番外編"Rhaplanca"
「ガッハッハッハ、それはなかなかいい話ではないか」
「でしょう?この国にとって、悪い話ではないと思いますの」
「怪しんで悪かった、小娘よ。善い知らせを持ってきてくれたものだ」
「こ・む・す・め~~~?聞き捨てなりませんわ!わたくしはこう見えても…」
「ガハハ、悪かった悪かった。早速執り行おう!一緒にやるか、ハナかわよ」
「おや、いいのですか?たまたま居合わせただけの私が。王国の機密を握られるやも知りませんよ?」
「固ぇこと言うな、魔導士風情が。我輩とお前えの仲だろう、それにお前えらはそんなことをする連中じゃねえ」
「はは、えらく信頼されたものですね。承知しました。こちらとしても面白そうな話だ、興味本位でついて行かせてもらいますよ」
「だってよ。オイ小娘、コイツもついてくるが、いいよな?」
「だから小娘じゃないですわ~~~~!!『すとがーちゃん』と呼んでくださいまし!!!」
「いやァ、お前ぇらの呼び名はちとややこしい、遠慮しておこう…」
「駄目!『すとがーさん』と呼んでっ!」
「だぁ~~~っ!!!ったく、面倒な奴らを引き取ったもんだ!」
場はストガギスタ王国から少し離れた、一面の砂漠。ところどころに、崩れた建造物がある。荒廃した砂漠都市だ。かつてはここにも文明があった。
お馴染み、その傲慢さで名を馳せるかの大王と、聖騎士、そして謎の少女。奇妙な組み合わせだ。
閑散とした砂漠の廃墟のところどころに、一同の話し声が反射し奇妙なとどろき方をしている…。
時は、少し前に遡る———。
「ウムム…この国に隣接しているこの荒廃した土地…どうにか利用する道はないものか』
「お悩みですか、大王」
「うおっ、驚いた、お前ぇは…ハナかわか、久方振りだな。何故こんなところに居る?」
「いやはや、お宅の聖騎士に呼ばれて、修練をば。帰り際に眼に映ったので、軽く挨拶をと思ったのですが…。何かお悩みのようでしたら、力になりますよ。我々も、あなた方には常日頃からお世話になっておりますから」
「ガハハ、善い心がけじゃねェか、棲魔法王国の若き主導者よ。ならばお言葉に甘えて問おう、この土地をどうにかして役立てたい。なにか案はあるか?」
「成程、ここを…。取り敢えず、調べてみないことにはわかりませんね…。僭越ながら、色々と調査させていただきますよ」
「応よ、好きにしろ」
そうして、ハナかわと大王が地面に降り立った。
その瞬間の事だった。
「頂きですわ!!!ご機嫌麗しゅう~♪」
びゅん。風を切り、何者かの人影が見えたと思えば、振り返れど誰もいない。
まさに、一瞬の出来事だった。遅れて、二人の間を突風が駆け抜ける。
…そして、消え失せている大王の手提げ袋。瞬時に、二人は何が起きたのか理解した。
「ガハハ、油断した。この荒れ果てた地に住むような、物好きも居るかもと思っていたが…その第一村人が引ったくり野郎とはな」
「おや、追わないのですか?……第一村人という呼び方は、どうかと思いますが…」
「構わん、構わんさ。どこに行ったかは粗方見当はつく。アレを盗んだところでそこらの奴にゃ何も出来はせん。…それにここの奴らが貧しいのは我輩のせいだ」
「はあ…」
大王単騎での調査。あまりにも危険すぎる、手薄すぎる。そう見越しての同伴だったが、まさか私も油断するとは…不甲斐ない。
だが、先程の小娘(?)、並大抵の速度ではなかった。一介の盗賊が出せるような速さではない。乗り物に乗っていた様子もなかった。一体、何者…?
「コワイ顔をするな、ハナかわよ。陣を下げろ」
「…あはは、バレてましたか」
「さてッ、と…いずれは着くだろうが、あそこまで行くのは少しばかり面倒だ、ハナかわ。その様子だと、もう捕捉しているんだろう?<“空間転移”>を使ってくれ」
「…あまりここでは使いたくないのですが…」
「固ぇこと言うな、力になると言ってくれただろうが」
そう言われると弱い。あの場で現行犯確保できなかった負い目もあるハナかわは、渋々と“空間転移”を行使した。
さすがは“棲魔法王国”の聖騎士。先程、謎のひったくり犯を補足し攻撃準備をしていた魔方陣を“再利用”し、最高水準の効率にて“空間転移”の陣を描く。
陣をかき終わると同時に、二人は砂漠の中心まで飛んだ。
「ほう、やっぱりここか」
「やはり、どこがアジトか分かっていたのですね」
「無論だ、ここはわが庭のようなものだからな。地下に埋まった太古の遺跡。“秘密基地”とするには都合が良すぎる」
砂を掻き分ける。暫くするとひどく錆びついた金属製の蓋が見えた。こんなもの、砂漠の烈風の中ではとても見えないだろう。
「邪魔するぞ」
錆びついた蓋は、もっと重く開きにくくなっていると思われたが、存外、容易に開いた。設置された梯子を無視し、真下へと一直線に飛び降りる。
「な、なんですの!?」
「驚いたな、謎の砂漠の盗賊が、こんな小娘だったとはな」
「こ、小娘ですってぇ~~!?…それよりあなた方、まさか、先程の…」
蓋を開けた先。何の仕掛けがあるわけでもなく、先程の盗人がくつろいでいた。
地下遺跡を改造したのか、ちょっとした贅沢な部屋が出来上がっている。
内装は一見綺麗だが、よく見ると家具に統一感がない。すべて盗品だろうか…?
手に持つは蒼く光る水晶。傍らには先程奪われた手提げ袋。もはや、言い逃れできる状況にないな。
「おうよ、それを返してもらおうか、大事なものなんだ」
信じられないものを見るかのようで見つめてくる。盗賊にそんな目で見られるとはな。
それに信じられないのはこちらの方だ。あそこからここまでの距離を考えてもみろ。走って帰ってきたとすれば、並大抵の速度ではないぞ。
「お断りしますわ。もうこれはわたくしのモノ。それに、私がこれを盗んだ証拠はありますの?」
「小賢しいやり取りはいい。…して、お前えは何者だ?」
「そちらから名乗ってほしいところですわね。あなた方は招かれざる客のはず」
「ち…盗賊風情が、しゃらくせえ真似を…まあいい、我輩はストガー・ストガギスタ…そこの王国の君主だ」
心底面倒くさそうに、大王は身分を明かした後、続いて、存在感のなかったハナかわもついに口を開く。
「…私は——」
言いよどむ。目の前の盗賊少女(?)が、愕然とした顔で固まっている。きっと、自分の声なんて聞こえていない…。
「どうした。盗んだ相手が我輩だと知って、今更怖気ついたってのか?安心しろ、引っ捕まえる気はないからよ」
無理もない。当然の反応だろう。引ったくった相手があろうことか一国の王。血の気が引くのも当たり前だ。
だが、その反応は、それとは少し違うように見えた。恐れとは、また別の……
「…わかりましたわ。こんな水晶、わたくしには無用の長物。どうせ売っても二束三文にしかなりませんわ。…………………わたくしはイゾアスタール。この砂漠に迷い込む旅人からの盗みで生計を立てていますわ」
名を名乗るときに、長い間があったのが気になるが、ようやくこれで得体の知れない盗人の名を知ることができた。
まじまじと、イゾアスタールと名乗る少女を見つめる。逃げる素振りは無さそうだ。
腰まで伸びた桃色の髪が緩やかになウェーブを描き、毛先はどこぞの令嬢のようにカールしている。どのように巻いたのか気になるが…。
右目は包帯で隠されているが、整った顔立ちが伺える。
極端に露出の多い服を着ているが、独特の雰囲気から察するにどこかの伝統装束だろうか。
そして、首筋と、腰から胸にかけて描かれた刺青が目立つ。……不摂生な生活をしているのか、腹回りが少し肥えている。
際立った風貌のその少女だが、大王が最も気になったのはその眼だ。
この眼、どこか…どこかで……………
「…分かった、素直に答えてくれてありがとうな。…さっきはひっ捕らえるつもりはないと言ったが、我輩もこの国を統べる立場の関係上、お前さんをこのまま放っておくわけにはいかんのだ。今からでも、ストガギスタ王国に来ないか。身寄りがなくても構わん。お前らがそのような生活を強いられているのは我輩の責任だ。衣・食・住は保証してやる」
大王はそう諭した。盗みをはたらいた相手からの思わぬ提案。イゾアスタールは少し驚いたあと、しばらく考え込むそぶりを見せていたが、傍らのハナかわは勘づいていた。おそらくイゾアスタールは断るだろう、この生活を捨てるつもりはないだろうと。凛々しい眼がそう語っていたのだ。
「……………ありがたい提案ですが、遠慮しますの。わたくしはこの生活に十分満足していますわ。それに、わたくしにはここから離れられない理由がありますわ」
「……そうか」
おかしな話だ。事実上の、ここで盗みをはたらき続ける、辞めるつもりはないという宣言。到底看過できるものではない。それなのに王はそれを許した。それが君主として正しい判断なのか、間違った判断なのかはわからない。
「邪魔したな。気が変わったらいつでも王国に来い、世話をしてやる」
「お邪魔しました」
二人が地下遺跡をあとにしようとする。そこに、イゾアスタールが見送ると言い、共に上がってきた。
どうやってここを行き来しているのか気になっていたが、空を舞う魔法を行使できるとは。やはり侮れん奴だ、もう少し素性について聞きこんだ方が良かったか?
