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山内麻依②

 ババア、ふざけるなよ。

 自動ドアのセンサーに合わせてチャイムがなっている事務所で、しばらく私は動けなかった。

ただ素直に働いていると思ったら、いきなり噛みつきやがった。

 このままこの格好でいるわけにはいかない。引き出しから乱雑にチョコを取り合出し、一気に口に入れて、それをコーヒーで流し込んだ。怒りで体が震えているのを、深呼吸で落ち着かせる。

 予定が狂ったこと以上に、従業員を見ているかという質問に感情を抑えられなかった。

 人が一番気にしていることを言いやがって。

 見ようにも、今はまともな戦力にならない状況を無理して切り盛りしているのは誰だと思っているのか。もう少し、私のことを理解していると思っていたが、とんだ思い違いだった。見せてはいけない姿を見せたのも、今さら後悔している。

 これで退職されたら、また振り出し。

 呆然としているところで、ノックが聞こえた。このタイミングで、打ち合わせの時間でもないのに茜が入ってきた。手には折り畳み式の黄色のバインダーを抱えている。

「おはようございます」

 ぺこりと、頭を下げた。コンビニの世界では時間構わず、どの時間もおはようございますが挨拶になっている。

「ああ、おはようございます」

私の様子に気付き、茜は首を傾げた。

「何かありました。元気ないですね」

 笑顔を作り、彼女は問いかけた。話したくない気持ちを、その表情が溶かしていくのを感じた。

「新浜さんに、コンテスト断られました」

「ええっ」

 茜も驚いていた。私の自信満々の表情を見ていた分、まさかと思って当然だ。

「なんで」

「私を選ぶ意味は何ですかって。ちょうどいいからに決まってんじゃん」

 思わず本音が漏れた。まあ、茜ならいいかなと気が緩んでいる。普段通り、共感して一緒に笑ってくれると思っていた。

 しばらく、茜は考え込んでいた。言わない方がいいか迷っている表情だ。

 先ほどの新浜の表情が重なって、不愉快な気持ちになった。

「何かいいたいことあるの。隠さず話してください」

 茜は黙って、バインダーを開いた。

「せっかくなら、麻依ちゃんも一度見た方が説得もしやすいかなって。だから、県大会の見学の案内を持ってきたの」

 一枚の書類が目に入ってきた。コンテストの県大会の案内状だ。地区大会を優勝した人間が進む大会で、見学が出来るとの話だった。

「いいよ、興味ないから」

 ちらっと、茜を見た。意地悪な回答だが、自分も断られたばかりで八つ当たりをしたくなったのも事実だ。

「いや、これは絶対見ましょう。だって、新浜さんだって優勝したら次は出る大会ですよ」

 珍しく、彼女は強めに誘ってきた。

「優勝って」

 笑ってしまったら、茜は眉間にしわを寄せた。

「まさか、ただ出場することが目的だったわけではないですよね」

「いや、その・・・」

「やっぱり、見に来てください。絶対、その方が伝わる」

 半ば強引に、見学の申し込みをさせられた。平日の午後なので問題はないが、出来れば昼寝したい時間だったのにと気持ちは落ちていく一方だった。

 翌日、昨日の気まずさをよそに、新浜は笑顔で挨拶をしてきた。

「おはようございます、昨日は失礼しました」

「おはようございます。こちらこそです」

 予想をしていなかった分、ぎこちない返しをしてしまった。挨拶を終えると、いつも通りに売場を綺麗に整えている。少し違和感に気付いた。他のパートも、雑談をせずに淡々と作業をしている。

 事務所にいると、シフト時間を終えた従業員が戻ってきた。

 今までのようにさっさと支度をしているが、会話が増えている。

「副店長」

 突然、新浜が話しかけてきた。

「なんですか」

「野上さんの息子さん、大学の授業決まってバイトしたいらしいですよ。夕方のシフト空いてませんでしたっけ」

「夕方のシフトですか。今は月曜日と金曜日が空いていますが」

「面接だけでも受けてみませんか。野上さんの息子さんなら、頑張ってくれそうです」

「ありがとう新浜さん。副店長、いいですか」

 私に見せたことのない、やわらかい笑顔のベテランパートの表情に驚きを隠せない。そもそも、彼女の息子が大学生になったのすら知らなかった。

 何かが変化している。新浜は、単純に売場を直しているだけではなかったのか。昼の従業員もそうだが、みんなの表情や働き方は変わってきている。

「ぜひ、お願いします」

 それだけしか言えない自分が情けなくなった。アルバイトの募集と採用は有料媒体への依頼しか思いつかず、頭を悩ませていた。まさか、こんな近くにいたとは想像もつかなかった。

