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家族の記憶  作者: 朱鈴
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※若干残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。

 異常に気づいたヤーセニが家に戻った頃には、すでにオリハは息絶えていた。息子を守るように覆い被さったその背中には、数え切れない刺傷が刻み込まれ、顔は原型も留めぬほどに焼けただれており、アガフィヤの計り知れぬ恨みの深さが伺えた。


 最愛の妻を殺され、息子を危険に晒されたヤーセニは、アガフィヤと相討ちとなった。敵討ちに燃えたヤーセニは鉈を振り回すアガフィヤに小刀で対抗し、血塗れになりながらも、妻が絶命した暖炉の側から最も離れた部屋の隅へと彼女を追い詰めた。だが、最後の足掻きとばかりに振り下ろされたアガフィヤの鉈は、ヤーセニの左のこめかみから頬骨までを深く抉ったのだ。それは彼の致命傷となった。だがヤーセニの方も最期の力を振り絞り、アガフィヤの左肩に小刀を突き立て、彼女に深手を負わせた。




 遊びに出掛けていたマリンカの耳に惨劇の知らせが入った時には、すでに村中で大騒ぎになっていた。幼い弟の身を案じた彼女は友人一家が止めるのも聞かず、一目散に家に駆け戻った。そして見てしまったのだ。床や壁のみならず天井にまで血飛沫が飛び散った部屋と、そこに横たわる変わり果てた両親の姿を。






「私が村に帰ってきたのはその二日後だった。あの女はあろうことか、私が手を下す前に自害しおった。さすがにあやつの一族まで手にかけるつもりはなかったが、血の復讐の連鎖を恐れてか全員早々に村を去って行った。今頃どこでどうしているかは知らぬ」


グルディージャは息をついた。マリンカのすすり泣く声が寝室に響いた。


「あの事件はアガフィヤの一方的な思い込みゆえの凶行だったのだから、本来は血の復讐というべきではないのだろう。だが、本当はオリハがあの女の子供を呪ったのではないか、と疑う者は一部だが今もおる。忌まわしいことにな。お前に酷いことを言ったバトゥとかいう子供も、おおかたそういった連中に何か吹き込まれたに違いない」


 グルディージャは、オリハたちが殺された当時の家は取り壊して今の家に建て替えたこと、イズメイルが見た部屋は、取り壊す前の家の居間であり、あの頃は今よりも大きな家に住んでいたことを告げて、両親の死の真相を語り終えた。




 戦慄くように開かれたイズメイルの口から言葉が出ることはなく、手も足も凍り付いたように動かない。あまりに凄惨な真実を受け入れた脳が、動くことを止めてしまったようだった。姉の腕の温もりをどこか遠くで感じながら、イズメイルは顔を上げた。自分を抱き、痛みと苦しみに耐えるように固く目を閉じてはらはらと涙をこぼす姉の顔を、彼はじっと見つめる。


 ふいに腹の底から、熱く苦味を含んだ塊が込み上げてきた。それは、イズメイルの喉元で激情を伴って膨れ上がり、破裂するように言葉となって飛び出した。


「……僕のせいで母様と父様は死んだんだ」


 言った途端、頬を涙が伝った。これ以上耐えられなかった。イズメイルは顔を歪めて声を上げて泣き出した。


「姉様、お婆様ごめんなさい。僕を助けようとしたから母様と父様は死んじゃったんだ。僕のせいでごめんなさい、ごめんなさい」


 話を始める前、グルディージャは"真実を知ることは時に大きな痛みを伴う"と言った。その通りだった。もたらされた真実は、イズメイルの綿毛のような柔らかな心を引き裂いた。


 自分を守るために母は殺され、父もまた命を落とした。姉からは両親を、祖母からは娘とその婿を奪ってしまった。自分さえいなければ、母は魔術で対抗できたかもしれない。母が殺されなければ父も死ぬことはなかったかもしれない。全てはこの自分のせいなのだ。それなのに、自分は姉に酷い言葉を吐き、傷付けた。


 イズメイルは自身を責めた。バトゥの言ったことは正しかったのだ。母は人殺しではなかったが、自分は確かに二人を死なせてしまった。自分は両親を殺したのだ。二人に呪われていてもおかしくない。


