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桐子 14歳

こんばんは。

今回はちょっと差別的な表現が含まれます。

小説の展開上必要だと思ったのであえて使いました。

ご理解ください。

 中学生になったら、何か色々大きく変わるものだと思っていた。でもそんなこともなかった。

 勉強は少し難しくなったけれど、今のところはそうは苦労していない。来年は高校受験だけど、それもまだどこか他人事だ。


 中学は学区の公立に進んだ。友達の中には受験をして私立や国立の中学に進んだ子もいたけれど、そのときはあまり興味がなかったので、面談でも近くの公立中学に行くと答えたのだった。

 尚哉くんたちのグループも、半分私立に行ってしまった。少し寂しそうだったけど、まあ、仕方のないことだ。

 尚哉くんと幼稚園から仲良しだという鈴木彰典くんは私と同じ公立に通っている。二人ともサッカー部で、女の子から人気があるのだ。


 私は家庭科研究会という部活に入っている。趣味と実益というやつだ。手芸や裁縫はあまり得意ではないけれど、料理に関しては結構できるのではないかと自負している。まあ、単純に普段からやっているというだけなのだけれど。


 同じ部活に悠美ちゃんという仲良しもできた。悠美ちゃんは手芸が得意で編み物や刺しゅうをさせると右に出るものはいない。とにかくすごいのである。

 そしてとても可愛らしいので男子からも何となく人気があるのだ。


 女子は結構きゃあきゃあと分かりやすくはしゃぐので、尚哉くんたちが人気があるのはわかるのだけれど、男子はあんまりそういうこと言わないから知らなかった。

 尚哉くん情報でそうなのだと聞いたときには「わかる!」と手を叩いたものだった。


 人気があるのはとてもいいことだと思うけれど、時として近くにいる人に迷惑がかかることもある。

 特に私。

 たぶん彼らと女子で一番仲がいいのは私だろうと思う。

 小学生の時からの仲間だし、そもそも仲良くなるきっかけがかなり衝撃的なものだったので、ほぼ親友と言ってもいいような付き合いをしてきた。

 あれっきり。私の家の事情にちょっかいをかけることはなく、むしろクラス替えなどで新しく知り合った友達がからかうようなことを言い出したときには率先して守ってくれるような気持ちの良い子達だった。

 誠に残念ながら、恋愛の香りはしないのだ。彼らにはそれぞれ思う人がいて(彰典くんにおいては他校の女子と付き合ってさえいる。ヒュー!)、私などは女子の枠にすら入っていない始末である。

 まあ、いいんだけど。


 そんな風に彼らと近しいばっかりに、私はしょっちゅう、彼らに関する情報を聞き出そうとする女子に絡まれるのだ。

 どこの高校受験するの? 塾とか行ってる? 好きなひといるのかな?

 そんなプライベートなことは例え知っていたとしても話せるわけはない。私は当たり障りのないことには答え、あとはごまかしてそののち、尚哉くんに当たり散らしていたのだった。


 そんな割合平和な私の中学生ライフが揺らいだのは、もうすぐ夏休みになるかというある日のことだった。


 懲りもせず隣のクラスの女子が、私のところに来て尚哉くんについて質問攻めにしているところだった。

 正直、答えられないようなことばかり聞いてくる彼女に、辟易していた。そんなに踏み込んだことを、私が知っていたら逆にショックを受けるんじゃないの? そう言いたくてしかたなかったのだ。言わなかったけど。

 彼女は友人をいつも3人くらい連れて来るのだけれど、付き合っている方も大変だよね、と同情の気持ちも持ってしまうほどだった。


「おい、山本! そんなのほっといて帰るぞ!」


 そこへ尚哉くんが登場したのは、偶然だったのかさっきまで近くにいた悠美ちゃんが呼んできてくれたのかはわからない。

 でも、まだ教室に複数生徒が残っている中で「そんなの」呼ばわりされた彼女は少し面白くないようだった。


「そんなのって言い方、ないじゃん」

「そんなのはそんなのだろ。聞きたいことがあんなら直接言ってくりゃいいじゃん、下らねぇ」

「下らないって・・・・・・!」


 もういいからやめておけ! 心の中で叫んだけれど尚哉くんには伝わらない。当たり前だけど。

 実は今までも帰り道に待ち伏せされていたり、休みの日に家の近くでうろうろされたりしていて頭に来ていたようなのだ。

 尚哉くんのお母さんも心配しているほどだったと聞いていた。それって軽くストーカーなんじゃないの? とも思ったが、中学生の女の子ならそのくらいはするのかな、と軽い気持ちで考えていた。


