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新浜智咲④

金曜日のレイトショーは意外に人が多い。今日も十人ほどがいた。楽しみにしていたので、上演の初日に入ったというのも人がそれなりにいる理由だろう。

 暗くなったショッピングモールを歩きながら、映画の余韻に浸っていた。内容は、恋愛要素の強いファンタジーで、小説で気に入っていたものが実写化されると聞いて、楽しみにしていた。

 解釈は様々なので、自分自身に思い浮かんだものと違うキャラクターの動作や俳優さんの容姿については、あまり気にならない。むしろ、自分とは違う解釈を見るのは新鮮で、新しい発想に出会えるのは好きだった。

 対照的に、姉の絵里はイメージと違う解釈には不快感を抱くタイプだった。一緒に映画を行くのは好きだったが、こういう風になると彼女は不機嫌になるので面倒で嫌な気持ちになった。そのため、大学生になると一人で行くようになったのだ。作品の感想は自分だけの中に収めていたいので、姉だけではなく、誰かの感想を聞く煩わしさは今も持っている。

 明日は休みで、一日中本を読んでいられる。前職がかなりの時間勤務していたので、休みが多いのがまだ体に馴染んでいない。そろそろ、正規雇用に戻ろうと考えてもいるので、就職活動もするならこの期間が一番ゆっくりしていられるのは分かっている。

 パンフレットは、次回買わないとな。

 レイトショーは売店が上映後は閉まっているので、買うことが出来なかった。近いうちに、再度買いに行こうと思う。気ままな生活を今は満喫しよう。この後どうなるのかはわからないが、ゆっくりした仕事に就こうとは考えていない。

 店舗の状況はここにきて、四月中旬から少しずつ変わっていた。あの言い争いをしてから半月。山内さんは何かをきっかけに、自分自身の仕事の仕方を見つめなおしたようだ。

 以前までは事務所にこもりがちだったのに、時間を見つけては売場に出てきては従業員と一緒に作業をする機会を作るようになった。話を聞き、職場の環境を整えようと奔走している。

 特に変わったのは、売場にいる際の接客だ。彼女がいるかいないかが分かるほど、彼女が接客をしているときは店内が明るくなる。山内さんのアルバイト時代を知っているベテランのパートさんは、あれが山内さんと言って懐かしそうに見ていた。

 店長や副店長は、アルバイトと違って孤独になりがちだ。オーナーと従業員に挟まれて数値の責任を負う立場であり、何をすべきかが見えなくなってしまうことがある。私の担当した店舗でもそういった方を多く見てきた。

 相手に寄り添った行動も必要だが、本音をぶつけて改善を促すのも重要。同じ経営相談員に教えてもらった言葉だ。踏み込みが甘かった私に比べて、彼女はお店と喧嘩をしながらでもぶつかっていた。

 私は何もかも中途半端だったな。

 帰路に就きながら、首を横に振った。昔のきつかった時期を思い出すのはまだやめておこう。山内さんにはあれだけのことを言っておきながら、自分自身は何もできていない。結局後輩にも追い抜かれて、気持ちを勝手に崩して自滅しただけ。こんな気持ちを引きづっていては、新しい仕事を探すのは難しい。

 今回の山内さんの行動変化は、明らかに彼女の中に眠っていた本音を引き出したに過ぎない。私はただ火種を起こしただけだ。それに、中西さんが何かをしているはずだ。

 売場作成の追加で週一回午後に顔を出しているが、それもあと少しで落ち着くか。ゴールデンウイークを過ぎた五月の中旬。六月には就活を始めてもいい気がする。短い期間だったが、何かきっかけを残せたのであれば、思い残すこともない。

 そろそろ、話してみようかな。いきなり決まって抜けるのは迷惑が掛かるので、まずは報告だけでもしておこう。あまり深く突っ込んでしまう前に、自分自身の進路をきちんと整理しておく方がいい。

 翌日、事務所で帰宅の準備をしている際に、想定に反して山内さんから話しかけられた。

「新浜さん、ちょっといいですか」

 最近は眼鏡も外して、明るい表情で話している。みんなもすぐに帰るのではなく、何か雑談をして帰るようになっていた。山内さんの雰囲気が変わり、話しやすくなっているのだ。

