メリージェーン
4月の暖かい日の事でした。
大通り沿いの古びたアパートメントに住んでいるナタリアは、部屋にあった一枚の広告に目をうばわれました。
「うわぁ……かわいいなぁ……」
ナタリアが見たのは、子供向けの靴の広告でした。
モデルの女の子は笑みをうかべ、かわいらしいポーズを取っています。
彼女がはいていたのは、赤色のメリージェーンという靴でした。
「これを学校にはいていったら、みんなは何て言うかな」
そんな事を考えながら眺めているうちに、ナタリアはますますこの靴が欲しくなってしまいました。
普段はかわいい服や靴を身に着けたいと思うことは無かったのですが、この時ばかりは違っていました。
その日の夜、ナタリアは意を決して父親と母親にメリージェーンが欲しいと話しました。
両親は顔を見合わせました。ナタリアはどちらかというと内気な子供で、自分から何かを欲しいと言う事があまり無かったからです。
「そうか。お前が父さん達にそんなお願いをするなんてめずらしいな」
父親は笑いながら言いました。
「ナタリアはいつもいい子にしているから、今回は特別に買ってあげるわよ。ついでに靴に似合うお洋服も探そうかしらね」
母親もそう言ってほほえんでくれました。
日曜日になって、ナタリアは両親と靴屋に出かけました。
三人が靴屋に入ろうとした時、靴が入った箱を抱えた女の子とその母親がお店の中から出てきました。
その女の子の事を、ナタリアは知っていました。
「あら、ナタリアじゃない。こんにちは」
「エミリー……こんにちは。お買い物してたの?」
エミリーは、ナタリアと同じクラスの女の子で、輝くような白い肌とさらさらした金色の髪の持ち主です。
その美しい見た目から、彼女はクラスでも一番の人気者でした。
「そうよ。あ、そちらはナタリアのお父さんとお母さん? 初めまして。私、エミリーと言います」
「ああ、初めまして」
「娘がいつもお世話になってます」
ナタリアの両親がエミリーとその母親に軽くあいさつをしました。
「ナタリア達もお買い物を楽しんでね。また学校でね」
そう言うと、エミリーと母親は帰っていきました。
「さっきの子、エミリーって言ったかしら? かわいくてとても出来た子じゃない」
買い物を終えて部屋に戻ってきてから、母親はナタリアに言いました。
「うん……とってもいい子だよ」
ナタリアは母親に返事をしながら、エミリーの事を考えていました。
エミリーも、エミリーのお母さんも、とてもきれいだった。
それに比べると、自分も、自分の両親も、何だか見劣りしてしまう。
エミリーが自分達の事を見てどう思ったのか、ナタリアは何となく気になってしまいました。
「うん、中々似合っているじゃないか」
「ええ、とっても素敵だと思うわ。いい買い物だったわね」
ナタリアは、買ってもらった靴と服に着替えて、鏡の前に立っていました。
赤色のメリージェーンは、ぴかぴかと光っています。
服屋で買ってもらった、青いギンガムチェックの袖付きワンピースもとてもかわいらしいものでした。
髪の毛も、母親が二つ結びにしてくれました。
「うわあ、私、こんなかわいい格好していいのかな」
ナタリアは思わずつぶやきました。鏡の中の自分の姿に、つい見とれてしまいそうになります。
「ママ、パパ、ありがとう。私、明日はこの格好で学校に行くね!」
くるりと両親の方を向いて、ナタリアは満面の笑みをうかべました。
両親も、ナタリアにほほえみ返しました。
次の日、ナタリアは教室に着くと、早速クラスメイトにあいさつをして回ることにしました。
「おはよう!」
「あ、おはよう」
クラスメイトの女の子があいさつをしてくれました。
ナタリアの姿をちらりと見ましたが、また別の子にあいさつをしに行ってしまいました。
ナタリアは、また別のクラスメイトにも声をかけました。