 でも尚哉くんには許せなかったのかもしれない。

 私は椅子に座った状態で見上げていたから、彼女の瞳に薄く膜が張っていくのがよく見えていた。

 学年でもかわいいともてはやされている彼女。いつも髪の毛をきれいに伸ばして、薄く施されたお化粧を先生に怒られているのを何度か見たことがある。

 その高いプライドを、これ以上みんなの前でへし折っちゃダメだ。


 じゃあ、もう帰る、と席を立つのが一瞬遅かったのは私のミスだ。

 尚哉くんは言った。


「そんなこと影でコソコソされても迷惑なだけなんだよ。お前のことなんか好きになんてならないしウザいだけだ」


 ・・・・・・言っちゃったよ、あのバカ。

 教室のそこここで「かわいそう」「ざまあみろ」「マジでウザい」なんて小さな声が聞こえてきた。

 彼女の手がぎゅっと握り込まれガタガタと震えている。

 恐る恐る見上げると、大きな瞳から涙がボタボタと落ちてくるところだった。美人は泣いていてもきれいだ。

 でも、次の瞬間、私が座っていた席の机を思いっきり蹴り飛ばした。その細くて美しい足で。

 私は机もろとも後ろにひっくり返り、制服のスカートを押さえる余裕さえなかった。


「桐子ちゃん!」


 机と椅子と床に挟まれた私を救いだしてくれたのは悠美ちゃんだった。頭と背中をしたたか打ち付けたけど、痛いよりも驚いてしまった。

 こんなにあからさまな暴力を受けたのは子供の頃以来で、こんなことをする人がいるというのをうっかり忘れていたからかもしれない。

 ビックリして彼女を見上げると、そのままスカートを翻して教室を出ていった。


 尚哉くんと悠美ちゃんに助け起こされ、保健室へ連れていかれた。

 頭も背中も大したことはなかった。それよりも心がビックリしていつまでも心臓がどかどか鳴り続けていた。



 翌朝、教室が騒がしく、不思議に思ってそっと入っていくと、黒板に大きな落書きがしてあった。


「伊勢尚哉はホモです」


 ・・・・・・ちょっと意味がわからなくて、ポカンとしてしまった。

 クラスのみんなはそれを遠巻きに眺めて、クスクス笑ったり目配せをしたりしている。たちの悪いいたずらだとわかっているのに、誰もどうにかしようとはしないのだった。

 ハッと正気に戻った私は(驚きすぎて放心していた)黒板消しを持ち落書きを消した。ご丁寧に上の方に書いてある文字は、椅子に乗らなければ消すことができない。

 自分の席から椅子を持ってこようと振り返ったら、彰典くんがさっきまでの私のようにポカンと黒板を見つめていた。


「おはよう」


 私が声をかけると、彼もまた時が戻ったように動きだし「あ、俺が消すよ」と黒板消しを受け取った。

 尚哉くんが教室に顔を出す前に、黒板はきれいになったけれど、ことはそれだけではすまなかったのだ。



 その日から尚哉くんに対する嫌がらせが始まった。

 最初は体育でグループを作るとき、誰も彼のそばに来なかったのだという。

 女子は違うところで授業だったから、あとから彰典くんに聞いたのだけれど、それはそれは見事に避けられていたらしい。


 そのうち教科書がなくなったり、上履きが捨てられたり、陰口を聞こえるように言われたりするのにそんなに時間はかからなかった。

 それでも、私と彰典くんは今まで通りに彼のそばにいたのだけれど、火の粉が飛んでくるのもすぐだった。


 まずは私が「両親の本当の子ではない」という怪文書でターゲットになった。

 教室の後ろに貼られたそれはご丁寧に同じ学年のすべての教室に配られており、違うクラスの悠美ちゃんが血相を変えて飛んできたから明らかになった。

 そしてそれは、あっという間に先生たちの耳にも入り、私は誰かにいじめられているのかと個人面談までされてしまった。


「尚哉くん、これ、先生に本当のこと言った方がいいんじゃないの?」

「んー・・・・・・、山本まで巻き沿い食っちゃったからな。言わないわけにも、いかないのかな・・・・・・」

「いや、私のことはいいけどさ」


 そのときはまだそんなのんきなことを言っていられたのだ。

 次は彰典くんだった。


「伊勢尚哉と付き合っているのは只野彰典です」


 ある朝学校に行くと、でかでかと黒板にそう書かれていた。

 もう白身を剥きそうなくらいあきれてしまった。

 私は黒板消しを持つ前に自席から椅子を運び(少し学んだ)黒板をきれいにした。

 教室のあちこちではヒソヒソとささやく声や、小さく笑う声が聞こえる。なんだかとても悲しかった。

 だって、だからなんだというのか。

 私に両親がいなくたって、誰かが同性を好きだって、それがなんだというんだろう。

 誰かに迷惑をかけたか?