「どうしました」

 目くばせをして、みんなが話を終えて帰るのを待った。それまでは、みんなの雑談に参加をした。

 発注をしながら話をしていた山内さんが、私の方に向き直った。

「中々話を出来なくて、ごめんなさい」

 先ほどと違って、声のトーンが落ちた。

「いえ、山内さんが明るくなってみんなも働きやすくなったって言っています。疲れてはいないですか」

 皮肉に聞こえないか注意をして話した。彼女は笑顔を作った。

「疲れてないですよ。むしろ、何もしない時間が長かったときの方が疲れていました。今は、毎日が変化の連続で、疲れている暇がないほどで」

 いつも着ている白いシャツのアイロンもきちんとかけており、何か吹っ切れたのが目に見えてわかる。小さな変化だが、この無意識の変化こそが仕事の大きな変化につながっていくのだ。

「素晴らしいです」

「新浜さんのおかげです。あの時は、ひどい言い方してすみませんでした」

「謝らないでください。別に気にしていませんから」

 私は手を振って見せた。本当に気にしていない。むしろ、変わってくれたのならありがたいくらいだ。

「それなら、よかったです。それで、実はお願いがありまして」

上目遣いで彼女は私を見た。

「なんですか」

「この後、夕方にお時間を頂くのは可能でしょうか」

「別に構いません。何時にしましょうか」

 その場ではないので、結構重い話のような気がする。

「ありがとうございます。そうしましたら、十七時にここに来てください。よろしくお願い致します」

 コンビニに務めていると、勤務時間の関係で時計の読み方は二十四時間表記になる。午後何時という話の仕方をしないのは、業界では当然のようになっている。

 私は一度自宅に戻ると家事をこなして、再び夕方に出る準備をした。

 映画を見に行ったり、本屋に行ったりは週に一回ほどにしているので日中は家にいるのが普通になっている。母親の代わりに家事をして、出来ていなかった自分の部屋の掃除をしていた。

 私の実家の部屋は久美との共有なので、無理やり設置された二段ベッドの下段が私の主なスペースで、そこに昔集めていた本が所せましと並んでいた。そのせいで、寝られるほどの隙間が無く、今は久美が寝ていた上段で寝ている。読まなくなったものは、この期間に売りに出すつもりだ。

 やはり、自分は働かずに生きていることを窮屈に感じるタイプだと実感した。退職金もある程度は頂いているので、もっと趣味に時間を使ってもいいはずだが、何もしていないという感覚が抜けずにうしろめたさを感じながら生きている。

 両親は、大学生になると勝手に出ていく娘達に寂しさを感じていたので、理由は何にせよ、帰ってきた娘にもう少しいてほしいという気持ちを隠さない。だが、私はこのままでいるつもりではないので、さっさと次の仕事を見つけるべきだ。

 おそらく、この後の話では私に仕事に関しての相談が来るのは確実。この仕事は好きだが、退職を決めたあの日に私はコンビニでの仕事に一つの区切りをつけた。つなぎの期間として今は働いていても、正社員での復帰は考えていない。

 狭い部屋に置かれている洋服ダンスを開けた。クリーニングにかけられたスーツがかけられており、返却されたときにかかっていたビニールから出されずにそのままにされている。ここに戻る前に、久美が回収してクリーニングに出してくれたのだ。

 いつか、またこの服を着て働くんだ。

 姉の姿を見て、ビジネススーツを着て働く姿に憧れた。引っ込み思案なのに妙なところでお節介な私が出来そうな仕事として入社したコンビニエンスチェーン本部。オーナーさんの生活、いや、人生を支えるのだという使命感に燃えて働いたあの頃は楽しかった。

 ただし、それだけではない営業成績のプレッシャーや店舗での問題への対処で気持ちをすり減らしていった。仲間が評価されていく中、自分のやっている仕事に疑問が生まれていった。その気持ちが大きくなり、目の前の評価に焦って、周りが見えなくなっていった。

 その時、新しく配属された相談員が中塚翼だった。彼女は器用でなんでもうまくこなす。そして、彼女がいるだけでその場の雰囲気が明るくなった。私のような影の存在には、彼女はまぶしすぎた。

 最初は先輩として相談に乗っていたが、彼女の存在が段々と重くなり、避けるようになっていた。彼女はそれでも私を頼ってくれたのに、私は受け入れを拒んだ。

 お前、薄情だな。

 一番言われたくない人からの言葉を思い出して、背中にどっと汗が流れた。思わず、タンスを強く閉めてしまった。

 今はまだ思い出したくない。無くなった自信、人間関係、中塚への態度への後悔。何もかも、私が原因で引き起こされたトラブルの数々。時を戻せたらという気持ち以上に、忘れ去ってしまえないかとひたすら胸を締め付ける。

