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Feuer bestattung  作者: 嘘吐き
18/24

18


 地に伏したルートヴィヒは、目を閉じたまま、ぴくりとも動かなかった。

 四人の魔女は彼を仰向けに倒し、額に手を当てた。


「呼吸はしてらァ、脈拍も正常さね」


「体内の水分量に異常はないわ。精神の方に問題が生じたのねえ」


「僕には眠っているように見えるんだけど」


「……各種、刺激に……反応せん。……重度の昏睡だ」


「昔いた、神憑きの末期症状によく似てるねェ。

あれは神が神域側に引き込みすぎないよう、調整した結果だが……旦那はどうしたってんだい」


 ダニエルはアザゼルに説明を促す。もし万が一にも、ルートヴィヒに何かがあれば、今度こそエマヌエルは耐えきれないだろう。


 アザゼルは青褪めた顔で、呟くように言った。


『旦那様は……わたくしを改ざんした。お前たちも見たろう、あの兵器の数々を』


「馬鹿な!この王子様は普通の人間でしょう?魔女ですら、神の霊質を組み換えるなんて……!」


「いや……アザゼルは、角がない……。アザゼルが受け入れ……彼が自己を希薄化すれば……あるいは」


「じゃあその希薄化で、この人は自分を見失ってしまったの?」


 ルートヴィヒの意識を引き上げるには、いくつかの方法がある。

 単純に衝撃を与えるか、アザゼルに残っている情報を辿って、釣り上げるか、などだ。


 しかし原因が不明瞭だ。間違えれば、ルートヴィヒの意識は失われてしまう。


『違う。わたくしは旦那様の無意識野に、別の力の源を感じた』


「……無意識かァ」


 俗にいう深層心理。神と契約すると、自分の意識内に、受け入れた神の意識が侵食してしまう。

 だが人の思いという情報も、過ぎれば神という大いなる流れに、影響を及ぼす。

 ゆえに神とて、重大な問題が起きない限り、人の無意識野を見たりはしない。


 本人が意図しない思考の領域は、思わぬ心傷や願望で溢れている。それを見られたい者などいやしない。

 


 主を心配し、鼻息を吹きかける軍馬をキサラが宥める。


「うんうん、大丈夫だよ。……ダニエル、無意識野に入れる神様は、この中にいないの?」


「……エーギルかバイザクはどうだィ?」


 人魚と戦士は、揃って首を横に振る。


「エーギルは受容範囲は広いけれど、探索は専門外なのよ」


「……バイザクは、人の意識に手は出さぬ」


 ダニエルは頭を抱え、呟いた。最後の賭けに出る覚悟が、なかなか出ない。


「となれば……アイツしかいないなァ……でもなー」


「その人しかいないなら、頼むしかないよ!どなたなのさ」


「ヘルガだよォ。アイツは人の意識に土足で入り込む。防衛機制も無理矢理壊してな」


 神域を通して人の意識に入るのは、困難を極める。

 まず他人に見られまいと、防衛機制が働く。それを許されて入ったとしても、欲や記憶、諸々の思考に呑まれず自己を保つのは難しい。


 それは意識段階が上がり、深層へ潜っていくほどに難度は上がっていく。


「ヘルガはなァ、自分以外は全て価値のない玩具として見ているのさァ。

全く最低な奴さね、自分の臣民の意識を引っ掻き回して遊んでいるようだし、アタシも昔、ヤラれた」


「まあ怖い。王子様が殺されてしまいそう」


「魔王との……関係性を鑑みれば……奴も愚かではない」


「だといいんだがねェ……。アバドンよ、イツテラコリウキと繋げておくれ」

 

 