「わざわざ、ありがとうございます。私たちは“空間転移”が使えますゆえ、お見送りはここまでで結構ですよ」
「迷惑をかけたのです、これくらいは当然ですわ…………待ちなさい、今、もしや“空間転移”とおっしゃいましたの!?」
「はい。言いましたよ」
飛びつくように食いつくイゾアスタールに、あっけらかんと笑顔で答える。
「“空間転移”……失われた魔法のはずじゃ……」
「巷ではそう呼ばれてますね。ですが、私は魔導聖騎士。魔法の棲む国の元首。失われた魔法も、やがて生まれる魔法も、すべてモノにしたい。すべてを扱いたい。そんな願望の行きつく果て、それが“棲魔法王国”サトクン。やはり貴方は魔法によく精通しているようだ。大王と似たようなことを言いますが、私の国で魔法の研究をするのも、悪くないのでは?」
「オイ、しゃしゃり出すぎだハナかわ。普通に考えて我輩の国のモノだろ」
「目の前の人間をモノ呼ばわりする大王の元には行かせられませんねえ」
「何だとお…」
「はっはっは」
冗談交じりの、二人の会話。未だ心なしか殺伐としていた三人の間に、ゆるやかな風が吹いている。いつの間にか、砂漠の烈風も止まり、砂塵が晴れていく。
「大変喜ばしい提案ですが、お断りしますわ…」
予想通り、イゾアスタールはここに残ることを選択した。…だが、提案を聞いた時、一瞬だけ、その凛々しい眼が煌めいたのを、ハナかわは見逃さなかった。
やはり、なにかやんごとない事情があるようだ。しかし、イゾアスタールがこちらを深く追求してこなかった以上、これ以上の詮索は野暮というものだ。そう思い、軽く会釈をして二人がその場を去ろうとした矢先———
「む」
「おっ」
頭上から、無数の黒い矢が降りかかってきた。強い魔力がかかっている…。
ハナかわが“反滅界”を張っているため、その矢が彼らに届くことはない。
二人そろって、空を見上げる。隆々とした魔物が3体、宙を舞っていた。
「ったく、盗人の次は、魔物の襲撃か。大王も気が休まらぬものよ」
「お、お怪我はありませんの!?」
ハナかわが安全を確認するより前に、イゾアスタールが駆け寄ってきた。ここでは、魔物の襲撃は日常茶飯事なのか。
何もおかしくはない。人の寄り付かぬ、荒廃した地。魔物が住んでいない方がおかしい。
それなのに魔物の住処や気配、魔物によって壊された跡などが見当たらない。この地に入って初めて呈した疑問がそれだ。何故…?
そして、今頭上に居る魔物は、おそらく外部から来たものだ。ハナかわの直感がそう告げていた。
聖眼を凝らす。魔物の周囲を纏う魔素が双滅を繰り返す。
二体は影帝狼。力強く、厄介な魔物だ。
そしてその間に位置するは、魔族…か。影帝狼はこの魔族の力で宙に浮いていると見える。先程の攻撃といい、相当な実力を持っていると思われる。
「いやはや、これはまた厄介な相手ですね」
「ウム」
「…お二人とも、ここは私に任せてくださいませ」
「…何?」
「先程の罪滅ぼし…というわけではありませんが、あの魔物達を呼んだのはおそらくわたくし…の身内ですわ。わたくしが処理しないと、わたくしを許してくれたあなた方に顔向けできませんわ」
ふむ。気丈だ、最初とは印象が一変した。
二人は顔を見合わせ、同時に軽く頷いた。別に、それによって罪滅ぼしをして欲しいと、魔物を呼んだ追及をしようとしたわけではない。ただ単に、イゾアスタールの実力を見てみたかったのだ。謎に包まれた、この少女の実力を。
「ククク…大人しく話を聞いていたら、その小娘が?俺たちを処理?だって?冗談きついぜ、…そこに居るのは“聖十二騎士”ハナかわ、そしてストガギスタ王国君主・ストガーだな?大手柄だ、大金星だ。この場所を教えてくれたアイツには感謝しなくてはな」
「だ~れが小娘ですってえ~~?」
中央の魔族が話し終わるとほぼ同時に、イゾアスタールは地面を蹴る。ぐんぐんと速度を上げ、瞬く間に魔物達と同じ高度に達した。
「ハハハ!脚力だけは大したものだな、小娘よ!褒美として、犬のエサにしてやるよ。奴らを喰わせる前の、前菜だがな!ハハ——」
距離を詰めてきたイゾアスタールに対し、やっちまえ、と影帝狼に指示しようとしたが…、居ない。先程まで従えていたはずなのに、影も形もなかった。
「ほお、凄いな」
「ですね。疾い」
真下を見ると、二人が気を失った二体の影帝狼を括りつけて拘束している。無論、二人が倒したわけではなく、イゾアスタールが目にもとまらぬ速さで蹴り落としたものだ。
勢いそのままに、魔族のもとへ—
「ぐ…!丁度いい、足枷が居なくなった!小娘が調子に乗りやがって…!」
魔族は少し焦るが、すぐに懐から巨大な棍棒を取り出した。
横に薙ぐように、イゾアスタール目掛け振りぬく。
向かってくるイゾアスタールに、ぴったりとタイミングが合い、横腹に棍棒がクリーンヒットする。おおよそ人には扱えないだろう、魔族の大質量の打撃。空に、石油タンクを壁にぶつけたような鈍重な音が響き渡る。
だが…
「何度も何度も…小娘ではありませんわ!!!」
そんな攻撃など意に介さず、勢いそのままに魔族に向け蹴りつける。咄嗟に魔法でガードするも、受け止めきれず大きく吹っ飛ぶ。
空中で錐揉みながら、咄嗟に反撃の態勢をとろうとするが、魔族は手元のとある違和感に気づいた。
「あら、探し物はこれですの?」
「な……」
蹴りの瞬間、棍棒を奪っていたのだ。にやりと笑い、見せびらかすように左右に振っている。
「てめェ…武器を奪うとは…」
「あら、卑怯とでも言いたいんですの?私にとっては、これはむしろ手加減ですわ」
「なに…?」
態勢を整えつつ、魔族が問い返す。回復のための時間稼ぎなのかもしれない。
そこに…
「ほら」
イゾアスタールは、棍棒の柄の先を握ると、まるで小枝でも扱うかのごとく軽々と振り上げる。
次の瞬間、ぶおん、と風を引き裂く大きな音が鳴り…、
棍棒は、その振るう衝撃に耐えきれず破壊されていた。
「な…あ……」
信じられないものを目の当たりにした魔族。絶望に顔が歪みきるその刹那、イゾアスタールの拳が魔族の腹を貫いた。
「絶望のままに死ぬなんて…可哀そうなことをしてしまいましたわ」
ゆっくりと、ふわりと地面に降りながら、祈るように手を合わせている。魔族の死すらも、悼んでいるのか。
「ほう、魔力強化か」
全てが片付いた後、静観を決め込んでいた大王が静かに呟いた。
「あら、すごいですわね。これだけで見抜くとは」
「巧妙に隠されているね。一見、とんでもない実力の体術に見えるけど、その正体は魔法による肉体強化。あまりにも純粋すぎるから、逆に気付きづらいかな」
「そのバカげた魔力量が、それを可能にしている。…野暮ってもんは分かっているが、ますますお前さんが何者なのか気になってきたぜ」
二人がイゾアスタールを称えている傍ら、人影が一つ、こちらに歩み寄ってくるのが見えた。
二人は一瞬、新手かと身構えるも、その人物には敵意はないようだ。だが…
「あー、やんなっちゃうね。相変わらずのバカ魔力」
「…やっぱり、あなたの仕業だったのね。……“シャラパトゥール”…」
イゾアスタールの知り合いか。彼女が名乗った時と同様に、その名前を呼ぶ際、少し躊躇したように見えた。
シャラパトゥールと呼ばれた、イゾアスタールと同じくらいの年齢に見える少女もまた、そう呼ばれた際、数瞬だけ、しかめっ面になったのを、二人は見逃さなかった。
イゾアスタールと似た風貌をしているが、こちらは青い髪で、眼は隠れていない。刺青もほとんどは同じところに描かれているが、イゾアスタールにない右頬の刺青と、にたりと笑った際に覗く八重歯が目立っている。
「当たり前でしょう?あーあ。さっきの魔族に殺されてしまえばよかったのに。また強そーな魔族の探し直しだわ、やんなっちゃう」
「貴方…いつまでこんなことを続けるつもりですの」
「はぁ?決まってるじゃない、貴方が死ぬまでよ。私たち家族の恥である、貴方をね。“イゾアスタール”」
