~文化祭~
~文化祭~
一般来場者をまだ受け付けていない時間。けれど、徐々に来場者が増えてきている。開場までまだ時間はある。それに俺たちのラジオの時間は13時からだ。その時間に合わせるようにハルキさんにお願いをしたんだ。
絶対にライブをする。それまでに美穂を見つけないといけない。俺は文化祭が醸し出す独特の喧噪から離れて学校を飛び出た。
携帯で地図を見る。よく見るとあの鉄橋からかなり遠いところに美穂の家があった。いつも鉄橋の近くで出会っていたから美穂の家はあの鉄橋から近いのだと思っていた。
けれど、鉄橋の場所は家からも学校からも離れていた。わざと遠回りをしていたことがわかる。
「こんなところに民家なんてあったっけ?」
俺は地図を見ながら歩いて行った。
しばらく歩くと、あばら家の様な建物が見つかった。そこの表札に確かに「野坂」とかかれてある。
俺は近づいて扉の上に小さい黒いボタンがあるのを見つけた。これがインターフォンなんだろうか。ゆっくり押した。
インターフォンがなった。耳を澄ましていると家の中から色んな音がきこえてくるのがわかる。扉が開く。
目の前に赤いシャツにパンチパーマをあてたいかつい顔をした人が立っていた。すごくタバコとお酒の臭いがした。
「なんやお前!」
恫喝するように言われ、上から下からなめるように睨まれた。
「美穂さんはいますか?」
足ががくがく震える。なんだこいつは。そう思うと扉の後ろからさらに人がいるのがわかる。じゃらじゃらと音がする。男性が言う。
「お前いくらもっとんのや?」
一瞬意味がわからなかった。男性が続ける。
「人にものを尋ねるのに無料で聞けると思っとんのかゆうとんのや。いくら払うんや。その情報に」
俺はその気迫に押されて財布を取り出してしまった。その瞬間財布をつかまれて中にある紙幣をごっそり抜き取られた。
「しけとるなあ。まあ、学生やししゃあないか。まあ、教えたる。美穂は朝出て行った。夕方には戻ってくるやろ。じゃあな」
そう言って男性が扉を締めようとした。なんだこれ。このまま引き下がるわけにはいかない。俺は扉に手をかけた。
「なんや。まだ用があるんか?でも、お前もう金ないやろう。それとも何かまだあるんか?あ?」
足が震えた。何も言えない。なんだこれ。高坂先生や鏡の母親とは違う怖さだ。本当に殴られてどうにかされそうな恐怖がある。そう思っていたら奥からひょろっとした男性が出来た。
「慎さん、タバコ切れたから買ってくるわ。そこ通してくんない?」
「ああ、なんか冷めたわ。じゃあな」
そう言って赤いシャツの男性は家の中に入って行った。扉は閉ざされた。ひょろっとした男性が胸のポケットからタバコを取り出して吸い出してこう言ってきた。
「なあ、少年。君は美穂ちゃんの友達かい?」
「はい、あなたは?」
「俺か。まあ、この家とは腐れ縁でな。昔から慎さんにお世話になっていたんだ。慎さんも昔はああじゃなかったんだ。ちょっとした掛け違いで仕事を失って奥さんがいなくなってな。酒を飲んで当たり散らして、博打をして日銭をなんとか稼いでいる。慎さんは勝負師だから結構博打でもそこそこ成績がいいんだよ。だから、余計に面白くないんだ」
俺は美穂の事を何も知らなかった。美穂はこんな環境にいても太陽のように笑っていたんだ。
「美穂は?」
「さあ、朝出て行ったきりいないよ。どこにいるかは少年の方がわかるんじゃないのかな?まあ、おじさんはそろそろ戻るよ。あんまり慎さんを待たしておくと後が大変だからね」
そう言ってひょろっとした男性はあばら家に戻って行った。美穂がいるならどこだろう。俺は気が付いたら鉄橋に向かって走っていた。美穂がいるとしたらあそこしか思いつかなかったからだ。
九月といってもまだ暑い。走っていると汗ばんでくる。鉄橋が見えた。俺は喉が渇いていたからチェリオのグレープを買った。
いつも美穂が飲むほうだ。横にメロン味もあったけれど、グレープを買った。美穂はいつもこれを飲んでいる。
俺は飲みながら鉄橋の下、いつも俺たちが練習をしていた場所に行った。鉄橋の隅に美穂は座っていた。俺は美穂の横に座る。だが、美穂は体育座りで下を向いたままだ。
