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桐子 15歳・2・  

すっかり間が空いてしまいました。

お久しぶりです今晩は。

今日も桐子は失神しかけます(笑)

「おい、ボール洗っとけよ」

「はい!」

「そのあと店の外ホウキで掃いとけ」

「はい!」

「持ち帰り用の箱組み立てとけ」

「はい!」

「・・・・・・サービス用のキャンドル、」

「あ、それはさっき終わりました!」

「・・・・・・そうかよ」


 奇跡かと思った。

 採用されたのだ、フリュイ ドゥ セゾンに。

 土曜日曜は朝から晩まで、平日は夕方から店の中外を駆けずり回っている。材料に触るような仕事は、たぶんすることもないだろうけど、ものすごい充実感だ。

 なにしろ、あの美しいケーキが生まれるところを見ることができるのだ。

 父より少し上だと思われるオーナーパティシエはとても繊細に、でもダイナミックにケーキを作っていく。少しの狂いもなくクリームを絞り出す指先は、まさに芸術家のようだ。艶やかなナパージュを施された果実は、輝く宝石にしか見えないのだった。

 お姉さんから見習いといわれていた彼は───名前を此村喜一といった───全然見習いなんかじゃなくて、私の好きなガトーフレーズもフロマージュブランも今は彼の手によるものだった。

 もう、心の中で猛省しています。あのとき足を踏んづけてごめんなさい! でも、いまだ言えていないのだった。


「桐子ちゃん、疲れたでしょう?」

「いえ! もう、楽しくって!」


 販売担当は聡美さんといって、彼の3つ年上のお姉さんなのだ。喜一さんが26歳、お姉さんは29歳。もうお嫁さんに行ってしまったのだけれど、お手伝いをするために毎日通っているのだそう。

 私だってきっと実家がフリュイ ドゥ セゾンだったら毎日帰ってくるだろう。いや、今の家にだって帰りたいと思うけど、そういうことではなくて。


「お客さん引いたから、ささっと休憩しちゃいましょう。ほら喜一もお父さんもー」


 お昼に出勤しているときは順番に昼食をとるのだけれど、午後に休憩するときにはお客さんがいない時を見計らって、みんなでお茶をいただくのが習慣のようだった。

 そのときには必ずお店のケーキがお茶菓子として出る。いっぱい作りすぎちゃったからこれ、と出されることもあれば「桐子ちゃん、どれ食べたい?」と聞かれることもある。

 毎日ケーキを食べているのに、何でみんなスリムなんだろうかと最初の頃は思っていたけれど、今はもう不思議でも何でもない。

 とにかく運動量がすごいのだ。

 喜一さんに言われた「重いし寒い」のは当たり前。粉の袋はみんな20㎏30㎏平気であるし、お菓子を安全に作る部屋は暖かくては話にならない。ひとたび仕事が始まったら、ノンストップで動き続けるし(止まると死ぬのかと本気で思った)やらなければいけないことはあとからあとからわいてくるのだ。

 とにかく時間とタイミング、分量と気候、温度や湿度がとても重要な職場で、それを狂わせることなく違いを見逃すことなく、動き続ける。

 それがどんないすごいことか、学校でも習ってきているから、私は自分に出来る全部をする。

 お菓子と関係なくても表の花壇の掃除もするし、トイレの掃除もする。お客さんが来たらこれ以上ない笑顔で接客するし、オーダーやお釣りを間違えるなんてもっての他だ。

 二人が全神経を集中させて作った大事なケーキがお客さんのところで美味しく食べられる。何かの記念かもしれない。お父さんのお土産かもしれない。もしかしてボーナスをもらったから自分へのごほうびかもしれない。

