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わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。
愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。
そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。
――雅歌 8章6節
棺の中身を見た宗主は、静かに笑った。
無遠慮に旗を取り出し、広げる。
「確かに“赤色十字の騎士”だ。国王からは吾が言っておこう。魔王を連れて行くがよい」
「……道中、魔女に狙われたが」
「何に使うのか、気になるか。そうだな……奇跡をおこす、とでも言おうか」
相変わらず、宗主は真実を語らない。義理堅く、嘘を吐かない男だが、とにかく隠しごとが多い。
糾弾は後でもできる。ルートヴィヒは踵を返し、宗主に別れを告げた。
ルートヴィヒはゆっくりと二階の客間に上がる。宗主の愛人たちが住む階だが、その空き部屋にエマヌエルは居るという。
教えられた部屋の前に立ち、腕を組んで逡巡する。なんと説得すればよいのか。許しを請えばよいのか。
とにかく為せば成る。ええいままよ、と扉を開きかけたとき、赤い爪がルートヴィヒの首を捕らえて引き込んだ。
『我が魔王に用があるならば、さっさと要件をすませればいい』
炎神ベリアルはルートヴィヒの首を掴んだまま、彼の身体を軽々と吊るす。
幸いにも熱さはないが、息苦しさにルートヴィヒは顔を歪ませた。
『やめよベリアル!魔王にとっても、この方は重要なはずだ!』
『このベリアルは虚無の火だ。本来はただ燃え尽きるを待つだけの身よ。だがこうして行動するは、魔王がお前を心底では憎んでいるからに他ならぬ』
飛び回る戴勝を払い、ベリアルは無表情に答えた。
爪が首と背中に食い込んだ時、必死の声が赤竜を止める。
「お、おやめくださいベリアル様!」
『魔王よ、もう顔は隠したのか』
「それはもう、よいですから、殿下を離してくださいませ!」
どうやらエマヌエルは、顔のヴェールを取って読み物をしていたらしく、ルートヴィヒが突然に扉を開けようとしたためにベリアルが対処したようだ。
解放されたルートヴィヒは、席をすすめられて座る。対面にエマヌエルと猩々紅冠鳥。
「ここでも読書か」
「いえ……ベリオールの楽譜を、宗主様から賜りました。こちらにいくつか、残っているそうです」
「……具合は悪くないか。風邪をひいたりは」
「その……一度心臓を撃たれたので、殆ど生成し直したそうです。肺と喉も焼ききったので、今やほとんど普通の人と同じかと」
想像以上に、魔王自身と環境が変化していた。慰めの言葉も浮かばず、どうしようかと考えていると、エマヌエルが口を開いた。
「殿下は、変わらずお優しいです……私なぞを気にかけ、前のようにお話くださるなんて」
「初めて会った時から、一月も経っていないのだがな」
「そうでした……そう、か……何年も会っていなかったかのようです」
またも会話が途切れる。ルートヴィヒは覚悟を決め、頭を下げた。
「ベリオールの民のこと、私の力及ばず、申し訳ない。
私の首に免じて、何卒、国民には手を出さないでくれ」
エマヌエルは慌てて立ち上がり、ルートヴィヒの隣に跪いた。
少しためらったが、王子の手をとり願う。
「どうか私如きのために、頭を下げないでくださいませ。裁かれるべきは私です。私怨で王陛下を害し、戦争をうやむやにしてしまいました……」
「……わかった。そこで、賠償として貴君を私の責任下で保護をしたい。宗主より、貴君の受け渡しの話しはついている。あとはエマヌエルよ、そなた次第だ」
それを聞いたエマヌエルは、戸惑うと同時に疑問を持った。
「宗主様が、私を手放す……?殿下、どのような取引を……まさか、殿下の不利になるようなことでは?」
「それに関しては……いや、魔王なのだから明かさなくてはな――我が国が保有していた、聖ゲオルギオスの遺体を明け渡した。それが交換条件だった」
エマヌエルは不自然に黙した。猩々紅冠鳥が顕れ、魔王の耳元で何か囁く。
