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Feuer bestattung  作者: 嘘吐き
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わたしは彼らに血の報復をなし、とがある者をゆるさない。主はシオンに住まわれる

――ヨエル書3章21節




 夜もふけて、冷たい風が書庫の馬車内にも吹き込む。

 日夜の寒暖差が、エマヌエルの脆弱な身体を蝕む。


 ぼろぼろの手袋をはめた手で、アザゼルに関する資料に触れる。

 昼は驚きに言えずにいたが、実はエマヌエルはこの本をとっくに読んでしまっていた。


 これだけではない。書庫にある、全ての本、資料、地図に手記。あらゆる類の活字は読み切っていた。彼にはそれ意外にすることもないからだ。


「……クロヴィス様、か」


 日除けの外套で顔を見ることは叶わなかったが、叔母意外と会話をしたのは初めてで、エマヌエルはまだ浮つき、胸を高鳴らせていた。


「マヌ、エマヌエル、起きている?」


「叔母様。はい、マヌはここに」


 孤独の忌み子を訪ねたのは、ダニエルに悪態をついた女、アイゼヤだった。


 エマヌエルは叔母に着いて馬車から出て、しばし砂漠を歩く。

 砂地に灯火を置き、アイゼヤは甥に弦楽器と楽譜を借した。


「さあ、今日はここからだ。呼吸を整えて、そう。呼吸の乱れは韻律の乱れに繋がる。お前は本当に筋が良い」


 本来忌み子は排され、音楽を習うなどもってのほかだった。だがアイゼヤはこっそりと夜中に訪ね、甥に楽器と信仰、文字や礼節を教え込んでいた。


 エマヌエルは物覚えが非常に良く、気が弱い分、集中力があった。

 肺を患い、歌うことはできないが、いくつかの楽器を爪弾くことはできた。


「……客人が、書庫馬車に訪ねたろう」


「クロヴィス様と、ダニエル様ですね」


「あのいけ好かない赤毛のリウォイン人に、何か言われなかったかい?」


「叔母様、人種の差別はよくありません。宗主様も、人種に意味はないとおっしゃっています」



 咎めるエマヌエルに、アイゼヤは憎悪をたぎらせて言い放つ。


「全くその通り。けれどもお前の母は、リウォイン人に殺されたんだ」


 幾度も聞かされたその言葉。もちろんエマヌエルは民族全体を個人に当て嵌めても無意味なことを知っている。


「叔母様……」


「私はお前が哀れでしようがない。なぜお前が咎を受けねばならないのか……」


 エマヌエルは叔母の優しさを支えに生きていた。だがその出自故に、アイゼヤが自分の扱いに困っていることも感じていた。


 姉の子であるというただそれだけで、エマヌエルを見てくれていた。アイゼヤには感謝してもしきれない。


「叔母様、どうぞ私のことは心配なさらないでください。私は――」


 自分は大丈夫だと伝えるはずが、何度も咳き込む。アイゼヤが慌てて背中を擦り、茶を飲ませた。


「歩けるかい?今日はもうお眠り。赤毛のリウォイン人に何かされたら、すぐに私に言うんだよ」






 埃っぽい書庫馬車に戻り、エマヌエルは粗末な敷布を被る。灯火を掲げ、暇つぶしに本を探す。


「……っ」


 咳が出る度に、頭痛もする。少し熱もあるようで、エマヌエルはもう寝ようと横になった。

 という時に、本の山の一部が崩れ、赤毛の男が出てきた。


「ぶっかどーん!」


「ええっ!?」


 理解できないダニエルの出現に、エマヌエルは硬直してしまった。


「だ、ダニエル様……?」


「んー、アタシは卑しい墓掘り人夫さァ。様づけはよしとくれェ、むず痒い」


「で、ではダニエルさん……かような夜分遅く、どうされたのです?」


 赤毛の魔女は胡座をかき、その辺の巻物を摘む。


「いやさァ、旦那がベリオールの暗号譜を覚えようと躍起になって、夜なべで昼寝する勢いさねェ。からかってたら追い出された」


 

