桐子 9歳
母が亡くなったのは私が9歳の時だった。
あんまり急なことで、ビックリした。
どのくらいビックリしたかというと、病院で母に対面したときに卒倒して翌日まで目を覚まさなかったくらいだ。
倒れた私に、ずっと付き添ってくれていたのはクマだった。
考えてみればクマだってたったひとりの肉親を亡くして、私の世話どころではなかったはずなのだ。それでも目を覚ましたときにクマがいてくれたことに、私はものすごく安心したのだった。
「クマ、これは夢?」
「残念だけど、夢じゃない」
「そっか。ちがうんだ」
頭をぶつけていたせいもあり、私は一晩入院していたそうなのだが、父と母は一足先に帰っていた。
私たちも家に帰ると、そこには母はいなかった。「葬儀場」というところにいるのだという。そこでお通夜というのをして、お葬式をするのだそうだ。
クマは学校の制服に、私は黒っぽい服に着替えて父たちのあとを追った。
母は交通事故に巻き込まれたのだという。会社の帰りに信号を待っていたら、わき見運転の車に突っ込まれたのだ。
母の他にもう一人亡くなり、8人が重軽傷を負った大きな事故だった。
会社帰りの人が多くいたせいもあり、巻き込まれた人も多かった。
ほんの少し、カーステレオの調子が悪く目をそらしたらもう、歩道で待っている人がすぐそこにいたと、運転手は言っていたそうだ。
母は、どんなに怖い思いをしただろう。
自分に向かって車が突っ込んできて、逃げることもできずに。
痛い思いをしただろうか。なにもわからないまま逝ってしまったのだろうか。
最期に、私たち家族の事を思い出しただろうか。
そうか、もう母には会えないのか。
それまであんまりびっくりしすぎて、色々考えられなかったのだけれど「お葬式」でお坊さんがお経を読んでいるのを聞いていたら、その事が静かに胸に迫ってきた。
人の死にこんなに近づいたことはなかった。
もう、この世界のどこにもあの明るい母はいなくて、買い物袋をいくつも下げて「ただいまー」と帰ってくることはないのだ。
宿題は終わったのかと迫られることもなく、いっしょにお風呂に入ろー! と抱きつかれることもない。
そして山のようなパンケーキを焼いてくれることももう二度とないのだ。
その事にものすごく遅れて気がついた私は、ガタガタと体を震わせて異常なくらい泣けてきた。
自分の口から出ているとはちょっと思えない程、細くて高い声が止めたくても出てきてしまい、自分の口を塞いでしまった。
頭ではわかっていたのだ。
こんなところで泣き出したら、他の人の迷惑になる。さっきちらっと「お焼香」をしに来てくれたクラスの子たちの顔も見えた。こんな風に泣いたりしたら、みんなも驚くだろう。
お坊さんだってうるさいと迷惑に思うかもしれない。
でもだめだった。どうしても止められなかったのだ。
目の回りをごしごし擦ってなんとか涙を止めようと試みた。でも、からだの機能がぶっ壊れたのかと思うほど言うことを聞いてはくれなくて、途方に暮れてしまった。
不意に、自分の前に人影があるのに気がついた。父だった。
突然火がついたように泣き出した私を、叱りに来たのかと思った。
それも仕方ないだろうと覚悟した。
でも父は私の前に膝をつき、今だ震えが止まらない体をしっかりと抱き締めた。
おどろいて一瞬呼吸も止まってしまう。その父も回した腕を震わせて泣いていたのだと思う。
大人の人が泣くのを、この家に来て私は結構見た。底抜けに明るい家族ではあったが、そもそも感情の起伏が激しいのだった。
悲しい涙はあまり見たことがなかったが、テレビで未来から来たロボットと少年たちのお話を見て父も母も大泣きしたものだ。
私とクマはそれほどでもなかったのに、泣き続ける二人につられて最後はみんなで泣いていた。しかも大号泣。
大人になったら、悲しいことは悲しいまま心に入ってくることはなく、何となくどうでもいい風に感じるのではないかと思っていたのに、そんなことはないようだ。
それが証拠に、いま父は抱えきれない悲しみと戦っている。同じ戦場に立つ私という同士の肩を借り、立ち上がろうともがいているのだ。
気がついたら横からも肩に重みを感じた。隣に座っていたクマが、私の肩におでこをつけて、声を殺して泣いていたのだ。
人の悲しみに順番をつけることなんてできないと思うけれど、いまこの時、クマが一番悲しいのではなかったか。
彼にとって姉であり、母でもあった人だった。不安で心細かっただろう子供の頃から自分を守り育ててきた人を失ってしまったのだ。
母という太陽を奪われて、私たちは丸裸で宇宙に放り出されたようなものだった。今はお互いに肩を寄せ合ってこの衝撃に耐えることしかできないのだ。
