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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

帰る場所は、行く場所で

作者: 山桜りお

 ニニは、野良猫。気が向けばいろんなお屋敷にするする入って、優しい人がいればご飯をもらって。その繰り返し。


 ニニっていう名前は、いつだったか、小さな男の子がつけてくれた。にーにー鳴いていたからニニ。タンジュンでごめんね、と言われたけれど、ニニにはタンジュンという言葉の意味はよく分からなかったし、ニニという言葉の響きがフワフワした綿毛みたいで、すごく好きだった。


 小さな男の子の家は、大きな貴族なんだって。「コウシャク様」って呼ばれているのを聞いたことがある。ニニにはコウシャクの意味も分からないけど、様は偉い人につける言葉だ。男の子はまだ小さいのに、もう偉い人なんだって。すごいなあ。


 そのうち男の子はだんだん大きくなってニニは大人になった。大人の猫は、ぷらいど高く生きていかなければいけないから、もういろんなお屋敷をぐるぐる廻ったりしないの。ふらって入った小さなお屋敷で、おばあさん猫がそう教えてくれた。大人になったのなら、人のいないところに行くか、どこかのおうち一つに決めなさいって。


 特にニニは毛が真っ白だから、そういう猫は狙われやすいのよって。


 何のことかわからなかったけど、人のいないところに行くのは嫌だな。ニニは、あの男の子が好きなんだもん。


 おうちにずっといてもいいかな。あの子は、ニニに名前をくれた男の子は、ニニのことお屋敷においててくれるかな。


『あれ、今日はずっといるね?どうかしたの?』


 男の子が不思議そうにそう言った。


 あのね。どうもしないよ、ニニ、ここにいたいの。ずっとここにいたいの。いてもいいかな?


 一生懸命にーにー鳴いていたら、驚いたような顔をしていた男の子が、ふわっと笑った。優しい手が、ニニをそっと抱き上げる。


『ニニ、僕のそばにいてくれる?』


 それって、ここにいていいってこと?首をかしげて男の子を見つめると、黒い瞳がきゅっと弧を描いて笑った。


『ここにいて、ニニ。僕の猫になって。僕はシェスだよ、よろしくね』


 ここにいていいんだ!男の子の、シェスの言葉がうれしくて、すりすり頬をこすりつける。くすぐったいよと笑うシェスからは、おひさまみたいないい匂いがした。


    


                       ★




「ニニ―」


 シェスの呼び声に、遊んでいた布切れをぱっと放して駆けだす。


「ニニ?あ、いた」


 シェス、お帰りなさい、待ってたよ。すりすり、すりすり。いつものように抱き上げてくれたシェスに思いっきり頬ずりをする。


「心配したよ、なかなか姿を見せないから」


 そうかな。呼ばれてすぐ走ったのに。シェスは最近、変なことを言う。


「よかった、元気そうで。相変わらずきれいな毛並みだね、もうおばあちゃんとはおもえないよ」


 オバアチャン?何のことかわからないけど、毛並みを褒められるのはすごくうれしい。毎日丁寧に毛づくろいしているのは、シェスのためだもの。


「ニニは可愛いなあ」


 優しくそう言って撫でて呉れるシェスをじっと見上げる。にいと鳴いた。


『シェスは、かっこよくなったわ』


 伝われ、と気持ちを込めて念じたけど、シェスは笑ってそっか、おなかがすいたんだね、なんていう。違うよ!シェスがかっこいいねって伝えたいだけなのに。


 このお屋敷が私のおうちになってどれくらい過ぎたのかは分からない。だけど、シェスはぐんぐん大きくなっていって、初めて会ったときは抱き上げるのもやっとだった私を片手で軽々持ち上げられるほどに成長した。変わらないのは、真っ黒な瞳とそろいの髪の毛だけ。優しい笑顔にも力強さが加わったし、着ているものも簡素なシャツからなんだかきっちりしたレイフクに変わっていった。このお屋敷を訪れる人たちはさらに恭しくシェスに対してふるまうようになったし、最近ではお仕事だからって出かけたっきり帰ってこない日が何日も続くこともある。


