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Feuer bestattung  作者: 嘘吐き
12/24

12

 

 その哀歌を、誰もが耳にしたろう。そして悲劇の幕開けを見た。


 火の手はたちまちに広がり、兵らを食らう。鎧を着込んだ者は蒸され、あるいは煙を吸い倒れる。

 火の元を調査しようとした者は、鞍を焼かれて馬を降り逃げた。


「女王陛下、ここは危険です!撤退を」


 白の魔女は燃え盛る赤い火災を見つめ、目を伏せた。女王の馬も火を恐れ、逃げ出さぬよう御者が無理に押さえつける。


「全軍撤退しろ」


「軍を、でございますか?しかし、この焼き討ちは――」


「二度言わせるな。全兵、装備を捨ててただちに撤退。ヨシリピテ兵も、拾える分は拾っておけ」


「……御心のままに」


 深紅の瞳孔に射抜かれ、将軍は走っていった。

 ヘルガはその場から動かず、兵士と死体が燃える様を見ていた。


「素晴らしい。これが魔王か」


『そうだとも、あれが魔王だ』


 魔女は傍らの鷺とともに歓喜した。魔女となって幾百余年、長らく待ち続けてきた。彼に会わずいなくなった魔女らは、あまりに哀れだ。


 ヘルガは猛火から感じる、圧倒的な力の差に笑った。魔女がいくら願ってもこんな災厄は起こせない。

 最もえげつない力を持つダニエルも、最も戦闘の強い剛崎も、こんなことはできない。


「さて魔王はどちらに着くか。あの魚女は我らに味方すると勘違いしているが、それは愚考だ」


『この乱れよう。もはや希望などあり得ない』


「それでも良い。存分に世界を終わらせるといいさ。私は魔王になら殺されてもかまわない」


 ついに預言は成就した。魔王は全てを火に葬るまで、絶望の歌を止めないだろう。


 何故なら誰も、止める術など知らぬのだから。


 

 今や、猛火は砂漠にいるもの全て屠らんとばかりに、燃え広がっていた。


 エンディミオは早々に撤退を命じ、前線にいるはずの娘の帰投を待っていた。


 命からがら逃げ帰った者は、歌が、と口々に呻く。

 歌声が耳にこびりついて離れないと、唾液を垂らしながら自らの耳朶を切った者までいた。


 あれだけの火災でありながら、死者の数は少ない。怪我人は言うまでもないが、思いの外、死体は数える程度。それもおそらくは、逃避中に馬に蹴られたなどの事故だ。


 エンディミオは周囲の混乱の中、一人落ち着き払って懐から紙片を取り出した。

 汚い字で書かれた、詩歌とも呼べない内容のそれに、王は舌打ちした。


 王妃の記した預言は、どれも当たる。それもそうだろう、神の言葉なれば。

 しかし、不幸な内容に、心を痛めていたのは預言者自身。だから王は暴力を奮ってでも止めさせた。


 結局、預言は成就した。それは誰にも変えられない。風の流れを変えることができないように。


「なれば私に、そうしろということか、あの阿呆が」


 エンディミオは剣だけを持ち、本陣から出た。周囲は王女を探しているのだろうと勝手に解釈し、下がる。


 つと、王女が何者かに肩を貸され帰還した。哀れにも顔や腕に火傷を負っている。急ぎ運ばれていった。


 死んではいないだろうと解釈し、エバを連れ戻した青年を見る。

 久々に見た王子は、痛ましい表情で火災を見ている。何があったかはしらないが、エンディミオは興味を惹かれなかった。


「ルートヴィヒ、久しいな」


「……陛下、此度の無礼、御許しを」


 膝をつき、頭を下げる息子を、黒獅子王は容赦なく蹴った。力なく地に倒れる王子を軽蔑の目で見る。全くもって、アルヴァの継承者たり得ない。


「陛下、どちらへ」


 エンディミオは鞍をつけたままの馬に乗り、周囲の驚きや混乱を他所に、猛火を見据える。


「陛下、あの火炎はあらゆる武器防具を燃やします。何をしに行くというのですか」


「一種の尻拭いだ」


 エンディミオは金鎖を通した小さな鏡を手首に巻きつける。結婚腕輪を見て少し考えたが、妻の名が刻まれたそれを外すのはやめた。

 無傷な様子の王子を見て、軍の権限を預ける。と同時に、王妃の預言の紙片を投げた。


 