 真っ白い空間を、同じく白いドレスの少女が歩む。

 神域と現世の中間地点である境界を、迷うことなく悠々と。


 リウォイン国女王にして古き魔女。ヘルガは白鷺を伴い、今しがたルートヴィヒの意識内に入らんとしていた。


 アルヴァ王族を呪いで殺してしまうのは簡単だが、あからさまにすぎる。故に今まで侵入するつもりはなかった。


 だが魔王の想い人とあっては、問題が違ってくる。何故そうなってしまったのか、誰彼に問い詰めたいところだが、なってしまったものは仕方がない。


「可愛い恋愛を打ち壊すのも、悪い魔女の役目だ。そうは思わないか」


『全くもって、わざわいなり。わが愛しき星は』


 額を矢に貫かれた老人が、宙に陣を描く。目隠しをした表情は無そのものだが、声音はどこか楽しげだった。


 盲目と氷山、静寂と裁きを司るイツテラコリウキは、ルートヴィヒの意識と繋がると、再び白鷺の姿となった。





 早速、勇猛果敢に剣を向けてきたエバ王女を、ヘルガは短槍で心臓を一突きにした。


 領域を侵す異分子を排除するための、防衛機制だ。

 エバの姿をしていたのは、ルートヴィヒにとって彼女こそが信頼の表れ。何があっても自分を守ってくれるという、確信があるのだろう。


「くはは、甘い甘い」


 魔女が一歩踏み出す度に、王宮の廊下に薄氷が張る。

 実のところ、人の意識はわずかに神域に繋がっている。一説では、神が神域を通して、こちら側をこっそりと伺っているとも。


「それにしても……」


 騒然としている、と感じた。ヘルガは視力が殆ど無く、故に無意味なものを無視し、自己を強く保つことができる。


 アルヴァ王宮内ではあるのだが、廊下には脈絡もなく甘い菓子が転がり、扉を開ければ楽団が歌う。

 かと思えば、中庭の地べたに座って学者らが議論している。外苑では沢山の子供が遊び、花に水をやったり、絵を描いたりと楽しげな世界だ。


『わかりやすい願望だ』


「ふん、なるほど。王子であるがために叶わぬことか」


 しかし表層にあるということは、いいなあ、で済んでいる欲だ。どれもやろうと思えば、今すぐできることばかり。

 


 表層意識にはありがちなものだが、ずいぶんと雑多だ。ルートヴィヒはそれだけ、興味の範囲が広いのだろう。


「それにしても……」


 ヘルガは床の蔦を踏み、凍らせて砕いた。

 蔦は床だけでなく、壁や天井、人までも侵食している。


「いまだ悪夢は、私を追うか」


 防衛機制が働いていないということは、この蔦はルートヴィヒのものか、もしくはルートヴィヒの意図しない、全く別の根本的問題なのだろう。


 廊下を奥へと進む。圧が変化し、意識段階が上がったのがわかる。イツテラコリウキが、意識の層の違いを、圧力や感覚で示してくれる。


 明らかに蔦が多くなった。のたうち、脚やドレスに絡もうとする蔦を切り落とし、凍らせ、ヘルガは歩む。


「イツテラコリウキ、王子の気配は」


『皆目見当たらない。しかし消失したわけでもなく』


 意識の持ち主が、その姿も見せないとは。ますますおかしい。

 とにかく目についた扉は開ける。さっさとルートヴィヒを見つけ出し、引き戻さねばならない。


「……っと」


 鎧姿のエンディミオが、軍馬に乗り哨戒していた。彼もまた、防衛機制のひとつだろう。もしくはルートヴィヒの願望を阻止する、抑圧の表現かもしれない。どちらにせよ、見つかれば面倒だ。


「待てよ……となれば」


 ヘルガが生涯の中でも数少ない、苦手な人物がかつてアルヴァにいた。

 弓を全身に受け、女王の首を掻っ切りかけた暴れ牛は、ルートヴィヒの記憶にあるのではなかろうか。


「……慎重にいくか」


『我が星らしくもない。踏破していけ』


 認めたくはないが、暴れ牛エリンだけは避けたい。ヘルガはまるで潜入専門の暗殺者のように壁つたいに歩み、扉を開けては中を見る。


 大量の本を持ち込む商人、リウォイン兵の惨殺死体、珊瑚や貝殻の加工品――しかし次の扉を開けた時、思わぬ人物に会った。

 