 イズメイルの胸中で、祖母と姉、そして父と母への罪の意識と自分への怨憎がせめぎ合う。このまま消えてしまいたいとさえ思った。


「僕の、せいで、僕がいなければ……っ」


「違うわ、イズ。あなたのせいじゃない。あなたは何も悪くないのよ、私の可愛いイズ」


 マリンカは、すでに呼吸すら困難なほどにしゃくり上げるイズメイルの身体を強く抱き締めた。それでも絞り出すように苦しげに「ごめんなさい」と繰り返す彼の姿は、あまりにもいたたまれなかった。弟の苦しみを和らげてやるために何をしてやればよいのか分からず、マリンカは途方に暮れる。


 その時だった。


「いい加減にせんか、このうつけ者が!」


 祖母の怒鳴り声に、イズメイルは思わずびくりと肩を震わせた。マリンカも息を飲む。彼がしゃくり上げながら怯えも露な眼差しを祖母に向けると、彼女は大きな手で孫の肩をがっしりと掴み、ずいと顔を寄せた。


「私がお前に両親のことを話したのは、お前が知りたいと言ったからだ。そのように自分を責めろなどと誰が言った?」


 グルディージャは、孫の揺れるエメラルド色の瞳を、怒りのこもった眼差しで真っ直ぐ見つめた。イズメイルも、激昂する祖母に縛り付けられたように目が離せなかった。


「お前が二人を殺しただって? お前が全て悪いだって? 阿呆か貴様は。オリハとヤーセニを殺したのはアガフィヤだ。あの女がその手で二人を手にかけたのだ。お前はいったい何をした? その場で二人が死ぬようなたいそれたことをしたのか? え?」


「で、でも、母様は僕を庇って、死んだのでしょう? 僕がいな、ければ……」


「だからその考えが阿呆だと言っておるのだ!」


 グルディージャの大音声は部屋に響き渡った。


「そこにいただけのお前が全て悪かったのだとすればアガフィヤの罪はどうなる? 命をかけてお前を守り抜いたオリハの意志はどうなる? これ以上お前に危害が加えられぬようアガフィヤを手にかけたヤーセニの覚悟は? お前はそれら全てを否定してなお自らが悪いと言うのか? ふざけるのも大概におし! そんなものはお前の思い上がりだ。傲慢にも程がある。お前がすべきは父母の仇であるアガフィヤの罪を憎み、お前の命を守った両親に感謝することではないのか? 違うか? それを自分が悪いだの自分が殺しただの的外れなことばかり言いおって。私はお前にそんなことを思わせるためにこの話をしたのではないよ!ちょっとは賢くおなり!」


 グルディージャは肩で息をしながら再び何かを言おうと口を開いた。が、そこから言葉が発せられることはなく、ふいにその皺だらけの顔を泣きそうに歪めた。そして、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら震える子供の肩を愛しげに抱き寄せ、その背中まで波打つ柔らかな髪を静かに慈しむように撫でてやる。


「本当にお前は馬鹿な子だ。馬鹿で阿呆で考えの足りない子だよ。母が子を守るのは当然であろう。オリハとて当たり前のことをしたまで。たとえそれで命を落とすことになったとしても、あの子も私もマリンカも、お前を憎んだりなんかするものか。お前はあの子が命をかけて守った愛しい可愛い子だ。その子を私たちが愛さぬはずがないだろう? なぜそれが分からぬ」


 祖母の胸は温かかった。このように抱き締められたのは初めてだった。イズメイルは祖母の背中に手を回し、かつてオリハも抱いたであろう愛情に満ちた広い懐に頬を寄せる。グルディージャは、安心させるように孫の背中を叩いて、確信のこもった声で言った。


「可愛いイズメイル、私もマリンカも、お前を愛している。お前の幸せを願っているのだよ」


 イズメイルは祖母を見上げた。マリンカも二人に寄り添い、弟の頬を優しく撫でた。


「姉様もあなたを愛しているわ。お父様とお母様が残してくれた大切な弟ですもの。世界で一番あなたが大好きよ、可愛いイズ」


 イズメイルの目から先程までとは違う温かな涙がこぼれ落ち、頬を伝った。傷付いて頑なになっていた心が溶かされてゆくようだった。


「……ごめんなさい。ごめんなさい、お婆様、姉様」


 そう言って泣きじゃくる幼い子供の言葉が、もはや先程までの悲痛の色を帯びていないことは明らかだった。

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