 どんな理由であっても、ケーキが誰かを喜ばせるのに、私が水を差すようなことがあってはならない。

 私の接客で、掃除の不足で、オーダーミスで。嫌な思いをさせてしまったらオーナーたちの努力は台無しになってしまう。

 そんなことはあってはならないのだ。


「お・・・・・・いしい・・・・・・」

「桐子は本当にうまそうに食うなあ」

「うまそうなんじゃなくてうまいんです。もう、いま少し幽体離脱しかけました」


 オーナーは笑う。でも本当なんだけどな。

 はじめてイチゴのケーキを食べたときも、ビックリしすぎて倒れそうになったほどなんだけど。

 聡美さんはニコニコと笑って聞いていることがほとんどで、喜一さんはむっつりと黙っていることがほとんどだ。


 大方ケーキを食べ終わった頃に、ドアにつけたカウベルが大きく鳴った。きれいな女の人が立っていた。


「わー、どれにするか悩んじゃうなー」

「いらっしゃいませ」


 お客さんはショーケースをさらっと眺めると、顔をあげ私のことをじっと見た。


「・・・・・・山本さん、山本桐子ちゃん?」

「え、あ、はい」

「わあ、こんにちは。私、山本係長・・・・・・お父さんの下で働いてるの。今日は近くまで来たからちょっとご挨拶って思って」

「あ、そうなんですか」

「娘さんが近くのケーキ屋さんで働いているって聞いたから、もしかしてって思ったけど・・・・・・当たりだったね!」

「はあ・・・・・・」


 女の人は「お父さんはどのケーキが好きなの?」「どれがおすすめ?」などと聞きながら、ケーキやクッキーをたくさん買っていった。

 私は間違えないようにきれいに持っていけるように箱に詰めるのに必死だったけど、その上で違和感がぬぐえないでいた。

 そして彼女が店を出る前に『これ、私が作ったの。桐子ちゃんに似合うと思うから使ってね!』とピンクのリボンがついた包みを押し付けていった。


「完全に取り入ろうとしてるな」

「・・・・・・そんな感じがしました」


 普段あまりしゃべらない喜一さんの言葉は、ずっしりのし掛かるようだった。

 私のいるケーキ屋に、たぶん偶然入ってきたわけではなかっただろう。ちゃんと店の名前までリサーチした上でやって来たのだ。

 そこでケーキをたくさん買って、お父さんに手土産として持っていく。好感度は上がるだろうと容易に想像できる。


「お前んち母親いないんだっけ?」

「はい」


 厳密には父親も本当の父ではありませんが。


「父ちゃんいくつよ」

「・・・・・・46です」

「まだ若けえな。再婚相手か?」

「・・・・・・」


 そうだったとして、私に何が言えるんだろう。

 お母さんが亡くなって7年。血の繋がりもない私をたった一人で育ててきた。クマだってまだ中学生だった。大変じゃなかったわけがない。

 クマも就職したし、私も高校生になった。

 お父さんが再婚したいと思ったって、私たちになにか言う資格なんかないと思った。


「そういうことも、あるかもしれませんね」


 諦めとか、そういうことではなくて、そういうことはきっとあるのだ。人が人を好きになるとか、一緒にいたいと思うとか。私にはわからないけれど、誰にでもあるのだ。

 お父さんが知らない人になってしまうような、変な感覚はあるけれど、お父さんがそうしたいのならするべきなのだ。

 でも、そうなったら私やクマは


「どうなるんだろう」

「なにが」

「お父さんが再婚したら、私、どうなるんだろう」

「・・・・・・どうもなんねえだろうが」

「・・・・・・ん、いま口に出てました?」

「おいおい、寝てんじゃねえよ!」

「うーん・・・・・・」


 追い出されるようなことは・・・・・・ないと信じたいけど。でも嫌だろうな、先妻の弟との先妻の元カレの子供が一緒の新婚家庭って。


「ありだな」


 追い出される可能性、ありありだ。



「ただいまー・・・・・・」


 閉店作業を手伝うと帰りは8時くらいだ。途中でお茶をいただくけれど、その頃にはお腹もペコペコだ。

 我が家はクマが就職してからみんな帰りが遅くなった。今日はお父さんが会社がお休みだけど、クマは出勤だ。

 お休みの人が夕飯当番と言うことになっている。

 家に帰ったら誰もいなかった。

 休みのはずのお父さんも、うちに来たのであろう彼女もいなかった。


 ・・・・・・私が追い出されるパターンじゃなくて、お父さんがいなくなるパターンもあるのか?

 電気が消えたダイニングに入っていく。灯りをつけてももちろん誰もいない。あんなに買っていったケーキもどこにもなかった。

 キッチンはきれいなままで、お父さんが夕飯を食べた形跡もなかった。


 とりあえず自室に荷物を置く。カバンと、そしてピンクのリボン。ゆっくりとほどいてみると中からはワッチが出てきた。もうすぐ秋風が吹いて、必要になるシーズンが来る。


「……」


 手製にしては、すごく上手だ。私も悠美ちゃんに教わったから結構できるつもりだったけど、これはレベルが違う。

 でも、私には似合いそうにない赤のニットに、ものすごく彼女を押し付けられているような気がして、机の引き出しにリボンごと突っ込んでしまった。

 本当であればお父さんに見せて、いただいたことを報告すべきなのはわかっている。お父さんはそういった礼儀には厳しい。親の方からもお礼を言うべきだから、何かしてもらったときには必ず言うようにと小さい頃からしつけられてきた。

