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山内麻依①

 水曜日は憂鬱だ。午後の一時からグループ店舗の社員が全員そろってのミーティングがある。各十分の尋問のような副店長報告や、経営相談員からの提案という名の大量の仕事を押し付けられて、面倒以外の何物でもない。

 こんなはずではなかった。

 最近、これしか思わない。同じ年の私よりも未来への希望も、勉強もできない奴らが化粧して街に繰り出して親の金で遊びまくっているときに、私は毎日子育てに追われて、コンビニで社員なんて仕事に就いている。

 高校の時の仲良しグループのチャットを見るたび、吐き気がして消したくなるが我慢している。あれを切ってしまうと、更にこの狭いコミュニティのみになってしまうので残してはいるが。

「副店長、チキンなくなりましたが」

 パートの宮下が事務所のドアを開けた。ノックしてと何度も頼んでいても、そのまま入る癖が治らない。

「ありがとうございます。ピーク前なので、また揚げておいてください。よろしくお願いします」

「はい」

 扉が閉じたのを確認して舌打ちをする。

 いい年して、それぐらい自分で考えろよ。

 日々、性格を悪くなっている自覚があるが止められない。ちやほやされて、人生イージモードなんて言ってくれるが、そんなことはない。エロい目で見てくる男たちのアドバイスなんてただの興味本位。私の生活を何か変えてくれるわけではないのだ。

 家に帰れば二歳の息子の世話に必死で、夫の浩紀は最近仕事を口実に夜遅くまで帰ってこない。子供の面倒を見たくないからわざと遅い時間まで時間を潰しているのに気が付いていないとでも思っているのだろうか。無駄な言い争いを避けたくて、ニコニコしているのを馬鹿みたいに信じているのだろう。

 そして、問題はこの店だ。アルバイトで入った時には明るい店だった。先輩も優しくて、シフト終わりにはご飯を食べに行っては、何時間も他愛ない話で盛り上がったものだ。

 今は、各時間帯はお互いに興味のない人間の集まりになっているし、昼のパートは夕方に働いていた人間がいきなり管理職に就いたことに納得できず、挨拶もろくに返してくれない。

 いいわよね。可愛いから社員にしてもらったらしいわよ。

 聞こえる声で話しているのを聞いて、不快感を覚えた。ただ、言い返すだけの実績も仕事の質もない現状を変えられない自分がいるのがもどかしい。

 子供さえできなければ、私は看護系の専門学校に進み、今は勉強をしながら将来の自分に希望を持っていられたのに。

 イライラして、報告書の作成が進まない。どうせ、詰められるのなら別に作り込む必要も無いか。社員専用引き出しを開けて、『ストレスを感じたあなたへ』と大きく書かれたパッケージのチョコレートを出すと、防犯カメラで誰も来ないのを確認して口に放り込んだ。

 以前、このチョコレートを無意識に食べていたら、「ストレスアピール」と周りから言われたのがトラウマになって、引き出しに隠してこっそり食べるようにしていた。

 どうしようもない状況の中で、茜は唯一の味方だ。私の現状を理解してくれて、なんとかしようとしてくれている。人の痛みを、自らの痛みのように感じてくれる優しい人だ。

 でも、如何せん能力がない。新人ってこともあるが、不器用なまま経営相談になったしまったせいで、日々自分のことで精いっぱいなのが伝わってくる。彼女のことにかまっている余裕はないし、助けてほしいのに彼女も私と同じく追い詰められている。

 絶望か。そう思っていた時に、彼女は入社してきた。面接の時点で、受け答えや話の仕方がその辺のアルバイトと違うのは感じていた。

 社会人経験のある人間の中でも、仕事への姿勢が違う。真面目な人でも小さい子供を抱えているので制約がある人が多い中で、介護はあってもある程度の自由が利く独身女性はその場でのどから手の出るくらいほしかった。

 そして、その女性がまさか元経営相談員だったなんて。

 利用する以外にないじゃないか。

 真面目に頼めば二回目で応じてくれたし、おそらくお人好しな性格をしている。最近は午後に来ては渡した書類とにらめっこして、売場の変更をしてくれている。おかげで、午後は車で近くのスーパーに行って昼寝が出来る程度になった。

 あのタイプは自分が頼られていると思えば、妄信的に仕事をしてくれる。それこそ、私を真面目だと勘違いして午後は仕事をしに行っていると信用しているのだろう。勝手にやってもらえば、少しは伊佐山にも言い訳が立つのだから利用する以外にはない。

「お疲れ様です」

 ノックをして、ちょうどよく新浜が入ってきた。一重だが目じりが下がっていて優しそうな印象を受けるタイプの女性だ。

「今日も戻ってきたのですか」

「早く雑貨売場は作りたかったので」

 にこりと笑い、私に栄養ドリンクを手渡した。

「家に、父の買い置きがあったのでこっそり持ってきました。今日は会議ですよね。頑張ってください」

 本当にお人好しだな。全部を出勤時間にせず、淡々と売場を作らせているのに差し入れだなんて。売場の変化が自分以外にないのだから、少し考えれば利用されているのか疑問位抱かないのか。

