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10:ユノーの正体

 ユノーはそれからミネルに話しかけることもなく、本当に一日空気のように過ごした。

 すぐそばにいるかと思えば、気付けばいない。ふらりと戻ってきても、話しかけることもしない。


 帰り際、ミネルが話しかけた時にだけユノーは返事をした。


「おかえりなさいませ」

「ただいま、ナージャさん」


 そのナージャの一言は不服そうで物言いたげな様子だった。気付いていないふりをして返事をするミネルをまっすぐに見てナージャは口を開いた。


「ただいま戻りました」


 しかし、ユノーが人懐っこい笑顔で言葉を発したことにより、ナージャは口をつぐんだ。そして、さっさと隣を通り過ぎようとするミネルを視線で追いながら焦った様子を見せたが、すぐにユノーに笑顔を作り「おかえりなさいませ」と言って自分に背を向けているミネルへと視線を向けて息を吸い込んだ。


「ヒースラント伯爵夫人は素晴らしいですね、ナージャさん」


 しかしユノーがにこやかに話しかけた事によって、ナージャは完全にタイミングを失い戸惑った様子でおそらくわけもわからず「ええ」と呟く。


「ナージャさんは、伯爵夫人が警備隊の仕事をなさっている所をご覧になったことはありますか?」

「いいえ、私は……」

「それは残念です。ぜひご覧になってください。荘園(しょうえん)だけでなく、広く国全体を見て改善しようという思いがおありのようでした。素晴らしい主をお持ちですね。従者(じゅうしゃ)として誇らしい事でしょう」


 ユノーがそう言うとナージャは悪い気はしないようで、「そうですかしらね」と言いながら「小さい頃からお嬢様は……」と自分が知っている〝ミネルお嬢さま〟の事を得意げに話し始める。