 

「あ、ヘルガ様ー」


「っ、……うふふ。久しいな、王妃」


 無邪気ともいえる笑みを浮かべ、痩せ細った男が近づく。

 イツテラコリウキに短槍と扇を取り替えてもらい、ヘルガは優雅に口元を隠して微笑む。


 切り揃えた銀髪、死人のように白い肌。鈍色の眼は、実に穏やかだ。

 アルヴァ国王の妻にして、魔王を預言した男。フリードリヒは敵国の女王とあろうが、嬉しそうに話す。

 軟禁の身だ。会えれば誰でも嬉しいのだろう。


「どうされたのですかー?陛下をお呼びしますか?」


「いいえ結構。今日はルートヴィヒ王子に会いに来た」


 王妃の部屋には、強力な防御がかかっている。フリードリヒも、部屋からは出ようとしない。

 ルートヴィヒにとって、母親は守るべき存在なのだろう。


 フリードリヒは警戒もせず、ある一点を指した。彼は真実を表すのだろう。常に正確な答えしか出さない。母は王子にとっての指針だ。


「殿下ならー、んと、お部屋におりますよー。あの子と一緒に」


「あの子?」


 違和感に振り向いたが、王妃の部屋は閉められてしまった。

 ヘルガは言われた通りに、王子の寝所に入る。




「あの時、王妃は“忌まれし森”のムシュフシュを受け入れ、昇華したと思ったが――」


 そこは王子の寝所などではなく、東の森だった。

 蔦はますます空間を這い、獣の気配のない森は実におどろおどろしい。


『風の処理は完璧だった。ムシュフシュは美しい肢体を持った人となった』


「シリウスは裁定者による昇華。ルートヴィヒはケツァルコアトルによる昇華。この差異による結果か」


『ちがうな。風は人体にくわしい。間違えたりはしない。

王子さまが、引き出しすぎた』


 とにかく、蔦を潰さぬ限り、ルートヴィヒが戻る様子は無さそうだ。

 槍を持つと、ヘルガの足首に蔦が巻き付き、少女の身体を軽々と持ち上げた。

 

 

 ヘルガは逆さのまま、短槍を振るい蔦を切断。宙で反転し、さらに向かってくる蔦を踏みつけ、華麗に飛び交う。


 現世では絶対にできない動きだが、神域では、自らの意思の強さがものを言う。


 ヘルガは全ての身体の動きを、操作するという思考に切り替えることで、人外の身体能力を発揮した。

 動作では限界のある動きでも、操作ならば可能。


 つまるところ、歩くにしても『右足を踏み込み、左足を奥に動かす』という動作を、いちいち考えなければならない。普通はそんなことを意識して行動すれば、思考と差異が出て、かえって一歩も歩けなくなるというもの。


 ヘルガは魔女だ。幾百年、肉体と精神を換え続けた結果、彼女は自らを俯瞰する視点を得ていた。でなくば新しい肉体に、精神が慣れずに硬直するだろう。


 神域上では、ヘルガは敵無しだ。白鷺が鳴くと、ヘルガの歩んだ跡が凍り、蔦が止まる。


「煩わしい。全て雪細工にしようか、その方が美しいだろう」


 かつて奪われた右腕が疼いた。地面に降り立ち、槍を構え、突き立てる。


 蔦が絡み合い、球状を成している。まるで繭のような塊に槍が刺さる。

 黒曜石の刃先が震え、氷の粒が跳ねる。力が拮抗し、蔦が閉じようとするのを、イツテラコリウキが阻止する。


『森ではない。こんな力はなかった森ではない』


「こじ開けろ、壊しても構わないだろう」


 イツテラコリウキが石の鋲を打ち込み、両の手で氷となった蔦の篭を開く。

 蔦が八方に噴出し、ヘルガのドレスや髪が裂けた。女王は気にも止めず、力の中心を見た。

 