 部屋着を脱ぐと、インナーに袖を通して、水色のブラウスを着てダークグレーのパンツをはいた。仕事着に近い形になったが、おしゃれをしていく場所でもないので動きやすい恰好を選択した。

「少し出てくるね」

 家を出る際に、母に声をかけた。

「あら、夕飯はどうするの」

「帰ってきたら、ここで食べる」

 言い残して、家を出た。夕方でのまだ明るさが残る時期に差し掛かり、夜の気温も高い。汗をハンカチで拭きながら、店舗へ向かった。

「おはようございます」

 午後五時の十分前にお店に着くと、事務所には夕方の従業員が揃っていて山内さんが雑談を交えながら引継ぎをしていた。

「新浜さん、ごめんなさい。少し待っていてください」

 頷いて、机に向かうと、中西さんが座ってパソコンを打っていた。私に気付き、お辞儀をした。彼女とはそんなに話す機会がなかったので、お互いにまだぎこちなさがある。

「みんなのおかげでセールの販売がいいから、このまま継続しておすすめ販売をお願いね。それから、今日はこのまま私お店出るから、北村はみんなをまとめてね。よろしく」

 三月に入ったばかりの女の子だが、彼女は明るくてみんなのリーダー的な存在だ。部活では主将の経験があるらしく、周りを見ながら働けると山内さんが話していた。

「了解です」

 敬礼の真似をして、無邪気に笑っていた。周りもケラケラ笑っていて、雰囲気は本当に良くなったと思える。一緒に中西さんも笑っていた。

 みんなが出ていくと、山内さんは向き直った。

「待たせてすみません。午後の人には話してあるので、このまま出ましょうか」

 すでにユニフォームを脱いで、シャツに黒いカーディガンを羽織っていたので、ロッカーから鞄を出すと出発の準備が出来ているようだ。隣の中西さんも、パソコンを閉じると鞄に入れて、立ち上がった。

「ここではないのですね」

「ゆっくり話したいので、場所を変えましょう」

 表情に嘘が付けないタイプなので、硬くなっている姿を見てやはり軽い話ではないのだと改めて身を引き締めた。

 大きな鞄を持った二人についていくように、私はお店を出た。電話が鳴り、中西さんは距離を取って歩き出した。

「別に、シリアスな話ではないので硬くならないで下さいね」

 硬い表情を崩せない彼女の精いっぱいの嘘を笑顔で頷いた。

 近くの喫茶店に入ると、彼女は店内の奥の席を選んで座った。中西さんは電話を終えて遅れて入ってきた。

 中西さん、山内さんが同じ席に座り、私は向き合っている。

「コーヒーでいいですか」

 中西さんは訊ねると、店員を呼んだ。

「すみません、アイスコーヒー三つお願い・・・」

「あと、このチョコレートケーキもいいですか。二人はどうですか」

 山内さんが無邪気に割って入った。この誘いは、二人とも断った。

「ごめんなさい、シフトに入っててお昼食べていないからお腹すいちゃって」

 まだ二十一歳の女性らしく、笑顔に無邪気さが残る。改めて見ると、二人とも美人だ。派手さはないが、大きな目と綺麗な目鼻立ちをしている。

「私から切り出しますね」

 中西さんに告げて、私に山内さんの大きな瞳が向いた。

「二つありますが、まずは改めてのお願いです。接客コンテストに出ませんか」

 諦めてはいないかなと思ったが、やはりこの話か。

「その話は以前お断りをしていましたが」

「あの時は、失礼しました。私の中で、何となく参加しよう、参加さえすればグループ内での見え方も変わるし、都合がいいと思って安直に誘ったのが事実です」

 一度、中西さんの方を見た。不安そうな表情で、中西さんは頷いた。うっすらではあるが、気が付いていた内容なので、あまり驚かずに聞けた。

「新浜さんに言われて、カチンときました。従業員を見られていないのは百も承知でしたが、人から指摘されるのは嫌でしたので。でも、それと同時に周りにも問題視されているのであれば、何とか改善しないといけないと感じました」

