~特訓~
~特訓~
「やったよ。ライブだよ。ライブ。いきなりライブ。気合い入るね」
はしゃいで俺の身体をバンバン美穂がたたいてくる。俺はただ放心していた。俺が知っている未来だとこの店ではなくハルキさんの知り合いのライブハウス、しかもすっごい小さいハコで前座として一曲だけ弾かせてもらうことがあった。
だが、それは五月に入ってからだ。それまで俺らは基礎練習というか、筋トレとボイトレばかりだったはずだ。四月はそういう時期だった。ハルキさんが言う。
「まあ、これから一週間は死ぬ気でお前らは筋トレとボイトレだな。まあ、時間があるなら来ていいぞ。といっても、開いている時間しか使うなよ。そのかわりに店番とかしろ。それでチャラにしてやる」
そう言うと美穂がこう言ってきた。
「なら、私を正式にここでバイトとして雇ってください。ずっとここで練習します」
はい?そんな未来は知らない。確かに未来では美穂はいつもここに居た。いや、なんか手伝っていたような気もする。だが、バイトしたいと言い出したのは知らないことだ。
「浩ちゃんも一緒にバイトするよね?」
しかも、俺もかよ。するとハルキさんはこう言ってきた。
「いや、浩二はいらん。こいつはいつもの鉄橋の下で叫ばしておけばいい。それよりちびっこの方が重傷だ。というか浩二、いつの間にこんな短期間いうまくなったんだ。まあ、筋力不足だが、明らかにうまくなっている。まあ、そのまま練習していれば大丈夫だろう」
このセリフを聞いて自分のミスに気が付いた。そりゃそうだ。筋力はないかもしれないが、さっきの曲は六か月くらい練習をしてうまくなった曲だ。それをハルキさんはこの数日でうまくなったと思っているのだ。
というか、俺この前にハルキさんの前でギターを弾いたのはいつだったか思い出そうとした。
ダメだ。全然思い出せない。いや、思い出した。確か中学の卒業式の後にここに来たのだ。ということはほんの数週間かよ。やばい。これは死ぬ気で練習しないと後で殺される。
ハルキさんが言う。
「まあ、初のライブだ。緊張するし失敗もするだろう。だがな、練習なんてただしていたって意味がない。観衆がいてこその演奏だ。観客がいなければ、どれだけすごい演奏をしたってそれは何も演奏していないのと同じだ。
だがな、曲ってのは心を込めて奏でれば、歌えば伝わるもんなんだよ。そういう意味ではさっきの演奏は思いが詰まっていた。お前らいいコンビだよ」
そりゃ、俺は気持ちがかなり入っていた。美穂に好きだと叫んでいるのと同じだ。美穂がちらっと俺の方を見た時に、その笑顔で俺の疲れは、腕の痛みが吹き飛んだ。
俺にとって一番の観客は美穂だ。美穂が言う。
「えへへ。私だって、浩ちゃんと一緒にやりたかったんだもの。この演奏で絶対にものにしてやるって思っていたから気合い入っちゃったよ」
そう言って笑っている。なんだよ、それ。俺への告白か。そう受け取っていいのか。
「もちろん、メンバーとしてね。これからよろしくね」
そう言って手を出してきた。がっくりしそうになった。でも、気が付いたら美穂の手をつかんで「よろしくな」って言っていた。俺ってバカだな。そして、もっとバカだと思ったのは美穂の手が柔らかかったことに気が付いたんだ。
「血が出ているよ」
気が付いたら左手から血が出ていた。そうか、俺の指もまだまだ柔らかい。何回も血が出て固くなってを繰り返したんだ。それはまだ起きていない。俺はまだこの時本気じゃなかったんだ。
「大丈夫、すぐに治るよ」
知っている。何度指から血が出たことか。そして何度くじけそうになったことか。でもな、俺どうして頑張れたと思う。歌う美穂が好きだからだ。その横で演奏したかったからだ。お前が横にいたからなんだぞ。頑張れたのは。そして、今もそうだ。
だが、こんな出会ってすぐにこんなことを言ったら確実に変なヤツだと思われちまう。
「ダメ。ちゃんとしなきゃ」
そう言って美穂がカバンから絆創膏を取り出した。
「指出して」
おいおい。今までこんなことをしてもらったことないぞ。という、俺美穂の前で怪我に気づかれないようにしていたんだ。
失敗した。いや、これは成功かもしれない。だって、あのゆるふわの髪がすっごい近くにあるんだ。そしてあのくりんとした目も。