 寂しいな。でも、シェスは戻ってきたら一番にニニを探しに来てくれるから、それはずっと変わっていないから、ニニはすごくうれしい。


 大好き。シェス、大好き。


 すりすりしてみると、シェスはふっと笑った。


「ニニ、あんまり可愛いと困るな。他の人たちにもそんなことしてるのかい?」


『してないよぉ!』


 ニー。抗議のつもりで強めに鳴く。猫の誇り高さを侮らないでもらいたい。猫は、本当に好きな相手にしかこんなことしないんだよ。


「わかったわかった、ごめんごめん」


 笑って謝るシェスの後ろから、その時シツジさんが慌てたように駆けてきた。彼の声を聴いたシェスの顔色が、さっと変わる。


「公爵!大変です、第二王女様が…!」

「レーリ様が?もうか…屋敷の者たちは、全員逃がしてあるな?」

「は。だれ一人残っておりません。当分暮らしていけるだけの物品も、ご指示通り与えております」

「それでいい、お前もいけ!」

「ですが…」

「いいから、早く行け!」


 シツジさんが悔しそうに身をひるがえすのを見届けるなり手近な部屋に駆けこんだシェスは、窓を大きく開けてニニを窓枠の上にそっと乗せた。


「……ニニ。いいかい、ここからすぐ離れるんだ。もうここに帰ってきちゃいけない」


 え?シェスの言ってることが分からなくてぽかんとしていると、綺麗な顔が目の前で歪んだ。


「ごめん、ニニ。君はここに居ちゃいけないんだ。ほら、はやくおいき」


『シェス?』


 なんで?ここにいていいよって、言ってくれたのに。ニニをシェスの猫にしてくれるって、言ってくれたのに。


 戸惑うニニを痛そうに見て、シェスはすっと息を吸った。一瞬目を閉じて、ためらいを振り切るようにニニを掴む。


『シェス!?』


 ニーニーと強く鳴いても、シェスは止まらない。抵抗もできずに持ち上げられたニニは、自分の体がぱっと宙に浮いたのを感じた。最後にシェスの悲しそうな顔が、窓の奥にちらりと見えて、それっきり。


                    


                       ★


 愛猫を外に落として、シェスはすぐさま窓を閉めた。壁に身を着けてそっと目だけで外の様子を窺う。ニーニーと悲しげにしていた鳴き声がだんだん弱まって、やがて真っ白な後姿がとぼとぼと庭を横切って消えていった。


 これでいい。ほっと息をついて、床に座り込む。もう使用人一人いない屋敷は、不気味なくらいに静まり返っている。床に落ちていた小さなガラス細工を何気なく拾い上げて、眺める。これももう間もなく、壊されるだろう。これだけではない、家具も、書類も、残っている食材も、庭の木々も。きっともうじきすべてが跡形もなく燃やし尽くされる。


 粛清なのだそうだ。シェス=ルザート公爵は、あまりに大きな力を持ちすぎた。そもそも血筋を遡れば、彼の祖父は先代国王で、父は元王太子。現王の兄だった彼が、普通の貴族令嬢と恋に落ちて臣籍降下したのが、若干十五年前のこと。穏やかな暮らしを望んでいた両親の元には、けれども次第に様々な懇願が舞い込んでくるようになった。


 その中でも最も多かったのが、彼の国王即位を願う声。王太子となってすぐに先代が崩御し、新たな王となった元第二王子は、それまでの大人しさが嘘のように圧政を始めた。気に入らぬものは処刑、流罪、鞭打ち。諫言に耳を傾けようともせず、重用するのは見え透いたお世辞を語るものばかり。控えめに言っても暴君となった彼の退位を人々は願い、その先頭に立ってほしいのだとシェスの父は度々願われていた。


 父、ゼイヤは王位など以ての外だと彼らを一蹴した。一度引いた身で、今更のこのこと王座に帰れようかと。


 けれども、そんな父の声にも、平穏をと願った母の想いにも、誰も何一つ応えぬままに。そうして、ある日唐突に、シェスの両親は帰らぬ人となった。


 事故だと、表向きはそうなっている。けれど、両親は殺されたのだ。王に。王は、血のつながった実の兄を、己を邪魔する可能性を秘めているとただそれだけの理由で殺したのだ。その日から、まだ八つになったばかりだったシェスが公爵となった。後見も協力者もいない、だって表立って味方すれば彼らの命が危うい。影の支持者はいたけれど、彼らにとってシェスは王座を取り戻す可能性でしかない。シェスを、八つの子供を見るように見てくれる者は、ひとりもいなかった。