「おはよう!」
「おはよう……、かわいい服着てるね。靴も素敵だよ」
口数の少ない子が、静かな口調でナタリアの服装をほめてくれました。
「ありがとう!」
ナタリアが返事をしたその時でした。
「みんな、おはよう」
エミリーが教室に入ってきました。
「エミリー、おはよ……」
「おはよう、エミリー! 今日も一日よろしくね!」
「エミリー、今日もかわいいね! その靴も素敵だよ!」
ナタリアよりも先に他のクラスメイト達があいさつをして、エミリーの周りへと集まっていきました。
さっきの子達も、エミリーの姿を見に行ってしまいました。
「ほめてくれてありがとう。昨日、お母さんと一緒に買ってきたのよ」
そのように話しているエミリーの格好を見て、ナタリアはおどろきました。
エミリーのはいている靴は、ナタリアと同じ赤色のメリージェーンです。
紺色の上品そうなワンピースとの相性も良く、エミリーをいつも以上にかわいらしく見せていました。
私と同じメリージェーンなのに。
エミリーは私と違ってきれいな金色の髪をしていて。
私と違って輝くような白い肌をしていて。
着ている服も私よりもセンスが良くて。
まるであの広告のモデルの女の子と同じか、それ以上に愛らしくて。
そして何より、私よりもずっとみんなに注目されていて。
それに比べると、私は一体何なんだろう。
エミリーを見ていたナタリアは、ついそんな事を考えてしまいました。
「……ナタリアもかわいいと思うよ?」
立ちつくしていたナタリアに声をかけたのは、背の低いクレアでした。
「……そんな事ないよ」
ナタリアは、クレアの言葉を素直に喜ぶことが出来ませんでした。
まるでエミリーのついでにほめられているか、あるいは同情されているかのように聞こえてしまい、よけいに落ち込んでしまいました。
さっきまでのうきうきした気分がウソみたいに、みじめな気持ちになってしまいました。
そうこうしているうちに先生が教室にやってきて、ナタリアもエミリーもクレアも、それ以外のクラスメイトもみんな席に座り、その日の授業が始まりました。
「私、何やってるんだろう……」
放課後、ナタリアはしょんぼりした様子で教室をあとにしました。
せっかく父親と母親にお願いして買ってもらって、ナタリアも昨日まではあんなに喜んでいたのに、今はなんだかちっともうれしくありません。
エミリーは、今日の私の格好を見てどう思ったのだろうか。
クレアや他の子は、私の事をどう思ったのか。
そんな事を考えながら歩いていたら、後ろから声がしました。
「ナータリーアちゃ~ん、どこ行くの~?」
ナタリアが振り返ると、後ろにはクラスメイトの男子三人組が立っていました。
声をかけてきたのはのっぽで乱暴者のジャック。
その右にいるのは、嫌味なメガネのトム。
左にいるのは、太っちょのボブでした。
「かんべんしてやれよジャック。ナタリアはめずらしく着飾ってみんなに見せびらかそうとしたのに、本日の主役をエミリーにうばわれて心が傷ついているんだよ」
トムが笑いながら言うと、ジャックとボブも笑います。
ナタリアは、はずかしくなるのと同時に腹立たしい気持ちになりました。その気持ちを必死にこらえて、彼らからはなれようとしました。
「悪いけど私急いでるの。さよなら」
そう言ってナタリアが彼らに背を向けたその時でした。
「おーっと、足がすべった」
ボブが転んだふりをしてナタリアにぶつかってきました。
ナタリアはそのままうつ伏せに倒れてしまい、体を打った痛みで思わず声を上げました。
「きゃっ!」
ナタリアが転ぶやいなや、ジャックとトムはナタリアがはいていたメリージェーンをぬがせてしまいました。
「ちょっと、何するの!」
「お前にはこの靴はふさわしくないんだよ。だからこうしてやるのさ!」
ジャキッ!
バチンッ!