 でも、言いたくなかった。これをお父さんの目に入れたくなかった。

 子供っぽい嫉妬だということは重々わかっている。でも、明日彼女を呼び止めて(きっと他の人がいないところで)お礼を言うだろうお父さんを想像するのも、たまらなく嫌だったのだ。


 ため息をつく。お腹が鳴った。

 私はキッチンに移動してゆっくりと冷蔵庫のなかを見分した。丼でも作ろうかと材料を出し始めた。


 鶏肉と玉ねぎはスライスして、玉子をボウルにとく。おしょうゆで鶏肉と玉ねぎを煮たら、玉子で綴じる。ご飯は冷凍のがあるからそれを解凍すればいい。簡単だけど美味しい、親子丼が完成。

 付け合わせにはゆでてストックしてある小松菜とキノコをあえて、お浸し。それにお椀に出汁やワカメ、ネギや”麩”を入れて即席で作るお吸い物で完璧!

 自画自賛で食卓につく。

 最近は一人の晩御飯が増えた。みんな忙しいのだ。私だって忙しいんだから、当たり前だ。

 一人の食卓で手を合わせる。いただきます。


 そろそろ食事が終わる頃、玄関のドアが開く音がした。

「ただいまー」

 クマだった。

「おかえりー、すぐご飯できるけど、食べれるー?」

「おー、食べる―」


 クマは部屋着に着替えてくると、いそいそとお箸などを準備している。ご飯と親子丼の具を温めて、副菜と汁物を準備。クマの前に置いた。


「いただきまーす」


 クマはお父さんにそういう人がいることを知っているのだろうか?男同士そんな話をすることがあっただろうか?

 クマが食事を始めるとすぐに、今度はお父さんが帰ってきた。出ていったわけではなかったのだ。

 わかっていたけど、少し安心した。


 お父さんは当番なのにご飯の準備が出来なかったことを、ものすごく謝っていた。出来る人がすればいいのだから、そんなに気にしなくてもいいのに。私は笑って「いいよ、大丈夫」といった。

 でも、その事じゃなくて聞いておかなくてはいけないことがある。とても大事なことだ。


「ねえ、お父さん。再婚するの?」


 食器をみんな片付けて、お茶をいれながら私は聞いた。クマは目を丸くしてお父さんを見ていた。


「彼女、キリのところでなにか言っていったのか?」

「なにも言わなかったけど、近くまで来たから会社の上司のところに挨拶、って言うのが不自然だったから。約束してたか、そういうことなのかと思った」

「・・・・・・約束はしていない。彼女が来ることも知らなかった」

「そう」

「それで、再婚の予定はない」

「え?」

「僕は、お母さん以外の人と結婚するつもりはないんだ」


 ……だって、もういないのに?


「……本当に好きだったんだ。いまでもいなくなったなんて信じられないくらい。彼女の代わりはどこにもいない。彼女には会えなくなってしまったけど、こうして弘樹くんにもキリにも会わせてくれたしね」


 お父さんは恥ずかしそうに笑った。そして残りの親子丼を掻き込んだ。

 お父さんはいまでもお母さんに恋をしているんだ。会えなくなってもそれは変わらないんだ。

 そんな風にずっと好きでいられる人に出会えたことは、しあわせなのかもしれない。いや、間違いなく。


「じゃあ、あの人は」

「もしかしたらそういう気持ちがあったのかもしれないけれど、僕がこういう気持ちだからって言うのはお話ししたよ。たぶんわかってくれたと思う」

「・・・・・・ケーキは」

「ああ、キリのところで買ってくれたんだってね。でも、そういう意味ならいただけないから、明日会社でみんなで食べてくれって、ケーキ代渡して帰ってもらった」


 お父さんが再婚しないのは、ホッとしたっていうか、よかったんだけど、あのケーキは嬉しいところには行けなかったんだって思ったら、少し悲しかった。

 そのままうちに来ていたとしても、それが嬉しいことになったのかどうかは、ちょっとわからないけれど。


「クマ?」

「あ、ああ。ごちそうさま、美味かった」


 クマがなんだかぼんやりしていたから、声をかけてみたけれど、そのあとずっとぼんやりしていた。

 ワッチのこと、話したかったけれどちょっと無理そうだ。


 こんなことは、初めてだった。




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