人の悲しみに順番をつけることなんてできないともちろん知っているけれど、きっと一番その重みを感じられていないのは私だと思った。
私はまだ子供で、きっと様々な感情が育ちきっていない。そして保護者が他にもいるという絶対的な安心感があった。
父は、あらゆる困難を乗り越えて生涯を共にすると決めた唯一の人を失った。しかもこんなに早くに。
クマにしてみればさっきも思ったように、唯一の肉親で同じ困難に立ち向かってきた仲間だったはずの姉を亡くしてしまった。
私がしっかりしなくてどうするのだ。
いつまでも母の思い出と悲しみのなかに浸っていられたらそれは幸せなことなのかもしれない。しかし現実問題、この忌引き休暇が終わったら父は会社にいかなくてはならないし、クマも学校に通わなくてはならないのだ。
母の代わりなど、到底無理なのはわかっていた。
あの明るさ、ご飯の美味しさ、さりげなくみんなの事を見てくれている優しさや思慮深さ。何よりなぜだろう、そこにいるだけで嬉しくなってしまう不思議な人だったのだ。
何を言うでもなくただそこにいるだけで、テレビを見ていたり、お風呂上がりに湯だったような顔色でボーッとしていたり、お弁当が自信作でどや顔だったり。その姿を見るだけで、なにか心がくすぐったくなるような人だったのだ。
あんな真似は、私にはできない。
でも、私だって家族の一員だ。残された彼らの笑顔が見たいのだ。
握ったこぶしでごしごしと目を擦る。そして、いまだ泣き続けている男二人の首と頭をそれぞれしっかり抱き締めた。大きくて私の肩や胸には余ってしまう。それでももう決めたのだ。絶対にこの家族を守ってみせると。母がそうしたように、いつも明るく彼らを見守るのだと。
母が時々私にそうしてくれたように、私は彼らの髪を緩く撫でてやった。母は、夜中に何となく目が覚めてしまったときなど、私にそうしてくれたものだった。もしかすると、クマが言っていた「寝ているときに泣き出す」ようなことがあったときかもしれない。
母にそうしてもらうと、私はひどく落ち着いて、また眠りにつくことができた。だから、彼らにもそんな気持ちになってもらえると思ったのだった。
ところが父とクマは示し合わせたようにさらに泣きだし、それこそお葬式の一番前の席で、お経の声も掻き消すような嗚咽を漏らし始めた。
えーーっと。
最愛の妻と姉の葬式なのだから悲しいのは当然だ。いま泣かなくていつ泣くのだという状況ではある。
しかし、大の男が10に満たない子供に取りすがり身も世もなく泣いている状況というのは・・・・・・私は母の遺影を仰ぎ見て、誓いを新たにした。
お母さん。私はお母さんのこともお父さんのこともクマのことも大好きです。大好きな人のことはとっても大事にします。お母さんみたいに上手にはできないかもしれないけれど、でも頑張る。
見ていて。応援して。
いつか、きっとほめて。
私は思いきって席を立つと、後ろに座っていたお父さんやお母さんの会社の人、それにクマの学校の友達や近所の人に頭を下げた。うるさくしてごめんなさい、のつもりで。
前へ向き直すと、お坊さんが驚いたように私を見ていた。お坊さんにも頭を下げる。最初に私が泣き出しちゃったから、お父さんたちもつられてしまったんです、ごめんなさい、の気持ちを込めて。
お坊さんは、一瞬呆けたような顔をしたけれど、とても優しい顔で微笑んでくれた。私の気持ちがわかったみたいだ。
席に座り直し、目の前にしゃがんだままになっている父に「もう大丈夫。座っていいよ」と声をかけた。クマの方を見て少し笑うと、二人ともまだスンスンと鼻を鳴らしていたけれど、お互いの席で姿勢を戻した。
時おり、息を詰めるような声が聞こえてきたけれど、それを責める人なんてどこにもいないはずだ。私たちは、一番好きな人のために泣いているのだ。
お葬式が終わって、母は灰になってしまった。
もう、私を抱き締める腕もくすぐり合う指も、名前を呼ぶ声もどこにもない。
泣きくたびれた私たちは、スーパーで買ってきたお寿司を食べて眠りについた。明日の朝、起こしてくれる母はいない。
「キリ、なにしてるの」
起き抜けの父に声をかけられ、振り返り微笑んだ。
私はダイニングテーブルに置いたホットプレートと格闘していた。パンケーキを焼いてみたのだ。
レシピは母から教えてもらっていた。小麦粉と卵と牛乳と砂糖。そしてベーキングパウダー。あれば溶かしたバターかサラダ油を少し。
あとはホットプレートについている目盛りに任せて、生地を焼くのだ。