「……聖遺骸……?どうしてそんなものが必要に――。
あの、殿下、魔女の方々は、何か仰っていませんか?」
「ダニエルとウスフールからの妨害は受けた。強く反対しているようであった」
「お二方だけですか?」
「……何だと」
質問の意図が掴めない。エマヌエルは正座をして考え込む。
「他の魔女は、何も仰っていないのですか」
「最も早くに動けたのが、その二人であったからだろう。確かにヘルガは厄介であるが――」
「死体はただの死体……でもダニエルさんなら……いや、私が……間違えて……」
俯いて呟くエマヌエルを不審に思わないでもないが、ルートヴィヒは根気よく待った。
しばらくすると、エマヌエルはおずおずと王子を見上げた。手を翻して促せば、何かを決心したのか、緊張気味に口を開いた。
「あの「遅いッ!ですわ!」
部屋の扉を蹴破ったのは、待ちきれず突入してきたエバだった。教会に着いてすぐに医者の治療を受けさせたというに、全く疲労を見せない。
「何をぐだぐだやっているんですの?いつまでも城を空けるわけにはいかないのですから、さっさとしてくださいまし!」
すこぶる機嫌の悪い王女を見て、エマヌエルは慌てて立ち上がる。これではまともに会話できないだろうと、ルートヴィヒは妹をなだめた。
「エバ、悪いが少し静かに」
「そうしたら事は進むのかしら。――エマヌエル殿といいましたわね、貴方は何をしてしまったの。そして何をしたいのかしら」
エバに敵意は無かった。むしろ、魔王を見極めようとしている。エマヌエルは両手を組み、懺悔のように告白した。
「王女殿下と……王陛下を害したのは、確かに私です。悪意が無かったとは……言い切れません。私は、その……自覚はないのですが、殿下の仰る魔王に該当する、ようです」
あまりの歯切れの悪さに、エバの苛立ちはつのる。だが必死に話そうとしているのは解る。峻烈姫は怒鳴るのを我慢して聞いた。
「魔王といいましても、実際は無力な人間です……権力も、金銭もありません。私とて……もうあの様な惨劇は起こしたくはありません、これは本心です」
覇気もなく、今にも消え入りそうな声だった。エバは王族の前で緊張してしまう人間を責めるほど冷酷ではない。だがエマヌエルのそれは、無理に無理を重ねて、なんとか絞り出している声音だ。
「ですので……私は、ええと、アルヴァに行こうと、思います」
「なんと、本当か。エマヌエル」
「はい、殿下が私なんぞのために、ここまでしてくださったことには、お応えしたいです。……それに、ここに居る意味は、もう無いと思います」
「宗主に、何か言われたか」
エマヌエルは首を横に振り、それ以降は黙したままだった。あとの判断は王子に託すとばかりに。
ルートヴィヒは早速、エマヌエルを連れ出そうとしたが、エバが待ったをかけた。それは心配からくる警告だった。
「貴方の気持ちは、わかりました。ただし、その感情論が他に通じるとは思わないでくださいまし」
「それは……覚悟しています。王女様は、私がアルヴァに行くことに……異議はありませんか?」
「私は殿下のご意向に従ったまで。間違えていたら止めるけれど、嫌らしいぐらいに正論なの、この方は」
決心がぶれないうちにと、ルートヴィヒはエマヌエルの手を引いた。またも魔女の干渉がないとは限らないからだ。
「え、ちょっと、そのみすぼらしい格好のまま、城に上がらせる気ですのっ?」
「このままであった方が良い。周囲の同情を買える」
「し、城に、上が……え?あの、私、何も身分を証明するものが……」
外に待機させていた、ポチテカの馬車へ戻ると、あいも変わらず三人は楽しげにくっちゃべっている。
ポチテカの男達は、汚らしい格好の青年を見ても何も言わず、馬車に歓迎してくれた。
「王子の客人と聞いたが、そうかベリオールかあ。先日の戦は大変なものだった……同じアルヴァの民として悔やむ」
「聞く限りでも酷いものというに、可哀想になあこんな坊やが。そうだ、そんな血塗れの服じゃなくて、もっと良いのがあるぞお。おじさんが買ってやろう」
ラートが商売の荷を探ろうとすると、エマヌエルは慌てて止めた。
「お、お構いなく……大丈夫、です」
「若いモンが遠慮するんじゃあない。なあに出世払いという都合のいい言葉さ」
