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12:応接室のたわむれ

 ミネルはユノーの向かいにある横長いソファーに腰を下ろしながら、右斜め前にいる彼の手元の手紙をちらりと見た。


「ああ、これ」


 ユノーは手紙を膝元から胸の前に持ち上げる。まさか視線に気付かれるとは思っていなかったミネルの心臓はドクリと嫌な音を立てた。


「別に、」

「僕が騎士になって初めてヘンデル公爵がくれた手紙なんです」


 〝気になるわけではない〟と続くはずだったミネルの言葉は、ユノーの言葉に遮られて消えた。


 バカげている。自分の中から生まれた感情を、ミネルは冷静に見ていた。息を抜きたくなるような安心感だ。まさか、恋人からの手紙を読んでいたわけではない事実に安心しているというのだろうか。一体どうして。どんな理由があって。彼が誰からの手紙を読んでいようが、全く関係ないはずなのに。


「もしかして、女性からの手紙だと思いましたか?」


 ユノーにそう言われてミネルは頭の中が一瞬で真っ白になる。どんな返事をしたらいいのか全く分からない。勘が働かないというのだろうか。もしかして酔っているのかもしれないし、疲れているのかもしれない。そう思うくらい、彼の言葉にいい返事が思い浮かばない。


「……あまりに嬉しそうに、読んでいらっしゃったものですから……」


 結局事実だけを口にする。しかし今のミネルには自分の発言がユノーの質問の回答として正しいという確信はなかった。


「初心を忘れないように持ち歩いているんです。明日自分の持っている力の全てを出し切るために、静かな場所で読み返したくて応接室をお借りしました」


 そう言ってもう一度手紙に向けるユノーの視線は、やはり優しい。彼はきっと騎士として生きる事に誇りを持っているのだろう。ミネルは自分が気付かないうちにユノーの顔をじっと眺めていた。ミネルがそれに気づいたのは、ユノーが手に持った手紙からミネルに視線を移したことが原因だった。

 真っ直ぐなユノーの視線に射抜かれ(はりつけ)にされたように、ミネルは視線をそらすことが出来なかった。


「ご迷惑じゃなかったら、隣に行っても構いませんか」

「隣……?」

「僕が、ミネルさまの隣に」


 ミネルは正直、少し安心していた。隣に来るのであれば正面から視線を合わせる必要はない。自分のペースを乱されることもないだろう。


「……どうぞ」


 ミネルが返事をすると、ユノーは立ち上がってミネルの隣に腰を下ろした。視線を合わせなくていいと思い承諾したが、先ほどよりもずっと近くなった距離にミネルは戸惑っていた。


 触れようと思えば触れられる距離に、彼がいる。


「ユノーさま」

「なんでしょう」


 返事をするユノーの声は、淡くて優しい。まるで一日のやるべきことをすべて終えた真夜中に、大切な人にそっと語り掛けるみたいに。


「昨日はありがとうございました」

「……僕が何かしましたか?」

「見張りを振り払ってくれました。それに屋敷に帰ってきて、ナージャさんの小言を聞かなくて済んだから」


 ミネルがそう言うと、ユノーは「ああ」と納得した様子を見せてそれからまた優しい顔で笑う。


「あんな事でよければいつでも僕を使ってください」


 ユノーは当たり前のように言うが、ミネルは連鎖するように考えていた。もう明日には怪盗・ユピテルが現れて、遅くとも明後日にはユノーは帰ってしまう。


「違っていたら恥ずかしいのですが、もしかして寂しいと思ってくれていますか? 僕が帰ることを」

「……少し、寂しいのかもしれません」


 ミネルはユノーと彼の部下たちと過ごした先ほどの宴会を思い出しながら言う。ユノーからの返事を待っているが、彼は返事をしなかった。また酒に酔って思考停止しているのだろうかと思ったミネルがユノーを見ると、彼は驚いた表情をしていた。


「……私は何か、変なことをいいましたか?」

「いえ。……ただ、まさかはっきりと寂しいと言っていただけるとは思っていなかったので」


 とんでもない勘違いをさせてしまっている事に気付いたミネルは〝違っていたら恥ずかしいのですが〟と前置きをされたのだからユノー個人の事を聞いているとどうして考えられなかったのだろうと思いながら、今からでも〝違います〟と口にしようと思い立ったが、それもそれで違うような気がして。ではどんな言葉が現状に適切なのかわからずに、ミネルはただ驚いた顔で硬直していた。

 ユノーはミネルの表情の変化には気づかず、少し俯いて口を開いた。


「不躾な質問と承知で伺いたいのですが。……ミネルさまは心に決めた方いらっしゃるのでしょうか」

「心に、決めた、人……?」


 さらにまさか心に決めた人を聞かれるとは思っておらず、ミネルは少しでも間を持たせるために彼の言葉を繰り返して冷静を装ってみるが、頭の中はパニックだった。


「……焦ったんです、僕は」


 ユノーのその言葉は小さくかすれていて、自信がなさげに震えている。


「ミネルさまは僕があなたにお会いたしたかったと口にしたことを覚えていますか。……実はずっと僕は、ミネルさまにお会いしたかったんです。ヘンデル公爵から話を聞いてからというもの、ずっとあなたの事が頭から離れなかった。イーストサイドの警備隊に所属なさる貴婦人は一体どんな人なのだろうと、ずっと気になっていました。だから焦ったんです。〝あなたの人生を頂戴します〟という文章をユピテルが送ってきたことに。陛下から封蝋印(フォブ・シール)の事だと聞いても安心できなかった。ユピテルは本当にミネルさまの人生を、もしかするとミネルさま自身を奪ってしまうのではないかと」


 ミネルは気の利いた言葉一つかけられず、口をつぐんでいた。まるで職務ではなく、極めて個人的な理由で急いでここまで来たというような言い方をするから。

 付け入ろうとする人間ならたくさん見てきた。ユノーもそうかもしれない。これはもしかするとイーストサイドで人間精神の行きつく先を見てきたからかもしれないし、もともとの疑り深い性格なのかもしれない。


 ただ、今、自分のそんな性格に飽き飽きしている事は事実だった。

 信じてみたいような。だけど、信じた先に何があるのだと悲観しているような。それなのにユノーと過ごした時間がほんの少し、それを緩和している。


「僕は、ミネルさまの事が好きになってしまったみたいです」


 ユノーはミネルの手を握った。ミネルの心臓はあからさまに跳ねる。どうして隣に座ることを承諾したのだろうという後悔、それから、期待。これから訪れる事を知らないほど子どもではなくて、余裕を持って受け入れられるほど大人でもない。

 ゆっくりとユノーの顔が近付く中、ミネルは自分の顔が真っ赤に染まるのを感じた。


「イヤですか?」

「よっ、酔っていらっしゃるのではないですか。お酒が得意ではないと伺いましたが……」


 なぜか、抵抗という抵抗は出来ない。その代わり言葉であきらめてもらうようにミネルは必死に頭を回転させていたが、空回りするだけで一向に解決策は浮かばない。


「少し酔っているのは事実ですが、だからと言って僕の気持ちが変わるわけではありません」

「いや、でも、」

「イヤですか?」


 ゆっくりとうながすように見えて、言葉で道を閉ざされていく感覚があった。ユノーはミネルの肩に触れると、それからゆっくりと距離をつめた。


「イヤですか? と、伺いました」


 どこまでも落ち着いた様子のユノーにミネルは浅く、しかしゆっくりと呼吸を繰り返す。


「イヤではない、ですがダメです……」


 自分でも随分とわがままなことを言っている自覚のあるミネルだったが、これ以上に最適な言葉を今は見つけられない。

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