ジャックとトムはそれぞれハサミを取り出して、メリージェーンのストラップを切り落としてしまいました。
「ああ……っ!!」
ナタリアはショックで言葉も出ません。
もう使い物にならなくなったメリージェーンとストラップをナタリアに投げつけて、三人組は笑いながら走り去っていきました。
「ナタリア、ちょっとナタリア! 何があったか説明してちょうだい?」
廊下にへたり込んでいるナタリアに、担任の先生が声をかけました。
しばらくぼうぜんとしていたナタリアでしたが、先生にうながされて、自分が何をされたかを話しました。
そのままナタリアの母親に連絡が行って、学校まで迎えに来てもらうことになりました。
ナタリアがジャック達に何をされたかを聞いた父親は、仕事が終わってから学校の先生の所へ話し合いに行ってしまいました。
母親は、ナタリアの気持ちが落ち着くようにとホットミルクを作ってくれました。
「……ごめんなさい、お母さん。私がかわいい格好して学校に行きたいなんて言ったから、こんな事になっちゃったんだね」
ナタリアがそうつぶやくと、母親はナタリアを抱きしめて、そんな事はないよ、あなたは私達のかわいい子よ、と言ってくれました。
ナタリアはその日、ベッドの中で色々な事を考えてしまいました。
ジャック達はともかく、他の子達も同じような事を考えていたのだろうか。
エミリーも、私がメリージェーンをはいても似合わないと思っていたんじゃないか。
クレアはほめてくれたみたいだけど、内心ではバカにしていたのかもしれない。
そんな事ばかりを考えて、中々眠れませんでした。
やっと眠った後も、夢の中ではあの広告の女の子が、ナタリアの事を笑っていました。
次の日の事です。
眠いのをがまんして、いつも通りの格好で学校に行くと、すでに教室にいた先生が『これから大事な話がある』とみんなに言いました。
「まずナタリア。前に出てきてちょうだい」
ナタリアは先生にうながされて教室の前の方に出てきました。
「次はジャック、トム、ボブ。前に出てきなさい」
昨日の三人組も、ナタリアと同じように前に出てきました。
「さて、まずはあなた達が昨日ナタリアに何をしたかを話しなさい」
先生にそのように言われて、三人組は昨日の事をみんなの前で話しました。
ナタリアをからかって、押し倒して靴をぬがせて、ストラップを切ったこと。
それはとても許されるようなことではないということ。
自分達は三人で靴を弁償して、ナタリアに心から謝るということ。
そう言って三人組は、ナタリアに頭を下げました。
「さあナタリア。あなたはこの三人組に何と言ってやりたい?」
先生からそうたずねられましたが、ナタリアは何を言えばいいのか分かりませんでした。
ひどいことをされたのは確かです。
だけど何故か、自分があんな格好をしなければ、メリージェーンさえはいてこなければ、こんな事は初めから起こらなかったのではないかと思ってしまったのです。
もしここで自分が強く怒っても、クラスの他の子達がジャック達と同じような考え方をしているなら、逆に自分が変な目で見られてしまうのではないかとも考えてしまいました。
「……もういいです。もう二度とこんな事はしないで」
ナタリアがそう言うと、三人組は先生に言われて席に座りました。
「先生。私からも一言いいですか?」
三人組が席に座り、ナタリアも席につこうとすると、エミリーが手を挙げました。
「何かしら」
先生がそう言うと、エミリーもまた教室の前の方に出てきました。
そして、ナタリアの方をじっと見て言いました。
「ナタリア、昨日のあなたの服装はとても素敵だったわ。メリージェーンはナタリアの足にとても似合っていたし、服も髪型もかわいらしくて素敵だったわ」
そう言うと、エミリーはナタリアの両手をにぎりました。
「今度は同じ靴をはいて学校に来ましょう。もちろん、おそろいのメリージェーンでね!」
エミリーがそう言うと、先生とクラスのみんなは二人に拍手を送りました。
「……ありがとう」
はずかしくて戸惑う気持ちもありましたが、ナタリアはエミリーに感謝を伝えました。
三人組に謝ってもらい、近いうちに新しいメリージェーンが手に入ることになりました。
エミリーも、昨日のナタリアの服装が素敵だったと言ってくれました。
まだ気持ちが完全に晴れてはいませんでしたが、ナタリアは何事もなく学校を終えることが出来ました。
放課後に廊下を歩いていると、廊下の向こうから声が聞こえてきました。