<伯父貴の服の趣味は微妙だからなあ>
「ははっ、言えてらあ」
「ええと、この服は……叔母様のお下がりを、直したもので……その、叔母様の形見……確かに、ベリオールが形見を持つのは間違って――」
それを聞いた三人は、一斉に涙ぐんで謝罪し、心底エマヌエルに同情した。
「なんてこった!神様は残酷だ、こんな坊主を独りにしちまうなんて!」
「可哀想になあ、可哀想になあ。坊や、うちの子になるか」
<生きていれば、必ず良いことがあるよ。元気出して、な>
ルートヴィヒの言う通り、同情を煽っている。エバは感心したと同時、馬車が動かないことに苛ついた。
それは王子も同じであったようで、滅多にない低い声で、ゆるりと静かに言い放った。
「早急に、馬車を、出せ」
ポチテカの商人達は、すぐさま仕事に取りかかった。
帰路は何者の邪魔もなく、ギドが何らかの力で破壊した街道を使えないこと以外は、何の問題も起こらなかった。
そもそも教会本部は城下にあり、むしろ行きは機密のために大きく迂回していた。
数日は城を空けてしまったが、アレックスの理解があってこそ、双子は安心して行動できた。
門扉でポチテカの一行と別れ、三人は外苑に入る。
王子はおっかなびっくり歩くエマヌエルの手を引き、特に何事もおかしなことはないとばかりに、堂々と進む。
大広間に入ると、さすがに手を離さざる得まい。
広間は磨かれた大理石の床に、赤い絨毯が敷かれている。無骨な石造り建築でありながら、決して優雅さは失っていない。
日中は暑さを和らげるために、蝋燭は使わない。広間の左右壁面に並んだ、窓からの明かりでも充分な光量が得られる。窓から垂れる国旗が誇らしげに揺れている。
王子らを見かけた衛兵や侍女らが、仕事中にも関わらず立ち止まり、頭を下げてかしずく。
住んでいる世界が違いすぎる。エマヌエルは目眩を覚え、必死に足を動かして二人の後を歩く。
つと、王子らに駆けてくる侍女がいた。姫の留守をあずかっていたマルタであった。
いつも凛として冷静な侍女が、めずらしく焦った様子で捲くしたてる。
「殿下、王女様、お帰りなさいませ。何処へ参ったかは聞き及びませんが――それよりも王陛下がお目覚めになりました」
「それはいつのことだ」
「昨晩の事です。医者はまだ会話を許してはいませんが、どちらにせよ、峠は越えたと見てよろしいそうです」
「……そうか。
もう一度医師と話し合いたい。マルタ、彼に部屋を与えてくれ」
「御意に。王女様、件の謀反者について調べがつきました。アレックス殿がお待ちです」
「わかった。ではお兄様、後で陛下の様子を聞かせてね」
状況を飲み込めないエマヌエルに、ルートヴィヒは優しく諭す。
「しばらくは貴君を賓客として扱う。来て早々申し訳ないが、魔女らが誤解せぬよう準備は周到にせねばなるまい。
彼女はマルタ。エバの侍女だが、私の知る限りは最も有能だ」
おずおずと会釈をすると、マルタは何も言わず目礼した。
それぞれの役割に戻る双子に、行かないでと言いたい気持ちを抑えて、エマヌエルは侍女の後を追う。
最上級の賓客用の客間に通され、エマヌエルは緊張でさらに身体を強ばらせた。
「私のような者に、とんでもないです……」
「王子殿下のご友人とあらば、当然のことです。むしろ、お部屋のご用意しかできず申し訳ありません。城内は立て込んでおりまして、ご容赦ください」
王が倒れ、戦は休止。敵国がどう動くか解らないというのに、王子はたった一人の青年にうつつを抜かす状況。
エマヌエルは俯き、自分が何をしに来たか、何をすべきかを考えた。
「私は、まず何をすれば、よいのか……」
「そうですね、まずは身を清めてはいかがでしょう」
確かに、エマヌエルの見目は客間にそぐわない。
血と砂で汚れ、穴が空いた服は、見た者誰をも不快にするだろう。
「すぐにご用意致します。こちらへどうぞ」
さすがは賓客が寝泊まりする部屋。応接室、寝室、化粧室が併設されている。
マルタは化粧室に椅子を置き、たっぷりのぬるま湯と布と盥、そして石鹸と香油さらには着替えを用意した。
侍女が袖を捲ったのを見て、エマヌエルは慌てて止めた。
「えっ、あ、あの……すみません、ひとりで、やらせてください」
