔を上げ、それから事情があると察したのか背筋を伸ばしてミネルの言葉の続きを待っていた。
「陛下へ手紙を送ってからまだ3日しかたってないのよ。こんなにすぐ来るはずがないじゃない」
「至急と伺いましたので、馬を走らせて来ました。王からの贈り物が狙われているとなると、伯爵夫人もご不安かと思いまして」
不自然なくらいに動揺しない男にミネルは警戒を解くつもりはなく、さらに強く目の前の男を睨んだ。
その頃ちょうどナージャが玄関ホールにやってきて足を止め、ただならぬ雰囲気の屋敷の女主と自然体でいる一人の騎士を交互に眺めた。
その後ろでは乙女メイドと数人が「やだ、本物の騎士だわ」と嬉しそうな声を上げていた。
ミネルは落ち着けと言い聞かせながらゆっくりと息を吐いて、もう一度しっかりと正面からユノーを見た。
「ユピテルという怪盗は変装術も使うそうです」
「僕もそう聞いています。そうですね、うーん……では……」
そういうとユノーは大きく一歩前に出て、ミネルのすぐ近くに来る。
一歩身を引いたミネルをよそに、ユノーはほんの少しだけ身を屈めてさらにミネルとの距離を近付けた。
「はい、どうぞ」
「どうぞって……どういう意味?」
「変装と言うのがどういうものなのか僕にはわかりませんが、よければ触れて確認なさってください。それでご気分が少しでも晴れるのなら、どうぞ遠慮なく」
変装と言うものがどういうものなのか、自分の目で見たことがないからわからないが、全くの別人になりすますという事だろう。別人になりすますという事はつまり、肌の色や特殊な方法で顔を変えているという事。
ユノーは近い距離で恥ずかし気な様子もなく、柔らかい笑顔のままミネルの目を見ていた。
「……じゃあ、遠慮なく……」
ミネルはそう言うと、両手でユノーの頬に触れた。
「お嬢様、何を……!!」
ナージャの声をよそに、ミネルはユノーの頬をつねって思いきり左右に引っ張った。