厳しい視線が、イゾアスタールに突き刺さる。彼女の顔が、悲しみに歪む。
「どうして?貴方は、とっても優しい子だったはずですの…」
「ふん、知らないわよ。次に来るときはせいぜい、腹でも壊しておいてよね」
表情を変えないまま、シャラパトゥールは去っていった。
「…今のは」
「…………わたくしが、ここを離れられない理由ですわ」
イゾアスタールは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
———私たち一族は、数奇な運命にて産まれた。人間とは違う一族。
親元から離れた後、私たちは姉妹だけで、力を合わせ暮らしてきた。
先程のシャラパトゥールはイゾアスタールの妹にあたる。その下に、メロネという歳の離れた妹も居るようだ。
ある日…私たちの並外れた能力を知った魔導士の一族の貴族が、自分たち姉妹を家の一員とならないか、とスカウトした。
魔法の扱い、ペーパーテスト、精神鑑定…おおよそひとつの家のすることの範疇を超えたような試験の果て、…シャラパトゥールだけが合格した。
それもそのはず。私は魔法の扱いが絶望的に下手だった。実は私は、肉体強化以外の方向で魔法を扱うことができない。魔術師の一族にとって、論外もいいとこだった。
「そうしてわたくしは…その後、妹とは疎遠になりましたわ…どこにもいられなくなったわたくしは、この砂漠の廃墟を転々として、何とか生き繋いでましたの…」
そして年の離れたメロネという妹とは、ほとんど会ったことがないようだ。離れ離れになってから、いつの間にかシャラパトゥールのもとに居た。
「そうして、細々と暮らしていても、先程のように…ですか」
「ええ。わたくしたちの暮らしが別々になってからしばらくは、何とか連絡を取り合ってたのですが、程なくして、わたくしを無能呼ばわりしては、付近の魔物をこちらへ差し向けてきて…」
なんてひどい妹だ。だが、しかしだ、魔物は人の魂を啜り生きるはず。人でない種族の彼女らは、魔物達からはどう見えるのだろうか?餌に見えるのか?同族に見えるのか?いずれにしろ、シャラパトゥールが魔物と共謀しイゾアスタールを襲う関係性が分からない。謎が謎を呼ぶばかりだ。
…ここで、ずっと黙って聞いていた大王が口を開いた。
「お前…まさか…10年前の…双子の…姉妹…か?お前の真名は…**********!……違うか?」
まさに衝撃。イゾアスタールの顔に、驚愕と動揺の色が浮かび、額に汗がにじむ。どうして、という感情が伝わってくる。
「そんな…なぜ……わたくしたちは、あの時確かに貴方の記憶を…魔法は完璧だったはず……」
「ああ、完璧だった。惚れ惚れするほどにな。生まれて3年も経たぬ赤ん坊らが、よもやあれほど難解な魔法を使いこなすとは、よもや思わなかった」
「それでは…なぜ…」
「あの時、魔法の行使に気づいた我輩は、ちいとばかし抵抗してみた。無論、あんなもの、行使に気づいたところで抵抗など無意味だけどな」
ハナかわも驚いている。記憶の消去という、禁断の魔法。それに抵抗する余地などあるのか。大王の言った通り、それは無意味だ。ではなぜ、記憶があったのか。今になって思い出したのか。二人が口を半開きにして見つめる中、大王はさらに言葉を続ける。
「大王を、このストガギスタの君主を舐めるなよ。我が娘の顔を、あの無邪気な笑顔を忘れるわけがないだろう。巧妙なお前たちは、我輩だけでなく王室のみな、果ては人民にまで徹底して記憶を改竄したな。辿り着くまで、思い出すまで、ずっと探し続けてきた。…そして今、それが確信に変わった。あれから10年、なんて僥倖だ。散策も、してみるものだな」
「……お、父様……」
「…娘よ」
ひしと抱き合う。10年越しの、離れ離れになった父と子の再会。積もる愛。二人の間に、心地よい風が吹き抜ける。
「ごめんなさい…ごめんなさいお父様。私は隠してましたわ。…それどころか、数奇な運命のもとに生まれたのは、この生活を強いられたのは、お父様のせいだ、復讐しようと考えたことも。…そんなもの、ただの逆恨みでしかないのに。」
イゾアスタールは、涙をこぼしながら、“イゾアスタール”という名前は偽名で、便宜上に付けたものだという事も明かした。
細々と暮らしていたイゾアスタールは、普通に考えるなら、たとえ嘘交じりでも、自分の境遇をペラペラと話そうとしないだろう。ましてや、相手が生き別れた自身の父親だと気づいてからなら尚更だ。それなのにイゾアスタールは話した。その意味を大王は汲み取り、一層強く抱きしめた。
「ウム…だが、こうして今は我輩の下に居る。それだけで、我輩は…」
約10年前のとある日、王室にて、彼女らは突然変異として生まれた。人間の王と、竜族の妃。突然変異が生まれるのはよくあることだ。
王室の皆の制止をよそに、ストガギスタ夫妻は突然変異の娘たちを精一杯の愛情を注ぎ育てた。…前代未聞の事例だった。
反対意見もあったが、人民にはうまく隠し育てていた。夫妻も、種族が違うからと差別するなどおかしい、普通の子供として育てるべきだと考えていた。
だが惜しむらくは、子供たちは、その年齢に似合わず、力を知識をぐんぐんと付けたこと。程なくして姉妹は自分たちがいかなる存在かを知り、そして自分たちの存在は王室にとって障害になるだろうと考えた。そしてその頃には、人知れず親知れず家出をすることができるだけの力があった。
「あ、あの…話を遮って悪いのですが、妹さんの方は…」
「……それは…」
「ウムム…難しい問題であるな。あやつにも戻ってきて欲しいものだが…」
「厳しいと思いますわ…おそらく、シャラパトゥールはわたくし以上にあなたを、世の中を恨んでいるはず。でないと、ああはなっていないはずですわ」
そうか。だが、シャラパトゥールがそうなったこと以上に、気になることがいくつかある。引っかかっていることも。まずは、その内のひとつを確かめねばならん。
「……そうだ、我輩は…記憶が消されたと思われている日は自身で覚えておる。そこから逆算すると…おぬしはもうすぐ10歳の誕生日ではないか?ガハハ、これはめでたい。再会と共に、豪勢に祝おうぞ」
ストガギスタ王国では、10歳を一つの区切りとしており、めでたいもの、特に貴族や王族の家系では、立派な戦士、一人前の人間として賛美する風習があるのだ。…格別な性質を持つイゾアスタール(仮称)にとっては、10歳はその種族で言う103歳に相当するのだが、あくまでも大王は彼女を人間として扱う。その現れだった。
「10年前……異種族の双子……そして、記憶……」
そしてその隣では、ハナかわが何やらぶつぶつと考え事をしている。彼も彼で、何か引っかかることがあったのか。
「イゾアスタールさん。…もしかして貴方が大王たちの記憶を消したとき、私もその場にいたのでは?そして、私の記憶も…」
意外すぎる質問。だがイゾアスタールは…
「……わかりませんわ」
「え…?」
「わかりませんって、どういうことだ」
「言葉の通りですの。わたくしは魔法の制御力に乏しいゆえ…記憶の消去はすべて妹に任せていましたわ。したがって、誰の記憶を消したかなんて…」
「ハナかわ、お前さんがそこに居た可能性は十分考えられる。だが、だがな、我輩ならまだしも、お前えがぬけぬけと記憶を盗られるタマか?先程、油断して荷物を盗られたこととはわけが違うのだぞ」
「私もそうは思います。いかに禁断の魔法といえど、私がかかるとは考えられません。しかし…気になることがあります。大王、ひと月後の晩、“祭壇”に向かいましょう」
「何!?…分かった、お前えの直感を信じよう。イゾアスタールも来てもらうぞ」
「…分かりましたわ。何のことだか分かりませんが…」
ストガギスタ王国が城の背後にそびえ立つ山の最高峰にある、“祭壇”。
ここでは王族の血を受け継ぐものの誕生、そして弔いの際に祀る伝統がある。
祭壇の後ろにそびえ立つ、樹齢千年を軽く超える大木が、この地の歴史を物語っている。
それにしても、なぜ今そこに…?
