空き家になった駄菓子屋の前で幼い頃の約束が果たされた話
私、弥勒寺茉里奈は、夏期課外授業の帰り道、少し遠回りをした。幼い頃、足繁く通った駄菓子屋が閉店したと聞いたからだ。長年、店番をしていたお婆さんも店じまいと共に遠方に住む長男夫婦の所へ引っ越してしまい、今は誰も住んでいないらしい。
実際に空になった店舗を見ても、期待していたようなノスタルジーは感じなかった。そんなことに期待していた自分に気がつくと、なんだか無性に恥ずかしくなって、原付バイクの鍵につけていた国民的キャラクターのキーホルダーを握りしめていた。ふんわりとしたぬいぐるみのそれを繰り返し握ると心が落ち着く。昔からの癖だ。
「俺たちが子どもの頃から、店のばーちゃんヨボヨボだったもんなぁ」
隣にいる私より少し背の低い男、蓬原佑は2つ年下の幼馴染だ。高校に入ってから洒落気づいたのか、可愛らしかった面影が失われてしまった。大変残念である。その一方で、早く大人に見られたい願望が透けて見えていて、何だか微笑ましく思ってしまう。
「あんたはまだ子どもでしょ」
そんな彼の気持ちを分かってて、いつもつい意地悪な事を言ってしまう。特に子ども扱いすると凄く良い顔をするのだ。これだけは昔から変わらない。そして、決まってこう言う。
「2歳しか変わらないなら、同い年みたいなもんだろ」
「2歳しか変わらないなら、同い年みたいなもんでしょ」
勝ち誇る顔を見せる私に対して、またもや苦虫を噛んだような顔を見せてくれる。あぁ堪らない。
「そんで?なんであんたもここにいんの?」
「は?忘れたとは言わせないぞ!今日は約束の日だよ。……え?それでここに来たんじゃないの?」
はて、佑と約束などしていただろうか。駄菓子屋、駄菓子屋……あ、思い出した。よくもまぁ幼い頃の約束を覚えているものだ。ここは素直に褒めてやろう。口には出さないけど。
「覚えているとも!ラムネのビー玉取ってくれるってやつでしょ?トーチャンが大人じゃないと取れないって言ってたんだーって最後は諦めたやつ。そうか、今日がその日だったのか」
そんな事があった気がする。私がラムネ瓶のビー玉が欲しいと駄々をこねたのだ。あの時、私のために一生懸命頑張ってた佑は可愛かった。
「ちげーよ!そもそも、あの時も店のばーちゃんに取ってもらったじゃん」
「あり?そうだっけ?」
結構自信があったのに否定されてしまった。あの時のビー玉はどうしたんだっけ。そうだそうだ。今と同じくがっかりした顔をした佑にプレゼントしたんだった。
「えー。じゃああれか。1つだけ酸っぱいガムが入っているやつを食べても泣かなくなったから、それを発表してくれる日」
これでどうだ。3個入りのガムの内、1つだけハズレのすごく酸っぱいやつが入っている商品があったはずだ。佑はこれでよく泣いていた。泣くなら買わなければ良いのにね。この時も良い顔していたな。
「それもちげーから!そのガムって茉里姉がよく買ってくれてたやつだろ。1つだけ入っている当たりを食べたら、すぐに大人になれるとか何とか言ってさ。俺、けっこう本気で信じてたんだぜ?」
早く大人になりたくて泣いていたのか。ずっと勘違いしていた。それにしても、少ないお小遣いから施しを与えていたとは。我ながら天晴である。
「分かった。おっぱいだ。おっぱいアイスの綺麗な食べ方見つけたんでしょ!」
ゴムの容器に丸く入ったアイス久しく食べてないな。上手く食べられなくて、服を汚しちゃうんだよな。それにしても正式名称って何だっけ?
「女子高生がおっぱいおっぱい言うんじゃねーよ!」
「それはちょっと女子高生に夢見すぎだわ」
顔を真っ赤にしている佑を冷静に諭す。女子高生を何だと思っているんだ。夢を見過ぎるといざという時がっかりするんだぞ。その辺りがまた愛おしいのだが。
「なんだろな……1番大きいスーパーボール当たるまでくじを引き続ける?ブロマイドくじ大人買い?」
正直、昔の事を思い出すうちに今日が何の日だったか思い出していた。最早これは時間稼ぎでしかない。覚えている方が馬鹿みたいな幼い頃だからこその約束。まだ条件を満たしていないが、律儀に約束を守る真面目で不器用な男なのだ。そんなところが――
「他によく買っていたものがあったろ?指にはめるキャンディ……覚えてない?」
忘れるわけがない。巨大なダイヤモンドをあしらった指輪を模した指輪型のキャンディ。食べているうちに指がベタベタになるのがマイナスポイントなのだが、それを考慮しても有り余るロマンチックな見た目が好きだった。今思えば、何ともチープな見た目なのだが、私にはそれで充分だった。
「……もちろん覚えてるけど。さっきから後ろで手を組んでクネクネしているのは何なの?」
触れないようにしていたが、これ以上は彼の覚悟に対して失礼だろう。こうして見つめ合っているだけでも、緊張がこちらまで伝わってくるようだ。彼の決意がつくまで、私は黙ることにした。蝉の鳴き声と時折通る車の音だけが聞こえる。
何台目かの車が通り過ぎた後、ようやく彼の口が開いた。
「まだちょっと早いかもだけど……予約ってことで!俺だって少しは大人っぽくなったろ?」
そうして、差し出された掌が開かれる。中にある物は、見なくても分かっていた。私がキャンディを舐めながら言ったあの日の約束を叶えようとしてくれているのだ。
この時、私はどんな顔をしていたのだろうか。足が地についていない気がして、何を喋ったか覚えていないが「これからもよろしく」とだけ素気なく口にした気がする。そして、彼に背を向けて、ぬいぐるみを握ったのだ。
そんな事を父の腕を掴みながら思い出していた。すっかり大人になった彼の下まであとわずか。