桐子 10歳
「山本さぁ、夏休みの自由研究ってなにやんの?」
「んー、まだ考え中。でも、ご飯の事にしようかなーって思ってる」
うちの小学校は、3年生から夏休みの自由研究をすることになっている。
実験でも、レポートでも手芸でも何でもよくて、休み明けにみんなの前で発表できる状態で持っていくことが条件だ。
なので、写真を使ったりパンフレットを作ったり、優秀賞をとった先輩たちはあれこれと工夫していた。
別に賞をとることにあんまり興味はないけど、みっともないこともしたくないというのが本音だ。
「ご飯かー。お前、飯とか作ってんだもんなー」
「毎日じゃないよ。お総菜とかも食べるし」
彼は吉田尚哉くん。1年生のときに揉め事があった挙げ句に、私が水道の水をぶっかけた子たちの一人だ。
彼らは幼稚園の時からの友達で、いまは私も含めて仲良くやっている。
双方の両親が呼ばれて話し合いになったときに、私が決して彼らを悪く言わなかったのを気に入られたらしい。
私としては、言えなかった事情があったのだが、まあ、それはいいんだけど。
いまは昼休み。私たちは楽しみな夏休みを前に、これまでなかった自由研究という巨大な敵を前に、果たして何をしたもんだかと悩んでいたのだった。
一応は去年辺りに3,4年生が発表したという研究のテーマやざっくりとした内容などを載せたレポートも配られたけれど、いまいちピンと来ない。
母が亡くなって1年が過ぎた。ついこの間「一周忌」というものを終えた。それでわかったけれど、いつまでたっても悲しいのも寂しいのも消えてなくなったりはしないのだった。
母に話したいこと教えてほしいことはいつもあって、夜中に抱き締められて背中を優しくさすってくれた手を忘れることはできない。
たった6年しか一緒にはいられなかったけれど、私の中にものすごく大きな物を残していってくれたような気がしている。
あれからずっと、私のお弁当作りは続いていた。まだオーブントースターとレンジしか使えないけれど、家族の評判もなかなかだ。
夕ご飯も時々作っている。
主な調理器具はホットプレートだ。あいつは結構使える。
ご飯は炊飯器で余裕で炊けるし、クマかお父さんがいるときは火を使って料理も出来る。
「今日はお総菜買ってくるから」と帰りの早い父がいうときはお休み。でも、食事の準備を嫌だと思ったことは一度もない。
ぼんやりと将来は食べ物に関わる仕事につきたいと思っていた。
美味しい食べ物が好きだし、作ることも好きだ。少ない調理器具をどうやって使っていこうかと考えるのも楽しい。
でもそれ以上に、父やクマが喜んでくれるのが嬉しかったのだ。
美味しい美味しいとおかわりをしてくれる。父などは最近の会社の健康診断で体重を少し増加させてしまったのが判明し「奥さんが亡くなったから大変なのはわかるけど、暴飲暴食してたらいけません」と明後日な注意をされてしまったそうだ。
これには父と二人で反省した。
とにかく料理は楽しく、だったらそれを自由研究にしても面白いのではと考えたのだ。具体的にはまだ全然決まっていないけど。
「尚哉くんはなんの食べ物が好き?」
「うーーーん……なんだろう……お好み焼きとか?」
「お好み焼き! 美味しいよねー!」
たくさんの具をまとめて焼き上げるお好み焼き。ソースと青のり、マヨネーズの香りが食欲をそそる炭水化物キング! その上ホットプレートですべて完結する救世主。今日の献立は決定! じゃなくて
「お好み焼きの研究とかしてみたら?」
広島風、大阪風、東京風と大きく分けたらこんな感じのお好み焼きも、いつから始まったものなのか調べたことがないから私も知らない。好きなものの研究なら楽しんで進められそうだし、なかなかに興味深いテーマであると、自分でも感心するような提案だった。
結果が出たら教えてもらいたいくらいだ、と思っていたら、尚哉くんも乗り気になっていたようだった。
「俺、それにしよう! サンキュー山本」
「うん、私も楽しみにしてるよ!」
夜、お好み焼きの用意をしながら、私も自分の自由研究のことについて考えていた。
テーマは料理にするとして、何をどんな風に進めていったらいいかわからない。レシピ集を作ることも考えたけれど、果たして発表の段になったときそれをただ読み上げるだけのものではつまらないし飽きるし、華やかさに欠ける。
キャベツを切って、お肉も適当に切る。お好み焼きミックスは強い味方だ。説明書通りに水と卵を入れれば美味しいお好み焼きが出来る。それからソースやマヨネーズ、青のりを準備して。忘れちゃいけない天かすと紅しょうが。これはこの前買ったのがまだ残っていたはず。
うちのお好み焼きは最初に全部混ぜちゃう東京風だ。ソースやトッピングでそれぞれ好みの味にする。これもお母さんのやり方そのままだった。