 

 案の定、ルートヴィヒなどいやしなかった。

 内部にいたのは、紅鳶べにとび色の髪を結い上げた、妙齢の女だった。


 女は蔦が絡んだ木に座り、のんびりと本を読んでいた。

 ヘルガに気づき、栗色の眼を向けて微笑む。瞳孔は血が凝ったように紅い。


「あら、ヘルガ?そんなに可愛い姿だったかしら」


「……久しいな、ゾーフィア。ティアマトの魔女」


「一昨日会ったばかりじゃない。呆けちゃったの?」


 生命の誕生の一端を司る女神“満たされる紅の杯”ティアマト。その魔女が、ただの人間の意識に住みついていた。


 かつて教会が設立されたばかりの頃、その中の一派が、人工的に神を創り出そうと試みた。

 その犠牲となったのがゾーフィアだった。信じがたいほどに残酷な方法でゾーフィアは神ごと砕かれ、別の力へと変換されてしまった。


「あなた、まだ自分の国の民を苛めているのね。気持ちはわかるけど、駄目よそんなことは。あなたも幸せになれないわ」


「幸せになりたくてやっているわけではない。余計な世話だ」


 ゾーフィアは消滅の間際、死にたくないと切に願い、ティアマトの力がそれを叶えた。

 だが『死を呑んで新しい命を生み出す』という世界の機能と矛盾し、ただ無意味な力の塊が発生した。


 力は十一の意思を持って、それぞれ行動した。そのうち九つは、聖ゲオルギオスが世界に還した。東の森はその副産物だ。


 ただしあとの二つを還す前に、上記の不祥事を問われ、ゲオルギオスは斬首刑に処された。

 力は神々よって封印されたが、神側にも問題が起き、解放されてしまう。


 うちひとつはキサラが神に昇華し、もうひとつは王妃フリードリヒが胎児の身体を与えて、人として生まれ変わらせた。

 


「シリウス狼がゾーフィアの欲を司り、王子は記憶を保持していた、ということか」


 普通に生活していたならば、問題はなかったはずだ。アザゼルの力を引き出すために自己を希薄化したことにより、意識の最奥にいたゾーフィアが露出してしまったのだ。


「ねえヘルガ、本当にデルオラと戦争をするの?犬死によ」


 どうやらゾーフィアの記憶は、死の直前で止まっているようだ。

 デルオラ王国は、アーブラハムが革命を起こす前のアルヴァの前身。リウォインがまだ国としての体裁を整える前に、芽を摘もうと戦を仕掛けてきた。


「子細ない、王さえ殺せばいい。ダニエ……アザリヤもいる」


「駄目よ、アザリヤに人殺しなんてさせちゃ。彼女は鼠のお墓もつくるぐらい優しい子なのよ」


「ただの強迫観念だろう。――邪魔はするな」


「無理よ。ゲオルギオスはこの世に恒久の平和をもたらすためなら、なんでもするわ。私も、アーブラハムもメトセラも、彼の夢を見るの」


 ヘルガは舌打ちした。ゾーフィアは魔女だが、ゲオルギオスに付き従う変人だった。

 現在でも偉大な導師として、聖列されている。


「神を砕いてでもか。ベリアルを失った民がどうなるか、想像もできんのか」


「大丈夫よ、ベリアルが復活するよう、私たちは手を打っているから」


「民の血が濃くなれば、だろう。混血児は拒否反応を起こして死ぬ。大した粛正だ」


「極端に民が減った場合も、復活するわ。虚無主義の神が、最後の一人をきちんと護るか、少し興味があるわね」


 知的好奇心が旺盛すぎたがために、魔女に堕ちた女は、うっとりと語る。

 

 