『…可愛いね、真っ白で。名前はないの?そうだな、じゃあニーニー鳴いているから、ニニって呼んでもいいかな』


 そんな絶望の中にいた日々に出会ったのが、ニニだった。真っ白でふわふわした、かわいらしい子猫。無邪気にピンク色の鼻をすり寄せてくる彼女を見た瞬間に、ぱっと目の前が明るくなった気がした。誰一人見てくれない自分を、この子猫は見てくれるんじゃないかと。


 ふらりと現れては気まぐれに去っていくニニを心待ちにして、日々を過ごすようになった。いつも日が暮れる前には去ってしまうニニが、その日は帰るそぶりを見せなくて。どうしても離したくなかった。まるでシェスの言葉を理解しているかのように、冗談を言うと笑っているような表情を見せて、気分が沈んでいるときにはそばにいてくれる。


 誰よりも自分を理解してくれているニニに、ずっとそばにいてほしかった。


『そばにいてくれる?』


 恐る恐るの問いかけに、優しくニーと鳴いてくれたあの日、両親を亡くして凍り付いていたシェスの心は確かに救われたのだ。




 けれど。そうして始まった穏やかの日々は、たった数年で終わりを迎えた。


『領民の税が上げられている!?誰がそんな指示を!』


 王は、王家は、自らに弓引く可能性のあるシェスを放っておいてはくれなかった。


 始まりは、裏から手をまわして領民に法外な値の税をかけた。生活に苦しむ民が暴動を起こせば占めたものだとでも思ったのだろう。残念ながら領民は王が思っていたよりはるかに賢かったので、シェスは事情を伝えに来た彼らにむしろ励まされてしまったが。


 すぐさま税を下げ、これが領主の意思によるものではないというふれを出して、その件は特に大ごとにもならず収まった。


 しかし、それからも王家は姑息なあの手この手を使ってルザートの名を貶めようとしてきた。子供でもしない下品な嫌がらせでも、実行が王家であればその影響は驚くほど大きい。下らないことの火消しに奔走して、だんだんと家に帰れない日も増えていった。真実、王家がまき散らす噂を信じている者などいないだろう。けれど表立って信じないと言えば、それは王家への反逆と取られる可能性がある。


 味方がいないどころか敵だらけとなった貴族社会で生きていくのがひたすら苦痛で、かといって爵位返上ものらりくらりと躱される。目の届かないところから狙われることを恐れているのだろう。そんなことはしない、する気はない、だから自由にしてくれ。


 一体何度そう叫んだことか。きっと数え切ることはできないだろが、何度頼もうと聞き入れられることはなかったし、王家の嫌がらせが途切れることもないままに歳月は経っていく。そして、王家は。


『ねえ、公爵。わたくしの側仕えになりなさい』


 第二王女、レーリがそう言いだしたとき、目の前が真っ暗になった。彼女の残虐な性格は有名で、側仕えが名ばかりなのもまた周知の事実。「しつけ」の名目で命を奪われたものも、決して少なくない。それが王家から煙たく思われているシェスならば尚のこと。受ければ生きては帰れない、受けなければきっと反逆罪に問われて殺される。


 ならばもう、迷うことなどない。



                    ★


「ああ、こんなところにいた」


 傲慢さがにじんだ声に、俯けていた顔をゆっくりと上げる。金髪を自慢げに揺らす女に、つい顔を顰める。金こそが至上だと、常々彼女はそう言う。


「あら公爵、いかがなさったの?ああ、わたくしの髪がうらやましいのかしら?そうね、王家の血が濃い者しか持てない金髪を、貴方は持っていないものね」


 今まで言ってやりたいことは山ほどあったけれど、じっと耐えて言わないできた。耐え忍ぶことでニニとの穏やかな時間が守れるのならと、ずっとそう思っていた。


「さ、公爵、行くのよ。いいえ、もう公爵じゃないわね、ただの側仕えだもの。さっさと準備なさい」

「――――断る」

「え」

「貴様の側仕えになど、誰がなるものか」


 堰は、自分の手で切るものだ。ゆえにそこに後悔など一切ない。驚愕の面持ちを見て、シェスは冷ややかに笑った。もう我慢する必要はない、耐えようが耐えまいが結末は変わらないのだから。