やばい。抱きしめたい。あ、歌じゃないよ。ここで歌い出したら変な人だ。ミュージカルじゃないんだから。
しかもなんかうまくできていない。ものすごく悪戦苦闘している。そのしぐさがまたかわいい。やばい。
「できた」
そう言って美穂が顔をあげる。顔が予想以上に近い。なんだこれ。少しでも動いたらキスしてしまいそうだ。ドキドキする。これ、待っているんじゃない。というか、時間が止まったみたい。ただ、心臓の音だけがきこえる。そのほかの音が消えたみたいだ。
「何しているのあんたたち?」
その冷たい声に我に返った。多分、声をかけられなかったら俺は告白もせずにえらいことをしていた。そうだ。学園祭のあのライブが終わるまでは告白をしない。そう、俺たちは決めたじゃないか。誓った相手はまだ出会っていないが。
まあ、いいか。いや、よくない。どうして俺の目の前にハルキさんじゃなく、怒った各務がいるんだ。
「やあ、各務。ハルキさんは?」
周りを見渡してもハルキさんはいない。というか各務。お前は店番していたんじゃないのか?しかもなんで怒っている。
そんなわかりやすく。おかげで油の切れたロボットみたいな動きをしてしまったじゃないか。
「とっくに下の店に戻っているわよ。あんたたちがなかなか戻ってこないから様子見に来たの。んで、聞いたけどあんた無謀にも来週ライブやるって?しかもこの下で」
そうなんだよな。なんでこんなことになったんだろう。でも、ハルキさんのライブハウスは憧れだ。兄貴が何度もライブをしていたからだ。それをいつも手伝っていた。だから、いつかあのハコでやりたいって思っていた。
でも、実現しなかった。認めてもらえなかったのだ。いや、学園祭のライブの後にハルキさんにこう言われたんだ。「この出来なら地下のハコでライブやっていいぞ」って。だが、それはかなわなかった。
そう、美穂があんなことになってしまったからだ。美穂のいない世界は意味がない。だからこのチャンスは大事にしないといけない。そしてもう一度みんなで、学園祭で一緒にライブをやるんだ。だが、中身が変わりすぎている。どうなっていくんだ。
「うん、ライブするよ。来週。もちろん来てね」
そう美穂が言う。そうだ。未来は変わってしまったんだ。ただ、横に美穂がいる。いいじゃないか。だって、この存在自体が俺にとってはボーナストラックみたいなものなんだから。
「いかない。私はそんなお遊びみたいな音楽好きじゃないから。そう、これハルキさんからこの曲を来週するようにって言われたよ。課題曲なんだって」
そう言って渡された紙をみた。セットリスト。やる曲の順番だ。3曲そこには書かれてあった。
1、Just take my heart
2、To be with you
3、Daddy, Brother, Lover, Little Boy
3曲目を見て唖然とした。「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」この曲は前も弾けなかった曲だ。
むずかしいんだ。速弾きの曲。俺のあこがれの曲でもある。この曲を弾きたくてギターをはじめたと言ってもいい。
いや、兄貴がこの曲を歌っていたから一緒にやりたいって思ったんだ。かっこいい曲。でも、指が、腕がついていかない。各務が言う。
「ハルキさん、言っていたよ。これからみっちり練習だって」
はっきり言う。一週間で「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」を弾けるようになるとは到底思えない。ギターソロが無理なんだ。オルタが鬼なんだ。
「頑張ろう。絶対できるよ。私たちなら」
美穂の笑顔に俺はやられた。やるっきゃない。俺はギターを手に取って「任せとけ」と言った。そして下に降りる。
店番をしているハルキさんは楽しそうに笑っている。
「いいね、若いって。おい、浩二。お前は自主練でいいな?まあ、ちょっとスピード落として練習すればできるだろう。問題はそこのちびっこだ。とりあえず。お前は腹筋50回。今すぐしろ。そして腹に仰向けになって腹にこれを乗っけて声をだせ」
そう言ってハルキさんが手にしたのは広辞苑だ。ハルキさんの目は本気だ。美穂を見ると顔が真っ青になっている。だが「やります」って言って俺にゆっくり親指を立ててきた。