「歌うんだろう。練習したじゃない」「みんな待っているよ」「なあ、学園祭行こうよ」
何を言っても美穂は顔をあげない。俺は美穂のことを知らなかった。
「俺、美穂のこと何もわかっていなかった」
思っていた言葉が口に出た。そして、そのまま言葉は止まらなかった。
「さっき、美穂の家に行った。俺は自分の環境が不幸だと思っていた。でも、全然違った。俺は美穂をすごいと思った。美穂の笑顔をすごいと思った。もっと、もっと美穂を知りたい。知りたいんだ」
俺は自分でも何を言っているのかわからなくなった。美穂が言う。
「各務さんより私のことを知りたい?」
「ここでどうして各務が出てくるんだよ。当たり前だろう。俺の世界はお前がいなきゃ意味がないんだ」
ここで俺は言葉を飲み込んだ。美穂を一度失った。もうあんな思いはしたくない。諦めたくない。そういう思いを教えてくれたのは美穂だろう。だから、俺も少しだけお前のまねをするよ。
「世界中で美穂、お前だけだ。俺が知りたいのは。守りたいのは。そして、俺の横で歌ってほしいのは。歌ってくれないか」
俺はそう言って手を出した。美穂が言う。
「喉が渇いた。それちょうだい」
そう言って顔を上げて俺の手からチェリオを奪い取った。美穂が言う。
「めずらしい。メロン味じゃないんだ」
「ああ、ちょっと美穂が見ている世界を知りたくてグレープを選んだんだ」
そう言ったら美穂が立ち上がった。ものすごい笑顔を向けて俺にこう言ったんだ。
「じゃあ、見せてあげる。私の世界を。これでもかって言うくらいに。行こう。学園祭に」
さっきまで走っていたけれどまた同じように走っている。走りながら携帯で美穂を見つけたこと、今から学校に向かっていることを送った。各務からは学校に来たらすぐに放送室に顔を出すように言われた。
それだけだった。何か他にもアクシデントが起きたのだろうか。
学校につき、美穂とわかれる。美穂はこれから屋上でスタンバイだ。今回は屋上のため動画を取ってネットにアップする。その映像を見てもらうのだ。その準備もある。吉良と百瀬が本当ならばやるはずだったのだが、美穂を捜しに行っていて作業が遅れている。だから美穂にも手伝って欲しいと吉良からメッセが来たのだ。
時計を見ると11時だ。後2時間で始まってしまう。俺は各務が言っていたので放送室に向かった。放送室の前は人でごった返していた。すでに汗だくなので少しだけ休憩をした。手には少しだけになったチェリオのグレープ味があった。
俺はそれを飲み干して近くにあったゴミ箱に捨てた。グレープ味も悪くないなって思った。人ごみをかき分けると放送室に楠プロデューサーが居た。楽しそうに上里さんが話している。横に各務がいる。楠プロデューサーが俺に向かってこう言ってきた。
「おお、住吉弟じゃない。なんだか楽しそうなことをしているじゃない。ちょっと来たらいい声をしている人がいたからさ。挨拶に来たんだよ。楽しみにしているよ」
楠プロデューサーがそういうと奥に居た上里さんが胸を張ってこう言ってきた。
「私はひょっとしたらプロになれるかもとか言われたのよ。この各務とかじゃなく私がよ。やっぱりわかる人はわかるものなのね」
なんだかその表情がやけに上から見下されているみたいで腹が立った。楠プロデューサーがこう言う。
「そうだね。それだけ気持ちが強くないと業界ではやっていけないからな。プロというものはどんな状況でも仕事をやり抜くことができる人種なんだよ。たまたま知り合いに言われて来たんだけれどひょっとしたらスカウトになるかもね。まあ、後でまた来るよ」
そう言って楠プロデューサーは出て行こうとした。その時俺の肩を尻をかるく叩いて目線を合わせて去っていた。
「俺、ちょっとトイレに行ってきます」
そう言って、俺はそっと楠プロデューサーを追いかけた。放送室を出てすぐの階段で楠プロデューサーは窓から顔を出していた。俺を見るなりこう言ってきた。
「ふん、ハルキくんにお願いされなきゃこんなところになんて来るかよ。だが、住吉弟。お前が本当にハルキくんが言うような事ができるというのなら話しが変わってくる。住吉弟できるのか?」