「シェス、貴方何を言って」

「うるさい、名を気安く呼ぶな。威光を笠に着るしか能のない女に、私の名を呼ぶことなど許さん」

「……公爵風情が、何を調子に乗って!」

「少なくとも二番煎じの姫君よりは王位に近い。帰って王室規範と継承権録でも見直してきたらどうだ」

「え、えらそうに、貴方なんて金の髪でもないくせに」


 顔を赤くして怒る女を見て、シェスはハハッと笑い声をあげた。金の髪?確かにそうだ、シェスの髪は母譲りの濡れ羽色。――――だからなんだ。


「生憎私はこの黒髪を気に入っている。誰かのような下品な濃い金髪など頼まれても願い下げだ」

「ッ王女を馬鹿にするなんて、許されないわよ!」

「どうせ言おうが言うまいが許されないと決まっているのだろう、なにを戯けたことを…」

「う、うるさいうるさい!」


 感情的になった王女が髪を振り乱して絶叫する。うるさいのは確実に彼女のほうだったが、シェスは黙ってそれを見ていた。


「お、おまえを、王家への反逆者とみなして、この場で処刑を執り行う!せいぜい泣いて跪くがいいわ、許してなどやらないけどね!あはははは!」


 けたたましく笑う王女の前で、一つ嘆息して立ち上がる。


「な、なによ」

 

 訝し気にじりっと後ずさる王女を見て、シェスは腰の剣をすらりと引き抜いた。殺す気で来るのは分かり切っていたので、お飾りのレイピアなどではなく正真正銘の実戦用だ。


「ただ殺されてやる気はない。こい、十人や二十人は道連れにしてやる」

「何を馬鹿なことを、剣の稽古もろくに受けていないお前が!」


 やれ、と駆けられた号令に飛び出してきた数人を、一閃で切り捨てた。躊躇いなどしない、王女に付き従っている以上は敵だ。


「なっ」

「確かに習ってはいないから、型はなっていないかもしれないな。が、腕が立つかどうかはまた別の話だ」


 言いながら、再びかかってきた何人かと剣を交える。四方を囲まれた状態からぐるりと刃を回して全員に刃を届かせる。音もなく崩れ落ちた男たちを見下ろして、シェスは軽く鼻を鳴らした。


「王女よ。王家が私に送り込んできた暗殺者は、もう少し腕が立った。近衛としておくにはあまりに粗末だと思うが」


 次から次に送り込まれてくる暗殺者に、鍛えられてきた。誰も教えてくれない、負ければ死が待つという恐怖が、飛躍的にシェスを強くしたのだ。


「どうせ何を言おうと変わらないのだから言いたいことを言わせてもらおう、王家はそう遠くないうちに滅びる。最早優秀な家臣たちは残らず王家を見捨てているし、軍部は反旗を翻す機会を今か今かと待っている。――そして今日、私が死ぬ。これは絶好の機会だろう」


 笑って見せれば、王女の顔は呆けたものからだんだんと怒りの色をまとったそれに変わっていった。


「ありもしないことを…!」

「現に、何より強くなくてはならない近衛が私ごときに押されているだろう。切り捨てる前に、少しはその足りない頭で考えてみたらどうだ」


 言いたくても言えなかったことを好きに言えるとは、これほどに気持ちいいことだったのか。一切の手加減なしに言ってやると、王女は黙れ、と叫んだ。


「お前が、黒髪の、公爵ごときのお前が、この私に指図するなど…!」

「何度も言うが、私は金髪に何の価値も感じない。むしろ嫌悪の対象だ」

「噓よ!誰もが金の髪をうらやましがるわ、染めるものも大勢いる。それを持って生まれたわたくしが、うらやましくないはずなんて…!」


 喚く王女に、シェスは苦笑した。歪んだ価値観の中で生きてきた彼女には、きっといくら説いても分からない。別にそんなこと、どうだっていいけれど。


「うらやましくなどない。私が一番好きな色は、」


 あの、柔らかくてフワフワとした、美しい毛並みの。自然に、笑みがこぼれた。





「白だ」





 ああ、ニニ。


 一人、また一人と兵士を倒しながらシェスは笑う。ニニ。ずっとそばにいてくれた、彼だけのかわいい猫。恋愛なんて縁のなかった人生の中で、穏やかな安らぎをくれたのは、ニニだった。