「・・・・・・ただいまー、って聞こえてない?」
「わあ、ビックリした! クマ、おかえりなさい!」
「なにぼんやりしてたの? 危ないよ」
「あー・・・・・・うん、ごめん」
私は自由研究について悩んでいることを打ち明けた。それをぼんやり考えていたのだと。
「へー、料理ね。面白いじゃん」
「そうなんだけど、どうしたら面白い発表が出来るか思い付かなくて」
クマは、しばらく考えるとこう言い出した。
「キリの3分クッキング! とか」
「なにそれ」
クマが言うには、料理しているところを動画で撮ってそれを発表のときに流してみたらいいんじゃないかというのだ。今どきのYouTu○erみたいな感じで。
ふむ。
それならば夏休み中に全部の準備ができて、いざ発表の時も緊張せずに出来る。なおかつ学校の人も動画サイトは好きで色々見ているから、食いつきもいいかもしれない。
「クマ、天才! でもひとつ重要なことが」
「なに?」
「私、撮影できない」
私は動画を撮影できるツールを持ち合わせていなかった。お父さんが使っているものはあるにはあるが、使い方なんてわからない。
しかも、一人で調理、撮影、編集が出来るとは思えなかったのだ。
「そんなの手伝うよ」
「でも夏休み、クマだって忙しいでしょ?」
クマは今年大学の2年生になった。去年よりも忙しそうで朝も早く、お弁当もいつもギリギリで申し訳ない。
お休みの日も家にいないことが多くなってきて、それでも晩御飯の時間には家にいてくれる。
忙しいなら無理しなくてもいいと言ったのだが、クマはよほどのことがない限り晩御飯を私といっしょに食べてくれるのだった。
「夏休み長いもん。1日や2日くらいどうってことないよ。動画の編集は得意なやつがいるから、そいつ呼んできてもいいし」
「音楽いれたりとか出来るの?」
「ちょろいちょろい」
「わー、すごいのできそう!」
すごい動画を作るためにはその前にすごい料理を作らなければならないのだが。
父は基本的に私たちの夕食に時間には帰宅が間に合わない。だからクマは余計に私一人の食事を避けるように、早めに帰ってきてくれるのだ。
今日も二人でホットプレートを囲んだ。父の分はあとで焼いて、レンジで温めて食べてもらうことになる。
「クマはさー、いっしょにご飯食べる彼女とかいないの? デートの約束があるときは、そっち行ってくれていいんだからね?」
身内の贔屓目かもしれないけれど、クマは結構かっこいいのではないかと思うのだ。私がチビだからそう見えるのかもしれないけれど、父と比べても結構身長も高い。
母に少し似ている優しい眼差しと面倒見のよさ。お金はそんなに持っていないかもしれないけれど、そこはまあ学生だから仕方がない。学校もそこそこ有名な大学に通っているそうなので(尚哉くんも知っていて「頭いいんだなー」といっていたのでそうなのかもしれない)モテないわけがないと思うのだ。
「彼女ー? いないよー。友達は一杯いるけどね」
「ふーん。つまんない大学生活だよね」
何となく大学というところは、サークル、バイト、彼女の3本立てで充実するものなんじゃないかと思うのだけれど(勉強もしよう)クマはそういったところに価値を感じられないのだろうか?
「でも、好きな人がいるから、彼女はいなくても結構楽しいよ」
「え、好きな人いるの?」
「うん、もうずっと好きな人」
「コクハクしないの?」
「うーん、そういうんじゃないんだよなー。こう、付き合いたいとか、デートしたいとかじゃなくって、顔が見れたら幸せ、みたいな感じ?」
「ふーん」
それはどんな感じなのか私にはわからなかった。
例えば「フリュイ ドゥ セゾン(近所にあるケーキのお店。倒れるほど美味しい)」のケーキを見ているだけでも幸せ、な感じに似ているだろうか? それなら少しわかるかもしれない。あそこのケーキは味も美味しいけれど、見た目も美しく、ただひたすら見ていても飽きないのだ。いつかショーケースにへばりついていたら、お店の人に笑われてしまったことがある。お恥ずかしい限りだ。
「だからキリは気にしないで俺のご飯の準備してくれていいよ」
明日はパスタがいいなー、と言う。ということはクマが帰ってくるまでの下準備は・・・・・・と算段を始めたのだった。
撮影の日は、クマの友達がカメラをもってやって来てくれた。
8月の最初の木曜日。セミがやかましく鳴く中、それが入ってはなに言ってるんだかわからないから窓を締め切り、クーラーをつけた。
メニューは色々考えたのだけれど、今年のお父さんの誕生日に作って好評だったハンバーグとパウンドケーキにすることにした。
もちろんホットプレートとオーブンレンジ大活躍だ。