………………………………
「ふぅ…相も変わらず、起伏の多い…爺ィには堪えるな」
「そんな歳でもないでしょう、大王。さあ、もう目の前ですよ…」
あの日から一ヶ月が経った夜、一行は再び集まり、山を登った。ちなみに、この山は神聖な地ゆえ、魔法などまろつわぬ手法を用いて登山をしてはいけないというしきたりが存在している。なにかが宿る、特別な地として古くから称えられている…イゾアスタールはそんなもの知らないとばかりにふんだんに魔法で肉体を強化して登っていたが。
頂上に着いた頃、祭典や祭祀でもない限り人の寄り付かぬこの祭壇に、一人の人影が見えた。
「そんな…本当に居ただなんて…」
「あら、どうしてあなたがここに居るの?能無しは能無しらしく、あそこに引きこもってなさいと、いつも言ってるでしょう」
祭壇に居たのは、やはりシャラパトゥール。いったい何をしているのだろうか。
冷静に話しているが、やや焦っている様子にも見える。
…イゾアスタールによれば、この一カ月も、性懲りもなく定期的に冷やかしに来ては、どこからスカウトしたのか、強い魔族を差し向けてきていたらしい。
「いったい貴方、ここで何をしようとしているの…?」
「答える義理なんてないよ」
そう言うとシャラパトゥールは、大きく手を広げ、何やら念じたと思えば、ゆっくりと手をこちらに向けた。瞬間、突風が吹き荒れる。
…かと思えば、風はすぐに止んだ。
「オイオイ、久々の再会だってのに、もう去るなんて水くせえじゃねェか、娘よ。仲良くしろ、姉妹ゲンカはこの父が許さんぞ」
この隙に逃げようとしていた、シャラパトゥールの足が止まる。
「あなた、まさか……!」
「応よ、そのまさかだ。王だけにってな」
「どうして、まさか記憶が戻ったとでも……そして…ひと月前、あの時にも居た謎の二人組も、あなた達ね…。何故、今になって…!!」
「ガッハッハ、大王を、父親を舐めるなよ。我輩はこの国の王だ、この地を統べる殿様だ。この意味が分かるな?」
言葉とともに、大地が小刻みに震える。ざわざわと、森が揺れ始める。ぴたりと止まったはずの風が再び吹き荒れ、木の葉が辺りに舞う。
「大地よ、この地の大自然よ、我輩の意に応えよ!!」
すごい。いつ見ても。
この王が王たる所以。それはこの国の民を統治していることだけではない。この国土自体がその手中。ゆえにこの大自然が思うがまま。
なんて面白いお人だ。ストガー大王。そして、なんて恐ろしい。
ひとりでに伸びる木の幹が逃げようとするシャラパトゥールの行く手を阻み、舞う木の葉は視界を遮る。
「……っ、こんなもの…!!」
咄嗟に、シャラパトゥールは火炎属性の魔法を詠唱える。が、魔法は発動しなかった。まるで、湿った木の枝に火をつけようとしたかのように、プス、と小さな煙だけがそこに立つ。
「……なぜ…!!」
「オイタが過ぎたな。我輩を恨むのは是非もないが、せめて姉妹だけは仲良くしてほしいものだ」
この祭壇にはやはり、神がかりなモノが宿っている。大王が反魔多重結界を張ると、祭壇とこの大自然が、その結界を増幅するように働きかける。結果、この場では魔法の行使自体ができない。
「う…!!」
「って、どうしたんだ、イゾアスタール?急に蹲って…」
「イゾアスタールさんは、日常生活の働きをも魔法に頼っていましたからね。魔法なしでは、立っているのも辛いでしょう」
「なんで…知っているんですの……」
「……最初に会った時からです。明らかに行動のほとんどが魔法によるものでしたからね。不摂生から来るものですか?キチンと、常日頃から運動しておかなくてはなりませんよ。…まあ、今言うことではないですが…」
「ふ、ふふ、そこのエセ魔導士の言う通りよ!魔法が無ければろくに動けないなんて、本当に出来損ないね!!」
ぬけぬけと、そう言って見せる。だが、大王は、イゾアスタールがこの場に蹲った時のシャラパトゥールの表情を見逃さなかった。
「仕方ねえ、イゾアスタールがあまりにも辛そうだ、結界は解除する。ここでの魔法の行使もある程度許容しよう。それに、ひとつ疑念が生じたことだしな」
大王が結界を解除するや否や、シャラパトゥールは我先にと木々の隙間から逃げ去った。
「……追わないんですよね」
「ウム。まあ、逃げる先なんて限られているさ。オイ、イゾアスタール。大丈夫か…イゾアスタール!?」
二人が逃げていくシャラパトゥールに注目している隙に、イゾアスタールが居なくなっていた。いったいいつの間に…。
「こりゃあ参ったな…たぶん、一人で追いかけたのだと思うが……まァいい。しばらく、二人にしてやるか」
「…いいのですか?危険なようにも見えます。あれほど焦っていたのでは、シャラパトゥールさんは何をするか…」
「いい。疑念を晴らすチャンスだ。それにあの焦りは、そういうんじゃねえ。しきりに時間を気にしていただろう、地面をよく見てみろ」
「……うっすらと、謎の紋?が視えますね。私も気になりましたが、魔方陣でもなく、祭壇とも関係なさそうなので…」
「これは時間をはかるための物だ。月の光が、その時を教えてくれる。日時計のようなものだな。…そしてこれは、満月の日のみ、正確な刻を教えてくれる。今晩は丁度、月の満ちる日。間違いなく、この日のために描かれたものだ。描かれたのがつい最近だと、この地が教えてくれた。今日この場で、何かやりたいことがあるのだろうよ」
………………………………
「……どうして、ついて来たの」
「決まってますわ。わたくしはあなたの姉ですもの。なにか怪しいことをしているのなら、止めるのが姉の務めですわ」
「うう……!いつもいつも、余計なことを……!能無しのくせに、昔から余計な世話ばかりして、本当にムカつくのよ……!」
「そんなことを言わないでちょうだい。わたくしだって、変わりましたの。いまなら貴方と、お父様と、昔のように共に暮らせるはずですわ」
シャラパトゥールの表情が、一気に苦虫を噛み潰したような顔に変わる。
「できないのよ……!そんなこと、できっこないの!」
「どうして?なぜなの……」
久しぶりの二人きりの対話なのに、尚も否定し続けるシャラパトゥールに業を煮やし、イゾアスタールが歩み寄り、肩を掴もうとする。
すると———
「触らないでっっ!!!」
「ぎゃん!?」
シャラパトゥールがイゾアスタールを強く突き飛ばした。イゾアスタールは腰を強く打つ。腰が土にまみれる。
すると、地盤が緩かったのか崩れ、イゾアスタールが崖から崩れ落ちてしまう。
「……!!お、お姉ちゃん……っ!!」
ひやりとしたのもつかの間、崩れ落ちる先で、ハナかわがイゾアスタールを受け止めていた。シャラパトゥールの表情が、安堵に変わる。
「……これは看過できないな。何故だ?シャラパトゥール…」
早々に2人を見つけ、近くに隠れて様子を伺っていた大王が、のそっと出て来た。
「あなた、また…」
「シャラパトゥール。…お前えはイゾアスタールが、嫌いなのか?」
「……………」
シャラパトゥールは何も応えない。ただ、俯いている。
「イゾアスタールは崖の下でアイツが保護している。今なら聞こえねえ。父に本当のことを言ってくれねえか。何を企んでいる?」