それは、あの三人組の声でした。
ナタリアは何となく、彼らの会話を盗み聞きしてみる事にしました。
「まったく、ひどい目にあったよ」
「本当にな。俺も親にこっぴどく叱られたぜ」
「まあ、ジャックもトムもそう気を落とすなよ。でも今回は俺達も被害者みたいなものだよな」
三人の会話からは、まるで反省の色が見えませんでした。
本当は、ナタリアにしたことを悪かったと思っていないことが良く分かりました。
しかし、その次のトムの発言に、ナタリアは強いショックを受けました。
「エミリーもとんでもない奴だよな。あいつが俺達の前で『ナタリアなんかが私と同じ靴をはいているのが気に食わない』って言ってたくせによ」
「そうだよなぁ。エミリーがああ言わなけりゃ、俺達もあそこまでやらなかったのに」
「それにしても教室でナタリアにあんなことを言うだなんてなあ。あれで先生からのエミリーの評価がまた上がるわけか」
「もしナタリアが真に受けたら傑作だよな。エミリーが本当はどんな奴か、気づくこともないんだろうなぁ」
ナタリアはたまらず、廊下の反対側に向かって早歩きをしました。
あんなに優しいことを言ってくれたエミリーが、本当はそんな事を思っていたなんて。
ナタリアは、いよいよ自分の事がみじめに思えて仕方なくなってしまいました。
あまりにも辛い気持ちだったので、その日はどうやって家に帰ったのか、ナタリア自身も思い出せないくらいでした。
それからというもの、ナタリアは今まで以上に内気な子になってしまいました。
クラスメイトとも必要な事しか話さないようになり、いつも心の距離を取るようになりました。
みんなの前でナタリアに優しい言葉をかけたエミリーの事もさけるようになったので、他の子達はますますナタリアの事を変な目で見るようになりました。
両親に買ってもらったワンピースも、ジャック達の親がお金を出し合って買ったメリージェーンも、もう身に着ける事はありませんでした。
そして季節が流れて、12月を迎えた時の事でした。
ナタリアの足のサイズが大きくなって、今まではいていた靴はもうはけなくなっていました。
あのメリージェーンも、近所の教会で開かれるチャリティバザーに出品することになりました。
バザーが行われる日、ナタリアは父親と一緒に売り子の手伝いをしていました。
ある程度時間が過ぎて、品物は大体売れてしまいましたが、メリージェーンはまだ売れ残っていました。
そこに一人の女の子がやってきました。
「あの……これ、見てもいいですか?」
やって来たのは、あの時のクラスメイトのクレアでした。
箱に入ったメリージェーンを指さして、ナタリアに視線を合わせます。
「こんにちは、ナタリア」
「おや、ナタリアの学校の子かい?」
「うん……いらっしゃいませ。ちょっと待ってね」
ナタリアはメリージェーンの入った箱を持ち上げながら、クレアの全身の様子を見ました。
クレアはナタリアよりも一回り小さい女の子なので、この靴をはくことが出来るかもしれません。
ですが、クレアはくせっ毛で、肌の色もあまり健康そうには見えません。
着ている服も良く言えば落ち着いていますが、悪く言えば古さを感じさせる地味なものです。
はっきり言って、クレアにメリージェーンが似合うとは思えませんでした。
「……はいてみる?」
それでもナタリアは、心の中で思ったことを顔に出さずに、クレアに聞いてみました。
「いいの? ありがとう」
「実はこれ、私は一度もはいていないんだ。だからきれいだよ」
ナタリアはそう言って、箱から出したメリージェーンをクレアの前にそろえました。
「分かった。汚さないようにするからね」
そう言うと、クレアは自分の靴をぬいで、メリージェーンをはいてみました。
「わぁ、ぴったりだ」
「本当だ……ぴったり」
メリージェーンは、今のクレアの足にちょうどぴったり合っていたようです。
ナタリアも、この赤い靴をはいたクレアがとてもかわいらしくなったように感じて、思わず声をもらしました。
不思議な事に、くすんでいたクレアの肌に輝きが宿ったようにも見えます。
「ナタリア。この靴、私が買ってもいい? もちろんお金は持ってきているわ」
クレアはポケットから小さなお財布を取り出すと、値札に書かれた金額通りのお金を取り出しました。
「まいどあり。大事に使ってやってくれよ」
父親がクレアからお金を受け取ると、ナタリアは靴をていねいに箱にしまって、クレアに渡しました。
