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17:怪盗王・ユピテルの邪道

「ユノーさま、」

「怪我はありませんか! ミネルさま」


 ユノーは焦った様子で矢継ぎ早に言ったが、自分の目でミネルの身体に怪我がない事を確認してゆっくりと息を吐いた。


「よかった……。封蝋印(フォブ・シール)も無事ですね。ユピテルに捕られたのかと……」


 ユノーが生きていた。そして目の前で話をしている。安心したミネルは思わず笑顔を浮かべた。しかしすぐにその息を呑む。ユノーの白いシャツの右腕部分が、血で真っ赤に染まっていたからだ。


「ユノーさま、ケガを……」

「たいしたことはないので、ご心配なく。それよりも、申し訳ありません。屋敷の中がめちゃくちゃに」


 ユノーは踊り場から大広間を見た。

 二階の部屋から出てきた使用人やメイドたちも、廃墟と化した屋敷の大広間を唖然とした様子で見降ろしていた。


「でも、屋敷も封蝋印(フォブ・シール)も無事です」


 ミネルはそう言うと思いつめているユノーを安心させるように笑いかけた。


「ヒースラント家は、またやり直せます」


 ユノーを安心させるために言った言葉。しかしそれのどこまでが本心なのか、ミネルは分からなかった。


 ミネルはもう一度大広間の様子に視線を移す。大広間は廃墟同然のあり様だが、それに対する怒りや複雑な気持ちは一切ない。ヒースラント家に対して一定の敬意を持っている事をユノーに気付かせてもらった。それなのにマイナスな感情が浮かんでこない事が正常なのか、異常なのか。ミネルにはわからない。


 怪盗王・ユピテルは封蝋印(フォブ・シール)を盗むことを諦めて去った。多勢が相手では分が悪いと判断したのだろうか。そしてミネルは、ユピテルとの戦いの事を思い出したと同時に、ユノーに謝らなければいけない事があることを思い出した。


「……ユノーさま」

「はい、なんでしょう。ミネルさま」

「……怒らないで聞いてくれますか?」


 ミネルが恐る恐るそう問いかけると、ユノーはきょとんと不思議そうな顔をした。

 そういえば自分も同じことをユノーに言われて何の話をされるのだろうと身構えた数日前の事を他人事のように考えていた。


「はい。……どうぞ」

「……こちらに」


 覚悟を決めたミネルはユノーの手を取り、二階に続く階段を上がった。ユノーはミネルに手を引かれるまま、ミネルのペースに合わせて階段を上がる。


 二階に到着してミネルはユノーの手を放し、壁を指さした。


「これを……」

「……これは」


 ユノーはまじまじと壁に吸い込まれるように刺さった折れた剣を見た。


「僕の剣……」

「申し訳ありません。私がへし折って、私が壁に……」


 ミネルはそう言ってユノーに頭を下げる。長い髪が、ミネルの動きでさらりと背中を撫でた。


「顔を上げてください、ミネルさま」


 どう聞いても怒っていないユノーの明るい口調が耳を通ってしばらくしてから、ミネルは顔を上げた。

 ユノーは笑っている。


「よかったです。僕の騎士としての誇りが、ミネルさまを傷つける事がなくて」


 まさかそんな言葉を言われると思っていなかったミネルは、間抜けな顔をしている自覚があった。


「お嬢さま、よくご無事で……」


 ナージャの声で我に返り、同時に身を引き締める。

 まるで無事ならばそれだけで何もかも水に流すとでも言いたげなナージャの様子に、いつもとは違う態度。ミネルにはその寒暖差が気持ち悪く感じた。まるでせっかくの気持ちに水を差された気分だ。


「ナージャさん、片付けは明日にしましょう。今日はもう遅いから」

「僕もミネルさまに賛成です。ヒースラントのお屋敷のみなさんはゆっくり休まれてください。夜が明けるまで動ける人間で警備いたしますから」


 ユノーはそう言うとミネルに安心させるように笑った。

 この笑顔が、ユノーの纏う雰囲気自体が、息を抜きたくなるほど落ち着く。まるで先ほどまでユピテルと戦っていた自分が別人で、この気持ちを持っている自分が本物みたいな感覚だ。

 狂わされている事は分かっていた。自分の狂っている部分から目をそらさせられている様な、そんな感覚。


「ミネルさま。僕は陛下にこの事を報告するために、一度王宮に戻ります」

「……そうですか」


 自分の声色に寂しさが混ざっていることに気付いて、ユノーに気付かれていない事を願った。

 ユノーの部下たちが指示を求める為に彼の元に集まってくる。それを見たユノーは、ミネルに小さな声で言った。


「後で伺います」


 ユノーはそう言うと、ミネルから離れて部下たちを見た。


「ヒースラント家のみなさんには休んでいただくことにしました。我々は……」


 ユノーが部下に指示を出す様子をミネルはぼんやりと見ていた。

 話をしなければいけない。つい先ほどまで、王道の幸せなんていらないと思っていたのに、ユノーを前にすると心が揺らいでしまう。こんな人と一緒にいるのはきっと幸せなのだろうと思ってしまうから。