「……本当は人知れず行いたかったけど、こうなっては仕方ないね。時間もないことだし…むしろ近くにお姉ちゃんがいるのなら好都合かな。協力してもらうよ、お父さん」
「なに…?」
「やっぱり、その様子だと、記憶は完全には戻ってないみたいだね」
「ああ。…恥ずかしながら、お前たちの存在と顔を思い出すだけで精いっぱいだ」
「そう…。じゃあ、あの日のことを、かいつまんで説明したげる。……わたしたちはね、元々、一人しか生まれないはずだったの」
「な…」
「お母さんの胎内にいる間、わたし達は双子だった。そこに二つの命が存在してたの。でも、羊水のゆりかごに揺られながら、直感で分かった。このままわたし達が双子として生まれることはない、産まれるのはどちらか片方だけになる、と。その直感を裏付けるように、胎内でお姉ちゃんはどんどん成熟していって…」
胎内で既に意識があったのか。なんという……
「わたしは別にそれでも構わなかったわ。生まれ落ちることはないのだ、と割り切っていた。でも、まさに産まれ落ちるその瞬間、お姉ちゃんは強引にわたしを連れて来た」
馬鹿な。そんなことが。あり得ぬ……
「生まれついての天才なんて世の中に沢山いるけれど、生まれる前からの天才なんてお姉ちゃんくらいでしょうね。足りない分の身体は、すべて魔力で補い、わたし達はまるで半人半魔のようなかたちで生まれた。見た目は人間に見えるように施しながら……あなた方に、世にも珍しい突然変異の個体だと勘違いされたのも幸いした」
…今日一番の衝撃だ。あの身体が、姿かたちが、約半分を魔力で補ったものだって?目の前の人間をまじまじと見つめるが、とてもそうは見えない。
「お姉ちゃんの魔法は天才的だもん…!潜在的な魔力量も、世界で飛びぬけて一番高いはず。わたしの身体の形成を気遣い、絶えず強大な魔力を制御しながら、ごく普通に暮らしていた。自信の魔力の制御ができないなんて、当たり前のことよ」
「……だが、そんな体、いつまで保つか…」
「そう。いかにお姉ちゃんのすさまじい力をもってしても、わたし達がいつまで普通に暮らせるかなんてわからない。だからわたしは、あの時、この王国にたまたま来ていたハナかわさんに相談を持ち掛けた。あの方もすごい魔術師だったよね。私の身体にあるわずかなほつれを、サポートしてくれた。熱心に話して、膨大な量の魔法の研究をしたわ。貴族の家に引き取られても、こっそりと」
「では…やはりお前えは、**********のことを…」
「嫌いなわけないでしょう。わたしにとって史上最高の、大大大好きなお姉ちゃんなの。でも、…でも…っ!」
その先は応えずおもむろに踵を返し、スタスタと歩き始めた。感情的になりかけた表情を無理やりに元に戻し、また話し始めた。
「―――それで、これから成すのが、私の研究の成果よ」
ぐるりと、辺りを見渡す。わずかに、微かに、確かに、木々の幹や石に、うっすらと陣が描かれている。先程の月時計とはまた別の…いや、あの紋をもこの巨大な陣のひとつとなっている。全く気付かなかった。この森自体を魔方陣としているのか。
ズ、ズズ……
周囲がざわめく。明らかに尋常なるざわめきではない。
「ハナかわさんはずうっと反対していたけれど、最後には納得してくれた。でもこれは世にあってはならない魔法だからと、行使されるのが辛いと、研究の終わりと共に自ら記憶を消したわ。…貴方がさっき森中を操作し始めたときかなり焦ったけれど、ちゃんと元に戻っているんだね。安心した」
「こ、これは…一体何を、何をする気なんだ、教えろ!」
「焦らなくても、すぐに分かるよ。…わたしも、最期にお姉ちゃんの顔が見れたことだし、もう心残りはないわ。…でも、できればもう一度あの笑顔が見たかったよ…」
気づけば、月時計が零時を指し示している。刹那、シャラパトゥールの身体が光り始める——
「……っ!」
何をしようとしているのか、直感的に察した大王は、反射的に止めに入る。だが、この魔法は力づくで止められるようなものじゃない。
「これは別れでもない。死でもない。ただ世に存在しないはずの存在が、あるべき場所に還るだけ。…生きるべき人が、当たり前に生きるだけ」
「ま、まっ…待ちなさいっっっ!!!!!!!」
「お、お姉ちゃん…!?」
「はぁ…はぁ…そんなこと、わたくしが許しませんよ……」
「……一体、どうやって………。この魔法は貴方の魔力もトリガーとなっているから、まともに動けないはずなのに……」
「そん、なのっ……あなたのためなら、なんてことないですわ……!」
「な、何を……!…わたしはずっとお姉ちゃんを蔑んできたわ。魔物を連れて、貴方を叩きのめそうとも。…さっきは、崖の下に突き落そうとも…こんなわたし、嫌いでしょ?居なくなって欲しいよね……?」
シャラパトゥールの顔に動揺が走る。想定外の乱入によるものではない。
術式がおかしい。一時は発動しかけたが、以降、全く変化が見られない。
「そんなわけないですの。貴方は、わたくしの妹ですわ……」
シャラパトゥールの頬を涙が伝う。嬉し涙なのか、それとも……
「そ、そんな…、お願い、お姉ちゃん……!わたしを拒絶して……!嫌いになってっ…!わたしは、ずっと、この時のために…!」
深淵魔法・<“抹魂命是正”>。
永き研究によって創り出されたこの魔法の、最後の1ピース。それは、発動する本人、存在しないはずのシャラパトゥールの力ではなく、その姉、人間として暮らすはずだったイゾアスタールが、世界がシャラパトゥールをこの世から拒絶することで完成する。
そして二度と世で行使されないよう、この魔法にシャラパトゥールと名付けた。…それは、魔法すら存在を抹消することに他ならない。
「貴方は…本当におバカな、手のかかる妹ですわね…こんなになって…」
イゾアスタールは、シャラパトゥールを抱きしめる腕を離そうとしない。そして、シャラパトゥールに集まった魔力が、少しずつイゾアスタールに集まってゆく。
「お、お姉ちゃんっ…!駄目だよっ、これではお姉ちゃんがっ……!」
「事情はすべて理解しましたわ……わたくしはあなたの気も知らず、奔放に生きて来た。だから、これからの人生、貰ってちょうだい」
「だ、だめっ、ダメ……それは、駄目っ!!お姉ちゃんが普通に生きるのは、当たり前のこと……わたしはそのためにっ…!」
やはり天才か。おそらく数年かけて完成させたであろう術式を、完全にコントロールしかけている。あまりに大きい魔力量故、並の魔法はむしろ制御できなかったのだ。
「おっと、取り込み中悪いが、父も混ぜてもらおう。久方振りの、家族団欒じゃないか」
「な、なんで…貴方も、わたしを拒絶しないの…?ハナかわさんだって、最後にはわかってくれた。こんな…こんな温もり、初めて…。どのみちわたしはもう長くないのに、何も…!」
森中に悲痛な叫び声が木霊する。
自らの魂をほんの少しだけ知性のある魔族に喰らわせ、私の姉はもっと美味いと誘導していたシャラパトゥールの魂は、もうボロボロだった。無論その行為にはたくさんのリスクが付きまとう……。
「“最後”なんて無えっ!!!!!」
ズズン、と木々が震える。この日最大の大声。大王はさらに続ける。
「最後など、別れなど、この大王が言わせん。言わせてたまるか、やっと会えた我が娘たちに、そんなことを」