窓を背にして俺を見下すように楠プロデューサーはこう言ってきた。禁煙だけれど、気にせずタバコを取り出して吸い出す。
「ゲリラライブはやります。絶対に」
だが、返ってきた言葉は違った。
「はあ?ゲリラライブになんて意味はない。俺が求めているのはお前の兄貴、住吉連一をまた表舞台に引っ張り出すと言うことと、もう一つ。『Tycoon of Tycoon』の高坂秀行も表舞台に引っ張り出すことだ。この二人はアーティストという価値がまだあるかわからんが、あれだけの曲を作れた天才だ。作曲という形でも引っ張り出せたら全然違う。本当に出来るんだな」
俺は言われて意味がわからなかった。確かに過去の話しを聞いた。そして、『Tycoon of Tycoon』の『さよならのキスを、思い出に』を流す前にちゃんとはがきで説明をしたら世界は変わると思っている。
でも、変わらないかもしれない。二人に伝わらないかもしれない。いや、そもそも二人がこの学園祭に来ないかもしれない。
そのためにネットにライブ中継もするんだ。俺たちはゲリラライブをすることしか考えていなかった。二人のことについては副産物であり、できたらいいなというくらいしか思っていなかった。
「どういうことですか?」
俺は不安になってこう切り出した。楠プロデューサーが言う。
「そりゃ、大人が学生のために動くんだ。そりゃ、そこにビジネスがあるから動く。うまくいけばお前らに降りかかることをかばってもやるさ。そんな事屁でもないからな。あの高坂秀行と住吉連一という二人の天才が手に入るのならな」
「もし、うまく行かなかったら?」
「そりゃ、無謀な学生が無茶しただけのことだ。後の事なんか知るかよ。まあ、せいぜい頑張りなよ。住吉弟」
俺は言葉を失った。体が震える。楠プロデューサーにはあくまで俺は兄貴の副産物でしかない。だからずっと俺の名前じゃなく住吉弟と言ってくる。負けてたまるか。
「楠プロデューサー。やってやりますよ。それと俺は住吉弟という名前じゃないです。俺には浩二という名前があります」
楠プロデューサーは俺を見て鼻で笑って、こう言ってきた。
「そうか、なら期待してやる。そこまでいうのならな。成功したらお前の名前を憶えてやってもいいぜ。住吉弟」
そう言ってまた、放送室に戻って行った。俺は茫然とした。しばらくして各務が「そろそろ屋上に行って。私が連絡入れるから」と言われた。
俺は生返事しかできなかった。屋上に行って美穂や吉良、百瀬に声をかけられたけれど楠プロデューサーかわ言われたことを言えなかった。皆に重荷になることを言いたくない。いや、これは俺の問題だからだ。絶対に成功させなきゃいけない。美穂が言う。
「大丈夫。だって、音楽はすべてを越えるんだから。皆に届けよう。私たちの音を。絶対に伝わるよ」
美穂はわかって言ったわけじゃない。それはわかっている。けれど、俺は泣きそうになった。校内放送がする。
「はい、13時になりました。これからは私上里莉子がお送りする『まるきたラジラジ』です。今日は校内に設置しました方からのお便りに答えていきたく思います。では、一つめの投書についてです」
順調に始まっていく。仕込みになっている投書が何番目かわからない。2つ紹介が来た後にこう流れた。
「では、次のお便りです。ラジオネーム。ハルキさん」
その瞬間に噴出してしまった。ハルキさんそのままじゃないですか。びっくりした。放送は続く。
「上里さん、こんにちは。
はい、こんにちは。
俺の友達に過去の出来事を引きずって動けないヤツがいるんです。
大変ですね。
動けない友達は2人いるんですが、年も違うのに実は同じことが原因で引きずっているんです。
なんだか不思議なことですね。世代を超えた問題ということなんでしょうか」
放送を聞きながら、上里さんの怖さを知った。本当にラジオのパーソナリティーみたいなのだ。というか、こいつ絶対にラジオを聞きまくっている気がする。放送が続く。
「その出来事というのが恋愛関係なんです。
そうですね。いつの時代も恋は色んな問題を連れてきます。お互いをただ好きになるということだけなのに、これがなかなかうまく行かないんですよね。
それで、その恋愛関係ですが、三角関係なんです。