 ゾーフィアは本を閉じ、手を組む。首を巡らせ、ヘルガに尋ねた。


「ところで、ティアマトがどこへ行ったか知らない?ふらりと飛んでいっちゃうのは珍しくないのだけれど、戻るのが遅いわ」


「知らん。興味がない」


「そう……。ねえヘルガ、思慮深いあなたならば、私の話を気に留めてくれるでしょう」


 ゾーフィアは言うことを戸惑っているようだ。ヘルガが扇で促し、やっと呟いた。


「アザゼルは本来、争いに進んで参加するような神じゃないわ。彼の魔女もそうよ、拷問器具を造る変な趣味があったけど、アザゼルにしか使わなかったじゃない」


「そんな変態だったのか奴らは」


「おかしいのよ、アザゼルに人体の知識なんてなかったはず。まして魔女の細胞で複製をつくるなんて……いくらアザゼルが超越した技術を持っていたとしても、それを吹き込んだのは誰?」


 ヘルガは眉をひそめた。アザゼルがとび抜けて愚かだったのではなく、原因が他にあるというのか。


「私、怖いのよ……。教会が大きくなれば、頂点を貶めようとする者は必ず出る。創成派とかいう、ゲオルギオスの力を研究する者らが怪しいわ」


 恐らくゾーフィアは、裏切り者達を調査するうち、逆に利用されたのだろう。のんびりした気質の彼女は、そういった計略は向いていない。


「あの人、ゲオルギオスをどこか嘲笑っていた。嫉妬や憎しみはよくあるけれど、どうして嘲笑うのかしら」


 智慧ちえの魔女は、自らの死を予感していたのかもしれない。

 他の魔女に伝えたいことがあり、無理矢理に出てきたのではなかろうか。


「お願いヘルガ……どうかゲオルギオスに伝えて。私はできなかったから、あなたとアーブラハムの子に託すわ」


 敵の存在を知らせること。それがゾーフィアが死の直前に抱いた、切実な願いだった。

  

 

「あの人は世界の真理を知ろうと躍起になっていたわ。その者の名は」


 全てを言う前に、ヘルガは槍を振り、ゾーフィアの首を撥ねた。


「死人に口無しだ」


「あ……の……手……届か、なか……た。ゲオ、ルギ……、来て、くれ……のに……まるで、弓を、離す……みたい、ね」


 それでもまだ言葉を溢す頭部を、ヘルガは踏みつけた。ぐしゃりと音を立て、ゾーフィアの身体は水となって流れ、消えた。


「魔女ならば、世界の流れに逆らうな」


 蔦も水となり、消えゆく。森は煙のようにぼやけ、徐々にルートヴィヒの部屋が構築されていく。


「……そんなことは私も解っている。だからこそ、魔王が必要だ」


 アザゼルも、ベリアルも、ゾーフィアも、ゲオルギオスも、全ての歯車が狂った原因が、戦争の他にあるというのならば。


 ゲオルギオスを斬首刑にするよう、そそのかしたは、魔女らではない。

 ヘルガもダニエルも、当時のデルオラ王に進言できるような立場ではなかった。


「私を欺いた者は、たとえ忠義者でも殺す。

そしてあれだけのことをしたのだ、生まれてきたことを悔いるような目に合わせてやる」


 ヘルガは舌なめずりし、獲物を追い込む方法を考えていた。子供が今日のおやつは何かと、想像しているような可愛らしい顔で。


 部屋の中、窓の外をぼうと見る王子を認め、白鷺王は呵呵かかと笑った。


 多少は張り合える相手が無くては詰まらない。女王がアルヴァを侵略する理由は、また別にあるが、それはともかく、ヘルガは嫌がらせがとても大好きなのだ。


 魔女はもう二度とルートヴィヒが昏倒しないよう、いくつか調整し、部屋を去った。

 

 

