桐子 15歳・1・
進学については、大変もめた。
第・・・・・・何回だろう? 家族会議が召集され私の希望する進路について話し合いが持たれた。
私は通信制高校に進学して、アルバイトでお菓子やさんなどで働き学費を貯め、大学か専門学校で製菓を本格的に勉強したいと考えていた。
定時制でもよかったのだけれど、誰かと一緒に学校で学ぶ、というのが少し不安になっていたのだった。
2年生の時のいやがらせ事件は、私の心にかなり強烈な痕を残していた。
彰典くんは離れた町の学校に移ってしまったし、私はちょっとしたことで怖くなってしまうのだ。
幸いなことに普通はない3年進級時にクラス替えがあり(その事件の影響でシャッフルしたかったらしい)私は尚哉くんと悠美ちゃんと同じクラスになれた。そうでなかったら学校に通い続けられたかも怪しい。
そんなことになったものだから、なるべく人と関わらずなおかつ高校卒業資格を取得する方法として考え付いたのがこれなのだった。
お父さんは普通科の全日高校への進学を希望していた。私の考えが間違っているとは言わないけれど、人との関わりをこの年代で絶ってしまうことについて心配してくれていたのだ。
もちろん、誰とも関わらずこの先生きていけるとは思っていない。私たちは必ず他人と一緒でないと生きてはいけないのだ。
だからアルバイトもするし、必要ならばスクーリングも辞さない考えだ。
ただ、私の気持ちが今はまだ他の人との関わりを受け入れることが難しいのだ。もう少し大人になれば、あんな理不尽なことも笑って受け流せるのかもしれないけれど、今は難しい。
時々、黒板から振り返った時の、クラスのみんなの嘲笑を思いだし吐き気がするほどだ。
高校卒業資格がほしかったのは、専学に行くにしても大学に進むにしても、それがないと話にならなかったからだ。
だからなんとしてでも、通信でと思っていたのだった。
「キリ、ねえ、こんなのどう?」
ある日クマが持ってきたパンフレットはそれはそれは魅力的なものだった。
「高校卒業資格もとれる製菓専門学校?」
「そう。高校の授業は通信のカリキュラムを利用するみたいなんだけど、要はそのつもりがある生徒なら高校卒業してなくても入学できるんだって」
「・・・・・・すごい」
つまり3年、もしくは4年くらいをかけて卒業するつもりだった高校とそのあと2年かけて卒業できるかもと思っていた製菓学校を一度に卒業できるのか。
おまけにフランスへの留学のチャンスもあるとパンフレットには魅力的なことも書いてある。
「・・・・・・でもダメだよ、クマ。学費めっちゃ高いし、このスケジュールだとアルバイトも入れられない」
「そんなの隆明さんに相談してみないとわかんないじゃん」
「そうだけど・・・・・・それに、そもそも通信にしようって思ったのは、他の人と一緒に学校にいきたくなかったからだし・・・・・・」
クマには最初にその事を相談したのだ。今、自分が不安に思っていること。でも決してこのままずっと逃げ続ける訳にはいかないとわかっていること。
そのリハビリの期間を通信制高校とアルバイトで過ごして実際の社会に出る準備としたいと思っていることを。
どこに行ったとしてもうまくやっていこうなんて思ってはいない。
ただ、放っていてくれればいい。構わないでほしいだけなのだ。
仲良くできる人がいるに越したことはない。ただ必要のない悪意を向けられるのには我慢ならない。助けられるのにそうしない、無関心を装われることにも吐き気がする。
そんな風に構えきっている私に、うまくやっていくことができるのだろうか?
