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14:怪盗王・ユピテルの夜

「あなたは屋敷の主なのですよ。ヒースラント伯爵夫人、」

「ナージャさんは」


 ミネルはナージャと目を合わせず俯いて床を眺めたまま口を開いた。いつもよりはっきりと響くミネルの声に、ナージャは少し身構えている。


「ナージャさんは、私に死んでほしいの?」

「そんな……滅相もない……」


 ナージャはどうして死んでほしいという話に着地したのか訳が分からないのだろう。焦った様子で口を開いた。

 太陽が沈む一秒ごとに、ミネルの纏うネイビーの制服は黒に近付き、白いロングブーツはオレンジに染まっていく。


「ドレスじゃユピテルから逃げられない。攻撃されても反撃できない。長いズボンだと足を振り上げた時に破けたら? 意識がそっちに持って行かれて私が死ぬかも。自分の身体でいろいろ試して、この服を着ているの。もう一度聞くけど、ナージャさんは私に死んでほしいの?」

「……そこまでおっしゃるのなら、何も申し上げませんわ」


 ナージャはまるで子どもから図星を突かれた大人のように言って、見えなくなった。


 ミネルは厄介払いした気持ちになって、やっともう一度目を閉じる。自分の身は、自分で守らなければいけない。しかし、ユノーもその部下たちも惜しみなく協力してくれる。緩みそうになる気を必死に張り詰める。だが、自分以外の誰かと一緒に同じ目標に向かって進む感覚は、悪くない。


 『今日全部が終わったら、返事を聞かせてください』

 ミネルはユノーの言葉を思い出したが、人生を左右する言葉さえ先ほどのナージャと同様に今のミネルのどんな部分にも関与することはなかった。


 ミネルは部屋から出て廊下を歩き、手すりに触れた。踊り場から左右に枝分かれして二階に伸びた階段と、踊り場から大広間につながる階段を一望する。それから上を見上げた。蜂の巣のように何層にもなった巨大なシャンデリアが高い天井から釣り下がっている。大広間の四隅付近にもそれぞれシャンデリアがある。ミネルは住み慣れた空間を意識的に把握するように努めた。

 ユピテルがここに来るのなら正面にある大きな扉を通ってくるしかない。


「一緒に守り抜きましょう。必ず」


 隣から聞こえた声にミネルは視線を向けた。そこには思わず息を抜いて安心してしまうような、人懐っこい笑顔を浮かべたユノーがいた。


「はい」


 ミネルが頷きながら返事をすると、辺りに地響きをともなった爆発音が響いた。それは大広間の五つあるシャンデリア全てを、大きく揺らす。


「来ましたね」


 ユノーは表情を引き締めて美しい銀の装飾がされた鞘から長剣を引き抜いた。

 数分経っても音が鳴りやむことはなかった。地響きがするたびに、シャンデリアのろうそくの火はいくつか消える。

 少しずつ大広間が暗くなっていく。それは、従業員たちの恐怖を助長しているようで、彼らは二階の部屋の数部屋にぞろぞろと入り込んでいき、身を寄せ合っていた。


「お嬢様、はやく部屋の中に!!」


 ナージャは音と衝撃を恐れている様子で胸の前で手を組んで言うが、ミネルはその声に聞こえないふりをして、ユノーの隣で正面に見える大きな扉を見据えていた。


「お嬢様、」

「狭い場所に閉じ込めるのは危険です。封蝋印(フォブ・シール)を取られかけた時、ミネルさまが動けない。そろそろミネルさまを信じてみる気にはなりませんか、ナージャさん」