 忌むべき魔女を名乗り、おまけに不潔だが、エマヌエルは自分に遠慮なく話しかけるこの男が嫌いになれなかった。


 初めて聞く類の冗談に、くすくすと笑い、エマヌエルはアザゼルの資料に手を置いた。


「申し訳ありません……。私はこの本を、読破しております」


「何ィ?」


「クロヴィス様が淫逸の神を求めるかの理由は、聞き及びません。……私ごときが、お力沿いになれるのならば」


 どんな気の変わりようだ、とダニエルは考えた。だがエマヌエルは、ただ純粋に協力を申し出ていた。


「あの……不躾ながら……ダニエルさんは、なぜクロヴィス様にお着きに?」


 教会を嫌う魔女を名乗る者が、神学者と行動するとは、実に奇妙。

 ダニエルはにやりと笑い、言った。


「旦那はアタシのもとへ訪ねてこう言ったのさァ……『魔女ならば私の言葉を虚言とすることはない』」


「伝承のみにある、アザゼルの所在を……ダニエルさんに、お聞きになったのですね」


「それぐらいは旦那は研究していたさァ。アタシはただの助言役さねェ。

それに旦那は言った。『私は魔王を止めねばならない』とも」




 クロヴィスは待ちきれないとばかりに、朝から書庫馬車を訪ねた。


 エマヌエルは咳き込みながらも、なんとか分厚い本を持つ。


「このように埃立つところでは、治るものも治らぬぞ」


「身体が脆弱なのは……生まれつき、ですので」


 過酷な砂漠で生きるのに、エマヌエルは全く向いていない。恐らくは、早々にその人生を終えてしまうだろう。



「クロヴィス様は……アザゼルに、接触をお望み……なのですか?」


「そうだ。唯一所在のわかる神が、アザゼルだけだからだ」


 夜ふかしして昼寝しているダニエルを尻目に、クロヴィスは話を進める。


「……アザゼルは、砂漠の荒地に封印されている、とあります」


「荒地?」


 ゲヒノム大砂漠に、そんな地域はない。

 ただ砂と、わずかな源泉がぽつぽつと点在するのみ。

 最新の地図にもそんな記述は無く、クロヴィスはようやく気づいた。


「神々の領域での、荒地を指すのか」


 古来より様々な名をつけられてきた、神の住まう世界。

 そこへ到達できる方法など誰も知らず、あるいは伝承の世界ともいえる。


「行く方法は」


 それでもクロヴィスは求めた。彼を突き動かすものの正体を、エマヌエルは知りたかったが、それを聞く資格はないと我慢した。


「貴き地に贄とあれば、我らの証を立てるべし。

ベリオールの、旗を手に……アザゼルの使いたる山羊を捕らえれば……」


「その使いの山羊はどこに」


 エマヌエルは古びた地図を取り出した。最初に彼が指定したもので、その地図こそが、淫逸の神の在り処を示している。


 地図は酸性劣化により、穴だらけであったが、手持ちの地図と照らしあわせることができる正確さだった。


「バンダー泉を北上した先……葦弥騨あしやだの民の近くか」


 ベリオールと同様に古い民である葦弥騨は、やはりアルヴァの戦に追随していた。


 むしろ此度の大戦に参戦していない民は、教義により武器を持たないベリオールのみだ。



「馬車に備えつけられている、ベリオールの赤い旗を持てば良いのだな」


「いいえ……山羊は、ベリオールの民の前にのみ姿を、現します……どなたか、協力をしてくれる方が……」


 エマヌエルが健康な身体であれば、クロヴィスは連れて行くつもりであったが、彼は歩くことさえ辛そうであった。


 しかし、横になったままのダニエルがぽろりと口にした。


「エマヌエル、アンタでいいじゃァないか」


「ダニエル、彼の容体ではとても――」


「忌み子は、ベリオールの民と、認められません……」


 ダニエルは卑屈な青年に近づき、ねちっこい説得を開始した。


「けれどベリオールの血は流れてるんだろォ?それで充分さね」


「た、確かに母はベリオールですが……けど」


「わずかな一滴でも、血は血だ。なァ旦那」