「大丈夫じゃないの? だってみんなキリと同じ夢を持ってる子達でしょ?」
「同じ夢?」
「うん、お菓子を作りたくて、その上高校卒業資格も欲しいって欲張りででっかくて、素敵な夢を持ってる人たちだ。うまくやれないわけがないよ」
「・・・・・・」
そういうものだろうか。でも、クマの話を聞いていたらなんだか心のもやが晴れてきたような気がした。できるのかもしれない。なんにも諦めることなく、自分の夢や将来に近づけるのかもしれない。
お父さんに話すと、すごい勢いで賛成してくれた。学費のことは心配するな、お母さんが残してくれたものを私とクマの為にみんなとってあるのだからと言ってくれた。
不安はある。怖い気持ちもとれない。
でも、私は行くのだ。自分の思った方向へ進むのだ。
もしかしたらゴールは全然違うところになるかもしれない。それでも今は自分の気持ちの向く方へ進むことを許されたのだから。
学校推薦を狙って2年3年はとにかく勉強を頑張った。先生からは他の学校でも十分推薦行けるのに、と言われもしたがここでなければ意味がなかった。
そして私は第一志望の製菓専門学校へ入学を決めたのだった。
学校の雰囲気は思ったよりもほのぼのとしていて、過ごしやすいものだった。クマが言う通り、同じ志を持つもの同士励まし合うシーンも多かった。
でもひとたび授業スイッチが入ると、圧倒されるほどの一生懸命さでみんな実技に講義に打ち込むのだった。
負けていられない、学校にいる間は本当に頭をフル回転させて先生の授業に食らいついていった。ので、慣れるまでは帰ってくるとフラフラだった。
専門の授業に加えて高校の勉強もあるものだから、まさに休む暇もない毎日だ。
それでも夏休みを迎える頃になると、学校の方でも推奨している、菓子店やカフェなどでのアルバイトまで始める仲間も増えてきた。
これは実際の店舗で働くことで、仕事としての菓子作りやカフェ運営などを学ぶと言う意味で、協力店舗に生徒を推薦してくれるものなのだ。
地方から来ている子は、生活費などの足しになる上、実際のお店の雰囲気も肌で感じることができるのですごくありがたい、と言っていた。
同じバイトでも、やはり将来的にパティシエやカフェ経営などを考えている人にとっては、ものすごく実りの多いバイトになるだろう。
私も一応は実家から通っていることになるのだけれど、全部をお父さんに頼るわけにはいかないと、アルバイトをすることを入学当時から考えていた。
夏休みも近くなり、学校にも慣れてきた。そろそろ私も始めよう、と就職やアルバイト情報の資料が置いてあるところを眺めてみる。
「・・・・・・フリュイ ドゥ セゾン」
あの、私の憧れのケーキ屋さんがアルバイト募集を出していた。娘さんかあの息子さんがここの卒業生なのだろうか?
アルバイトの時間も長期休みは朝からシフトが入るようだけれど、学校がある時期には夕方からの勤務のようだ。さすが、無理なく入れるシフトになっている。
いい。すごくいい。
せめて自分の小遣いやケーキを食べ歩く研究費、道具や材料を揃えるお金くらいは自分で何とかしたいと思っていたものが、このくらいできればそれこそなんとかなりそうだ。
しかも、プロの仕事をじっくりと見ることができる。あの美しいお菓子が出来、並べられ、そして誰かのもとに行くところまでを見ることができるのは、ものすごい経験だ。
「でもさ・・・・・・」
ということは、あの人の下で働くということだ。女には無理だ、とまだ本当に憧れの域だった私の夢をバッサリと切り捨ててくれた人だ。しかも私は腹立ち紛れに足まで踏んづけている。
「・・・・・・ないな、ないない」
「へー、École de confiserie、ねぇ」
「・・・・・・はい」
「柏木先生の強力推薦つき」
「・・・・・・そのようで」
結局、あの店で働くことを諦められなかった私は、進路指導の先生に相談した。普通のアルバイトと違って、学校からの派遣と言う形で履歴書などを提出するので、成績や授業態度、先生からの推薦状が添付されるのだ。