 ユノーははっきりと、それでいて少し厳しい口調でナージャに背を向けたまま言った。それから間もなく大広間に続く大きな扉が開いた。


「申し上げます、ユノーさま!! 外側から屋敷を崩されている様子なのですが、複数方向から音がしていて……現在も特定ができません」


 入口から声を張り上げて言う部下をまっすぐ見たままユノーは口を開く。


「ヒースラント邸は歴史がある建築物です。価値の分からない人間に崩させるわけにはいかない」

「……罠だと思います。ユノーさまはここを離れない方が得策かと」


 ユノーの言葉に部下は恐る恐るそういう。しかし、外にいる彼らも成す術がないであろうことは確実だった。


「僕もそう思います。しかし……」

封蝋印(フォブ・シール)は大丈夫ですので、行ってください」


 はっきり言い切るミネルにユノーは目を見開いて彼女を見たが、ミネルは彼と目を合わせる事なく、首にぶら下がる封蝋印(フォブ・シール)を手のひらで強く握りしめていた。


「ユピテルがここに来ることがあれば、これは私が必ず守ります。ユノーさまはヒースラントの当主たちが守ってきた屋敷を守っていただけますか」


 ユノーは真剣な表情をしてこくりと頷き、それからミネルに笑いかけた。


「はい、必ず。ミネルさまから伺ったこの屋敷の歴史をお守りします。すぐに戻ります」


 ユノーはそう言うと二階から階段を降りて踊り場に、そしてまた階段を降りて部下と共に大きなドアの向こうに消えて行った。ミネルはその様子を最後まで眺めていた。


 メイドたちは今もまだ、不安の中に一抹の好奇心があるらしい。手を取り合って互いを励まし合っているが、怪盗ユピテルが現れる事を期待している様でもあった。


 爆発音が止まった。ユノーが場所を特定したのだろうか。そう思った次の瞬間、轟音が辺りを覆いつくし、立っている事さえも出来ないほど屋敷を揺らした。四隅にあるシャンデリアの全てが地面に落ちて割れた音が振動となり辺りを埋め尽くし、しばらくしてもまだ余韻を残していた。中央に残った大きなシャンデリアは、振り子のように左右に大きく揺れて、ほとんどの火が掻き消えた。


 一度の衝撃で豪華絢爛だったはずの大広間が、大窓から入り込む月明かりの明暗を顕著に映す廃墟と化した。ミネルはその様子に目を見開いていたが、すぐに息を呑んで入り口に視線を向けた。出入口のドアが開いている。


 衝撃で開いたのか。いやきっと、そうじゃない。ミネルの直感がそうはじき出したのと、視界の真ん中に男が逆さまに映ったのはほとんど同じタイミング。黒いものを身にまとった男が、真っ直ぐこちらに手を伸ばしている。


 ほんの一瞬。

 瞬きをするよりも、驚いて目を見開くよりも短い時間。


 ――捕られる。


 ミネルはとっさに身を一歩引きながら胸元の封蝋印(フォブ・シール)の方へと手を動かした。ミネルが下がった反動で男の方へと向かう封蝋印(フォブ・シール)の動きを、ミネルの手袋をつけた人差し指がギリギリのところで触れて抑えつけた。


 きっと生きてきた今まで、どの瞬間の鍛錬を一秒でも怠っていたら反応できなかった。


 男の黒い手袋をつけた指先が、封蝋印(フォブ・シール)をかすり離れて行く。男はまるで蜘蛛のように細い何かに体重を預けて、天井からぶら下がっていた。天井を見上げると、中央の巨大なシャンデリアに黒く細い縄のようなものが巻き付けられている。振り子のようにミネルから遠ざかろうとする男にほんの少し緊張の糸を解く。


 男の体重を支えきれなかったのか、巨大なシャンデリアが天井から外れて落下する。当然、そこに紐を絡めて命を預けていた男も一緒に重力に忠実に従って降下する。

 男はシャンデリアの下敷きになって死ぬ。そう確信したミネルだったが、男は降下が始まってすぐ、シャンデリアの上に軽い身のこなしで登り、それからシャンデリアを踏み台にして飛んだ。


 そして音もなくミネルの目の前の手すりの上に着地して気だるげにしゃがみ込む男をミネルは唖然と見ていた。絶対に下敷きになって死ぬと思った。一瞬の判断で、シャンデリアの上に登って、走ったのだろうか。バランスを崩せば落ちる手すりの上にしゃがみこんでいるのに、男には焦りのひとつも見えない。


 男は気だるげな動作で顔を上げて首を傾ける。きっと今、目が合っているのだろう。仮面舞踏会で見るような黒い仮面で目元を覆い、その上からさらに黒のベールで鼻先までを隠していた。深い色の髪、赤黒いコート、黒い手袋。明るい色がない男の全てが影に隠れて、黒に見えた。


 雲が動き、影が変わる。男が立ち上がる動きに合わせて、影がさらに深くなっていく。男が立ち上がっても、頭からつま先までの全てが影に包まれていた。


「ごきげんよーヒースラント伯爵夫人」


 怪盗王・ユピテルは挑発的な口調でそう言って、二階の廊下に足をつけた。

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