「高そうなものですよね。そんな、いいのに」

「副店長さん、子育てもあるのに毎日大変だと思いまして。厚かましいかもしれませんが」

 そう言って、鞄からユニフォームを取り出すと、ジャケットを脱いで準備を始めている。罪悪感で胃のあたりがずきりとした。

「新浜さんも無理しないでくださいね」

 髪を縛りなおしている新浜に、私は後ろから声をかけた。

「大丈夫です。一緒に頑張ろうと声をかけていただいたのを感謝していますから。じゃあ、直してきますね」

 言い残して、彼女は出ていった。誰もいなくなった事務所に彼女の髪のシャンプーの香りが残っている。嫌なものを見せられた気がして、どこへ向けてのものかわからない謎の嫌悪感を隠すように、再び引き出しを開けてチョコレートを口に放り込んだ。

 会議は、三号店の裏にあるプレハブの会議室で行われる。駐車場はお客さんでいっぱいになるので近くの月極駐車場が社員専用になっており、そこに車を停める。経営相談員は他社の人間となるため、各自近くのコインパーキングに停めてこちらに歩いてきている。

 いつもの場所に車を停めると、その足で店とは逆のコインパーキングへ歩を進めた。いつもの三番の駐車エリアに彼女は停めて、パソコンとにらめっこをしている。

「おはようございます」

 急いでオーディオを停めて、彼女が車のウインドウを開けた。ほとんどの人は知らないが、彼女はアイドルが大好きらしく、いつも社用車では移動中に曲を聴きながらテンションを上げていると言っていた。一度おすすめされたが、全く刺さらなかった。

「麻依ちゃん、お疲れ様」

 羨ましいほどに白い肌に、大きな目をしたかわいらしい顔立ち。でも、目の下の隈と肌荒れが以前より目立っている。相当なストレスを抱えているのだろう。

「大丈夫ですか。今日も頑張りましょう」

 茜はウインドウを閉めると、エンジンを切って鞄を持って出てきた。

「準備はしてきましたから、いつもごめんなさい」

 根拠のない準備。どうせ、内容ではなく私たちだから言われるのはわかっているのでしょう。聞きたいが、やめておいた。私までネガティブな話をすれば、茜はそろそろ壊れてしまう。ここでは、ポジティブにいよう。

「大丈夫です。そういえば、智咲さん頑張ってますよ」

 本人には呼べないが、新浜のことは下の名前で呼んで仲のいいアピールをしている。

「そうなんですね。売場変更も進んでいるし、もしかして新浜さんもやってくれているのかなって思っていたんです」

 茜の顔が、ぱっと明るくなった。

 やっているのは、新浜のみだけどね。

「出来ることから進めようって。前のお店でリーダーやっていたのは、本当に助かった」

 新浜の助言が必要なのは、目の前の茜に決まっている。この不器用は、誰にも相談できず、同性の先輩からは嫌がらせまで受けていた。目の前に元経営相談員がいるなら、藁にも縋る気持ちで頼りたいはずだが、新浜との約束で隠している。

「一つでも希望があると、まだ頑張ろうって思う」

 本心なのだろう。私は鞄からチョコレートを出した。

「食べてください。これ、最近買ったけどおいしかったから茜ちゃんの分も買ってきた」

「え、ありがとうございます」

 喜んで彼女は自分の鞄にしまい込んだ。楽しい会話はここまでか。プレハブの前について、どんよりとした気持ちがわいてきた。

「会議を始めます」

 司会進行は、グループ最年長の副店長の下田さんの仕事。前のテーブルに各副店長四人と経営相談員三人、離れたテーブルに店長の伊佐山とオーナーの涼森さん、もう一人の店長でありオーナーの息子である直人さんが座っている。基本的には副店長と経営相談員はセットで座っており、横にはいつも茜がいてくれる。