 ニニ。突然追い出されて、きっと困惑しているだろう。もう成猫も通り越して寿命がわずかな彼女に、野生に帰る力が残されているのかもわからない。けれど、こんなところで道連れにはできなかったのだ。


 どうか、心優しい人に拾われて、今度こそ穏やかな安寧を。そして時々、昔おかしな飼い主がいたなと、ほんの少しでも自分のことを思い出してくれたらそれ以上嬉しいことなんてない。


「――――――――」


 気が緩んだ。その一瞬をついて、自分のほうに飛んでくる矢が見えた。この距離では避けられない、反応しようにも気づくのが致命的に遅れた。これまでかと、静かに矢を見つめた、その瞬間に。


 一陣の白い光が、飛び込んできた。


「……え」


 ニー。


 シェスに向けられた矢を身を以て止めた小さな小さな生き物は、呆然としたつぶやきに応えるように薄く目を開けて、小さく鳴いた。


「ニニ!?」


 慌てて抱き上げるも、矢は深々と体に突き刺さっている。荒い息は紛れもなくニニの死が近いことを示している。


「ニニ、どうして、しっかりしろ、ニニ!」


 がくがくと震える手の中で、ニニの瞳はシェスを見ていた。その瞼が、ゆっくり閉じていって。


 ニイ。


 消え入るような鳴き声を最後に、ニニは二度と目を開けなかった。


「ニニ、ニニ!」

「……ホホホ、なんて愚かな猫!」


 シェスの絶叫にかぶさる笑声は、王女のものだ。


「どうせかばったところで助かりもしないものを無駄死になんて、いかにもお前の猫らしいこと!」


 その言葉に、うずくまってニニを呼んでいたシェスの中で、何かが切れた。


「……そうだな」


 そっとニニを地面に横たえて、ゆらりと立ち上がる。まとう気配が変わったのを察して切り付けてきた兵士たちを、シェスはまとめて()()()()()


「なっ!?」

「ニニを殺した貴様らには、皆殺しが似合いだ。道連れなどしない、勝手に逝け」


 防戦一方だったシェスが切り込んでくるのに、兵士たちがひきつった叫びをあげる。


 死ぬものか。ニニの死が無駄死にだったなどと、二度と言わせない。ここで死んでいる場合じゃない。


 ためらいを捨てたシェスの剣さばきは、常人離れしていた。前後左右から不規則に飛んでくる矢を見もせずに柄でさばき、その間にも刃先は兵たちを次々に切り裂いていく。


 勝てるわけがない。彼らは、知らなかった。シェスの逆鱗が、ちっぽけな猫だったということなど。










 ―――――――――そして、長いような短いような時間がたった時、そこに立っていたのはシェスだけで、辺りには遺体が累々と広がっていた。途中で逃げたのだろう、王女の姿はない。彼女を許す気など毛頭ないが、城に戻ったところでどのみちじき断罪される身だ。今焦って手を下す必要はなかった。


 誰も転がっていない隅の一角に、おぼつかない足取りで歩いていく。


「――ニニ」


 もう動くことも、かわいらしい声で鳴くこともない、シェスの最愛の存在。全てが絶望の色で塗りつぶされていた日々の中にあった、唯一の救い。もう彼女を亡くした今、シェスの世界に光はない。


「……だけど、生きるよ、ニニ」


 ぽつりとつぶやく。人ではないニニにこんな感情を抱くなんて、おかしいのかもしれない。けれど、きっと父が母に向けていたのと同じ感情が向かう先は、ニニだけだ。


「君がくれた命だ、粗末に扱ったりしない。きっと、生きて見せるから…」


 透明な雫が、地面に染みを作る。


 ニニ。きっと生きる、生き抜いてみせる。だから、どうか。


「もう一度、僕に会いに来てくれないかな―――――― 」





                        ★


 シェスの様子が変だ。ニニは、やっぱり戻ろうと踵を返した。もしかして、ほんとにシェスがニニのことを嫌いになっちゃったりしたのかもしれないなとは思ったけど、なんだか心配だった。


 こっそり見て、なんともなかったらちゃんと出ていこう。だから、シェス。こっそり最後のお別れを言うくらいは、許してね。





 けれど。戻った先で見たのは、たくさんの人たちに囲まれているシェスだった。


 中央にいる女の人が何か叫んだ瞬間、たくさんの人たちが剣でシェスを切ろうと向かっていく。


 なんで?シェスに会いに来る人は今まで、みんな礼儀正しかったのに。剣を向けるなんて、酷いことだ。猫だって喧嘩の時に爪を使うのにはためらうのに、どうしてあの人たちは、嬉しそうにシェスを切るの?