空いたスペースでウインナーを焼き、バナナの皮は剥いてレモン汁をかけてある。あとは大変だから、ジャムとバターとチョコシロップ。三角のチーズもおいておいた。
「なんか、いいにおいする・・・・・・」
クマも起きてきたようだ。私は二人に向かって声を張った。
「ちゃんとご飯を食べないと、仕事も勉強もできないからね。しっかりしないとお母さんに心配されちゃう。さあ、食べよう! お腹すいちゃったよ」
二人は目を瞬かせ、そして頷いた。
「そうだね、しっかりしなくちゃね」
「・・・・・・姉ちゃん、怒ると怖ええからな」
さあ、顔を洗って身支度を整えて! 私は二人をせっついた。だって本当におなかがすいていたんだもの。
ご飯が終わって、ざっと後片付けも済ませると出掛ける準備のすんだ二人に私は包みを差し出した。
「・・・・・・なに、これ?」
「お弁当。あんまり上手にできなかったけど」
私はまだ給食があるので必要ないのだけれど、父とクマはいつも母のお弁当をもって出掛けていった。それを私は少し羨ましいと思っていたのだけれど。
難しいことはできるはずもない。そこで母が「時間がない!」と言って慌てて作っていたときのレシピを拝借した。本当に羨ましかったので、いつでも穴が開くほど見つめていたものだ。
ココット皿にアルミカップを敷き回りをベーコンで覆う。そこに卵を投入。塩コショウを振る。混ざっているやつはとても便利だ。
ピーマンを細く切って、小さいグラタン皿に乗せる。だし醤油を回しかける。もうひとつのお皿にほぐしたキノコをたっぷり乗せドレッシングを適当に。それらをまとめて、オーブントースターにセットした。
あとは時間になるのを待つだけ。
母は時間がないときには必ずこの方法で3人分のお弁当を準備し、出来るまでの間に自分の身支度を整えていたものだった。
自分が学生の時から朝ご飯、お弁当を毎日作り続けて来た故の技だろう。
出来上がったそれはとても即席とは思えないもので、私の羨ましさはMAXになったものだった。
この間にお弁当箱にご飯を詰め、ふりかけをかける。お母さんが作りおきしていた色々野菜のピクルスを冷蔵庫から出しておく。
オーブトースターが時間を告げたら、あとは詰めるだけ。
毎朝、自分が食べられないお弁当を恨みがましく見ていた甲斐があったと言うものだ。はじめて作ったとは思えないほどのお弁当が出来上がった。
最後に詰めたピクルスを、そっとつまんで口にいれた。セロリが口の中で弾けて、液が口一杯に広がった。
お母さんの味だ。よく、覚えておかなければ。すぐには無理かもしれないけれど、私はこれを引き継いでいかなければいけない。
お母さんが作ってくれた、美味しいご飯を同じように作りたかったのだ。
忘れたくなかった。本当はいっしょに作ったり、たぶんしたかった。
「もう遅いけど」
時計を見てハッとする。そろそろパンケーキの方に着手しなければ。
二人のお弁当箱にプチトマトのピクルスを追加した。
母は必ず赤いものを入れていたのだ。
「……お弁当」
「キリが作ったの?」
目をしばたかせる二人に私は言った。
「お昼はどこでも食べられるから、お弁当は作らなくても困らないのはわかってる。でも、私がしたいの。難しいことはできないけど、やってみたいの。美味しくないかもしれないけど持っていって?」
二人は口をパクパクさせ、やがて「ありがとう」と言った。もうそれだけでも十分ごほうびだったけれど、出来ればあとで感想聞かせてね? とお願いしておいた。明日のために聞いておかなければ。
私のお弁当作りは、それから12年間続いた。オーブントースター任せのお弁当は手を変え品を変え色々作ったが、そのうち問題なく火を使えるようになり、一気にバリエーションが増えた。
途中からは念願かなって自分の分も作るようになったけれど、考えてみれば私が食べたかったのは母が作ったお弁当だったはずだ。まあ、仕方ないかとはじめてのお弁当の前でため息をついたものだった。
昨日の朝で、二人のためのお弁当は最後だ。明日からは旦那さんと自分のために作っていく。
お母さんが残していた覚え書きを発見して、味の継承はかなりの再現率でできたような気がする。
でも、やっぱり違う。同じようでも違うのだ。
クマはいつか試行錯誤している私に言った。
「違ってたっていいじゃない。それがキリの味なんだから」
「でも、お母さんのご飯、食べたいもん」
「そうだな……でも俺はキリのご飯も好きだな」
お母さんの味じゃなくて、山本家の味になっているのかもしれない。
母の残したレシピと私が作った覚え書きは、家においてきた。これで父でもクマでも「うちの味」を再現できるだろう。
そして私はまた、新しい「うちの味」を作っていくのだ。