第三十三章 第四部 「あなた、もしかして」
〇藤咲 或人 パートタイムのフリー・ライター
第三十三章 第四部 「あなた、もしかして」
『こうずけ』と読むケースはそんなに多いとは思えない。
きらちゃんから転送してもらった写真をスマホに表示し、マナーボックスをチラチラ見るが、中の子は完全にあっちを向いており表情は窺えない。
もしも上野愛乃さん本人であれば、彼女も私同様、下見がてらこの【荒ら挽き】に寄ったのだろうか。
電話を終え、マナーボックスから出てきて席に戻ってくる時はこちら向きに歩いてくるので、その時が確認のチャンスだ。
それから三分ほど経って通話が終わったらしく、彼女がボックスから出てきた。顔を彼女が歩いて来ているであろう方向に向けると、こっちにではなく反対方向に歩いて行っている。その先にはトイレがあった。トイレは私の背中方向にあり、出てきた際に顔を見ることはできない。
振り向いて見れないことはないが、そこまでする思い切りはない。
トイレ前で順番待ちを装って出待ちするか。しかしこの広くない店でそれは不自然だ。下手すれば変態と間違われかねない。
為す術を思いつかず、トイレのドアが開く音が聞こえ彼女が席に戻ってきた。
振り向いて見たい衝動を抑えつつ、何か良い方法がないかと考える。
そうか、自分がトイレに行けばいいんだ。立ち上がり振り向いてトイレに向かう際、わずかの間だが彼女と向き合う姿勢になる。それだそれだそれで行こうと思った一瞬先に、彼女は私の横を通ってレジに向かって行った。
咄嗟の成り行きだったので見上げることも出来ず、レジで精算を終えてとっとと出て行ってしまった。
かかってきた電話が急な要件だったのだろう。トイレから戻ってレジに立つまで三十秒とかからなかった。
ドアから出て行く後姿が写真の雰囲気と似てなくもない。残念だが確認するには至らなかった。
だがしかし、たとえ彼女本人だったと判明したとして、そこから何か事が起こせたかと言えば、何もできなかっただろう。
向こうにもこちらの面が割れていれば、お互い見合って同時に『あなた、もしかして』となんらかの物語が新展開していた可能性はある。あるがどちらも初見の異性に声をかける度胸は持ち合わせていない性格だ。
見合いまでの間、何度かこの店に通えばまた偶然会うチャンスはあるかもしれない。
会ってどうこうするわけではないが、できれば事前に知りあえておきたい気持ちはある。人を介さない出会いができれば、それが理想ではないか。
それこそまったく知らない女性に声をかけるなど私には無理だが、アテンダント連が予備情報を吹き込んでいる分、それを逆手にとって『あなたもしや』ときっかけに使えるではないか。
それで行こう。