「ねえナタリア。もし良かったら向こうでちょっと話さない?」
箱を抱えたクレアにそのように言われて、ナタリアは戸惑いました。
「クレア。悪いけど私はバザーのお手伝いが……」
「それならもう大丈夫だぞ。今日はもう父さん達だけで大丈夫だし、あまり遠くへ行かないのなら一緒にお話ししてきていいぞ」
ナタリアの父親はそう言って、ナタリアにクレアと一緒に行くようにうながしました。
「分かりました。ありがとうございます」
「……ありがとう」
二人はそう言ってから、教会の敷地内にあるベンチに向かって歩き出しました。
「ナタリアは、もうかわいい服とか靴とかには興味ないの?」
二人はしばらくたわいもない話をしていましたが、ふとクレアがそのようにたずねました。
ナタリアは返事に困ってしまいました。
正直なところ、クレアがナタリアの事をどう思っているのか、良く分からなかったからです。
もし『興味がある』と言ったら、自分の事を笑うのではないかとも思いました。
「別に、興味ないとかじゃないけど……」
「けど?」
「私にはきっと、そういうのは向いてないからね」
そう答えるのがましだろうと考えて、ナタリアはクレアに返事をしました。
しかし、クレアはなぜか悲しそうな顔をしています。
「クレアは、その靴をどこにはいていくつもりなの?」
ナタリアも、思っていたことをクレアにたずねました。
「まさか、それをはいて教会に行くつもり?」
「ふふ、そんな事はしないわ」
クレアは小さく笑いました。
「それじゃあどこかにお出かけするときにはくの? それとも……まさか学校にはいていくの?」
「そうしてみたい気持ちもあるけど違うわ。この靴は家ではこうと思っているの」
「家で?」
ナタリアは聞き返しました。
「そうよ。実は私、他にもかわいい服とか靴とか持ってるの……外に着ていく事はほとんどないんだけどね」
クレアがそんな事をしているというのは意外でした。
背が低くて、不健康そうな見た目で、着ているものも地味なものばかりというのが、ナタリアから見たクレアの印象でした。
メリージェーンを買ったことも意外でしたし、おしゃれを楽しむタイプにはとても見えなかったのです。
「ナタリアもかわいい服とか、好きだよね? よかったら今度、私の家に来てみない?」
「……別に、いいけど」
突然誘われたことに少しおどろきましたが、断る理由もありません。
興味本位で、クレアの家に遊びに行ってみる事にしました。
「私、この靴が本当に気に入ったみたい。今度、私がはいているところをあなたにもちゃんと見てもらいたいって思ってるの!」
帰り際にそう言ってから、ナタリアは両親らしき二人連れと一緒に帰っていきました。
「……私もお父さんのところに戻らないと」
ナタリアは父親の所へ向かいながら、クレアの事を考えていました。
クレアはどんな家に住んでいるのだろうか。
どんな服や靴を持っているのだろうか。
クレアは本当はどんな子で、私の事をどんな風に思っているのだろうか。
そんな事を考えていました。
「……ここがクレアのお家?」
一週間後の日曜日にクレアに案内されてやってきたのは、大きくてとても立派な家でした。
周りの家も立派なものが多く、ナタリアのアパートメントがある大通り沿いと比べても静かで広々とした場所です。
「パパとママが待っているわ。さあ、入って」
クレアにうながされて、ナタリアはその家の中に入りました。
「いらっしゃい。あなたがナタリアね」
「娘が友達を連れて来てくれるなんて、本当にうれしいよ」
クレアの両親が、ナタリアを温かく迎えてくれました。
二人とも、ナタリアの両親よりも年上で、落ち着いた感じの人達でした。
「初めまして。私、ナタリアと言います」
ナタリアも、二人におじぎをしました。
「お待たせ、ナタリア! パパ! ママ!」
クレアの両親とナタリアがいる部屋に、着替えを済ませたクレアが入ってきました。
その服装を見て、ナタリアはおどろきました。
クレアが身に着けていたのは、黒いジャンパードレスに黒のベレー帽。
そして足元には、あのメリージェーンがぴかぴかと光っています。
彼女は満面の笑みをうかべ、その場でくるりと回ってみせました。
「どうかしら?」
「うん……とてもよく似合っていて素敵……」
ナタリアは、いつもとはまるで違うクレアの姿におどろきました。
あの広告のモデルの女の子やエミリーは確かにかわいらしいですが、クレアにはまた別の魅力があるように感じられました。
