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ダニエルは言った、「神のみ名は永遠より永遠に至るまでほむべきかな、知恵と権能とは神のものである。
神は時と季節とを変じ、
王を廃し、王を立て、
知者に知恵を与え、
賢者に知識を授けられる。
神は深妙、秘密の事をあらわし、
暗黒にあるものを知り、
光をご自身のうちに宿す。
わが先祖たちの神よ、
あなたはわたしに知恵と力とを賜い、
今われわれがあなたに請い求めたところのものをわたしに示し、
王の求めたことをわれわれに示されたので、
わたしはあなたに感謝し、あなたを讃美します」。
――ダニエル書2章20節~23節
砂漠には何も残っておらず、まさに荒野と呼ぶに相応しい。
槍の柄、焦げた旗。捨てられた鎧や鞍などが、起こった惨状を物語る。
あれだけあった死体は余さず火に葬られた。骨も灰も残さずに、風に流れていった。
静寂の砂漠に、一頭の異形の馬が止まった。
青褪めた馬に乗った男は、成金のような量の指輪や首飾りをつけている。男は焦げついた弓を拾い、満足げに笑う。
「なかなかこれが。やってくれたものだ、なあ」
後ろを向き、布に包まれ縄で馬に固定した子供を見る。子供はどこも見ておらず、力なく口の端から涎を垂らすばかり。
「哀しみの行末に、ついぞ御陵威の王は降誕せり」
興味はなくなったと、男は青馬を動かす。
「なれば吾らはただ祈り、赦しを乞うばかりである。魔王よ、汝いかにこの世界を討ち滅ぼすか」
状況は最悪だった。
王と王女が倒れ、主力の兵のほとんどが動けなくなった。何よりも兵の持つべき装備が全く足りない。
製造はアルヴァ支配下のサイーラという工業国に任せているが、原料である鉄、その鉱山は教会が土地ごと所有している。
面倒なことに、教会宗主は戦争を厭うがゆえに、武器のための鉄は法外な値段で取引させていた。
一方の敵国リウォインも、同じく苦しい立場だ。女王自身に被害はなかったが、退却はアルヴァ側よりも遅れ、兵の犠牲は多い。
また、損害を出したヨシリピテへの言い訳も用意せねばならない。
どちらも痛み分け。アルヴァは慌てて剛崎以下、他部族の兵を呼び集めて国の防備を固めた。
両国の受けた痛手はあまりに大きい。いましばらくは相手の様子を窺いながら自軍を整えるしかない。
つまるところ、戦は中途半端に休止となった。
それだけのことをした者は、砂漠から忽然と姿を消してしまった。
極一部の者以外は、敵国の焼き討ちと思っているだろうが、鉄をも燃やす炎はそう簡単に起こせるものではない。
倒れた王に代わり、最高指導者となった王子ルートヴィヒは、激務の傍らで魔王の行方を探していた。
王妃が夫に託した預言を見て、ルートヴィヒは思案した。
結局のところ、全ては定まっていた。魔王は降臨し戦を焼き払い、黒獅子王は剣で歌を止めた。
虫の息であった父王を見た時には、流石のルートヴィヒも血の気が引いた。
懸命な治療が続けられてはいるが、即死していない方がおかしい。
エバはまだ動けないが、一命は取り留めたと報告があった。
『旦那様、どうか休息を。お体に障ります』
戴勝がルートヴィヒの肩に止まり、声をかける。それを追い払い、王妃が自身に託した預言の意味を考えた。
魔王に関する預言は、ルートヴィヒが個人的に渡されたもので最後だ。
恐らく王妃は、夫の死の預言を回避するために息子を使ったのだろうが、あえなくそれは失敗に終わった。
そして魔王を止める術は、とうに提示されていたのだ。ならばルートヴィヒに託された預言は、果たして何を指し示すのだろう。
つと、ノックもなしに王子の書斎に入る者がいた。無礼など承知で顔を見せたのはエバだった。
案外火傷は軽度であったか、大して消耗した様子もない。長い髪を払い、威風堂々とした出で立ちで歩む。
妹姫は侍従も連れずに、ルートヴィヒの前に現れた。
「……何の用だ」
「何の用ですって、お兄様。あの時一体、何があったというのです!」
ルートヴィヒは相手を見据えた。戴勝を掴み、腕を振るって手斧を投擲。
あらかじめわかっていたように、王女は不意打ちを難なく避けた。どこか楽しげに口角を上げる。
「エバの髪は、あの時だいぶ焼けてしまった。今も動けるはずがない」
「案外冷静なものだ。つまらん」
妹姫の声が、低くおどろおどろしい男のものに変わった。
ルートヴィヒが次の手斧を投げる前に、それは姿を歪ませ、現れた。
『このわたしと力比べか?いいぞ、かかってこい』
筋骨隆々の肉体は、石炭の乾留液を塗ったようにどす黒い。
黒曜石の投槍を持ち、それは舌なめずりした。
四白眼がぎょろりと動き、深紅の瞳孔でルートヴィヒを見る。
三対六本の角のうち、一本が折れていた。
「戦と変化の神、テスカトリポカ……。母上が契約した者か」
『お前はわたしを認識していたのに無視していたな。
何度悪戯しても食わぬ顔で知らんぷりしおって……』
「再度問うが、何用だ」
『そう邪険にするな、気が変わった。アザゼルを絞め殺しに来ただけだ』
見据えられた戴勝は、慌てて起き上がって本来の姿を顕現し、臨戦態勢をとる。
だがルートヴィヒは、恐れもせず二神の間に入り、疑問をぶつけた。
「魔王は何処にいる」
『それはわたしの答えるべきことではない』
「お前が母に与えた預言の意味は」
『有意義か無意義かは、読解者の思考に委ねられる』
くだらない押し問答に、王子は業を煮やした。自分の服飾を仕舞っている部屋から、宝石箱を持って乱雑にひっくり返す。
金銀、緑硬玉に黒曜石に藍宝石。見た目が綺麗で集めていた、珊瑚に貝の加工装飾などなど。
それら誰をも魅了する財宝を、ルートヴィヒは足蹴に戦神の方にやった。
神学を修めた結果だ。王子には神に対処する術を知っていた。
「答えろ。まだ足りないか」
鏡のうちのテスカトリポカが、ひとつは舌打ち、ひとつは大笑いした。
財宝を戦神から離れた黒蛇が呑み込んでいく。
『ひとつ、魔王の行方は知らぬし、どうでも良い。魔女どもに聞け』
『ひとつ、預言の意味はあるようでない。何故ならわたしは変化を歓迎するからだ』
『そして、どうだ名高き戦士。わたしと契約して戦場を駆けようではないか』
血の匂いを漂わせ、テスカトリポカが誘う。
当然ルートヴィヒは剣を振るい、近づくなと警告した。
「父を庇ったことは礼を言うが、それだけだ」
戦神は喉の奥で笑い、鵲に変化すると、がちがちと鳴き立てて消えていった。