 何か社会的に不都合があるだろうか?

 私だって何も知らないただの子供だ。もしかしたら本当は何か不味いことがあるのかもしれない。でも今ここで、教室の中で、たかがこれっぽっちのことたいした事件でもないだろうに。


 下らなすぎで笑えてきた。そしたら涙も出てきた。

 制服の袖で、ぐいっとまぶたを擦ったら、彰典くんが教室を飛び出していくのが見えた。



「今日も来ないね」

「もう、1週間になるかな」

「テスト期間に入っちゃうね・・・・・・」


 私と尚哉くん、それに悠美ちゃんはこっそりと保健室でお弁当を広げていた。

 中学校の保健室は、具合の悪いひとのためのものではなく、問題を抱えた生徒にこそ開かれているものなのだ。

 幸い、噂は同じ学年にだけ広がっていて、他の学年の先輩や後輩はむしろ同情してくれていた。ここで会う部活の先輩たちはみんな肩を持ってくれたので助かった。みんなが「頑張れよ」と声をかけてくれた。保険の先生も、授業も辛かったらここに来てもいいのよ、と誘ってくれさえした。


「それにしても、困ったよね。会いに行っても出てきてくれないなんて」


 そうなのだ。彰典くんのお母さんが言うには家族の前にもあまり顔を出してくれないのだという。学校でのことがショックで、部屋からあまり出てこなくなってしまったのだと。

 ここまで行くと、「ちょっとふざけて」のレベルではなくなってきている。彰典くんのご両親も学校に来て担任の先生や教頭先生に話を聞いているのだという。


 私も尚哉くんもそれぞれ保護者が学校に呼ばれ、これまでの経過の説明などを受けた。

 私のことが全クラスに張り紙をされるという分かりやすい嫌がらせだったおかげで「いじめはなかった」というニュースなどでよく見る学校側の言い逃れもなかったので本当に助かった(助かった?)。

 いじめている相手は目下特定中だと言っていた。


「つか、キリは知ってるんだろ?」

「んーー」

「何で言わないの」

「それは・・・・・・」


 クマにも聞かれたのだけれど、先生にあの人が怪しいですと言うわけにはいかなかった。

 尚哉くんが言わないからだ。

 元々嫌がらせを受けていたのは尚哉くんで、どんな考えがあってか知らないけれど、いまだに相手を告白していない。

 私のことがあったときには、言わなくちゃいけないような考えだったように思うのだけれど、ここに来てしっかりと口を閉ざすようになってしまったのだ。

 だから、絶対に私が言うわけにはいかないと思っていた。


 悠美ちゃんが怪我をした。

 わざとボールをぶつけられたのだ。

 体育の授業でバスケをしていたのだという。例の彼女が仲間を従えて悠美ちゃんのところに来た。そして言ったのだ。


「何あんなのといるわけ? ウザいんだけど。只野と一緒に学校なんて来なけりゃいいのに」


 そして、あの固いバスケットボールを悠美ちゃんの顔にめがけて投げたのだ。


 悠美ちゃんはお世辞にも運動が得意な方ではなく、避けることはできなかった。まともにボールを顔に受けそのまま後ろに倒れてしまった。

 彼女たちにも予想外だったのかもしれない。取り巻きが慌てて大声を出してくれたので、悠美ちゃんが倒れているのをすぐに先生が見つけてくれた。

 悠美ちゃんは鼻の骨を折り、後頭部を強打したため一瞬意識が飛んだらしい。気がついたら救急車に乗っていたそうだ。


 緊急保護者会が開かれるほどの騒ぎになり、彼女たちが私たちにして来たことが白昼に引きずり出されることになった。

 正直、一つ一つは大したことじゃないのかもしれない。

 でも、彰典くんを傷つけたこと、悠美ちゃんに怪我を、しかも女の子の顔に怪我を追わせたことは到底許せることではない。


 問題は彼女の歪んだ恋心が起こした逆恨み的ないじめ、と判断された。彼女とその取り巻きは、それぞれ違う学校に転校していった。

 彰典くんもそのあとやっぱり学校に来ることができなくて、違う学校に移ることになるそうだ。



「何が悪かったんだろう。彼女の話を、もっと真剣に聞いてあげてればよかったのかな?」

「それは違うんじゃないかな。だって、先にルール違反をしていたのは彼女の方だ」

「でもさー、好きなひとの顔をちらっとでも見たくて相手の家に行っちゃうとかって、なんかわかるような気もするんだよね」


 好きだ、って言えなくて、でも一目顔が見たくて、つい追いかけてしまう。自分にはそういう相手はいないし、今後も可能性としてはないような気もするんだけれど、気持ちはわかるような気がする。