クレアの両親とナタリアは、拍手を送りました。
それからもクレアは色々な服や靴に着替えては、ナタリア達の前でポーズを取ってみせました。
ナタリアは、色とりどりの服装やクレアのポージングに目をうばわれ、何度も拍手を送りました。
それが終わった後は、クレアの部屋のクローゼットも見せてもらいました。
そこにはもっとたくさんの種類の服や靴がありました。
そのどれもがかわいらしく、ナタリアはそれらを見るのに夢中になってしまいました。
「クレア。今日は本当にありがとう。私、やっぱりかわいい服や靴が好きなんだと思う」
ナタリアがそう言うと、クレアはうれしそうに笑いました。
「そう言ってくれて良かったわ。ナタリアが自分の気持ちに素直になってくれて、私も本当にうれしい」
二人はお互いの顔を見て、また笑い合いました。
それにしても、これだけの服や靴をそろえる事が出来るクレアの家は、いったいどうなっているのだろう。
大きな家に住んでいることもあるので、かなりのお金持ちなのだろうか。
それとも、デザイナーとか、服に関係する仕事をしているのだろうか。
それに、これだけ素敵な服や靴があるのに、どうしてクレアはバザーで売っていたメリージェーンを欲しがったのだろう。
そんな疑問が、ナタリアの頭の中にうかんできました。
「ねえ、クレアはどうしてその靴が欲しいと思ったの?」
大きなソファに座って、クレアの母親が持ってきたお菓子を食べながら、ナタリアはたずねました。
クレアは最初に着ていた服に着替えて、メリージェーンをはいて、ナタリアのとなりに座っています。
「私は……」
ナタリアの顔と自分がはいている靴を見比べて、少し考えてからクレアは答えました。
「私はただ、ナタリアとお話がしたかったの」
その答えに不思議そうな顔をしているナタリアに、クレアはさらに続けました。
「私は体も弱くて、髪も肌もこんな感じだし。こういう服とか靴とかも大好きだけど、多分みんなに見せたら似合わない、って思われるだろうなって分かっているの」
「そんなこと……」
そう言いかけて、ナタリアは口ごもってしまいました。
あのバザーの時、自分はクレアに対してどう思っていたか。
似合わない、と思っていたじゃないか。
それなのに、軽々しく『そんなことないよ』なんて言っていいのだろうか、と考えてしまいました。
「だから私は、いつもはなるべく目立たない地味な格好にしているの。地味だって言われるより、好きな格好をバカにされる方が私にとってはずっとつらいんだもの」
そのように話すクレアの顔は、とても悲しそうでした。
クレアの両親も、黙って彼女の話を聞いていました。
「私、あなたがメリージェーンをはいて学校に来た時、やっぱりおどろいたの」
ナタリアに目を合わせて、クレアはそのように言いました。
「だって、普段ナタリアがしている格好と全然違ったんだもの。でも私、何だかうれしかった」
「うれしかった? どういう事?」
「私と同じようにかわいい服や靴が好きな子がいて、その子がとても楽しそうにしていたんだもの。そういう服装をするのが本当に好きなんだ、っていうのが伝わってきたわ」
そのように言われて、ナタリアははずかしくなってしまいました。そして、あの時の事を思い出して、何だかみじめな気持ちになってしまいました。
「でも私は、エミリーのようにはいかなかったし、ジャック達にもバカにされたし……」
「そうだったよね。私も似たような目にあったことはあるし、気持ちはわかると思うよ」
「……クレアも昔はさっきみたいな服でお出かけしたりしていたの?」
ナタリアの問いかけに、クレアは小さくうなずきました。
「ひどい。だってクレアはあんなに素敵なのに。さっき見せてもらった服装はどれもきれいだったし、クレアも本当に楽しそうだったのに……」
「そんな事ないよ。今の私は、この家の中でしか本当の自分を出せないんだもの。バカにされたくないから、外や学校にこんな格好していく勇気もないし……」
クレアの声が、だんだんか細くなっていきます。
「ジャック達にひどい目にあわされたって聞いたあの時、本当はあなたに声をかけたかった。ナタリアは素敵だったって伝えたかった。でもあの後にエミリーがあなたの事をみんなの前ではげましていたから、その時は私の出番じゃないって思ったの。でもそれから、あなたの様子がだんだんおかしくなって、でもなんて言ってあげたらいいのか分からなくなって……」