手伝いを断られたマルタは、それを不服と思わなかった。ただひとつ、質問した。
「失礼ですが、顔を隠すのは宗教上の理由ですか?」
「は、はい。そうです……すみません」
「深い意図はありません。戦傷などで顔を隠す人は珍しくもないでしょう。
私は貴方のお世話をさせていただく身、貴方のことをなるべく知り、必要であればそれを周囲に伝えておくことが仕事です」
徹底した仕事への意識。マルタの性格は、エマヌエルの劣等感を多少なりとも軽くした。
侍女が退いた後、エマヌエルはまず手袋とヴェールを取った。そして懐の、丸めた紙片と王子から賜った耳輪を、そっと洗面台に置く。
自分の髪と肌は、見る度に悲しくなる。叔母でさえ、エマヌエルの顔を見る時は目を逸らす。
爪は噛み痕でささくれ立っている。マルタの言う通り、少しは身奇麗にしなければと自嘲した。
それにしても、こんなにも多くの水と布を使うのは気が引ける。砂漠の民は湯浴みなど無縁だ。どうすれば節水できるかを考えて盥を持つと、中で猩々紅冠鳥が水浴びをしていた。
「……ベリアル様」
『魔王よ、まずはそこの櫛で髪の砂と埃を丹念に取れ。それから水と石鹸で洗うのだ。香油は最後だ』
「ご、ご享受ありがとうございます……」
ルートヴィヒが王の寝室を訪ねると、フロレンツ医師は席を外していた。
寝台の側に立って様子をうかがう。王の爛れた腕は、だいぶ元の形を取り戻している。移植された白い皮膚は、不思議と患者の皮膚の色と馴染んでいた。
(これでよく死ななかったものだ)
「誰がこの程度でくたばるものか」
「うわびっくりした。……息災で何よりです、父上」
「貴様は……いやいい。何用だ」
どこまで話すべきか、数秒悩み、王に勘づかれる前に口を開く。
「陛下、魔王を私個人の保護下に置くことをお許し願いたい」
「貴様は毎度、私の想像する斜め上を行くな。それで得られるものを述べよ」
「魔王はベリオールの一民、つまりはアルヴァ人です。彼を戦争被害者として保護するのは当然かと」
「たしかに戦災保障は適用される。しかしそれだけで、王子の保護下に置くことは許さん」
「……魔女どもは魔王に従います。あのヘルガでさえも。魔王をアルヴァの下に置くことは、神憑きを庇護するより遥かに強力な外交手段となるのです」
「確証が無い。白鷺王であれば、無理に魔王を奪おうとするだろう」
「あの大火災を起こすほどの力を持つ魔王の手綱を、誰が掴むかが重要です。はっきり言いましょう、今は私が殆ど握っていると」
人を人とも思わない、反吐が出るような言葉だ。しかしこうでなくては、合理主義たる王の意思は動かせない。
言うべきことは言った。ルートヴィヒは次の反論を待つために、ゆっくりと息を吐く。その隙を突くように、エンディミオは嘲笑った。
「今日は無駄に口が回るな。何をそんなに必死になっている」
流石、動揺はしなかった。だが息子が一瞬でも呼吸を止めた様を、見逃す王ではない。
「そんな非現実的理由が、周囲にまかり通ると思うのか。教会の思想に染まっているようでは、この国は継がせられん」
「神憑きの王妃を娶った者の発言とは思えませんな。王妃殿下の成した事を蔑ろにする気か」
「貴様はあれに毒されすぎだ。神などなくとも、国は続く、人は生きる」
神を知らぬ者が何をほざくかと、ルートヴィヒは罵りたくなった。だが神性存在は、認識できる方が稀なのだ。
エンディミオの意見は国の総意そのものだ。大多数の意見でさえある。
「だが、効率を旨とする貴様がそこまで固執するという者も気にはなる。二つ条件を出す、その結果次第としよう」
エンディミオはすでに剣を持てぬ身。戦場に出れぬ王など意味はあろうか。王位を譲る日は近いと感じ、ならばわずかな問題も無くすべきだ。
普通に考えてしまえば、エバが次期国王に相応しい。好戦的で野心家、我先に敵陣へ突っ込む姿は、兵や民に賞賛されている。
伝統的支配に必要な求心力を持って生まれた、王のための娘だ。
されど時代の流れに即しつつあるのは、和平を重視する王子の方だ。
教会との癒着も、民に戦争参加を促すための交渉も、ルートヴィヒは嫌な顔ひとつせずこなした。
エンディミオはその誇り高さ故に、少民族の反乱を招くことも少なくはなかった。