「……でも、わたしは」
「消えていい存在なんか居ねえ!この世に生まれ落ちたときから、お前えは大事な我輩の娘だ、イゾアスタールの愛しき妹だ」
その言葉に沿うように、イゾアスタールはシャラパトゥールを優しく撫でた。
「……っ」
「温もりを知らんといったな。我輩も同じく、知らぬことがある。それは挫折と失敗だ。王を、この傲慢な大王を舐めるな。我輩は望むものすべてを必ず手中に収めてきた。お主らも同じだ。この国の、我輩の大切な宝だ。そう簡単に、失ってたまるか!」
「このひと月、私たちが何もしていなかったと思いますか」
ここで、満を持してどこかへ行っていたハナかわが歩いて来た。傍らには、イゾアスタール達より少し年下に見える少女がいる。
「な…!」
「そうだ、我輩はこのひと月、お前えとハナかわの研究の痕跡を探し回った。そこで見つけたのがこのお前えらの3人目の妹、メロネだ。驚いたぞ。三人目の妹がいたなど、いくら消された記憶をたどっても覚えがないからな。看破するのに時間がかかったぜ、この正体。…これはあくまで憶測だが、イゾアスタールはその膨大すぎる魔力量ゆえ、シャラパトゥールを突き動かしている魔力量が必要なくなると、人間に戻る前に器が魔力量に耐えきれず自壊してしまうと考えたのではないか?それを防ぐために、“太古の魔女の遺跡”に住む白の魔女・ウルア=ニョンと実際の聖騎士メロネの協力のもと、魔法人形としてこさえたのだろう?ちょうど、今お前えが動いているようにな。魂の性質が同じなんだ、イゾアスタールの魔力を間接的に利用することなんてわけねえ」
「もう…やめてっ…!」
「貴方…そんなことを………」
静かに消えるつもりだった。人知れず、お姉ちゃんの幸せを願って。それなのに、それなのに…!
「いいや、止めん。止めんよ。きっとお前えは、術式の完成と共に共鳴してゆく魂の果てに、イゾアスタールの魔力の情報が分かるようになっていったのだろう。そうして魔物をわざと襲わせ、闘わせ、魔力を使わせ、微調整した。傑出したその魔力を違和感なく消費させ、イゾアスタールの魔力の暴走を防ぐにはその方法しか思いつかなかった。違うか?」
「違うの…!お姉ちゃんなんて、お姉ちゃんなんてっ……!それにメロネは、わたしの計画を完遂するためのただの道具よ、姉妹となんて思ってないわ…!!」
「だってよ、メロネ。どうだ?」
「…お姉様は、魔法人形に過ぎない私を、実の妹のように、深い愛情をこめて接してくれました。多忙でしたが、時間を見つけては私に会いに来てくれました」
魔法人形メロネは不完全だ。一介の魔法人形が持ちえない魔力を有しているため、いつ壊れてもおかしくないし、彼女が眠り緊張の糸がほぐれると、身体が巨大化してしまう。時限爆弾付きの身体なのだ。そんなメロネを、研究のために生まれたに過ぎないメロネを、シャラパトゥールは実の妹の如く甲斐甲斐しく世話していた。
「ほらよ、お前えの行動が証明してるぜ。姉譲りの、親譲りの深い愛をお前えは持ってる。お前えは紛れもない人間だ!人一倍の愛情を持った!その涙は哀しみか?違うだろう、それは希望の涙だ。流せ、大粒の涙を!そして奇跡を信じろ!お前えが生きたいと願うなら、我輩が、この父が叶えてやる!もう一度家族の団欒をしたいならば、我らが叶えてやる!…だから、もう二度と最後だなんて言うでないぞ、我が愛しき娘よ」
「……………っ……!!」
「私も、あの時、貴方を真に助ける法が思いつかず、無責任に逃げ出したことを謝りたいのです。希望は、最後まで捨てちゃいけない。そこで私は、ただ一つの方法を思いついたのです。まさに、発想の転換でした」
「では、ゆくぞ」
大王が手を掲げる。あの時のように、地面が脈動し、揺れ動く。
先程よりも規模が大幅に大きい。地は割れ、崖が崩れてゆく。
「あ…あああっ…!わたしの…」
「五月蠅しい!こんなもの、ひっくり返してやる!妹が犠牲にならねば姉が生きられないというような、その数奇な因果ごとな!!!」
ゴゴゴゴと音を立て、山の形状が変わっていく。ハナかわの魔障壁によって、土砂崩れは防がれている。
変化が終わると、山中に描かれた魔方陣が、“反転”していた。
薄い陣の筋が、赤い光を放つ。
「あの魔法は、イゾアスタールとシャラパトゥール両方の魔力と光の力を使い、お前の存在を無かったことにするものだ。イゾアスタールがこれから先安全に生きるための魔力を供給するより、シャラパトゥールの存在を元々から無かったことに過去を改竄することによって、イゾアスタールをごく普通の人間…おそらくは優秀な魔導士として生きてもらおうと考えたのだろう。だがこれにはリスクが伴う。イゾアスタールが人間として生まれたところで、その魔力は天性のものだ。暴走しないとは限らん。それにお前えの存在が抹消されてしまうのはこの我輩が許さん。ではどうするか。答えは簡単だ、そのまるっきり逆をやればいい。ここに、今日を以てお前えたちを人間として誕生させてしまえばいい」
「で、でも、そんなこと…お姉ちゃんの魔力を、そのまま維持できるほどの力なんて…」
「……そうですの…!わたくしは…!」
「そこで、私たちの出番です。ご安心ください。何を隠そう私は“帝位階魔術師”。魔のスペシャリスト。私の力で、最大限にサポートしますよ」
「ガハハ、魔のスペシャリストか、初めて聞いたぞ、その渾名」
「はは、こんな時に茶化さないでください…」
「て、帝位階魔術師…」
「…分かりましたわ。あなた方を信じます。どうか、わたくしの妹を…!」
「ああ。約束する。征くぞ、世に、一家に逆らい生まれた有為転変の妹よ。お前えにもきっとある。姉だけが、莫大な魔力を持つ者だと思うな。信じて、注ぎ込め。お前えならそれができる。そして二人で生まれ変わると強く願え」
「いいかい?君は、君達は、かの傲慢な大王の娘なのですよ。国の人民の身に飽き足らず、町のはずれを這う小さな虫の死すら嘆くお人の娘です。その血を引き継ぐものなら、守りたい、大好きな人のために、君達は無限の力を出せる」
大王、ハナかわ、かの姉妹。…そして、メロネ。一同は一点に力を注ぎこむ。膨大な力が荒れ狂い、魔が犇めく。
「……………っ!」
「メロネよ、これはお前えこそが要だ、中心だ。あやつらの魔力とイゾアスタールの研究から生まれたお前えこそが、あやつらがこの世界に存在できることの動かぬ証拠だ。10年。なんと短く、なんと永かったことだ。この生命と運命の契り、お前えの存在にすべてを賭けさせてもらうぞ」
「…はい」
「なに、どうした。何を俯いている。まさかお前え、あやつらの存在が確約されたとき、研究のために生まれた自分は消えてしまうとでも思っているんじゃなかろうな」
「……………」
「ふざけるな、我輩を何だと思っている。お前えたち三姉妹は必ず救う。一人も欠けることは許さん。だからお前えも切に願え。生きると。いいか?生きようとする希望こそが、世に留まりたいという切望こそが力を生み、人を人たらしめているのだ。お前えだって例外でない!お前えは人間だ、共に笑い共に泣く我輩らの輩だ!!」
「……っ!」
メロネの表情が一変する。同時に、淡赤色に輝いていた一同の周囲が、一層輝きを増していく———
