第三十三章 第三部 下見
〇藤咲 或人 パートタイムのフリー・ライター
第三十三章 第三部 下見
翌朝、きらちゃんからパソコンで使うアカウントにメールが届いてた。愛乃さん情報が縷々綴られている。
生年月日、趣味、職業、特技、好きな芸能人、ムカつく有名人、好きな食べ物嫌いな食べ物、twisterのオモテアカウント・裏アカウント、報告作成者の性格分析等々。
第一級の個人情報漏洩だ。こんなものが会ったこともない他人に送られていると知ると、ご本人は怒り心頭となるだろう。
まてよ、こちらの情報も私の不同意のもと、同じように送信され閲覧されているかもしれない。
きらちゃんからのものは、彼女の文書力もあって信憑性が高いように感じる。
愛凜はどうだろう。私の知る限り文書力はまったく期待できない。ゆきちゃんが代筆してくれていれば、まあ問題なく読める内容になっているだろう。が、私の知られたくない情報が、先方だけでなくゆきちゃんにも白日の下となっているはずだ。ゆきちゃんが描く私への印象は大きく変貌してしまうこと必定! もう「大先生」とは呼んでくれないかもしれない。
ゆっくりメールに目を通す時間がないので、印刷して昼食時にでも読むことにしよう。
打ち合わせが予定より早く終わり、ほかに用事もなく、早々に帰ることにした。
駅に着いたのがちょうど午後三時だったので、コーヒーでも飲みながら例の個人情報を読もうとカフェを探していたら、お見合い会場となる喫茶【荒ら挽き】の看板が百メートルほど先に掲げてあるのが目に止まった。事前に下見するには良い機会だ。
重い木製のドアを押して開け店内に入った。薄暗い店内はカウンターと、二人掛けのシートがテーブルをはさんで向き合ったクロスシートボックス席が窓際に二組、店内中央に二組ずつ配置されている。
平日の午後で店は空いている。各席ひとりずつの配分で座れる状況だ。常連らしい先客がふたり、カウンターに腰かけてコーヒーを啜りながら本を読んでいる。店内中央のボックス席ふたつは、一見さんらしいおばちゃん二人連れ二組がそれぞれ占拠。
窓際のドアに近い方のボックス席のみが空いていた。奥側の席は、こちらも通りがかりらしいひとり客が、やはり読書をしつつ一息ついている。
席につくとマスターが水とおしぼりとメニューを持ってやってきた。
手にしてきたものをテーブルに置くと、何も言わずカウンターへ戻っていく。
アメリカンと決めていたが、一応メニューに目を通してみた。最初のページにコーヒー類、次ページにはサンドウィッチ、トースト、スパゲティ(古風な喫茶店ではパスタとは書かない)など軽食類。最後のページにデザート類。昭和プリンが美味しそうだが、男ひとりでプリンを注文するのはハードルが高い。
最初のページに戻ってアメリカンが載っているのを確認し声を出そうとしたら、ネパール産のブランド名が目に入った。
子ども舌なのでブラックは飲めない性質だが、このネパール産やヴェトナム、インドネシアなどアジア原産ものについてはブラックで飲めるのだ。もちろん砂糖なしのブラックで。
アメリカンは止めにしてネパール・コーヒーを注文した。
しばらくしてマスターが、コーヒーとミルク、シュガーポットを盆に乗せて席にやって来た。
「お砂糖とミルクは?」とマスターが訊ねる。
「いや、結構です」
これが言いたかった。オレは(アジア原産なら)ブラックで飲めるぞと宣言したようなものだ。背中合わせの席に座るインテリ風女子の耳を意識したのも若干ある。
一口含むと、アジア産独特のまろやかな苦味が拡がった。
ふた口三口飲んで落ち着くと、カバンの中から今朝印刷した上野愛乃の調査資料を取り出し、手に持って読み始めた。家では活字を読む際は眼鏡をかけるが、外出時は極力眼鏡を使用しない。
安っぽい見栄だが、人からも自分自身も老いを認識したくない・されたくないからである。
うまくまとまったレポートで、きらちゃんらしい客観的な人物観察。悪い印象はまったくない。
一通り目を通してレポートをテーブルに置き、残りのコーヒーを飲み干した。その時、マナーモードにした携帯のバイブレーション音が鳴りだしたので、カバンの中を開けてプリペイド携帯を取り出して見たが、これに着信したようではない。
どうやら後ろの席の子にかかってきたらしい。すでに五回くらいは呼び出し音が鳴っていたはずだ。
携帯とバッグを手に、走ってマナーボックスに向かっていった。ボックスに入る直前に受信ボタンを押し
「はい、上野です」と名乗るのが聞こえた。
ん? こうずけ? 今こうずけって言ったよな。まさかこの子じゃないよね。
そう思いつつレポートのタイトル【上野愛乃について】の文字を見つめた。