7月の終わりまでに絵コンテ(実際に出来上がった動画がどういう風になるかという完成図を、4コマ漫画みたいに縦長に書いていく)を提出するように言われていたのでそれをもとにして撮影をしていくのだという。
私はクマに手伝ってもらって簡単料理動画サイトを研究した。そして、こんな風な動画にしたいという希望ができていたので(指をパチンとならすと作業が終わってるみたいな)それを盛り込んだ絵コンテを書き上げていた。
「桐子ちゃん、絵がうまいねぇ。このコンテすごく分かりやすい」
「ありがとうございます」
「じゃあね、今日の予定なんだけど……」
クマの友達は女の人で、きれいで優しい人だった。でも仕事を始めるとキビキビと進めていくので大学生ってすごいなーと感心していた。
ものすごくサクサクと撮影は終わり、あとは大学にあるパソコンで編集作業をすることになった。
もちろん全部なんてできないけれど、少しいじらせてもらえることになった。
「じゃあ、今度井熊と一緒においでね」
「はい、ありがとうございます」
「ハンバーグも美味しかった!」
出来上がった料理は3人で撮影後に食べたのだ。パウンドケーキは本当は1日くらいおいておくのがいいのだけれど。
「あの人、クマの好きな人?」
「ん? ちがうよ。あの人じゃない」
「そっか」
何となく、あんな人ならクマの彼女とかお嫁さんとかにいいんじゃないかなんて、お節介なことを考えたのだった。
もしも親戚になっても、優しくしてくれるんじゃないかなんて。
ご飯を美味しいって笑ってくれたし。ご飯の好みが似てるのは、何となく家族円満の秘訣のような気がする。
尚哉くんのお父さんとお母さんも、唐揚げにマヨネーズをかけるかかけないかでケンカしてるって言うしなあ。
うちは母がいたときから、食べ物のことで揉めたことはない。父もクマも母や私が作ったものに文句をいったことはない。
塩を少しするといい、とか火が通ってから味をつけるといいなんてアドバイスはくれるけど、あれこれ嫌いだなんて言われたことはなかったと思う。
これって結構大事かも。
だから、同じものを美味しいって言ってくれる人って貴重だと思うんだけどな。
編集の日はお天気で、私はクマに連れられて初めて彼らの大学に入った。
小学校とは比べ物にならないくらい大きくて、ちょっと怖じ気づいてしまった。
それでもクマは全然気にしないで、どんどん庭(って言うのか?)を突っ切って、構内に入っていった。私もそれを追いかけた。
時々クマに声をかける人がいて、結構友達は多いようだと判断した。
「おはよー」
「おー、おはよ。桐子ちゃんもおはよう!」
「おはようございます」
前もって『お礼なんか要らない』と言われてしまっていたけれど、父がお菓子を持たせてくれた。差し入れに、と言えば受け取ってくれるだろうからと。
そう言って渡すと、笑顔で受け取ってくれた。きっと、そうしないと気がすまなかった私の気持ちを察してくれたのではないだろうか。
だって、夏休みだ。
今日の作業だけじゃなく、これまでもたくさん色々してくれていたに違いない。
大事な休みを返上して、私によくしてくれる理由を、他に思い付かなかった。
(このひとは、クマのことが好きなのかも)
クマは彼女に特別な子持ちは抱いていないといった。それなら、彼女の気持ちは一方通行ということになる。
そしてその事を知っていながら協力してもらっている。それって、ヒキョウなんじゃないか。
父やクマが家で使っているパソコンとは段違いの設備を前に、私の料理動画の編集は、撮影と同じようにサクサク進んだ。
こことここを繋げたい、なんていうリクエストにも簡単に答えてもらい、私も機材をいじらせてもらったりした。
といっても『はい! そこでボタン押して!』みたいな感じだったけど。
作業も大詰めにはいった頃、クマに電話がかかってきた。私は最後に音楽をいれる作業に夢中だった。
「ちょっと外で電話してくるね」
と声をかけられて初めて、着信があったことに気づいた。そのくらい集中していた。面白かったのだ。
不意に、今ここには私と彼女の二人しかいないと思った。廊下からはクマが笑っている声がする。
聞くなら今がチャンスだと思った。
「あの。違ってたらごめんなさい。もしかしてクマ……おじさんのことが、好き、なのかなー、なんて」
「……」
「あ、ごめんなさい。変なこと聞いちゃった、えっと、そうじゃなくて」
「わたし、そんなにわかりやすかった?」
今まで勢いよく作業していた手元が浮き上がったまま、彼女が聞いた。目は画面から離れない。
わかりやすいということではなく、わかってしまったのだ。
今よりさらに小さい頃から、大人の顔色をうかがって生きてきた。なるべく怒られないように、ご機嫌を損ねればご飯が食べられないかもしれない、そんな風に。