 そこで先ほど注文をしたコーヒーとケーキが到着した。山内さんは店員にお礼を言ったものの、手を付けずに続けた。

「中西さんに誘われて行ったコンテストを見て、私の考えが変わりました。いや、もう一度目指していた店舗を作ろうと決意しました。明るいお店で従業員もお客様も楽しく笑顔にできるようなお店にしたいって」

 身を乗り出すように強い言葉で続けた。

「すごく、その気持ち感じますよ」

 穏やかな口調で、私は答えた。山内さんの表情が緩んだ。

「ありがとうございます。その中で、やはり新浜さんに出ていただきたくて今回はお願いしました」

「その理由は、何でしょうか」

「店舗の成長と一緒に、新浜さんの成長につなげて頂きたいです」

 まっすぐな視線で、彼女は私に話した。

「私の成長ですか」

 益々意味が不明。嫌な気持ちはしないが、理由が想像とは別の方向に出てきたので、彼女の真意が読めない。ただし、私に出てもらわないと困るといった、向こうの都合のみでの話の仕方には見えない。

「裏で様々に考えていただいて、私にもお店にもいい影響を与えて頂いたことはすごく感謝します。だから、今度は私が新浜さんを主役にしたいだけです」

「そんな、無茶苦茶な」

 思わず、本音が飛び出した。私が主役なんて、別に誰も望んでもいない。

「従業員全員の個性と課題を見極めるのも、私の大切な仕事だと思っています。新浜さんは平均的に仕事が出来るけど、接客は今一つ弱い気がします」

 おっしゃる通りではある。私の接客は自慢できるものではない。だからこそ、今回の誘いは納得が出来ない。

「その通りです。ですが、他にも候補がいると思うのですが」

 今回は想定内だったようで、山内さんの表情は変わることがなかった。横から、中西さんが口を挟んだ。

「新浜さんは、みんなを引っ張っている存在ですから、接客でもお手本になってほしいという気持ちがあってのお願いです」

 ぎこちない説得で、語り掛けてきた。見かけに似合わず、不器用な人なのだろう。

「すみません、やはりこのお話はお断りします。元々、人前に出るのは苦手なもので」

 私は頭を下げた。ため息が聞こえる。どちらが吐いたかはわからなかった。

「わかりました。その件は、一度保留にしましょう」

 諦めないのか。今度は私が心でため息をついた。

「もう一点ですが、ここも一つ謝りたいです」

 ブラックのコーヒーを口に含むと、彼女は切り出した。

「新浜さんの前職、中西さんに話そうと思います」

 不思議そうな表情で、中西さんは首を傾げた。

「別に構いません。何か、お考えがあるのでしょうから」

 熱のない返事をした。山内さんを信頼する気持ちがあるから、この提案には文句はないが、正直に言えば出してほしくない。

「ありがとうございます。中西さん、実は新浜さんは元経営相談員です」

「あの、意味がわからないのですが」

 追いついていない中西さんに、山内さんが丁寧に説明をした。その間に、私はコーヒーにミルクとガムシロップを入れて飲んだ。

「つまり、新浜さんは私の先輩だったという話ですね」

 気持ちを落ち着けるように、中西さんは最初に置かれていた水を一気に飲み干した。

「なんで、このタイミングで」

 私は、山内さんに訊ねた。

「こちらは、あまり店舗に関係のない話かもしれません。中西さんの相談を聞いて、何か助言を頂ければと思いまして」

「別に、その話はいいって言ったじゃない」

 中西さんは、強く否定した。しかし、山内さんは続けた。

 内容としては、会議時や普段の行動で、彼女が先輩の相談員に意地悪をされているとの話だ。自身の行動と重なり、あまり聞きたくはなかった。

 困ったことがあっても、教えてもらえず、孤立しても誰も助けてはくれない。仕事を見直す前に、新しい仕事が増えてしまって正直追い詰められているとの話だ。

 この仕事にありがちな内容。ただの営業職ではないので、依頼されている内容への対策が多く、経験がないと問い合わせの仕方からわからないことが多い。要領よく先輩に聞けるスキルが必要になるが、中々先輩に電話をするのは憚られるものだ。

 女性の相談員は少なかったが、近年は増えつつある。会社もそれに合わせて、なるべく先輩の女性相談員がいる地区への配属をさせるケースが増えていた。

 確かに、女性は女性の方が質問をしやすい傾向はあるが、すべての女性に当てはまるものではない。聞いている限り、先輩の女性相談員は中西さんの存在を最初から疎ましく思っていたのだろう。

