新浜智咲③
売場の進捗は悪くない。私は一人で頷いた。
「本当に、すごく変わったわね」
主婦パートの松本さんが話しかけてきた。最近までレジにしかいなったが、私の作業を見ているうちに話しかけてくるようになった。
「おかげさまで。ここから、細かい品揃えの見直しをすれば完成です」
季節の売場や商品政策の話をするイベントは数週間前に終わっており、そこから考えればこのペースは決して遅くない。
山内さんから一緒に参加を誘われたが、万が一でも身内に会う危険を感じて、私は断った。
「新浜さん、プライスカードの移動終わりました」
もう一人の従業員である片倉さんが、商品の値段を表示するプラスチックのホルダーを持っていた。二十三歳の細身の男性で、現在フリーターをしている。大学を中退したらしいが理由は聞いていない。
二人とも、あまり山内さんとは話していないようで、知らないことも多かった。困っている姿を見て対応をしてから、二人とも私の仕事にも興味を持ってくれるようになった。
「本当に助かります。こういう細かい作業までやると、時間かかるので」
顔を赤らめて笑う片倉さんは、可愛いものだ。
山内さんは昼のピーク時間まで店舗にいると、午後は数時間離れている。その後、夕方前に戻ってきて午後六時には帰るという生活を続けている。
そろそろ、話すべきか。
私はすでに経営相談員でもないうえに、本社の人間ではなく彼女の部下にあたる存在。慎重に話をしないといけない。
「売場終わったら、しばらくはこないの」
松本さんが寂しそうにつぶやいた。
「副店長と話し合います。あくまでも、今回はこの時間に売場を作ろうと話していたので」
「副店長なんですが・・・」
松本さんが、複雑な表情で切り出した。
「勤務日以外に偶然見かけたのですが、彼女、近くのスーパーで、車止めて昼寝していました。お店のこともやらずに」
何となく気付いていたが、見られていたか。
「私たちと違って、色々あるみたいです。疲れているのかもしれませんね」
私は嫌味に聞こえないように、注意をして話した。悪口のような内容には迎合をしてはいけない。
思っている以上に、山内さんは従業員からよく思われていない。同時に、中西さんも同じくだ。以前の相談員は山内さんを相手にしていなかったが、店舗は巡回しており、パートさんの話し相手にはなっていたようだ。中西さんには中西さんの事情があり、その担当者によってお店へのかかわり方も変わる。しかし、副店長のお店へのかかわり方に問題があるのを、彼女は気が付いているのだろうか。
いや、気付けていないのだろう。はたから見れば、山内さんは真面目な副店長だ。お客様受けもよく、愛想もいい。特に、中西さんから見れば数少ない理解者でもある。
中西さんの役職は、自社からは営業数値のプレッシャーを与えられ、お店からは経営の相談や要望を求められる。相談が自分の成績と合っていれば問題はないが、そうではない事案も多い。
どの仕事でも当たり前のことではあるが、ただの営業マンではないという経営相談員の位置づけは特殊だ。お店との距離が離れることもあれば、親密になることもある。
親密になるのが悪いのではなく、親密になりすぎて、必要な指摘や改善のアドバイスが出来なくなるのが大きな問題なのだ。
これでは、ただの傷のなめ合いをするだけの関係になるに違いない。
そんな話をしていたところに、山内さんが帰ってきた。両替用の手提げ袋を抱えている。
「終わったのですね」
いつも通り、目を輝かせて話しかけてきた。
「少し時間かかりましたが」
「本当にありがとうございました。少し事務所で話しませんか」
そう言って、案内をされた。二人の表情が曇っているが私は軽く目で合図した。
事務所に戻ると、きていたジャケットを脱いで山内さんは椅子に腰を掛けた。
よく見ると白のブラウスは皺が目立ち、洗濯してアイロンはかけていないようだった。
「売場ですが、本当に助かりました」
そう言って、頭を下げた。綺麗な顔は相変わらずで、男性ならこんな女性からお礼を言われれば舞い上がってしまうのかもしれない。
「あと少し商品を見直せば、完成します」
「そうなんですね。そんな中で悪いのですが、実は新浜さんに一つお願いがありまして」
私は黙って、彼女の向かいの椅子に腰かけた。
「知っているかもしれませんが、従業員接客コンテストがありまして。それに出て・・・」
「お断りします」
彼女の言葉を途中で遮った。
「無理ってことですか」
「はい、お断りします」
もう一度、きっぱりと言い切った。彼女の表情が曇る。
「サポートはしますし、新浜さん接客がいいから」
「選んでいただけてありがたいのですが、お断ります」
一度上を向いてから、再度私を彼女は見つめた。瞳の中に怒りのようなものが浮かんでいるのが分かる。大きく、彼女はゆっくりと息を吐いた。
「そうですか。残念です」
食い下がると思いきや、彼女は目をそらしてうつむいた。何も言われずに静寂が流れる。
「最近、沢山のお願いをしてしまっていましたので、当然ですよね」
「いえ、そういうことではありません」
「どういうことですか」
否定を続ける私に、いよいよ口調に怒気が帯び始める。ここは言うしかない。すでに私は覚悟を決めている。
「はっきり言っていいですか」
「曖昧な話は嫌いです」
見たこともないほど、冷めた表情で答えた。彼女の普段見せることのない暗い部分がのぞいている。
「私である意味は何ですか」
「新浜さんである意味ですか。それは、接客がいいから」
「それは、このお店の従業員さんすべてを見て話していますか」
ばんっと、彼女が机を叩いた。
「偉そうな言い方しやがって。ふざんけんなよ」
そう言ってにらみつけている彼女に、私はひるまず続ける。
「疑問に思っただけです。私はこのお店を良くしていくお手伝いをしたいだけで、副店長に説教するつもりもありません。でも・・・」
「何も知らない癖して、ちょっと売場作ったからって調子に乗んなよ。こっちだって、考えながらやってんだ。事情も知らないで、余計な口はさんでんじゃねえよ」
ここでまずいと感じたのか、山内さんは深呼吸をした。
「失礼しました。今日はこれでお話は終わりにしましょう。呼び止めて、申し訳ございませんした」
目を合わせずに、下を向いて呟いた。縛っていない長い髪が顔にかかり、表情は掴めなかった。
これが大きなきっかけにならなければ、彼女はここまでだ。いや、彼女はこんなところで躓く人間ではないと思ったから本音をぶつけたのだ。
あとは、中西さんがうまくやってくれれば。
「失礼な言動、申し訳ございません。お疲れさまでした」
私は鞄を持って、事務所を後にした。