 その姿を見てから、新浜は挨拶して帰っていった。野上さんの息子さんのスケジュールを決めるのが優先で、その姿を見送る以外に出来なかった。

 二週間後、案内状を持って一人でS県でも有名なホールに私は一人で来ていた。グループ内の社員を誘ってはみたものの、相変わらず反応は悪かった。新浜もあの騒動以来、誘うことはしなかった。

「おはようございます。今日はありがとうございます」

 受付付近で、茜が出迎えてくれた。本当は理由を付けて欠席するつもりだったとは言えず、ここにきてもまだ後悔はしていた。

「みんな、地区の大会を勝ち抜いた精鋭ぞろいだよ」

 担当店舗の出場もないのに、なぜか楽しみにしている茜に若干引きながらホールに進む。彼女は勘違いしているが、私はこの大会には興味がない。こんなの、本当の接客をしているわけじゃないので、ただの茶番でしかない。あの時は一矢報いたいあまりに切り出しただけで、そもそも新浜の態度ですでにやる気はなくなっている。

 こういったホールに入るのは、小学生の頃の観劇教室以来だった。適当な観覧スペースに座るとユニフォームに袖を通す。観客含めて、全員がユニフォームを着ることを求められていた。やることが無いので、スマートフォンをいじりながら始まるのを待った。

 茜は運営の手伝いがあるとの話で、席を離れて動き回っていた。そのため、なおさら何のために来たのかと不満が募る。

「お待たせいたしました。接客コンテストS県大会を開始いたします」

 司会役の本部の社員が話し始めて、大会が始まった。ルールの説明と抽選が行われ、いよいよ出場者の演目が始まる。

 各店舗の名前が呼ばれて、思い思いの接客で従業員がお客様役の本部社員に接客していく。出てくる従業員はみんな真面目に、いや、緊張しながらも楽しそうな表情で接客をしていた。無理やりに連れてこられたなんてことはなく、本人達の強い意志がここまで伝わってくる。

 きれいな切り出し方だな。お客様を見て、言い方に工夫をしているんだ。

 あの人は、笑顔が自然体。普段からあんな感じに違いない。

 はは、大きな声だなあ。こんな人いたら、絶対売場は明るいだろうな。

 無意識にバッグに入れていたノートを開いて、出場している店舗と従業員の名前、何が良かったのかをメモしていた。

 自分の中にある、接客に対してのこだわりをぶつけたい人ばかりだった。私だって、アルバイト時代に商品の売込みにはこだわりがあった。だからこそ、この人たちの努力や工夫の色が見える。