「そうだな。私の母はリウォイン人だが、私は栄えあるアルヴァの民だし、母のことも誇りに思っている」


「えっ」


「ええーっ?初耳だよォ!ちょ見せェな」


 ダニエルは興味津々に、そして不躾にクロヴィスの外套をめくって、ちらちら観察した。

 エマヌエルは自分と同様に、顔を隠す理由があるのだろうと、目を伏せた。


「ぅえー、うっそだァ」


「嘘ではない。眼を見ろ」


 確かに鈍色の眼は北方の人種のもので、ダニエルは納得して離れた。


「どちらにせよ、無理をしてはならない。貴君を連れては歩けない」


「なァに言ってんだョ旦那は。どこのどいつが、アザゼルに関わりたがるってんだィ。むしろ忌み子の方が、双方にとって都合がいいんだ」


 

 ベリオールは忌み子を存在しないものと扱っている。彼を勝手に連れ出しても、見てみぬふりをされるだけだ。


 それを理解しつつも、エマヌエルの弱い体を配慮するクロヴィスに、青年は勇気を振り絞って言った。


「あの……クロヴィス様が……良いと言うのでしたら……私を、お供させて、ください」


「……すまない。私にもっと交渉の能力があれば」


「いいえ。忌み子たる私が、何か助けになれるのならば……」


 よし決まった、とダニエルは膝を叩いた。

 クロヴィスは準備のために立ち上がる。


「だが、決して無理をするな。辛いときはすぐに言ってくれ。人命を優先したい」


「はい。わかりました」


「……ありがとう、貴君の勇気を讃える」


 クロヴィスは青年の手を取り、力強く握った。




 クロヴィスが書庫馬車から去った後、ダニエルは口をへの字にしてエマヌエルを見ていた。


「あー……言った後で悪いんだけどさァ、ほんとにいいのかィ?

アザゼルは封印されるだけあって、とても大変なことを仕出かしたんだ。それでもアンタは――」


「……私は、ただ無為に死を待つ忌み子ですが……もし、あの方の助けになるのならば、少しは私の生にも、意味を持てるでしょう」


「生き死にに意味なんてあるものかィ。……いや、アンタはそんなものを考えちまうほどに、独りだったのか」


 ダニエルはエマヌエルの残した平パンを奪ってつまみ、その哀れな人生に嘆息した。


「クロヴィス様は……なぜあんなにも、優しい方なのでしょう」


「……優しィ?……普通だと思うが」


 

 長きに渡り、人を見続けてきたダニエルは、青年の感情を察し、ああ、と呻いた。


「おやめ。旦那はどーこー見ても王侯貴族の類いだ」


「……いいえ、お忘れください。私は少し、浮かれているのです……」





 クロヴィスは自分の馬を引き連れ、弓とベリオールの旗を手に戻る。


「エマヌエル、馬には乗れるか」


「一応、人並みには……とはいっても、自分の馬は、ありませんが」


「そうか、ならば私の後ろに。旗は貴君が持ってくれ」


 エマヌエルは立派な軍馬に乗ることを躊躇したが、クロヴィスに手を差し出され、頷いた。


「そいじゃあ旦那、覚悟はいいかィ?ここから先は、アタシも責任は持てねェよ」


 ダニエルはいつの間にか、馬を用意していた。

 頭から麻布をすっぽりと被った、奇妙な馬だ。だがしっかりと動いており、エマヌエルは気になった。


 クロヴィスは腰に矢筒と剣、最新式の拳銃を佩き、手綱を握った。

 もう一方の手には、一枚の紙片。それにはこうあった。



殺し合いが始まる

血で血を洗う殺戮が

兵士も女も老人も嬰児も

全て朱に沈む


月桂の花より出でた血が

愚かしい諸人に

蔑ろにした我らに

最後の裁きを打ち据える


さらば人殺しの鉄よ

ただひとりの犠牲で

哀しみを断つ

魔王に平伏せ



(この預言を成就させてはならない……絶対に)


 クロヴィスは紙を懐に、無言で馬の腹を蹴った。


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