 神経が(たかぶ)っているせいで正常な判断が出来ていないのかもしれない。できる限り落ち着かなければ。ミネルはそう思って大広間を見下ろしながら、自身の寝室に歩いた。


 部屋の中にはろうそくにいくつか灯したむき出しの火の光と、機嫌をなおした空のおかげで顔を見せた月の明かりで明るい。着替えもしないまま、ミネルは自室の椅子に座る。本を読んでみても、キャンドルに火をともしてみても落ち着かない。これがユピテルと戦ったことによる神経の昂りなのか、それともユノーと話をしなければいけない緊張感なのかはわからない。


 しばらくして、三度ドアを叩く音が廊下から聞こえた。ミネルが「どうぞ」とすこし上ずった声で返事をするとドアが開く。ユノーは廊下の向こうに立っている。その様子をミネルは椅子に腰かけて眺めていた。


「ミネルさま、部屋の中にお邪魔してもいいですか?」


 ここは寝室。至極プライベートな空間。今まで使用人以外に入ることを許したことはない。だから〝書斎にいきましょう〟と言えば全て解決する問題。ユノーも何かを深く聞いてきたりはしないだろう


「どうぞ」


 それなのに断らない明確な理由を、ミネルは自分の中から見つけ出すことは出来そうになかった。

 ミネルがそう言うと、ユノーは少し間を開けて部屋に入ってくる。


「申し訳ありません」


 丁寧に頭を下げるユノーとそれを見るミネル。月の光をバルコニーの壁がさえぎって、ちょうど二人分を照らしている。


「ミネルさまをお守りしたいと言っておきながら、危険な目に合わせてしまいました」

「……私は自分の身は自分で守ります。ユノーさまが思いつめる事ではありません。顔を上げてください」


 それでも顔を上げないユノーの頬にミネルはそっと触れた。ユノーはミネルの手に少し体重をかけて、それから目を閉じる。


 そのユノーの動作が、なによりユノー自身を愛しいと思った。こんな感情の先を知りたくて、人はきっと王道の幸せを求めるのだろう。そうどこか納得してしまうくらいには。

 ミネルはユノーの頬を意識してなぞった。


 それでも違う。心の深い部分が、この感覚は違うという。

 本当に触れたいのはユノーではないと、心の深い部分が勝手に結論付ける。


 ミネルはユピテルに触れようと手を伸ばした感覚を、渇望を思い出していた。


「また、僕と会ってくれますか。ミネルさま」


 今、ミネルはかつての国王陛下とヒースラント伯爵夫人の気持ちがわかる気がした。通じ合っていたいと思うような気持ちだ。だからきっと人は約束をして、ヒースラント伯爵夫人は封蝋印(フォブ・シール)を喜んだのだろう。きっと、本当に好きだったのだ。だからヒースラント伯爵夫人は封蝋印(フォブ・シール)を大切にして、すぐに手紙の返事を書いた。


〝あなたの人生の一部になりたかった〟。


「……もうあなたとは、お会いできません」

 

 しかし、約束を交わせば、生涯見えないなにかに縛り付けられる。

 それが退屈になったら一体、どうすればいい。


 ミネルがそう言うとユノーは少し悲しそうに笑った。


「わかりました」


 ユノーは最初から、この返事だと分かっていたのかもしれない。わかっていて区切りをつけるために口にしたのかもしれない。それぐらい心の深い部分で通じ合っているような気がした。


 ただ、自分の気質を恨んでいる。

 思考を止めて目の前の幸せにだけしがみつくことが出来れば、きっと楽になれるのに。


「でも、僕はミネルさまが好きです」


 だからユノーの唇が近付くことに抵抗もなければ、拒絶するつもりもない。

 ただ、生まれた星の元が違うだけ。

 唯一、戦いの中で感じたあのユピテルへの思いが――


「なーんてね」


 その下劣な言い方には、確かに覚えがあった。

 椅子から立ち上がって距離を取ろうとしたのは無意識。

 何かが上半身にきつく巻き付いて身動きが取れない。椅子はミネルのすぐ後ろで転がった。


 ユノーはミネルの上半身に巻き付く縄を踏みつける。ミネルは釣られて勢いよくその場にしゃがみこんだ。


「あーあ。楽しかった」


 冷静に。努めて冷静に。状況を飲み込もうといったん全ての思考を意図的に止めた。


「……どういうつもり?」

「こういうつもり」


 ユノーはそう言うと、ミネルの首からぶら下がった封蝋印(フォブ・シール)に触れた。


「僕がユピテルだよ」


 フラットな状態で物事を見ているはずだ。それなのに彼が何を言っているのか、ミネルには全く理解ができない。

あと一話で完結だから、今日中に更新しますー

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