「以前申し上げた通り、相談員を離れて二年がたちます。仕事の仕方も変わりましたし、内情が分からない限りは、適切なアドバイスができるとは思えません」

「そうですか・・・」

 こちらの回答には、山内さんは寂しそうな表情をした。

「麻依ちゃん、心配させてごめんね。それに、気を遣ってもらってありがとう。頑張るよ、私」

「適切なアドバイスには不安がありますが、力になれないとは言っていません」

 話を切り上げようとした中西さんを制した。

「いや、そんな・・・」

「お話を伺う限り、そのままでいるのはよくないと思います。仕事の仕方を見直したいのであれば、手伝わせてください」

 私は、強い目で中西さんを見た。彼女は明らかに困惑をしている。当たり前だ。ここへ呼ばれたのはコンテストへの出場の後押しだったのだろう。想像だにしない内容に驚きを隠せずにいる。

「でも、それはおかしいです。元相談員とあればお聞きしたいこともありますが、お店の従業員さんに質問をするなんて、やはりできません」

「まあ、私の能力も分からないうちから頼りにしてなんては言いません」

「いえ、疑っているのではなく・・・」

「この状況をどうにもできないと感じているなら、常識を気にするのはやめませんか」

 親友の言葉を借りて、中西さんに問いかけた。私がダメになった時、言われた質問をそのまましてみた。

「そうですよ。今日の主題は、それです」

 もう一度、山内さんが身を乗り出した。

「私は、新浜さんと茜ちゃんに大事なことを気付かせてもらった。だからこそ、二人にも同じように何かいい意味での変化を起こしてほしくて」

 力強くまとめた。各々に何かの変化を起こす。まるで、私の現状を悟っているような話だった。無論、彼女は何も知らないはず。なのに、核心を突かれたような気分になった。

 いや、ここで深みにはまってはいけない。

 いち早く、抜け出す方法を考えようと決めたばかりなのに、逆に仕事に入っていくのはごめんだ。私にはできなかったのだと、強く念じた。

「そうですね。確かに、今の私にはどんな話でも必要だと思います。新浜さん、お力を貸していただけませんか」

 中西さんは頭を下げた。

「かしこまらないでください。出来る限りお力にはなりたいです」

 ほっとした表情で、山内さんはコーヒーを飲み、ケーキに手を付けた。

「ありがとうございます。中西さんには、力になってもらっています。会議の時に嫌な思いをしている姿を見たくないので」

「迷惑をかけて、ごめんなさい」

 謝る中西さんが、あの頃の中塚につながる。こうやって、申し訳なさそうにする中塚を半ば強引に誘って、相談を一緒に解決しようと考えた。そのうち、彼女も積極的に私に質問をするようになっていった。

 新浜になんて質問しても、ろくな回答来ないだろう。

 周りからそう言われても、中塚は否定していた。でも、その言葉を聞くのが嫌で、私は段々と彼女から距離を取ってしまった。

 あの頃は自分のキャリアが軌道に乗らず、もやもやしていた時期だった。周りからも、新浜は仕事が出来ていないと思われているのではないかと疑心暗鬼になって、深海のような見えない闇の中をもがいていた。そんな中で出来た可愛い後輩だったが、彼女は仕事をこなしていくうちに評価が上がっていき、別の世界の住人になっていった。

 深海魚のような私が彼女に教えるなんて、おこがましい限りだ。気にせずに接してくる彼女が、私に同情をしているのではないかという勝手な妄想を拡大させて、冷たい態度を取ってしまった。彼女が困っても手を貸さず、ずっと一緒に仕事をしていた同僚からは薄情といわれるまでになった。