そこまで一気に話してから、クレアはまた悲しそうな顔をしました。
小さな体をさらにちぢめて、何かに耐えているかのようでした。
「クレア……」
「ごめんね……ナタリア。あなたがずっとつらい思いをしていたのに、何もしてあげられなくてごめんね……」
ナタリアはそこまで聞いて初めて、自分が間違っていたということに気が付きました。
他の子に何かを言われたり、周りの目が気になったりして、自分の本当に好きなものを隠したり、自分には合っていないと思ってしまうこと。
そして、知らず知らずのうちに自分も他の人の事をそんな風に見て、あの人にこれは似合っているとか、これは似合っていないと値踏みすること。
それがどれだけ自分の心や考え方をゆがめてしまっていたのかに気が付いたのです。
ナタリアは人からどう見られるかが気になって、本当に自分が好きなものから目を背けていました。
そしてクレアも、人の目が気になるから自分が本当に好きなものを必死に隠そうとしているのです。
「クレア、もう大丈夫だから」
ナタリアはそう言うと、クレアの両手を力強くにぎりました。
クレアははっとした様子で、ナタリアの顔を見上げます。
クレアの両親は、心配そうな顔をしていましたが、しばらく様子を見守るようにしたようです。
「私、あなたの口からその事を聞けて、とてもうれしかった。私の事を見ててくれた人がいるって分かって、本当にうれしかった!」
「でも、私……」
「クレアも私も同じ物が好きだってことが分かった。いろいろ言われるのは仕方ないのかもしれないけど、好きだって気持ちは大事にしなくちゃ!」
ナタリアはクレアの目をじっと見つめて、さっき言えなかったことを言おうと心に決めました。
「あのメリージェーンは、あなたに本当に似合っていた! 今日のあなたは本当に輝いていた! あなたはどこに出してもはずかしくない素敵な女の子よ!」
「ナタリア……」
クレアの目にはうっすらと涙がうかんでいました。
「ありがとう。私も、ナタリアが素直になってくれてうれしかった。自分自身の気持ちにも気が付いてくれて、本当によかった。ナタリア、あなたもとても素敵な女の子よ!」
クレアもナタリアの両手をにぎり返しました。
「このメリージェーンは、私にとって大切なお守りよ。私も、本当の自分を出せるようになったらこれをはいて学校に行くわ!」
ナタリアはその言葉を聞いて、強くうなずきました。
それからというもの、二人はすっかり仲良くなりました。
学校でもよく話すようになり、クリスマスの日もクレアの家でパーティーを楽しみました。
ナタリアは自分の好きなものを好きだと言えるようになり、クレアは本当に自分が好きなものを表現する勇気を身に着けていきました。
ある時には、二人とも同じようなかわいらしい服装で学校に行くこともありました。
クレアはもちろんあの時のメリージェーンをはいています。
まるで変なものを見るような目で二人の事を見る子もいましたが、二人はおじけづいたりしませんでした。
ナタリアの性格はだんだん明るいものになっていき、クレア以外の友達も増えていきました。
月日は流れ、ナタリアは自分の好きなものを楽しんだり、勉強をがんばったりしながら、先生になるための学校に入学しました。
今では町の小学校の先生になっています。
「あなた達、いったい何をやっているの!」
三人の男子小学生が、女の先生に怒られていました。
彼らは、リボンが多くあしらわれた服を着て学校に来た女の子をしつこくからかって泣かせてしまったために、女の先生に怒られていました。
ただ、その先生の格好は少し変わったものでした。
大人にはあまりふさわしくないピンク色のピナフォアドレスを着て、赤色のメリージェーンをはいています。
「誰にだって、あなたにだって、ルールを守ったうえで好きな格好を楽しむ権利があるのよ。それをバカにしたり、からかったりするのは、先生は許しませんからね!」
三人は女の子に謝ると、すごすごと帰っていきました。
「見事なものですね。ナタリア先生」
その様子を見ていた別の教師が、笑いながら話しかけてきました。
「ええ。この格好の方が悪い子達を指導するのには向いているみたいなのでね」
彼女は朗らかにそう答えます。
「自分の好きなものを好きだと言う。まずは私が子供達に見本を見せないといけませんからね」
そのように答える彼女のメリージェーンは、ぴかぴかと光っていました。