「やっぱりそれも、ダメなことだったのかな?」

「だって、お母さんが学校に相談するくらい目に余る行為だったんでしょ? それはもう行き過ぎだよ」

「・・・・・・そうだね」

「で、尚哉くんはどうして先生に相談しなかったんだって? 相手の目星はついてたんでしょ?」


 それは、わかってた。

 間違いなく彼女だって、尚哉くんはわかってた。

 そんな彼女を尚哉くんだってよく思っていなかったんだから、先生に告げ口したところで心は痛まなかったはずなのだ。


『お前の怪文書の時までは言おうと思ってたんだよ。だけど彰典の落書きのことがあって・・・・・・』

『逆に何でよ? 私より大変だった彰典くんのこと助けてあげられたのに』


 私のことは、そんなに気にしていなかったのを尚哉くんだって知っていたはずなのに。


『彰典のあれ、あ、俺と付き合ってるっていうのは違うんだけど、本当だったから』

『本当って・・・・・・』

『同性のこと好きになっちゃうやつだったから。だからあんまり騒いだら余計気にするんじゃないかと思って。ほら、俺は知ってるわけだし、その俺が必死でかばったりしたら、なんか余計に怪しいって思うやつも出てくるんじゃないかって』

『え、だって他校の彼女って』


それフェイク。尚哉くんは笑った、二人で考えたのだそうだ。そういっておけば、秘密にしていることがバレるわけないって。


『なるほど』

『俺の時にもっと騒いでたらよかったんだけど、軽く無視しちゃったから』


 彰典くんの時だけ騒いだら不自然になると考えたのだ。もしかしたらかばわなかったことで、さらにあいつを苦しめちゃったのかもしれないんだけど、そう尚哉くんは苦しそうな顔で言った。


 彰典くんにとって尚哉くんがどういう存在だったのかは、私にはわからない。

 でも彼の秘密を知ってなお、友達で居続けるって結構嬉しいことだったんじゃないかとは、想像できる。だって黒板の落書きだけで彰典くんはあんなに動揺したのだ。受け入れられるわけがないと、彼自身が思っていたと言うことなのだろう。