では王子に誇りが皆無かといえば、決してそうでは無い。方向性が違うだけだ。
国のために進んで血をかぶることこそが誇りだと、彼はその思想を持っている。
空気は読まないうえに、斥候などと王族らしくない男だ。が、学ぶべきを学び、広域な視点を持つ息子を、エンディミオは次の王にしたかった。
「一つは、貴様は教会と一切の関係を断て。忌々しい呪いなど無き今、教会は不要だ。
一つは、魔王をここに。思想如何によっては切り捨てる」
「前者は毎度の事ですが、後者は意外ですな」
「……確認すべきことがある。エバも呼べ」
「わかりました。医者に事の次第を報告し、謁見を行うべきか相談します」
ルートヴィヒが一礼すると、まだ寝ていたいのか追い出された。
フロレンツを探して控に使わせている別室に行くと、器具を磨く医師らと、椅子で寝こけているダニエルがいた。
恐ろしい破壊で生きていたことが驚きだが、無事ではなかった。ダニエルの腰から下は無くなっている。
「んあ、旦那ァ、お互いしぶとくて何よりだねェ」
「……一応聞くが、平気なのか」
「アタシは元々、死に難いのが特性だからなァ。斬られたり潰されたりなら、すぐ繋ぎ直せるんだが、消滅となると、ちょいと苦労する」
やられた瞬間は、肩から下を失ったと、ダニエルはげらげら笑った。
「アバドンに持たせた屍体の蓄えを使いきっちまったから、墓地に帰ろうと思うよォ。ここの死体をくれたりなんかは――」
「無理だ」
「だよねェ、残念。
それよか、エマヌエルを教会から取り戻したそうじゃあないかァ。重畳、重畳ォ」
意外にも、聖ゲオルギオスの遺体の事を責めてこない。諦めというよりも、想定内だという感じの態度だ。
「魔女は宗主に干渉できないと聞いた。すでに何らかの手を打ったのか」
「……旦那ァ、アタシらが本気の本気で妨害するって、どういうことだと思う?」
ダニエルは呆れたように肩をすくめ、にやりと笑ってみせた。
「アタシは病を撒き散らし、ヘルガは誰彼構わず呪いで心臓を穿き、精神を破壊するだろうねェ。
特にウスフールは、地の続く範囲は奴の庭さね。大陸の最北から最南まで、二時間程度で移動する。船を使っても、クリスティーナが確実に沈めるだろうよォ」
腐敗の魔女の言うことは最もだった。特にウスフールは、大人数を空間転移できる。その気になれば棺、いや馬車ごと亜空間内に閉じ込めておけるのだ。
「我々は、お前達の思惑通りに動いていたと?」
「そういうわけじゃあないョ。確かに、骸を持って行かれたのはイタい。
けど魔王が教会に着くことの方が、もっと痛い。アタシらはそう判断したワケだ。だから旦那には感謝してるよォ、あんがとさん」
ダニエルに敵意は無かった。魔女の真の思惑は、いまだ解らないが、ルートヴィヒはこの皮肉屋な魔女が嫌いになれなかった。
「そうか、よかった。お前とはまだ友人でいれそうだ」
突拍子もないルートヴィヒの発言に、さしもの魔女も呆気にとられた。王子が皮肉や嘘が不得手だと思い出し、ただただ感心した。
「旦那はなんつーか……偏見がないよなァ。そりゃアイツが惚れるわけだ……アタシも、一番最初の私だったら、ちょっと惹かれてたかもネー……いたた、引っぱんなって、冗談だっつの、冗談」
禿鷲が赤毛を咥えて引っぱり、ちょっかいを出す。ダニエルが首を撫でてなだめていると、ようやくフロレンツが戻って来た。
ここ何日も油断できない状況で、あまり休んでいなかったようだ。移植という計り知れない施術は、フロレンツだけのもの。他の医師には任せられないのだ。
「すみません、少し眠っておりました」
「こちらこそ急で、申し訳ない。陛下を少し、動かしたいのだが」
「……少し訓練が必要です。火傷は脚にも及んでいましたから。決して剣を握らせないでください」
「解った。感謝する」
「それと……此度の陛下への施術は、私とダニエルの合作と言っても良い。二度はありません、肝に銘じてください」
たまっていた医療記録をルートヴィヒに渡し、フロレンツは再びの休憩に戻った。
恐らく、フロレンツは城に長く居るつもりはないだろう。アルヴァの医療従事者はこぞって、彼に教えを請おうとしたが、懇願は尽く無視された。