 王子は愕然とした。自分も知らない、王だけに託された預言。

 盲てしまった頃に書いたようで、字の汚さも特に酷い。


「陛下――。父上!行ってはなりません!代わりに私が行くべきだ!」


「預言がなんだというのだ。それがあろうとなかろうと、戦は起こる。人は死ぬ。どちらかの国は負ける。それは戦への布石の結果にすぎぬ」


 王は剣を抜いた。振り向きざま、微かに笑っていた。


「抵抗の布石が、効けばよいがな」


 ルートヴィヒが止める間もなく、王は馬を走らせた。


 思わず追いかけたい衝動に駆られたが、エバが倒れ、総司令たる王がいない今、ルートヴィヒが指示を出さなければならない。

 紙片を丸め、急ぎ本陣にいる王の直轄のもとへ向かう。




避けられぬ宿命よ

血の業火は獅子の臓腑を焼く

されどその絶望に

魔王は歌を止めるだろう



 預言は成就した。

 王妃は最愛の人の死を恐れ、最悪の結果が出る前に神を知る息子に託した。


 歯車はわずかに軋み、投擲された小石は、だが確かに運命の輪を狂わせた。

 ほんの少しの抵抗であったが、それがなければ、すべては焔に伏され、非業の末路が待っていた。




 燃え盛る炎が、大勢の人と馬を飲み込む。

 あらゆる抵抗は圧倒的な熱に伏され、武器も鎧も捨て逃げるしかない。


 しかし、撤退の流れに反するように、エンディミオが馬を走らせ、火炎に突入した。徐々に耳に入る哀歌が、実に耳障りだった。


 濃紅の軍服の王は、右手に剣を掲げる。剣から伝う炎が腕を燃やそうとするが、小さな黒耀石の鏡が火の進行を防ぐ。構わず突き進む 。


 裂帛れっぱくの呼気と共に繰り出された刃は、炎の中心――赤い旗を立てる、乱れた銀髪の青年に向けられた。はずだった。


 ふいに、二人の眼があった。

 その剣と猛々しい姿に、歌の主は呼吸を止めた。

 その容貌とおよそ魔女とも思えぬあどけなさに、黒獅子王は剣を止めた。


「貴様ッ、かああぁッ!!」


 だが、それも一瞬のこと。エンディミオは怒鳴り、剣を魔王の首に叩きつける。


「――!」


 青年は助けを求め、王に手を伸ばした。違う、こんなことがしたかったんじゃないと弁明するために。ただし最悪の結果で。


 赤い焔が螺旋を描き、形を成す。爬虫類を彷彿とさせる、大きく真っ赤な爪が、魔王を害さんとする者を切り裂いた。


 黒耀石の鏡がひび割れ、地に落ちた。


 

「どなたか!どなたかお助けください!」


 エマヌエルは泣き叫んだ。己の成したことは、あまりに大きすぎた。


 倒れた男を見て、この国の、自分の住まう土地を統べる王だと理解した。

 ああ、なんということだ。王殺しの大罪まで背負うのか。


「この御方を死なせてはなりません……!どなたか、どなたか……!」


 返ってくるのは静寂のみ。王が地に伏したというのに、誰も来やしない。彼が燃やしてしまったからだ。


 嫌々と頭を振り、王の胸に手を当てる。まだ呼吸はしている、生きている。もう死体を見るのは散々だ。だというのに、この結果。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


 やはり忌み子だった。世界に棄てられて当然の人間だった。よりにもよって、王を殺すなど。


 いくら謝罪しても、それを聞く相手などいやしない。

 同族の責める声が聞こえてくる。忌み子や、これがお前のしてしまったことだぞ。ああなんと罪深き。魔女とてこれほどの所業は犯さぬ。


「いや、やめてお願いです、死なないでください!誰か、誰か助けて!」


 半狂乱で叫ぶと、ゆっくりとした足取りで何者かが近づいてくる。エマヌエルは振り向き、見覚えのある赤毛に、再び涙が溢れる。


「あーあ、何やら大変なことになっちまったァね」


「それで、どちらが患者なのですか」


 隣の老いた男がエマヌエルを睨めつける。ダニエルは困った様子で見比べ、采配を下した。


「強いて言うなら、倒れてる旦那の方で」



 小さな抵抗は、惨劇の方向を少しだけ変えていった。

 そして惨劇を起こした本人は、まだ業火に苛まれ、それを消すすべは、今度こそ誰も知り得ない。



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