 この人が優勝かな。でも、さっきの方が明るさがあったような。

「山内さん、山内さん」

 横で話しかけている茜に気付かなかった。休憩時間を無視して、ノートを一心不乱に書いていた。

「ああ、ごめんなさい」

「すごく真面目にノートを書いているから、気になっちゃって。何をかいているの」

「いや、大したことは書いてないよ」

 恥ずかしくなって、ノートを急いで閉じた。何か気付いたような表情で、茜は追及をしなかった。

「大会はどうですか」

「想像とは違ったかな」

 最初に思っていたものとは違ったのを素直に認められずに、私は下を向いた。あんなに時間を忘れていた自分にも恥ずかしい気持ちがわいている。

「感想は、今度お店で教えてくださいね」

 好感触を得たように、茜は笑顔で戻っていった。

 あいつ、私の心を読んだな。

 悔しさで唇をかんだ。でも、仕事でここまで心を動かされたのは久しぶりだった。

 最後に表彰が行われて、優勝した従業員がインタビューを受けていた。

「この優勝を、誰に伝えたいですか」

「お店の従業員、そして、こんな私を代表にしてくれたオーナー、練習に付き合ってくれた店長に感謝を伝えたいです」

 涙を流す姿を見て、一緒に涙を流しそうになった。

 あの時に新浜を誘って、万が一彼女が承諾をしていたら、彼女はこんなことを言ってくれただろうか。

 答えはノーだ。なぜなら、私にそこまでの気持ちや情熱が無かったから。

 化粧室によってから出口に向かうと、聞きなれた声がした。

「やっぱり、山内さんだ」

 中年のユニフォームを着た男性が立っている。

「立浪さんだあ。懐かしい」

 思わず幼い声が出た。恥ずかしさがこみ上げたが、懐かしさが勝った。

「久しぶりだね。見に来てたんだ」

「はい、みんなすごかったです」

 素直に返事をした。彼は、私がアルバイトだったころの店舗担当の経営相談員だった。

 あの時は、まだ伊佐山店長がお店を見ていてくれて、社員の加藤さんが一緒に売場にいてくれた。

「今日は麻依がいるのか。じゃあ、セールの販売はもらったな」

「山内さん、よろしくね。先週の新商品も良く売れたからね」

 店長や立浪さんに明るい声に励まされて、売場でもお客様に褒められてあの頃は楽しかった。加藤さんも相談に乗ってくれるし、こんな職場ならずっといたいと思っていた。

「山内さん出ているのかと思ったけど」

「私はもう副店長で、参加資格ないですから」

 純粋な従業員の大会であって、評価をする側の店長や社員は参加資格を持っていない。私はシフト管理や従業員面接もしているため、参加資格はないのだ。

 もしあの時あったら、絶対出ていたと思う。今でも正直、負ける気はしない。

「じゃあ、今回は下見できたのか。山内さんの教えた人、見てみたいな」

「ありがとうございます。頑張りますね」

 他の人も通るので、そこまで長く話せずに話は終わった。ああいったことを言って、どうしようかな。候補者からは拒否され、大会なんてと諦めていたばかりなのに。

 電車に乗って一人で悶々と考えた。

 何が間違っているのか。

 追い込まれているのは私の周りの問題であって、こんなに頑張っても評価されない環境にいら立ちを持っていた。

 反面で、仕事が出来ていないのも自覚をしている。昼寝なんてしている場合でもないし、最近は売場すらまともに見られていない。だからと言ってこの状況をどうすればいいのか、正直分からずにいる。

―――麻依の素直な気持ちで、このお店を作ってはくれないか。

 思わぬ時期の妊娠に焦り、退職を切り出した時に伊佐山店長に言われた言葉。

 通い始めた専門学校を退学することになり、親からも叱責を受けながらの結婚。何もかもが絶望だと感じていた頃だった。

 なんなら、この子も産まない方がいいのではないか。

 暗い気持ちで店舗に行って、伊佐山店長と加藤さんに退職を切り出した時だ。

「いや、私こんなことになって・・・」

「もちろん、産休は用意する。でも、麻依がいてくれるなら、ここで社員になってくれないか。加藤を今後店長にしたいから、支えてくれる社員がいるのは心強い。席を空けて待っておくから、考えてくれ」

 その日に結論は出せなかったが、数日考えて返事をした。それが、今の副店長生活の第一歩だ。

 あの時に叱ってくれた人も私を考えてくれたからこその反応だと思う。でも、何も言わずに次の道を示してくれた伊佐山店長と加藤さんがいなければ、今の私も息子もいなかったと思う。