この行動の裏には何が隠れているのかと気にしていたら、自然と上手に立ち回る癖がついていたのかもしれない。
山本の母が生きていた頃にはよく「子供がそんなこと気にしなくていいのー」と鼻をつままれたものだった。
止まってしまった両腕から、自分が彼女の秘密を暴いてしまったのだと知る。困らせるつもりじゃなかった。クマのことを避けるようなことがあったらどうしよう。仲良しだと知っていたから余計に、不用意に投じてしまった言葉を後悔した。
「井熊には、もう振られちゃったから」
「え」
「告白したんだ。でもだめだった」
私はちょっと信じられない気持ちで彼女を見た。ゆっくりと両腕は彼女の膝の上に戻っていき、はいていたデニムを軽く擦った。
彼女は、とてもきれいな女の子だった。私は今日と合わせて2回しか会っていないけれど、ご飯の食べ方がとてもきれいで、優しくて、一生懸命で、話し方の丁寧な人だとわかっている。
例えば、好きな人の姪っ子だから余計に、という理由を差し引いたとしても、そういう下地のある人なのだろう。
だから余計に、クマがこの人を好きにならなかった理由がわからないのだ。
「でも振られてね、その、私と付き合えない理由を聞いて、バカみたいだけどもっと井熊のこと好きになった。恋にはならないってわかってるけど、ずっと友達でいたいって思ったんだ」
「……」
人を好きになることが、私にはよくわからないし、一生わからないんじゃないかという気もしている。
自分のことを好きじゃないと言われた相手と、ずっと仲良くしたいというのは、どういう心境なのだろう。
「でもね……ああ、愚痴になっちゃうかな。あのときばっかりは自分が女に生まれてきたことを悔しいって思った。今まではメイクも好きだし、かわいい洋服着れるし、そんなこと考えもしなかったんだけど」
あ、こんなこと井熊には言わないでね、と彼女はとてもかわいく笑ったのだ。
編集は無事に終了して、私はUSBとDVDに動画をもらって(学校で何が再生できるかわからなかったから)家に向かった。もちろんクマも一緒だ。
彼女が分けてくれた秘密を私はきっとだれにも言わない。クマにも言わないだろう。
その事はすごく自然に心の中に入ってきた。『そういうこともあるだろう』と。
自分の子供が愛せない親。人の苦しみが喜びになる人間。
自分の価値観の中にはないものでも、そこにあるのだ。
信じられないとか、人間のすることとは思えないとテレビの人は言うけれど、間違いなく私の本当の母は私を捨て、父は私に手を挙げ、やっぱり捨てていなくなった。
ありとあらゆることは人の手と心が起こしているのだ。誰の許可もない。ただ、そこに事実としてある。
それを知っているから、あまり驚かない。
例え、クマが好きな人が女の人じゃないんだ、ってわかっても。
そういうこともあるのだ。
そして、それは誰にも止められないし、悪くも言えない。
クマだけの問題なのだ。
同じようにそんなこともあるだろうと思っていた実の父や母や、世界の至るところにいる自分の子供に暴力を振るう親とは違う。それは違う。
ただ、そういうことが世界には当たり前にあるという意味で、二つの事柄は私の中で繋がり、そして違和感なく同居している。
クマは、その事を彼女に告げたのだ。自分を思ってくれた気持ちに誠実に対応するために。
その事を私は、すごいと思った。
何か適当ないいわけをして断ることもクマにはできたはずだ。
でも、彼女のことを、彼女が望むようにではなかったかもしれないが大切に思っていたから、本当のことを告げたのだろう。
クマは、本当にすごい人なのだ。
「クマー」
「ん? なによ」
「大好きー」
「ふっは。それはどうも」
子供の戯言だと思っているだろう。でもこれは尊敬と憧れと感謝と感動と、それとそれと、私の持っているそんなに多くはないだろう優しい気持ちをすべて詰め込んだ『大好き』なのだ。
それを、クマが知ることはなくてもいい。
動画はものすごく高い評価を受けた。
最初クラスの発表会で代表に選ばれた私は(尚哉くんは3位だった。お好み焼きの歴史や種類、自分で作ったもののレポートなどマジスゴい)校内大会では3年生の部で優勝。そのあと市の大会にも出場することになり見事準優勝を獲得した。
クマに言われて、自分で料理をするきっかけを一緒に提出するレポートに書いておいたのも良かったのかもしれない。
楽しい雰囲気の動画にしたはずなのに、教育委員会の先生の中に目頭を押さえている人がいたから。
少し反則だったのではないかという気がしないでもないが、まあ、いいか。
父も、クマも、手伝ってくれたクマの友達もみんな喜んでくれたから。
自分が作った食べ物で、誰かが喜んでくれるというのは、どんな場合でも嬉しいものなのだった。