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11:ヒースラント邸の宴

 この人ならきっと――


「それは出来ません」


 しかしミネルは、自分の中で結論が出るより先に口を開いた。


 自分の声が耳に通って、それから納得した。絆されていただけだ。他人に大切なものを預けてどうする。他人を信用しすぎだ。ここ数日、なんだかおかしい。ユノーに預けて、ユピテルに封蝋印(フォブ・シール)を盗られたら、どうして自分で守っておかなかったのだろうと必ず後悔する。


「……わかりました。しかし怪盗王・ユピテルはどんな手でも使います。騎士の何人もが彼の手にかかっている。女性も例外ではないかもしれない。あなたに最悪の危険が及ぶ可能性がある」

「承知しています。別に問題ありません」


 ミネルはもうこれ以上話はないとばかりに口を閉ざした。ユノーが〝わかりました〟と行儀よく返事をするだろうと思っていたからだ。しかししばらくたってもユノーは黙ってままでいる。彼のミネルを見る視線は真っ直ぐで、内側にひそむ心配や不安がある気がした。最初は気付かないふりをしていたミネルだったが、あまりにも真っ直ぐな視線に負けて視線をそらす。


 他人に自分の今思っている事やその理由を、丁寧に説明する必要や意味があるのだろうか、と思いながらもミネルは自信のない問題に答える子どものような様子で口を開いた。


「……私はユピテルと対等に戦える自信がありますから」


 これで合っているのだろうかと、そもそも必要なのだろうかと思ったミネルだったが、必要だったのだという事を思い知る。

 ユノーがほんの少し柔らかい表情になったからだ。


「わかりました」


 どうして数日一緒にいただけの人間に、こんな表情ができるのだろう。ユノーはミネルに笑顔を向けていたかと思えば、今度はその笑顔ほんの少し引き締めて行儀よく座る部下たちに向ける。


「僕たちは周りを固めましょう。そもそも屋敷の中に入れない事に注力したい。……だけどもし、僕達が取り逃がすようなことがあれば、その時はよろしくお願いします。ミネルさま」


 ミネルはユノーの言葉を真正面から受け止めきれずに呆然としていた。


 一人の戦力としてカウントしてもらえると思っていたわけじゃない。悪く言うなら、勝手にどうぞ、というスタンスだと思っていた。


 一つの目的の為に集った仲間のひとりとして受け入れてもらえる。初めての感覚だった。警備隊に入っていても、やはり貴族という立場は邪魔をする。誰かからの遠慮や忖度、時に嫌悪感を浴びるのは日常の事。その日常の中で彼は、対等な一人の人間として扱ってくれる。


 特別に扱われないということが、こんなに嬉しい事だとは思わなかった。


「ミネルさま」


 ユノーの言葉を意識の外側で聞いたあと落ち着きを取り戻すように、内側にこもる熱を出すみたいに、ゆっくりと息を吐いた。


「はい。お任せください」

「では、我々の配置を決めましょう」


 ユノーはそう言って手際よく話を進めていく。文句なく優秀な人だ。小さな所でそれを感じる。貴族という男社会で好かれる理由も、女社会で好かれる理由もあますことなく理解できる。


 これが騎士・ユノー。噂以上の男だ。


 明日が終わればもうユノーは帰ってしまうのか。そう思ってミネルはほとんど無理矢理、明日の事に意識を戻した。


 明日はいよいよ怪盗王・ユピテルがやってくる日だ。そう思うとやはり気分がほんの少し高揚する。

 自分の力を試すことはできるだろうか。できる事なら直接彼と対面してみたい。そう考える今この瞬間には、ユノーはミネルの意識の内側にはいなかった。

 この高揚が人間の正常反応ではない事を理解しながらも、ミネルは火種を消すつもりなど少しもありはしない。


 その日の夜。ユノーとその部下の大勢が大広間で食事をとった。

 たくさんの料理が並び、好きなものを好きなだけ取る。最初は行儀よく料理を口に運んで酒を飲んでいたユノーの部下たちも、酒が回れば周りも気にせずに大声で笑っている。屋敷の中央、大広間。そこにたくさんの人がいると屋敷全体が夜でも明るく感じる。


