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家族の記憶  作者: 朱鈴
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若干の残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。


 身内の仇に制裁を


 情けは無用 血の復讐だ


 お前の父がやられたら


 相手の喉をかっ捌け


 お前の母がやられたら


 相手の腹を切り開け


 お前の兄がやられたら


 相手の手足を切り落とせ


 お前の姉がやられたら


 相手の目玉を抉り出せ


 お前自身がやられたら


 相手を死ぬまで呪い続けろ


 身内の仇に制裁を


 憎いあいつに血の復讐を




 甦るのは、村の外れの焼け跡も露なおぞましい廃屋に響き渡る、不釣り合いなまでに無邪気な子供の歌声。その中に幼い自分の声も混ざっている。


 当時は"ちのふくしゅう"が何かも分かっていなかった。だから、年上の少年たちの度胸試しとやらについて行った先で、深く考えずに彼らに倣い、例の歌を面白おかしく歌いながらけらけらと笑っていた。その場所が血の復讐の応酬の果てに滅びた一族の最期の住み処だったと聞かされ、自分がふざけ半分に茶化した"血の復讐"というものがどういうものなのかを教え聞かされたのは、迎えにやって来た祖母に大目玉を食らわされて姉の胸で泣いている最中だった。


 その日から血の復讐という言葉は、陰惨な童歌と亡霊のように佇む廃屋の光景と共に、忍び寄るような恐怖を伴って幼い少年の胸に刻み込まれることになったのだ。




 誰かを手にかけ、その命を奪った者はその者の身内によって必ず死を与えられる。身内を殺された者は、例え我が身を滅ぼしても必ず相手に死を与えなければならない。




 血の復讐は、キスギル大山脈の麓に生きるシャンダルの民の間で脈々と受け継がれてきた、魔術師の一族がもたらす平和の裏側を支える血塗られた掟だった。





 我に返ったイズメイルの全身から血の気が引いた。底冷えのするような震えが走り、腕が泡立つ。


「そんな……。だって、姉様、父様と母様は人殺しじゃないって……」


 血の復讐で殺される者は、誰かの命を奪った者に他ならない。青ざめた顔で姉を見上げたイズメイルを、マリンカは強く抱き締める。


「大丈夫よ、イズ。お母様は誰も殺してなんかいないわ。血の復讐だなんて相手の言いがかりだったのですもの」


 姉がすすり泣く声が頭上から聞こえる。イズメイルは祖母の顔を仰ぎ見た。苦渋に満ちた表情で、グルディージャはゆっくりと語り始めた。






 イズメイルとマリンカの母オリハは、祖母と先祖から受け継いだ豊かな魔力をその身に宿した女性だった。数ある魔術の中でも病や怪我の治癒を最も得意としていた彼女は、村人たちの心の拠り所といっても過言ではなく、病人が出たとあれば例えそれが夜中であっても駆け付けたし、馬で一日がかりの隣村まで重い魔道具と薬草を抱えて赴くことも少なくなかった。


 少々男勝りで勝ち気ではあったが、大輪の花が微笑むような美貌と快活な笑顔を持ち、思いやり深くよく気の利くオリハの周りには自然と人が集まった。オリハの周囲は幸せに満ち溢れているようだった。




 しかし、誰からも慕われるオリハを気に入らない人物は、確かに村の中に存在した。彼女とさほど年の変わらない女、アガフィヤがそうだった。




 オリハとアガフィヤは子供の頃から折り合いが悪かった。どちらも器量のよい娘ではあったが、華やかで明るく人当たりのよいオリハに比べ、アガフィヤの方は陰気で思い込みが激しく、物言いのきつい娘だった。お互いに正反対の気質を持つ二人の娘は、顔を合わせるたびに言い争い、いがみ合った。それでも少女の頃はまだ微笑ましいと言っても差し支えなかっただろう。




 やがて二人とも年頃になると、それぞれ結婚し、子を得た。だが両者の仲は改善するどころか、より険悪なものとなっていった。オリハとその夫ヤーセニが愛情を深め、幸せな家庭を築く一方で、アガフィヤは夫となった者との間に口論が絶えなかった。一人娘をもうけはしたものの、アガフィヤの口の悪さと独り善がりな激情は夫の愛情を遠ざけるには充分だった。やがて、自分の不幸はオリハの呪いに違いないと思い込んだ彼女は、必要以上にオリハを憎悪するようになった。


 そんな時だった。アガフィヤの七つになる娘が倒れたのは。


 芯から冷えるような冬の日の、夜もすっかり更けた頃。半狂乱になったアガフィヤの家に呼ばれたのは、よりによってオリハだった。


 もし、その時グルディージャが在宅であったら、間違いなく彼女が呼ばれていただろう。しかし、あいにく彼女は別件で遠方の村まで赴いており、その帰還を待っていられる状況ではなかった。そこで、嫌悪も露に錯乱するアガフィヤを宥め、彼女の夫とその家族が呼んだのがオリハだったのだ。当時、村にいた者の中で、倒れた子供を助けられるだけの知識と技量を備えていたのは彼女だけだった。




 オリハは嫌いな相手の身内だからといって、治療に手を抜くような人間ではなかった。ましてや病気の相手を死に至らしめるような呪術をかけるなどといった卑劣な行為は、彼女が最も忌み嫌うものだった。実際、急遽呼ばれたオリハが、夫のヤーセニの心配もよそに、治癒魔術のために必要なありったけの薬草と手に持てるだけの道具を抱えて家を飛び出したのを、マリンカは見ていた。