 その伊佐山店長に対して、、私は期待を裏切ってばかりいる。大きく息を吐いた。

 素直な気持ちで、一度原点に返ってみるか。強い足取りで、店舗へ戻っていった。

 その日はそのまま雑務をこなした翌日、久しぶりに売場に出てみた。昼の予定も空いており、普段は休憩で中抜けをするのだが、今日は両替も無いのでそのままお店に残った。

 レジに立って、カウンター内を見てみる。乱雑になっていて、使いやすさもないカウンター内。従業員にも目を向けていなかったが、至る所にケアの無さが表れていた。

「副店長、今日は外に出ないの」

 松本さんが訊ねてきた。皮肉なのかもしれない。

「いえ、今日は久しぶりに売場に立とうと思って」

 気持ちの熱があるうちがいい。興味なさげに二人は頷くと、作業に戻っていった。

「いらっしゃいませ」

 その雰囲気を壊すように、大きな声で挨拶をした。思わず、二人がこちらを振り向く。

これこれ、この感触。売場は私のステージだった。

「今日は、作業を一緒にやらせてください。感覚を忘れるといけないので」

たどたどしい言い訳をしたような気がする。それでもいいのだ。まずは素直な気持ちを取り戻したかった。

「ありがとうございました」

 お辞儀の角度、声掛けのタイミング。一人ひとり考えながらレジを打つのが気持ちいい。最近はやることが多かったせいで、レジすら面倒に感じていた。

「副店長、すごいですね」

 片倉が声をかけてきた。

「そんなことないですよ。今日は唐揚げのセールですよね。一緒に声出しをしましょう」

 声のかけ方を二人に説明して、ひたすら声をかけながら作業をする。売場の並びの確認を見て、新浜、いや、新浜さんの仕事に感心した。ここまでやってくれていたとは思っていなかった。やはり、元とはいえ経営相談員。売場の作り方は私よりもうまい。

 ぎこちない二人を励ましながら、午後の作業を一緒にこなした。途中で、常連さんが何人か話しかけてくれた。

「山内ちゃん、珍しいね。今日はいてくれたの」

「中々会えなくてごめんなさい。今日は唐揚げのセールだけど、夕飯に買っていきませんか」

 みんなに会えて、気持ちよかった。笑顔で話しかける常連のお客様に、心が洗われていく。

 途中で、いら立っているサラリーマンに暴言を吐かれた。

「副店長、大丈夫ですか」

 松本に声をかけられたが、笑顔で返す。

「お腹でも痛かったのかな。残念だったな」

 こんな時のおまじない。相手の状況が悪かっただけで、心を折ってはいけない。接客中でのこういった暴言は少なくない。慣れはしないが、切り替える術をこうやって身に着けた。

「お腹痛いって・・・」

「でも、機嫌よければ買ってくれたかもです」

 笑顔で切り返して作業を継続した。夕方の時間のタイミングで、茜が来たので事務所に戻った。

「おはよう、久しぶりに売場に出たよ。楽しかった」

「しばらくみていましたが、麻依ちゃんの接客噂通りだね」

 いつもとは違うまなざしを向けられて、正直意味が分からなかった。

「麻依ちゃんがいると雰囲気が変わるって聞いていたけど、本当にあの接客できる人中々いないよ。なんで、今までしなかったの」

「しなかったというか、なんだかなあ」

 頭を掻いた。彼女が来てからも、ここまでシフトを真剣にこなすことはなかった。けだるげに働いていた自分に後悔をした。

「コンテスト、来てくれてありがとうございました」

「いいえ、いいもの見せていただきました。こちらこそ、ありがとうございました」

「今日は素直ですね」

「あまり、からかわないで下さい」

 わざとらしく、膨れて見せた。

「やっぱり、新浜さんをもう一度説得しませんか」

 茜は切り出した。言いにくいのか、目は下に向けている。

「いや、少し考えたい」

 私は引き出しからチョコレートを出すと、口に入れた。

「諦めるってことですか」

「正直に言えば、従業員を見られていないって彼女に言われてカチンときた。だけど、それって間違っていないからイライラしたのだと思ってさ。確かに、私はすべての従業員を今は見ていないし、新浜さんになぜ出てほしいかも考えずに、都合がいいから出そうと思っていた気がする」

「どうしたの、山内さん」

「いや、なんか最近勝手に悩んでいたかなって思って。茜ちゃんと一緒にお店作りたいって言ったのに、私だけ頑張らずに、茜ちゃんに対してもどうせ何もできない癖に頑張って何しているのかなって馬鹿にしていたの。ごめんなさい」

 頭を下げた。怒るだろうな。それに失望されたかもしれない。茜は、まっすぐにこちらに視線を向けた。

「麻依ちゃん、私もごめんなさい」

 予想外に、彼女は頭を下げた。

「麻依ちゃんの態度を見て、直してほしいことはいくつもあった。私は麻依ちゃんに嫌われるのが怖くて、指摘できなかった。そのせいで、麻依ちゃんの悩みが解決しなかったのが本当に苦しくて」