製菓クラスの先生がフリュイ ドゥ セゾンのパティシエさんをご存じで、私のこともものすごい尾ひれ背びれをつけて紹介してくれたものだから、ただいま、あのパティシエ見習いさんにじっとりと見つめられているのである。
「まあ、結果はあとで連絡するから。今日はもういいですよ、ご苦労様」
「はい、ありがとうございました」
もしかしたらダメかもしれないな、と思った。別にここだけがアルバイト先ではないのだけれど、やっぱり「お前はいらない」と言われるのは、多少大きくなってもキツいものだ。
「あの、」
「・・・・・・なに?」
「私、子供の頃からここのお菓子が大好きでした。この世に、こんなに美味しくてきれいなものがあるのかって、本当に憧れでした」
はじめてここのケーキを口にしたのは、4才くらいのことだろうか。ここのケーキ、というのは本当は間違いだ。ケーキというものをはじめて口にしたのがそのときだったのだ。
新しいお母さんとクマと、三人の生活になって、誰かの誕生日だったのではなかったか。
今でもはっきり覚えている。お母さんが買ってきたフリュイ ドゥ セゾンのケーキはイチゴが乗っているシンプルなものだった。
でも、私にとって始めてみるそれは、夢を形にしたようなものだった。
白いクリーム、赤いイチゴ。どこかで、恐らくテレビか父親が持って帰ってきた週刊紙の広告かそんなもので見たのかもしれない。自分の目の前にそれが現れることがあるなんて思ってもいなかった。
お母さんやクマに勧められたどたどしく持ったフォークで端を少し切り取れば、何段かに重なったスポンジの間から、またクリームとイチゴが見えている。
壊さないように口に運べば、スッキリとした甘さが口一杯に広がりイチゴの爽やかさが鼻を抜けていった。
ビックリした。
こんな、美味しいものが世界にはあるのかと、本当に一瞬気が遠くなった。
お母さんのうちの子になってから、温かいもの、美味しいものはいっぱい食べたけれど、これは別格だった。
しあわせ、何ていうものは今だってよくはわからないし、4歳の私はそんな言葉さえ知らなかったはずだ。でも確かにその時、自分はしあわせだと思った。生きている、その事が。
「フリュイ ドゥ セゾンのケーキは、私にとってしあわせそのものです。もし、採用していただけたらすごく嬉しいし、ものすごく頑張る覚悟があります。でも」
「・・・・・・でも?」
「採用していただけなくても、ずっと好きです。たぶん、一生好きです。もしかしたら、わかってもらえないかもしれないけど」
あの頃から比べると、私もずいぶん大きくなった。言葉で他人と意思の疎通も出来るし、自分の感情も表現することが出来る。
でも、こういう根底の部分をわかり合える人にはたぶん永遠に出会えないのだと言うことも、もうわかってしまった。
みんなにとっては、イチゴのショートケーキ───この人の前でならガトーフレーズだろうか───はどこにでもあるケーキで、むしろ食べ飽きていて、季節限定やもっとインスタ映えする方がいいようなポジションにあるものなのだ。
でも、私にとっては違う。
フリュイ ドゥ セゾンのケーキは、幸せの象徴で、憧れで、キラキラした想い出で、お母さんとの、想い出そのもの。
きっとこの先、この土地を離れて過ごすようなことがあったとしても、いつまでも心に優しい記憶を残してくれるものなのだ。
私にとっての、歩く道を照らしてくれるものなのだ。
こんな気持ちは、きっと誰とも共有できない。
言いたいことを言ったので、私は頭をペコンと下げてその場を立ち去った。
なんだかスッキリした気持ちだった。出来ればオーナーパティシエの彼のお父さんにも、いつかお礼を言いたいものだ。
あなたのケーキで、私はとてもしあわせになれたのだと。
一次審査が発表されて、当然のようにもれてます(泣)
最後まで頑張って書きますので、お付き合いくださいね♪
うえの