 それでも人の、それも幼い子供のか細い命の糸を繋げてやるには、人である以上限界があった。


 アガフィヤの娘は、オリハの治療の甲斐なく、翌朝に息を引き取った。苦しむことなく逝ったようだった。


 人の死は、たとえ一部族を支配するだけの力を備えた魔術師であっても、どうすることもできない。そればかりは神々の手に委ねられる領域であり、人がおいそれと手を出せるものではないのだ。オリハは確かに手を尽くした。不幸にも今回それが及ばなかったことは、惜しまれることではあったが、決して責められることではなかった。


 だが、アガフィヤには納得できなかった。


 憎くて憎くてたまらないあのオリハが、不幸な自分を嘲笑うだけでは事足りず、治療をする振りをして罪のない娘を呪い殺した。


 夫の愛を失い、愛娘までを亡くしたアガフィヤは、そう思い込むことでしか、自我を保てなかった。彼女のやり場のない悲しみと鬱憤が、歪んだ狂気となってオリハとその家族に向かうまでに、そう時間はかからなかった。




 その日の午後、オリハは家にいた。底冷えのするような冷たい風が吹く日だった。ヤーセニは家畜の世話のために家を離れ、マリンカは親友ヤナの家に遊びに行っていた。一歳になったばかりのイズメイルはのんびりとうたた寝をし、オリハはそれを見守りながら手仕事に勤しむ。いつもと変わらない、平和な一時だった。


 そんな時だったのだ。アガフィヤが乗り込んできたのは。






「あの女はもともと気性の歪んだ女だったが、その時にはなけなしの理性すらも失っていたようだった。あの女は終止、オリハに娘を呪い殺されたと抜かしておったが、あの娘がそのような愚かなことをするはずがなかろう」


 悲痛な祖母の言葉に、イズメイルは声も出せず、瞬きすら忘れた。




 ――血の復讐だ! 娘の仇を取ってやる!




 どこか遠くで女の叫び声と恐ろしい悲鳴が聞こえた気がした。


 同時に、目の奥でパチパチと赤や青の閃光が弾け、激しい頭痛と共に視界が赤く染まる。イズメイルは耐えきれずに頭を抱え込んで目を瞑った。祖母と姉が自分の名前を呼ぶ声が聞こえたが、それらは次第に遠ざかり、再び常軌を逸した絶叫が頭蓋の中で響き渡った。


 ――お前がガヤネを殺したようにお前の子供も殺してやる!


 目を開けると、そこは寝室ではなかった。見覚えのない大きな部屋で、暖炉には赤々と炎が燃えている。自分はその部屋で、いつもよりも随分と低い位置から部屋を眺めていた。そして、落ち窪んだ眼窩の奥で目を血走らせ、うねるような黒髪を振り乱した恐ろしい形相の女が、血塗れの鉈を片手に自らも血を浴びて自分を見据えていることに気がつく。


 ここはどこで、何が起こっているのか。


 それを理解するよりも、自分に向かって突進してきた女が、大声で喚きながら自分の身体を乱暴に掴み上げる方が早かった。ぐるりと反転した視界の端で、蛇の舌を思わせる暖炉の炎が獲物を待ち構えるように燃えていた。


 ――死ね! この恨みを思い知れ!


 暖炉に投げ込まれると思った。


 その瞬間。叫び声と共に、強い力で女の手から身体が引き剥がされた。大きな黒い影に視界を覆われ、それに抱え込まれたまま彼は床に転がる。背中を打ち付ける衝撃を確かに感じた。微かに開けた視界の向こうに、鉈を振りかぶった黒髪の女が見えた。鉈は黒い影に鈍い音を立てて食い込み、生温い液体が己の身体に降り注ぐ。


 言葉にならない幼い子供の悲鳴と、自分の名を呼ぶ姉の声が重なった。






「イズ! イズ! しっかりしてちょうだい!」


 イズメイルは正気に戻った。靄が払われたように鮮明になった視界に、姉の取り乱した顔が飛び込んでくる。黒髪の恐ろしい女も、燃える暖炉と黒い影も、どこにもなかった。たった今目の前に現れた壮絶な光景は一瞬でかき消され、見慣れた寝室で見知った二つの顔が、彼を取り囲んでいた。


「……姉様?」


 呟くと、マリンカはほっとしたように涙ぐみ、イズメイルの小さな身体を抱きすくめた。何が起こったのか分からず、イズメイルは恐る恐るグルディージャを振り仰いだ。今起こったことを話すよう祖母に促され、彼は、先ほどの壮絶な白昼夢をとつとつと語ってみせる。聞き終えたグルディージャは痛ましげに顔を歪め、イズメイルの額をそっと指先でなぞった。


「それはおそらく、お前の魔力が持つあの日の記憶だ。黒髪の女はアガフィヤに間違いない。私たちの話が眠っていたお前の記憶を呼び覚ましたのだろう。お前は人よりも魔力が強いから、普通の人間が覚えていないような時分の記憶を持つこともあるだろうとは思っていたが……」


 イズメイルの大きな目が見開かれた。


「僕の、記憶……」


「あなたに覆い被さった影はきっとお母様よ。お母様はね、あなたをしっかりと抱き締めて死んでいたの」


 そう言ってマリンカは、甦った光景を振り払うようにきつく目を瞑った。その目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

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