 下田さんは四十代後半でいつも落ち着いている。自分の仕事以外に興味がなく、攻撃もしてこない。

「まず、先週の検証と現在の実施事項の報告をお願いします」

「はい」

 発表の順番は、店舗の開店時期で決まる。母店の私がいつも最初に話すことになる。

 売上、客数など決められた内容を告げると、次は実施していること。季節の売り場変更を中心に進めていること、セールの準備から現在の進捗を話していると横から声が出た。

「売場変更って、ちゃんとデータ見ているのか」

 伊佐山が冷たい目を向ける。

「一応・・・」

「なんだよ、一応って。ただ本部から出された売場作ってんの」

 わざとらしいため息をついた。四号店の佐々木がわざとらしく吹き出ず。聞こえないふりをした。

「あの、今回は標準でいいかと思いまして。作ってみて、必要があれば再度変更を・・・」

「言い訳するなよ。どうせ考えてなかったんだろう」

 いいえとは言えない雰囲気。二号店の加藤さんが心配そうに見つめていた。

「ねえ、そういう検証は本部の仕事でしょう。何もしてないの」

 佐々木と加藤の間にいる、経営相談員の辺見が茜の方を見やった。茜の肩がびくっと震え、恐る恐る立ち上がる。

「あの、データは一緒に見ました。そのうえで、まずは標準で作ろうって・・・」

「伊佐山さんは、具体的にどんなデータを見たのかを聞いているの。曖昧な回答をしないで。うちでは、こういうデータを見ましたよね」

 そう言って、佐々木にホッチキスでまとまった書類を見せた。

「そうですね、うちはそれを見ながら進めていますが」

 勝ち誇ったような顔をする二人に反吐が出る。伊佐山もこの二人を気に入っていて、いつもこの流れになるのだ。

「きちんとやっている店があるから、お前らの嘘なんてすぐにばれるのに周りの時間を使っているのだから、おさぼりしているのならさっさと認めなさいよ」

 伊佐山が畳みかける。

「すみません」

「まあまあ、中西さんはそういった資料は作れていないの」

 穏やかな口調で、オーナーの涼森が口をはさんだ。今年七十歳の高齢オーナーは、決して怒りを面に出すことなくたしなめてくれる。

「すみません、出来ていません」

「そうか、作り直しは二度手間でしょう。きちんと準備はしてほしいです。森君、悪いがフォローしてくれませんか」

 下田の横で空気になっている男に話しかけた。この細身メガネが現在の担当相談員の中で最年長の森だ。最年長で一番知識はあるものの、女同士の陰湿なやり取りにおびえて、彼は一切使い物にならない。

「わかりました」

 ぺこりと、返事のみを返した。

「さっさと進めてください。じゃあ、次の店」

 伊佐山はさすがにオーナーが口をはさんだ時点で追及を諦めたらしく、今日はここで終わった。横で震えている茜を見て、心が痛む。

「では、次は本部から」

 そういうと、鼻息荒く辺見が立ち上がった。代表して話すのはいつも辺見で、彼女曰く自分以外にはいないでしょうとのことらしい。

「では、始めます」

 情報を伝えられるので、ノートにメモをする。

「このデータはすでに確認してといわれていますよね」

 質問が飛ぶ。茜が下を向いているのを見逃さずに、辺見が突っ込む。

「また見せてないの。山内さんだけ困っているじゃない」

 茜が気に食わないから、着任時からこうやって嫌がらせをしている。あからさますぎるが、伊佐山にも気に入られているので、何も言い返せない。

「すみません、直ぐやります」

「母店担当としての自覚、持ってくださいね」

 ぺこりと、頭を下げた。佐々木がまた吹き出す。この佐々木という男は、下心でしかものを考えないタイプの最低人間。私も誘われたが、旦那と子供がいることを理由に距離を取ってから、嫌がらせが始まり、茜も食事の誘いを断ってからこのような態度に変化したらしい。

「わかりました。すみません」

 なんとか、一矢報いたい。もやもやした気持ちでノートにメモを走らせる。

「あと、数か月後になりましたが、従業員接客コンテストですが、代表の従業員はいますか」

 ふと、辺見が質問した。従業員を対象とした、接客の良さを評価するコンテストのことだ。希望店舗は代表で一名の従業員さんを参加させることができる。地区では四店舗もやっているので有名なグループではあるが、このコンテストには代表を出せていなかった。

 もちろん、参加する必要ないという回答で済ませればいいが、従業員育成がこの先は必要と言い続けている涼森オーナーの意向を考えれば、出さないといけない。ここに対しては、全員が居心地の悪い状況だった。

 言われたままで終わらない。無意識だったと思う。

「うちから一名候補がいて、中西さんと進めています」

 意外な人間の発言に、全員の目が集まった。

「適当なこと言ってねえか」

 伊佐山に言われたが、無視をして茜を見つめた。

「新浜さんのことですよ。さっき二人で話していたじゃないですか」

 茜が一番焦っているように見える。それはそうだ。何も話していないのだから。

「売場も重要ですが、接客の改善に向けての従業員育成を中西さんが提案してくれていたら、実はいい従業員さんが入ってくれていまして。その人にぜひ出てもらおうと」

 いつもの倍くらいの声で話している自分がいた。これだけの風呂敷広げて、嘘でしたとは言えない。

「いいアドバイスですね、中西さん」

 加藤さんが、茜に笑顔を向けてくれた。彼女は、あっけにとられたように頷くのが精いっぱいそうにしている。

「進捗は会議でも報告しますので、進めていきますね」

 自信たっぷりな表情をして、終わらせた。苦々しい表情の二人は放っておいた。

「何てこというの」

 会議後、二人で駐車場まで歩く途中に茜は吐き出した。

「別に、すべてが嘘ではないでしょう」

「いや、でも新浜さんにも話をしてないでしょう。どうするの」

 私は上を向いた。でも、勝算が立たない状況ではない。

「私から説得すれば問題ないです。新浜さんは、困っている私たちを気にしてくれていますから。茜ちゃんも言われてばかりじゃ悔しいじゃない」

 自信満々に言葉が出た。今までうまくいかなかったことが多かったので、彼女は神様が苦しむ私に出合わせてくれた救世主なのだろう。そんな思い込みをしていたのだ。

 甘かったな。今だったら思える。ある意味で救世主である彼女を、この頃の私は勘違いしていた。

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