 そして、そのころは抱えた仕事に手がつかなくなり、気が付いたら深い闇の中に沈んでしまったのだった。

 自業自得といえば、それまでだが。

 休職という判断もあったが、彼女への罪悪感が現場への復帰を拒んだ。病院で受けた鬱病の診断結果もあり、両親から実家へ帰ることも強く勧められた。

「私はそろそろ帰らないと、義実家に息子を預けているので」

 ケーキをぺろりと平らげると、多めの代金を置いて、山内さんは立ち上がった。

「新浜さん、ありがとうございました。でも、私諦めません。コンテストはあなたにとって必ずプラスになると思ってますから」

 私の返事を待たず、彼女は三人分の代金を置いて先に店を出た。おそらく、二人でしか話せない内容もあると感じて、気を遣ってもいるのだろう。

「あの、山内さんは心配してくれていますが、そんな無理しなくてもいいですからね」

 不安そうな顔で、中西さんが呟いた。お互いに、もう一杯アイスコーヒーを注文した。

「別に構いませんよ。むしろ、先ほどのお話を聞いて心配はしています。普段のお店では従業員として接してください。相談事は、別な場所でするようにしましょう」

 まず、私は手帳を出すと彼女から今の悩みを聞き取った。

 仕事の進め方、店舗でのコミュニケーション、回答が出来ずに困っていること等、よほど追い込まれていたのか、今までの距離感を考えずに彼女は喋り続けた。

「まとまりが悪くて、申し訳ございません」

 手帳のノート部分が二ページほど埋まるまで、彼女の話は続いた。話を終えるまで、私は一切の回答をせずにペンを走らせた。この方が、話しやすいはずだ。

「いえ、じゃあ今日は簡単に回答できる部分だけ話しますね」

 今度は、聞き役と話し役を交代した。まずは私の経歴を簡単にまとめながら、どういったタイプの相談員だったかを話す。相談員にもタイプがあるので、彼女に仕事の仕方が合わなければそもそも相談には乗れない気がした。

「私も先ほどの中西さんのように、相手に何か言うのをためらってしまうことが多かったです。なので、データを集めて話す内容をきちんとまとめてからお店に行っていました」

「きちんとですか・・・」

「そうです。今までもやっていたと思うけど、相手の回答を想定していましたか」

「自信を持って想定していたとは言えませんでした」

 相手の仕事を否定しないように、自分の意見をかぶせていく。特に、今の彼女は自信というメッキがはがれた状態。せっかく助け舟を出してくれていると思って寄ってきているのに無下に扱えば、気持ちが壊れてしまう危険性もある。コミュニケーションをとったことのない人間相手なので、なおさら気を遣って話す必要がある。

「じゃあ、自信を持てる準備をすればいいだけ。最後は気持ちですよ。中西さんが自信を持って行けばお店も安心します」

 すべてとはいかないので、まずは朝の仕事のまとめ方や簡単なデータの見方を話した。この辺りは、時代が変わっても参考になることはありそうな気がする。すべてを真似するのではなく、自分にはまりそうな方法を試してと予め説明をしていた。

 二時間程度話をして、切りのいいタイミングで区切った。

「とりあえず、今日はここまでですね」

「ありがとうございました。すごくわかりやすくて、勉強になりました」

 彼女はノート数ページにメモを走らせて、パソコンで書類を何枚か仕上げていた。不安は若干消えて、店舗では見せない明るい表情を見せた。

「新浜さんは、どちらで経営相談員をされていたのですが」

「私は、K県です」

「そうなんですね」

 聞いてみたが、共通した話題が無かったようで彼女は目を背けた。

「こんなに色々教えていただいたのは初めてで、後輩にもこんなに丁寧に教えてくれる先輩がいて、羨ましいなって思いました」

「現役でやっていた頃は、私もここまではしてあげられなかったから」

 あまり過去を詮索されたくないので、私も目をそらした。

「すみません、踏み込んだ話をしてしまって」

「いえ、いいですよ。いつか、そんな話も出来るといいですね」

 せっかく心を開いてくれたのに、ここで不愛想な態度はまた距離を開いてしまう。

「次は、現役の人間を連れてきます」

「私にとって、先輩ですか」

「来てくれるかわかりませんが、私よりも知識が深いので今日のいくつかの課題も解決できるかも」

「でも・・・」

 不安になって当然だ。特に、彼女からすれば得体のしれない先輩社員になる。一応、名前だけでも出してみるか。ただし、来てくれるかは確証が持てないので一旦保留にしよう。

「大丈夫です。彼女は困っている人間を放ってはおきません。でも、今はどんな状況かもわからないので、来られるタイミングで連絡しますね」

「何もかも、ありがとうございます」

 彼女と携帯電話の連絡先とチャットのIDを交換すると、その日は別れた。帰宅のタイミングで丁寧なお礼のメッセージを入れているあたり、根っからの真面目な人間なのだと改めて思った。

 結局、就活を始めることは言えなかった。色々抱えてしまったが、ここに長くいるつもりはない。改めて、機会を伺いきちんと話をすることにした。

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