『尚哉くんて、かっこいいね』

『今さら気づいたか』



「わかんない」

「わかんない?」

「うん。尚哉くんなりの考えがあったと思うんだ。でも悠美ちゃんが怪我したときには、早く先生に言っておけばよかったって落ち込んでた」


 その事は、クマにも言えなかったのだ。彰典くんの秘密を、尚哉くんが自分のことを置いておいても守りたかった秘密を、私が暴くことはできない。

 クマには何でも話してこれたけど、これだけは駄目なのだ。

 はじめて、クマに秘密ができた。少し胸が苦しくなった。




「はぁ・・・・・・美しい・・・・・・」

 中学生になって良かったな、と思うことのひとつにこの「フリュイ・ドゥ・セゾン」の前が通学路ということがある。

 辛いテストの朝も、この間のいじめ事件で心が折れそうになったときも、この前を通って甘い香りに包まれると何でもないことのように思えた。

 今は夏。

 店の奥に見えるショーケースはオレンジやグレープフルーツなどの柑橘系のケーキやゼリーが並び、太陽を見上げるひまわりのようだ。


 正直、この間の事件では首謀者の彼女の行為よりも、クラスのみんなの対応の方が堪えた。

 昨日まで仲良くしていた友達が、手のひらを返したように振り払う。それらをすぐ近くで見てしまった。

 尚哉くんはそれまでクラスの中心人物だったから、彼女がしたことが晒されたとたん元のように馴染んでいったけど、私はダメだった。

 あの時のみんなの様子を思い出すと、気持ちが悪くなってしまうほどだった。


 そろそろ進路について考え始める頃だ。

 尚哉くんは遠いサッカーの強い高校へ推薦を希望していると言っていた。ダメでも受験で必ず入ってやると豪語していたから彼ならやりとげるだろう。

 悠美ちゃんはやっと顔の腫れも引いて、普通に生活しているけれど、ご両親はやっぱりすごく心配していて、迷惑なくらいだ、と嘆いていた。

 高校については具体的に考えているわけではないけれど、そのあとは服飾科やデザイン科のある大学か専学に行きたいので、有利になるような進路を相談中だという。


 私は、どうするんだろう。

 正直、これから新しい学校に行って新しい人間関係を築くかと思うと気が重い。

 あんな風に嫌なところを見せつけられてしまうと、誰かと一緒にいるのが怖いと感じてしまうことさえある。

 自分だってたいして出来た人間ではないと思うけれど、怖いものは怖いのだ。


 どんなに怖くても、信じられなくても、悲しくても、ケーキはいつでも美しい。食べても食べなくても、幸せな気分にしてくれる。こんな幸せなものを作っているひとは、さぞかし素敵なひとなんだろうな。販売しているお姉さんしか見たことないけれど、あの人が作っているんだろうか?

 憧れって、こういうことなのかな。あんなひとになりたいな。

 ・・・・・・ケーキを、作るひとになる、なんてことできる?


「おい、店の前でヨダレ垂らしてたってられたんじゃ、営業妨害だ」

「・・・・・・」


 ヨダレは、垂らしていなかったと思いたい。でも何となく気になって、口許に手をやった。垂れていない。

 大きな男の人が、目の前に立っていた。白い服を着ている。腰に手を当ててこちらを見下ろしていた。


「聞こえてんのか? 邪魔だって言ってんだよ」

「あ、すみません」

「あら、山本さんのお嬢さんじゃない?」


 帰ろうと思っていたら、男のひとの後ろから涼しげな声が聞こえた。いつもケーキを売ってくれるお姉さんだった。


「お得意さんなのよ、そんな言い方しないで? 全くがさつなんだから」

「・・・・・・うっせ」

「・・・・・・」

「この子は私の弟なの。私の父がここのオーナー。専学終わって、他のお店で修行して、やっとお店に入ってケーキ作りの見習い中なのよ」

「・・・・・・え。ケーキ、作ってるんですか?」


 この人が? そこはグッと飲み込んだ。

 言われてみれば白い服はコックさんが着ているような白衣だ。お腹の辺りは、玉子やチョコレートで汚れている。


「休憩終わったら仕込み手伝ってね」


 そう言ってお姉さんはお店のなかに戻っていった。私は頭を少し下げ、それを見送る。男の人も「早く帰れよ」といいながら歩き出した。


「あの!」

「・・・・・・なんだよ」

「あの、高校行かなくても、ケーキ屋さんになれますか?!」

「・・・・・・は?」

「だから! 高校行かなくてもケーキ屋さんになれるでしょうか?」


 その道があったのだ! ものすごくいい考えに心がワクワクしてきた。高校に行かなくても、進路は他にもあるのだ。最終的に仕事をしてお金を稼ぎ、一人で生きていければいいのだから、なにも違和感を持っている進学のために、お父さんのお金を使わせることはない。

 きっと私史上最高にキラキラした瞳で、男の人を見つめた。


「なんだよ、テストの点でも悪かったのか?」

「え?」

「それともいじめられて学校いきたくないってか? それは逃げるっていうんだよ。そんなやつはなにやってもうまくいかねぇからやめとけ」

「え・・・・・・っと」


 いじめられたのは確かにそうだけど、私たちは逃げなかった。テストの成績はむしろいいくらいです。

 なにもわかっていないのに、何でこの人はこんなに上からの物言いなのだろう。


「大体、出来上がったきれいなケーキばっか見てれば自分にもできそうだとか思ってるんだろうけど、重いし寒いし、女には無理だ。わかったらさっさと帰れ」


 女には無理。

 その女になりたくなくて、今だってごねたい気分なのに、この人は本当に頭に来る人だ。こんなひとがあの美しいフリュイ・ドゥ・セゾンのお菓子を作っているだなんて・・・・・・あ、まだ見習いだって言われてた!


 ズンズンとその男のひとの前に歩み寄り、顔を睨み付けてやった。一瞬怯んだような顔をしたが、バカにしたように笑ったので、力の限り足を踏んづけてやった。


「い・・・・・・ってえ!」


 そして、一目散に逃げたのだった。



 考えてみれば面は割れているので、後々怒られるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。

 そして、これもあとで気がついたのだけれど、あんな風に感情を爆発させたことは久しぶりだった。尚哉くんたちに水をぶっかけて以来じゃないだろうか。

 しかも、名前も知らない赤の他人相手に。


 これも、クマには秘密にしている。

 なぜかわからないけれど、言える気がしなかったのだ。



今回もどうもありがとうございました。

3月中に完結させたいと思っていたのにこの体たらく。

もう少しお付き合いいただけると嬉しいです♪


うえの

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