「頑張ろうね」
「ああ」
俺は店を出てとりあえず鉄橋に向かって走った。時間が惜しい。「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」を絶対に弾けるようになってやる。「Just take my heart」も「To be with you」も学園祭のライブで練習した。まあ、確かに筋力不足だけれどなんとかなりそうだ。でも「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」はあの時ですらダメだったんだ。でも、美穂が頑張るんだ。俺が逃げたらダメだろう。
鉄橋についた。そうだ、俺譜面がない。「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」は無理だと思っていたからいつも持ち歩いていない。当たり前だが弾いていないから譜面なんて覚えているわけもない。
「ちょっと早いよ」
声をした方を振り向く。そこには各務がいた。各務が言う。
「はい、これ。ハルキさんから」
そう差し出したのは「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」の譜面だ。俺は課題になるギターソロの部分を開いた。譜面を見ただけでわかる。この鬼加減。各務が言う。
「この曲ってそんなに難しいの?」
「ああ、ギターソロの部分がまじかっこいいんだ。でもむずい」
まず、早い。ストレッチフレーズがまじで鬼なんだ。そして高速ピッキングが来て、クラシックフォームに切り替え、最後はドリルがくる。ここで腕が崩壊するくらい痛くなるのだ。
「そうなんだ。じゃあ、諦めるの?」
そんな簡単に諦められるものじゃない。
「いや、やる。俺はDaddy, Brother, Lover, Little Boyを今回こそは弾いてやる」
だが、思いだけで弾けたら皆がギタリストになれる。数時間後の俺はへこたれていた。全然思いと違って指が動かないんだ。
「ほら、諦めないんでしょ。なら、練習。練習」
なぜかいつもはこんな練習に付き合わないのに各務が横にいる。
「ああ、わかっているよ」
俺はギターを弾くことしかできないからな。
「わかってないよ。浩ちゃんは」
各務がそう言う。
「何がだよ」
「難しいんでしょ。その曲。だったらもうちょっとテンポ落として練習すればいいじゃない。ハルキさんも言っていたでしょ」
そう言えばそういうことを言っていた気がする。だが、ゆっくり弾くってどうすればいいんだ。そう思っていたら各務が手をたたき出した。
「このテンポで弾いてみて」
ゆくらなんでもゆっくりすぎやしないか。そう思いながら弾きだした。あれ、おかしい。ゆっくりすぎだと思っていたがこのテンポなら指がちゃんと動く。追い切れるんだ。そうか、俺は焦っていたんだ。速い曲。
早く指を動かさないといけない。そう思っていた。だから音がずれる。追いつかない。結局何もかもうまく行かないんだ。
「どう、うまく行った?」
「ああ、各務。ありがとう。何かつかめたよ」
そう、つかめた気がした。それから一週間。死にもの狂いだった。実際弾けるようになったかと言われたらまだまだだ。まだ七割くらいの速さならばなんとかなるが、原曲の速さになると指が追いつかない。いや、追いつかせようとして焦って失敗するのだ。かっこわるい。
そしてこの一週間。確実に俺より大変だったとわかるのが美穂だ。いつもふらふらしている。顔も生気がない。
聞くと腹筋が割れそうに筋肉痛なのだという。ひたすら腹筋と寝転がって広辞苑をお腹に乗せての発声練習だと言う。
「もうね、広辞苑に恨みしかないよ」
そう言っている美穂はでも笑顔だった。
「楽しみだね。週末」
「ああ、そうだな」
俺は絆創膏だらけの左手を見せて笑った。そう、俺たちの初ライブだ。気が付いたら俺は美穂と拳と拳をぶつけていた。グータッチ。
さあ、週末だ。ただ、俺はまだ気が付いていなかった。俺たちを見ている目があるということを。そう、俺はもう経験してきた未来と違う道を歩んでいるのだ。それにまだ気が付けていなかったのだ。