 ルートヴィヒが森で幻覚を見てしまったのは、彼がゾーフィアの最期の記憶を有していたからだ。

 東の森は、元はゾーフィアそのものと言える。捻れた力はゲオルギオスによって還され、大自然となった。


 ではルートヴィヒが見た幻覚の人物は、一体何者だったのか。






 瞼が震え、うっすらと鈍色の目が開く。

 ダニエルは思わず、よし、と叫んだ。


 四人の魔女と、アザゼルを含めた五羽の鳥に一斉に覗きこまれ、ルートヴィヒは眉間に皺を寄せた。


「……何この……何?」


 ルートヴィヒは全裸で仰向けになっていた。両腕に点滴と、股間に排泄処理の管を通されている。


 さらに森の中ではなく、ウスフールの領域内だ。温度と湿度が一定に保たれ、ほぼ無菌状態の空間となっている。


「旦那ァ、名前と身分は言えるかィ」


「……ルートヴィヒ・ゾンスト=ジリオムダール。アルヴァ王国王子、アルヴァ国軍総司令代理および第一特殊斥候部隊長、教義学術振興会一級神学士、ブルデン絵画協会名誉理事、民族統一利権復興委員特別顧問、イチェット貿易会社筆頭株主、あとは――」


「身分多いなオイ。まあいいや、旦那は三日ほど眠りっ放しだったんだィ」


 それでも早い方だ、とダニエルは続ける。無茶をしたルートヴィヒの意識を引き上げるために、ヘルガが行動したことも言った。


 他の魔女は、ルートヴィヒが感染症などで死なないよう、守っていた。ウスフールが環境を整え、クリスティーナが体温や水分量を見て、ダニエルが点滴を施した。


「あら、まだ動いてはいけないわあ」


 怠さを堪えて起き上がる王子を、周囲は無理矢理押さえつける。

 弱々しく振り払い、アザゼルが差しだす衣服を身に着ける。

 

 

 三日。三日も眠りほうけていた。情勢が気になるところであるし、エマヌエルは教会にてどうしているのだろうか。


 軍靴の紐を結び、腰に剣と矢筒を装備する。多少の目眩はあれど、一週間寝ずに行軍するよりはずっと楽だ。


 以外にも、キサラが王子の手を取り、巨躯の狼のそばまで引っ張る。


「僕たちが教会に連れて行くよ。馬よりもずっと速いもの」


「そうか、ならば頼もう」


 天狗の司る青星は、現世にも神域にも存在する。天狗はその輝きある限り、この世界のいかなる場所へも瞬時に移動できる。


「でも、帰りは一人。魔女は宗主に力で勝てないから、きっと誰もついてこないよ」


 キサラの負った代償は、異様なものだった。森を出たら、日が次に昇るまでに、つまり一日の間に森に帰らねば、天狗もろとも死ぬ。少年は何処にでも行けるが、何処へも往けないのだ。


「充分だ。私は二人で帰る」


 導かれるままに、ルートヴィヒは狼に乗る。なんとも乗り心地は悪いが、文句は言えない。


 蒼い方陣が展開し、天狗が鳴くと、巨大な姿は掻き消えた。



 ダニエルはウスフールに指示を出しながらも、様々に考えていた。

 アバドンを通してヘルガより聞いた、ルートヴィヒの有したモノ。


 王妃の宿していた胎児が、最初は一人だったとすれば。

 生命の誕生を司る神の力で、一人の胎児をもとにもう一つ生まれたとすれば。


「もし旦那が本来、生まれるはずのない人間だったとすればだ……。預言はわずかだが、外れていったことになるのかィ?」


 魔女は神と同じだ。同じ記憶と思考で、世界を楽しく生きていく。

 だが人は変わり続けなければ生きていけない。それが間違いであったとしても、生きていくために必要な変化なのだ。


「エマヌエル……アンタが一番、旦那のこと解ってないんだよ。何もかも拒否したって、腐っていくだけなのにさァ……」


 野暮な言葉を吐き、腐敗の魔女は苛立ちに目を細めた。


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