その時———。
—————許さぬ…
—————自然の摂理に背き、大地を揺らし…
—————そして生命の輪廻すら変えようとする愚か者よ…
「な、なんですの…脳内に直接……響いてきますわ…」
「な、これは……やはりこの地には、宿っていたか…!!」
「この山の、この大地の意思ですか。地盤そのものを変えるこの執り行いは、到底許容されるものじゃなかったわけでしょうか」
「…っ」
「おお…怒りもごもっともだが、終わったら元通りにするから、許容してもらえたりは…しねェか」
—————ならぬ…
—————神聖な地を穢す者共よ…
—————裁きを受けよ…
大地が荒れ狂う。大地の意思の怒りの奔流。先程の大王の動きとは比べ物にならないほどのエネルギーが、ここに蠢いている。大地というより、まるで空間全体が動いているようだ。
「いやはや、大地の意思とでも言うから身構えましたが、存外に大したことはないですね。こちらの話も通じているみたいですし、思っていた数倍与し易い相手でしょう」
—————ぬう…
力を開放し、うねりを鎮める。淡い梔子色の闘気が渦巻き、それに反するように空間のゆがみが元に戻ってゆく。
「ガハハ、そうか。これはもはや意志などという神懸りなものではない。ただの、この地に連なった怨念の滲り汁だ。我輩達の相手ではないな」
—————させぬ…
尚も力が強まる。そしてその力をも抑え込むと、空間を歪めようとする力はぴたりと止んだ。
諦めたのか?…いや、そうではない。尋常ではない念にまみれた気が、尚もこの空間に鎮座している。
—————この神聖な山を理に反し穢す者よ…
—————奸人よ、この祭壇の下に…
—————死してこの世から去ね…!
「む…?な…しまっ……!」
空間の支配にて利を取れぬと理解した“大地の意思”は、一転、標的を変え、的を大王ただ一点に絞った。大地の意思ゆえ、最後までこの地に固執するだろうとたかをくくっていた大王たちにとって予想外のことであった。
強い怨念の満ちた大木の枝が、鋭い槍となり襲い掛かる。この速度だ。そこらの銃器をはるかに凌駕するだろう。
「お父様っっ!!!」
「な……!?」
大王の前に、影が、桃色の髪が映ったと思えば、その刹那、ズン、と重い音を立て、木の槍がその心臓を貫いていた。
視界がぼやける。景色が点滅を繰り返す。遅れて、ゆるりと血が流れ出す。
大王達の声にならない叫びを聞く猶予もなく、意識が混濁してゆく。
ゆっくりと、手を上に伸ばす。が、伸びきる前に、糸の切れたようにだらりと腕が落ちる。
深海の底に沈むように、生命が失われていく。
…これでよかったの。
…ここで私が消えれば、きっと魔力が流れ出し、皆助かる。シャラパトゥールもこれまで通りの生活が送れる。
…知らなかった。わたくしを守ってくれている存在に。わたくしのために、命すら捨てようとしている大切な存在に。
…申し訳なくて、申し訳なくて…、
…初めからこうすればよかった。こうすれば、みんな幸せに…
今にも消え去ろうとする、命の灯。視界が完全に闇に染まる直前、イゾアスタールには目の前に転がってきたとある物が映った。
…これは…わたくしがあの時奪った…謎の蒼い、水晶――――
「お、お姉ちゃんっ、お姉ちゃん……!どうして…そんな…」
「あ…ああ……あああっ…!すまない…一度ならず二度までも、油断した…お前に合わせる顔が無い…」
「う…うう…」
へたりと、その場に崩れ落ちる。
今や、“大地の意思”からの攻撃を防いでいるのは、ハナかわだけだ。
「どうして…どうして!!これだけは、こうなることだけは、避けたかったのに…!」
「……」
「お姉ちゃんがいないと…居てくれないと、何の意味もないっ……!これまでの研究も、祭壇も、何もかも…!何が祭壇だよっ、何が希望だよっ……!」
錯乱したシャラパトゥールが祭壇の辺りを薙ぎ払う。怒りと、やるせない気持ちが込められ、凄まじい威力を出している。
「……シャラパトゥール」
…大王は止められなかった。祭壇は破壊され、それだけでは飽き足らず、裏のかの大木もミシミシと音を立て倒れた。
悲しみに沈むシャラパトゥール。その横で、覚悟を決めた様子の大王が、ハナかわに耳打ちする。
「すまねぇ…ハナかわ。こんなことになるとは。“空間転移”でシャラパトゥールとともに遠くに逃げてくれ。我輩はこやつと心中する」
「…できません」
「いいから、やりやがれっ…!もう、こんな———」
言いかけたところ、ハナかわが口を塞いだ。
「いや、まだです。一縷の、最後の奇蹟に賭けましょう。お忘れですか?あの水晶は、依然イゾアスタールが持ったままのはず」
「……!!」
「……図らずもここで“最後の手段”に出ることとなってしまいましたね。あの水晶には、今は亡きストガギスタ王国の元妃の魂のかけらと意志、そして力が封入されています。貴方が非人道的だと一蹴した、妃の研究。彼女の死後、彼女の力を以て、今ここに日の目を浴びるかもしれません。…魔法人形メロネたちの存在も、彼女の実験を応用して生まれたのですよ」
ハッ、と気づかされる。魔力を用いた、人造人間を作ろうとしていた、かの研究。かつては意味が分からない、非人道的だと思っていたが、そんな裏があったとは。
数年越しの事実の気づき。…また、シャラパトゥールに希望を失うなといった手前、諦めかけた自分を恥じ、最後まで望みを捨てていないハナかわに敬意を表して———
「頼むっっ!!“ラプランカ”!!!」
いつ振りだろうか、その名を呼ぶのは。彼女の病没後、かの祭壇で、涙と共に見送ったとき振りか。
その呼び声に応えるように、すぐさま、煌めく光の力が渦巻く。
そしてざわめく木々の隙間から、明るい光が照らす。
真夜中だというのに、夜明けだと見紛うほどの優しく温かな光。
…何かが、微笑んだように見えた。
そして………
「~~~~~っ……!!!」
「たっ…頼む………!!!」
「お願いっ…します…………!!!」
………………………………
………………………………
腰が抜ける。大王にとって初めてのことだった。
「…驚いた。…これが……、…奇跡、か…」
…そして、次の瞬間、傷一つないイゾアスタールの姿があった。
「う……ん……」
「……うぅ」
「お姉ちゃんっっ!!!!メロネ!!!」
「みんなの魔力とイゾアスタールさんの魔力が混じり合い、ちょうど生まれ変わろうとするその瞬間に心臓を突かれたことで、かえって何事もなく生まれ変わることができたようですね。そして、メロネも溢れた魔力を糧にして無事生き返ったと……いやはや、なんと幸運な…」
「それだけじゃないな。この祭壇には、ラプランカの肉体が眠っている。そして、魂の眠る水晶をイゾアスタールが持っていた。この王国で最も魂の甦生に長けた者が、この一瞬だけ、力を貸してくれたんだ。…そうだろう?ラプランカ……」
まさに奇跡の連続。希望の力が、常識をいくつも破壊してみせたのだ。
大王が空を見上げる。すっかり日の落ちた満月の夜に、温かな風が吹いている。
「そうだ。大王、“大地の意思”は…」
大王が心中しようとしたときに、何故かピタリと大地の意思からの攻撃が止んだのだ。状況が状況だったため言い出せなかったが、なぜあのタイミングで…