 ユノーは笑顔でその話に耳を傾けていた。ミネルはこの場に用はなく、つまり足を止める事もなくさっさと自室に引っ込むために大広間を通り抜けた。


 ユノーがナージャを引き離そうとしてくれている事はもうわかっていた。だから後から二人になったタイミングで感謝を伝えようと思い、自室に入った。


 使用人が様子を伺う中、ユノーとの食事を終えたミネルは彼を探していた。しかし彼は食堂にも、玄関ホールにもおらず、応接間を覗いたがそこにもいなかった。

 こんな時間に庭に出ている事もないだろうから、おそらく自室にいるのだろう。もしかするともう休んでしまったのかもしれない。


 その日、ミネルはなぜかあまり眠ることが出来なかった。


 次の日の朝。騎士・ユノーの部下と名乗る男たちがやってきた。

 全員疲れを隠し切れていない。長い距離を旅してきたのだから当然だろう。


 ミネルは騎士が差し出す国王陛下からの手紙を受け取った。彼らは間違いなく、陛下の命によって訪れた騎士たちだ。


「ユノーさまは庭にいらっしゃいます」


 ナージャの言葉に、数十人の騎士とそれからミネルがユノーのいる庭に向かった。


 心臓の音がうるさい。

 地面を踏みしめる自分の足の感覚がない。


 ユノーは初日同様、花を眺めていた。

 彼の背中が段々と近づいてくる。


 ユノーは軽く息を呑むと、花を見る事をやめてこちらを振り返った。


 これで、彼の正体がわかる。


 彼は騎士・ユノーか。

 それとも怪盗王・ユピテルか。


「おいて行かないでください、ユノーさま」


 男はユノーを見て、いつも通りと言った様子で話しかけた。

 ユノーは申し訳なさそうに眉をひそめて笑う。


「ごめんなさい。急ぎと言われたので、急いで行かなきゃと思って」

「それにしても早すぎますよ」


 ユノーは部下たちに囲まれて笑っている。誰一人、彼を騎士・ユノー以外の何物かであるとは疑っていない。


 本当にこの男は騎士・ユノー。怪盗王・ユピテルではなく、まぎれもない本物。


 ミネルはゆっくりと息を吐く。そして自分が、心底安心している事に気付いた。

 ユノーの正体が、怪盗王・ユピテルではない事に。


「まず、作戦を考えましょう。ミネルさま、食堂をお借りしてもいいでしょうか」

「ええ、勿論。使ってください。後の事はナージャか使用人に」


 ミネルはそう言って踵を返そうとした。


「待ってください。ミネルさま。ミネルさまも一緒に来てくださいませんか」

「私も?」


 ミネルは驚いて、珍しく感情を表に出してユノーを見る。

 しかし彼は、いつも通りの人懐っこい笑顔を浮かべている。


 ユノーの部下たちがざわつくのは当然だった。女性を、しかも伯爵夫人を作戦会議に参加させるなんてユノーは何を考えているのだと思っている事だろう。ミネル自身もユノーが何を考えているのか、全くわからなかった。


「ヒースラント伯爵夫人は新設された警備隊の第一線で活躍なさっている方です。当然、この屋敷の事は誰よりも詳しい」


 ユノーの口調に、部下たちを説得させるつもりはないように思えた。押しつけるような何かはなく、ただ現状をありのままに説明しているだけのようだ。だからきっと、誰もが抵抗なくその事実を受け入れて、次の言葉を受け取る準備をするのだろう。


「力を貸してください、ミネルさま」


 こんな真っ直ぐな言葉を言われて断れる人間がいるのだろうか。


「私でよければ、喜んで」

「よかった。では行きましょう」


 ユノーはそう言うと、ミネルに微笑みかけた。その様子を彼の部下たちは微笑ましい光景と言わんばかりに見守っている。彼はどうやら部下にも恵まれているらしい。と言うよりも、ユノーが上司だからこそなのかもしれない。


 ユノーの部下を迎え入れる為に、いつもは一列の食堂の長いテーブルが二列並んでいる。それぞれ椅子が向かい合わせに並べてある。


「ミネルさまはどうお考えですか」


 人がいるわりに静かな食堂の中に、ユノーの声が響いている。


「私が封蝋印(フォブ・シール)を身につけて、ユピテルを待ちます」

「それはつまり、おとりになるという事でしょうか」

「そうです」


 〝おとり〟というワードをユノーから聞いた彼の部下たちは驚き、口々に何か言っている。こればかりはおそらくユノーも否定するだろう。自分が守るべき対象物を女に、しかも伯爵夫人に預けるのだから。


 しかしミネルはこれが最適解だと思っていた。そしてまるで思い出したように、下腹部をほんの少し締め付ける高揚が襲ってくる。

 怪盗王・ユピテルがこの屋敷にやってくる。どうしてこの高揚感はしばらくやってこなかったのだろう。そこまで考えて、ミネルは考える事をやめた。


「それが一番、封蝋印(フォブ・シール)を盗られる可能性が低いというのがミネルさまの考えですね」


 ユノーはミネルの想像に反して、否定することもなく柔らかく事実をなぞった。


「……そうです」

「わかりました。僕の考えを申し上げてもいいでしょうか」

「どうぞ」

「ユピテルがもし悪逆非道な男である場合、危険ではないかと思います。もしミネルさまに万が一の事があったら、」

「私はこの封蝋印(フォブ・シール)の持ち主で、この屋敷の主です。守り通せないくらいなら、」

「僕が嫌なんです」


 ユノーの真っ直ぐな視線に、ミネルは思わず押し黙った。


「僕は封蝋印(フォブ・シール)だけではなくて、あなたの事もお守りしたいんです。ミネルさま」


 真摯な表情をしている。忖度もせず、しっかりと真っ直ぐに自分の意見を口にする。話を聞いていた屋敷のメイドたちがはしゃぎだして、それをナージャが改めるように指摘する。


 ミネルはと言えば、ときめきとは程遠い感覚を抱いていた。毒気を抜かれたような、戦意喪失したような気持ちだ。理由を辿れば、対等に扱ってくれている事かもしれない。貴族と言う立場を格別に敬うのではなく、真っ向から向かってきてくれる相手。

 ミネルはそれが嬉しかった。


「僕に封蝋印(フォブ・シール)を預けていただけませんか」


 この人になら、預けてみていいのかもしれない。

 きっとちゃんと守ってくれるだろう。


「必ずユピテルから守り抜きます」


 この人ならきっと――

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