「私の悩み」

「そう、麻依ちゃんは明るいお店で働きたいって話していたけど、一番暗い顔して雰囲気壊していたのは麻依ちゃんだったのに」

 ぐさりと、心に鋭利な刃物を突き立てられた気分だった。こんなにきつい話をしてきたのは、初めてだった。

「そんな風に見ていたの」

「麻依ちゃん、まだ北村さんから話を聞いていないでしょう」

「北村って、夕方の北村のこと」

 いつも明るい女の子で、今年から大学生になるのでと働き始めた従業員だ。

「彼女、面接では言えなかったけど、麻依ちゃんに中学生のころ助けてもらったのがきっかけでここに働き始めたって」

「中学生の時って」

 職場見学で会ったかな。しばらく、考え込んだ。

「高校入試の朝に、昼食を買おうと寄ったときに財布忘れたって・・・」

「ああ、あの時の子って、北村なの」

 思い出した。数年前に、朝の七時半頃に買い物にきた制服姿の女の子が、会計時に財布が無くて焦り始めたようだ。

 定期入れの中にも小銭が無く、入試の緊張とピーク時間帯が重なったせいか、ぽろぽろと涙を流し始めた。

「あの、すべてキャンセルで・・・」

 耳まで真っ赤にした女の子を見て、私は会計保留のボタンを押した。

「お財布忘れちゃったのね。そうしたら、今回は私が立て替えておく。いつも学習塾の帰りも来てくれているでしょう。大事な日ならなおさらお腹すくと、頭回らないからね」

「いや、いいです。そんな・・・」

 袋に商品を入れると、強引に渡した。

「泣かないで。入試落ち着いたら支払いに来てくれればいいから。いってらっしゃい」

 断るスキを与えず、商品を渡して軽く手を振った。

 会計は私で立て替えて、報告を忘れていた。その日の夜に、母親と一緒に来店をしたらしく、伊佐山店長には報告をしなかったことを叱られた。

「麻依らしいけど、きちんと報告はすること。次は許さないからな」

 冗談交じりに、伊佐山店長は話してくれた。その後、その女の子はお店に来ることが無かったので会えなかったのだが、それがあの北村だとは思わなかった。

「いつか言いたいって思っても、麻依ちゃんはいつの間にかいなくなっていたからって。少し前に、彼女から教えてくれたの」

 新浜さんもそうだが、茜も従業員と会話をしている。私だけが、こうやって孤立していた。

「そうか、お互いごめんなさいだね」

 大きく息を吐いた。

「私も、もっともっとみんなと明るく働きたい。だから、改めてお願いします。中西さん、力を貸してください」

「こちらこそ、全力で対応を致します。よろしくお願い致します」

 お互いに気持ちがまとまってきたタイミングで、ノックがして北村が入ってきた。

「おはようございます」

 いつも通りの明るい挨拶。ジャケットを脱いで、Tシャツの上から制服を着ようとする北村に声をかける。

「そこまで垢抜けたら、気付くわけないでしょう。入試の日って、三つ編みだったのに、今はショートヘアじゃん」

 びくっとして、彼女は振り向いた。

「副店長、覚えてますか」

「入試落ち着いたらって言ったのに、あの日すぐ来たから会えなかったじゃん」

 にこりと、彼女に笑顔を向けた。彼女が口を両手で抑えた。

「ごめんなさい、言わないままで」

 ドバっと、北村から大きな目から涙がこぼれて驚いた。

「なんで、そんな泣かないでよ」

「あの、本当にあの時の山内さんに感謝してて。これも、見てください」

 ロッカーからスマホを出すと、高校の制服を着た自分の姿を見せてきた。

「あの日の入試、合格できたのも山内さんのおかげだったのに、駅も変わって会えなくなって、部活も休みなくて、直接お礼しなくてすみません」

「可愛い制服。実物で見たかったなあ。でも、こうやって一緒に働きに来てくれただけで充分。ねえ、みんな来るから泣かないで。私がいじめたみたいになっちゃう」

 冗談めかして言うと、北村は笑ってくれた。私からすれば、他愛もない出来事で見返りなど考えてなかった。それなのに、この子はここまで考えていてくれたのだ。

 改めて、何か悪い方向になっていたのではなく、自分が悪い方向に進めていたのが大きな原因だったのに気が付いた。敵ばかりなのではなく、周りを勝手に敵対視して意固地になっていた。

 今日明日で変われるなんて思ってはいない。しかし、何か大事なものに気が付けた気がする。茜と一緒に前に進めたい。そして、直ぐにとはいかないが新浜さんと改めて話そう。

「中西さん、ありがとう」

 様子を見守っていた彼女にお礼を言った。

「よかったです」

 一緒に嬉しそうな表情の茜を見て、何をすべきかを頭にめぐらせていった。


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