 自分の屋敷がこれほど明るく感じたことも、たくさんの人を招いたことも一度としてない。ミネルは外側からその様子を満足げに眺めていた。

 貴族たちと礼儀を重んじて食事をするよりも、こうやってみんなで楽しく酒を飲む方が自分には合っているのかもしれない。


「すみません、みんなはしゃいでしまって」


 申し訳なさそうに眉を潜めるユノーに、ミネルは首を横に振った。


「これだけ楽しそうにしてくだされば、もてなす側も嬉しいです」


 ミネルは人との繋がりの喜びのようなものを感じていた。人と繋がるということは、わずらわしいことばかりじゃないのかもしれない。


「あの、ユノーさま、」

「ユノーさまー!! カードしましょう、カード」


 部下はカードを片手にユノーに手を振った。「いいですよ」と返事をしたユノーは、部下の元に歩いて行きカードゲームを始める。

 また、昨日のお礼を言いそびれてしまった。そう思いながら、ミネルはユノーと部下のやり取りを少し離れた所から見ていた。


「キング! 僕の勝ちだね」

「残念です、ユノーさま。……ジョーカー!! 私の勝ちですね」


 ユノーは何か言いたげに口を開いたが、溜息を吐き捨てて「また負けたー」と言いながら頭を抱えた。ユノーのその様子を部下たちは酒を片手に楽しそうに見ている。ユノーは初日とは違い、ゆっくりと自分のペースで酒を飲んでいた。


 恥ずかしさを感じるくらい優しい微笑みを浮かべていたことに気付いたミネルは思わず表情を引き締める。しかしカードゲームで楽しそうに笑うみんなをみていると、また笑顔が溢れた。


 もしかすると自分は今まで、自分で定めた型に自分自身をはめようとし過ぎていたのではないかと思った。自分は案外人間が好きだという事を、今知った。知らなかった。今まで自分がにぎやかな場所が好きだったなんて。


「ミネルさまも一緒にどうですか? ユノーさまとチェンジで」

「……私も?」

「ユノーさま、弱くて相手にならないから」


 部下にそう言われてユノーは可愛げのある表情でむっとした顔をする。ユノーはミネルに場所を譲りながら口を開いた。


「ミネルさま、僕の(かたき)を取ってください。彼は僕の部下です。どうぞ遠慮なく。ボコボコにして構いませんので」


 ユノーがそう言うと、部下たちから笑い声が溢れる。

 いじけているのが少し可愛らしいと思って、ミネルは思わず笑った。


 カード遊びに興じて本当に全員を打ち負かしたミネルが顔を上げると、ユノーの姿が見えない。また酒に酔ったのだろうか。


 ミネルは「ちょっと失礼します」と声をかけて大広間を歩いた。大広間から見える階段にも踊り場にも、二階の廊下にも姿は見えない。ミネルは大きなドアを開いて廊下に出た。食堂も違う。玄関ホールにもいない。ミネルは最後に入り口の近くにある応接間を覗いた。


 ユノーがいた。

 気を抜いた様子で足を組み、薄っすらと笑顔を浮かべながら手紙を眺めて、ひとり掛けのソファに座っていた。

 静かな時間が流れている。まるで愛しい人から受け取った手紙を読んでいるような表情に、ミネルの心臓は一度だけ大きな音を立てた。


 今日自分の部下から、恋人からの手紙でも受け取ったのだろうか。


 深入りするつもりは毛頭なかったミネルは、彼の視界の〝動く何か〟にならないようにゆっくりと踵を返して引き返そうとした。


「ミネルさま」


 しかし、指摘するようなユノーの言葉にミネルはびくりと肩を浮かせて彼に背を向けたまま入り口の外側で動きを止めた。


「逃げないでください」


 別に逃げている訳じゃないんだけど。そんな言い訳が頭の中に浮かんだが、結局口にする事なくミネルは観念して振り返る。ユノーのアメジストカラーの瞳は、彼が優しく笑ったことで見えなくなった。それを少し残念に思っている。一体どんな理由があって訪れる感情なのか、ミネルにはわからなかった。


 二人しかいない空間で無視するわけにもいかず、しぶしぶ応接室に足を踏み入れたミネルは、自分の屋敷のはずなのにまるで初めて足を踏み入れる場所のような気持ちになっていた。

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