「ああ、アレな。タネが分かると可愛いもんだ」
大王がグッ、と指さす。祭壇の後ろの、あの長寿の大木があった場所を。今は根から倒れて跡形も無くなっているが…
「あれは…」
「本体はあれだった。大地の意思、やはりデタラメだったが、あながち嘘でもなかった。我輩らは先祖代々、喜ばしいことが起きたとき、悲しいことが起きたとき、必ずここに立ち寄った。戦勝の暁にはここで夜明けまで騒いだ。酒をこぼし、馳走を飛ばし…」
『ガハハハハ!飲めや歌え!わが王国の聖騎士がまたも快勝!快勝である!凱旋の宴だ、朝まで狂乱の宴を楽しもうぞ!』
『……あなた。叫ぶのは良いですが、あちらこちらにお酒や食物が飛び散ってますわ。たとえ最後に片付けるとしても、ここには神聖なものの宿る地。』
『固ぇことを言うんじゃねえ!慶び事は、全力で楽しまにゃならん!ガハハハ…』
「我輩はあの時、妃の言う事に、この大木の叫びにもう少し耳を傾けるべきだった。済まないことをした、君主として不甲斐ない」
「……」
「本当に、済まなかった。この地の長老よ」
根元から折れてしまった木の幹にそっと手を置く。傲慢なストガー大王の心からの謝辞。
いつしか、立ちこめていた霧は晴れている。
大王は、いまだ言葉も発さず抱き合っている姉妹に近づくと、後ろからその大きな腕で二人を抱きかかえ———
「……なっ、希望も捨てちゃもんじゃないだろう?…我輩は世を変えたこともある。王国を作ったことも記憶に新しい。だがこうして———最愛の娘たちと触れ合うのはいつ振りか。よくぞ戻ってきてくれた、わが宝よ」
「その…お父様。体臭が…クサイですわ」
「お父さん…今はお姉ちゃんと二人きりで抱き合っていたいの。邪魔しないで」
「……………………………………………………」
白目をむき、倒れこむ。大地の意思の攻撃なんて目じゃない、この日一番の致命傷。
「ぷっ、あっはっはっは」
「これが…反抗期というもの…か……」
「おや、大王が死んでしまいましたよ。先程のように、甦生させなくてはーっ」
「いいよ。放っといて。私はお姉ちゃんがいればそれでいいから」
スリスリと、イゾアスタールの胸に顔をうずめるシャラパトゥール。
「いや…その…お父様がいなくなるのはさすがに困りますわ…それにしてもすとがーちゃんったら、もう隠さなくていいからって、変わりすぎですわ……」
………………………………………………
……そして。
「なるほど、次の“大地の意思”に、あなた方姉妹が…」
「うんっ、わたしが立候補したの。知らなかったとはいえ、“大地の意思”が宿った大木を倒してしまったのはわたしだからね」
「お父様も大歓迎してくれましたわ。あの神聖な地の秩序を守ってくれるなら、安心だって」
「でも本当の理由は、お姉ちゃんとずっと一緒に居たかったからなのっ☆」
「く…苦しいですわ…」
「ウム、小娘ども、この国のためにたくさん働いてもらうぞ」
「ちょっとお父さん?私達に、『小娘』はないんじゃない?」
「……だがお前えら、名前では呼んでほしくないんだろう?」
「勿論ですわ!『すとがーちゃん』と呼んでくださいな!」
「……お前えは?」
「『すとがーさん』、と呼んでっ!」
「……頭が痛くなってきた」
「はは、元々『イゾアスタール』と『シャラパトゥール』は便宜上の偽名。すべてが解決し、家族に戻った今や、その名で呼んで欲しくはないんですよ。そうですよね?『すとがーちゃん』」
「その通りですわ!さすが、わたくしたちのことを良く分かってますわね」
「ハナかわさんがお父様なら良かったのにーーっ」
「ぐっ……!う…貴様……っ!」
怒りの矛先がハナかわへと向く。半分とばっちりのようなものだが。
「ま、待ってください大王っ…」
「うるさいっ、貴様らの国とは断交だっ…!」
「そんな……!!」
「はははははっ」
「うふふふふ」
仲良し姉妹の、可愛らしい笑い声が、今日もこの王国に木霊する。
…そしてあくる日。
一同はまた、イゾアスタールが住んでいた、あの砂漠の廃墟の近くに居た。
「お姉ちゃんの神聖で莫大な魔力を漏らさないようだとしても、お姉ちゃんはずっとこんなところに…本当にごめんね、お姉ちゃん…」
「もう終わったことですの。それに、ここでの生活も悪くなかったですわ」
「……それで、どうしてまたここに?」
「私たちは“大地の意思”の役目を引き継いだゆえ、地面の声が聞こえますの。そして気づきましたわ。私がずっと住んできたこの地には、莫大な資源が眠っていると…!」
「な、なんだとぉ!?」
大王の眼が、一瞬にして¥マークに変わる。眼帯の上から浮き出るように。
「ちょっと調べてみたけど、魔物の死体が沢山積みあがっているから、石油や、近年発見された新資源『ウ素』が沢山溜まっているみたいだよ。これで、この国の財源は石油で、ウ素とお母様の遺した魔法人形の技術で、戦闘用人造人間を作れたりするかもね」
「夢が広がりますわね。…ねっ、めろねちゃん」
「……うん!」
どこに居たのか、姉妹の間からぴょこりと出てきた。もうすっかり人間だ。
「うぉ、メロネ。今日はお留守番しろといっただろう」
「はは、そういえば大王、太古の魔女の遺跡には、このメロネの基となった、同名の聖騎士“メロネ”が居るようで…大変ややこしいですね。いっそ、メロネも『すとがーちゃん』と呼んでみては?」
姉妹は自分達を、姉は『すとがーちゃん』、妹を『すとがーさん』と呼ばせている。
ただし、姉は妹を『すとがーちゃん』と呼んでいる。……や、ややこしい……
「そっちの方がややこしいではないか…っ!こらメロネ、そんな期待に澄んだ眼をするでない!」
「あっはっは」
……それにしてもだ。
あの時、姉妹が生まれ変わった時。あの莫大な魔力はどこに行ったんだ?
大地が吸収した様子もなかった。まさか、あの二人は魔力を有したまま人間へと転生して…
「ぐ……ノコノコと戻ってきやがったな、小娘がァ!馬鹿にしやがって…!」
「貴方は…いつぞや倒したはずの魔族…まったく、しつこいですわね!!」
「本当にしつこいなあ…フンっっ!」
二人の魔法が、一瞬にして魔族を焼く。断末魔を上げることもできず、魔族は倒された。
「あら、昔の感じで魔法を使ってしまいましたわ。今は完全に制御していますが、それほど威力は出ないはず…瀕死だったのかしら」
「そうに違いないよ。生き残りがまだいたら、わたしに任せて。わたしの責任でもあるからさ」
いいや。瀕死ではなかったぞ。あの時の魔族とは別個体だが、恐らく傷は回復していたし、かつて襲ったときよりも強くなっていたはずだ。
「悪いですわね」
———イゾアスタールと呼ばれた少女の背に、バチ、と黒い稲妻が走る。
「……私も、手伝う」
———10年越しの、父と娘の旅路。
「お姉様の手を煩わすほどでもないってば!めろねちゃんもまだ休憩しててっ!」
———シャラパトゥールと呼ばれた少女の背に、ビリ、と白い稲妻が走る。
「スゴいな、さすがは我が愛する娘達よ…」
…あの魔力は消えていないのか。むしろ……?
———魔法姉妹の大冒険は、
「よーし、では、もう一探索行きますわ~~!」
———まだ、序章に過ぎないのかもしれない。