 訳が分からなくて、助けを求めるように周りを見た瞬間。


 きらりと、木々の奥で何かが光った。


 考える間もなく、体が動く。あれは、だめだ。きっとあれは、シェスに何か悪いものだ。


 だめ。シェスに、悪いことはさせない。


「っ」


 体を貫く痛みが襲う。猫の得意技である身軽な着地もできず、どさっと格好悪い落ち方をした。


「ニニ!」


 シェスが、青い顔で駆け寄ってくる。


 シェス、大丈夫だよ。シェスが痛くないなら、いいんだよ。だから、そんなに悲しそうな顔しないで。


「ニー」


 いつもみたいにニーニーニーニー鳴きたいのに、そんな力はもう残っていない。でも大丈夫、大丈夫だよ、シェス。だってニニは、シェスのことが大好きなんだから。シェスが無事ならそれだけで嬉しいの。だから、ねえ、シェス。


『さよなら、大好きな人』


 ニー。精一杯の愛の言葉を絞り出して、シェスを守れた安心感に逆らうことなく、ニニはコトンと眠りに落ちた。










『…だあれ、ここどこ?カミサマ?えらいの?』


『なんでもご褒美?ニニにくれるの?』


『じゃあ、これ。え、よく考えなくていいのかって?うん、ニニの欲しいの、一個しかないよ』


『うん。うん…。わかった、ありがと、カミサマ』






                      ★



 前王家が転覆したあの日から、十五年。先々王の血を引く新たな王は、即位と同時に側近や重要な役職についていた貴族の顔ぶれを一掃し、みるみるうちに傾いていた国を立て直した。元々王家から目をつけられていたものの民衆からの支持は強く、王としての素質にも優れていた。


 家臣たちは口をそろえて彼を褒め称え、従っていたが―――唯一、妃を一向に迎えようとしないことだけには苦言を呈していた。


 私の一生は、猫に捧げるものだと、国王はそう頑なに言い張る。世継ぎなど養子をもらえば済むことだと。かの折まだ十三に過ぎなかった王は、十五年を経た今でも三十路に手が届かない。焦ることではないとはいえ、このままでは――と家来たちが焦燥を募らせていた時。








「王様」


 庭の散策中に後ろから声をかけられて何気なく振り向いたシェスは、息をのんだ。


 たぐいまれな美女ではない。かわいらしい顔立ちではあるものの、王都にひしめく美しい女たちとは比べるべくもないだろう。けれど、王が驚いたのはそんなところじゃない。


「今日から、王宮の女官になりました。以後、お見知りおきを」


 普通の女官であれば、誰一人不敬を恐れて近寄ろうとしないシェスに、笑ってそう言う彼女の髪は。


 光沢をまとって美しく輝く、白色だった。


「そなた、まさか」


 期待と、違ったらという恐ろしさで胸が早鐘を打つ。怯えるようになされた問いかけに、娘は笑った。ほのかにピンク色の鼻が、嬉しそうにぴくんと動く。


「まさか」


 震え、消えそうにかすれた声に応えるように、娘の口がゆっくり開いて、いって。






「ニー」







 国王には、その数か月後に妃ができた。知り合ってまだ日も浅いはずの女官が相手ではあったが、周囲が驚くほどに仲は良好で、王家は安泰だと家臣たちも安堵した。


 ただ。国王が執拗に妃を抱き上げることや、妃の髪を撫でるのがあまりにも好きなこと、時折部屋の隅で丸くなって日に当たる妃の姿などを見て、それらの行動に首をひねる者は、非常に多かったのだという。



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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 男の子とメス猫との友愛の交流は、二人にとって最高の形で結ばれて良かったですね。
[良い点] 死んだ後に神様がいることも次の生があることも ご都合主義かもしれません。 生まれ変わったのちにただの女官が王様の后になることも。 でも、そんな世界があってもよい。そう思いました。
[一言] 切なくて、でもとても暖かな、優しいお話で大好きです。 これからもそんなお話を沢山書いてくださいね。
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