キター。いつの時代も三角関係という問題が恋を複雑にしてくれます。
その友達は振り向かない相手を好きになったんです。
あら、実ることのない恋って大変ですよね。つらいですよね。わかります」
なんだかあのきつそうでおでこを出している上里さんが恋について語っている。ものすごく不思議な気分だ。
こいつは本当にラジオのパーソナリティーになれるんじゃないのかと思って来た。放送が続く。
「そして、友達は吹っ切るために一つの選択を女性に突きつけました。自分との未来を選ぶか、今の相手を選ぶのか。
まあ、踏み出さなきゃ何も変わりませんものね。やらない後悔よりやった後悔の方がいいに決まっていますから。
でも、その突きつけた選択は厳しいものでした。自分を選ばなければひょっとしたら自分は死んでしまうかもしれない。そう、友達は自分の未来を引き換えに相手に迫ったんです。
重い。重いです。そんな恋愛私なら願い下げです。だって、そんな恋絶対選んだとしても息が詰まるじゃないですか。
けれど、友達は自分を選んでほしかったわけじゃない。彼女に選択させたんです。自分が飛び降りる先を。どちらかには防御マットがあって助かる。もう一つにはマットがなく落ち所が悪ければ死ぬかもしれない。そんな感じです。
なんてはた迷惑なんでしょう。そんな選択私が突きつけられたらそもそもひっくり返してしまいますね。
けれど、その友達二人共は彼女が指差した、あ、実際は目くばせした方ですが、そちらを選びませんでした。彼女が選ばなかった方に飛び込んだのです」
俺はその話しを知らなかった。選んだ方に突き進んだのだと思っていた。
そう、兄貴も高坂秀行も。兄貴は難しい恋をした。兄に恋している、妹を好きになる。歳も離れたその相手は兄貴の思いを冗談だと思ったという。だから、本気を示すために兄貴は過去の出来事を再現した。そのはずだ。でも、どうして。放送が続く。
「まったく、意味がわかりませんね。彼女が選んだ未来を受け入れるつもりはなかったんでしょうか。え~と、この先ですが」
一瞬放送が止まる。だが、途中で止めさせることを各務はしないだろう。それに上里さんの目の前には楠プロデューサーがいる。
上里さんは両親が夢を諦めたことからバンドを嫌っている。両親はあきらめられなかったけれど、才能がなかった。運も悪かった。けれど、またあのスポットライトを浴びる世界にあこがれを持っている。だからポスターを外せないんだ。
そう、各務は判断した。そして、今日楠プロデューサーが学校に来て、上里さんに話しかけた。この放送は絶対に中断させない。俺は目を閉じた。変な緊張感がある。足も手も震えている。放送が続く。
「え~と、すみません。彼女が選んだ先と違う場所にマットがなかったのです。不思議ですね。でも、命と引き換えと言われたらそう選んでしまうかもしれません。
え~と、そう、その友達は断られたかったのだと、諦めたかったのかもしれない。でも、相手にはそう伝わらない。壊れたものが戻らないように。
でも、本当は違う。何も壊れていないんだ。だからそれを伝えたい。そして、その思いが伝わる曲をリクエストしたい。
はい、ラジオネームハルキさんからの投書でした。いや~結構な思いお話しでしたね。私も読みながらびっくりしました。
え~と、そしてこのリクエストですが、これ音源あるんですか?対応できるの?え~と、それでは準備をさせていただきます。では、ラジオネームハルキさんからのリクエストで、『Tycoon of Tycoon』の『さよならのキスを、思い出に』です」
そう言うとものすごい勢いで足音がしてきた。屋上の扉が開く。各務が肩で息をしてそこに立っていた。各務が言う。
「さあ、準備はいい?」
「ああ、いいぜ」
百瀬が言う。吉良も頷く。「もちろん、待っていたんだからね」美穂が言う。『Tycoon of Tycoon』の『さよならのキスを、思い出に』はギターのメロディーから始まる曲だ。
俺はギターに手をかける。だが指が動いてくれない。足が震えている。目の前が暗くなっていくようだ。
「そりゃ、無謀な学生が無茶しただけのことだ。後の事なんか知るかよ。まあ、せいぜい頑張りなよ。住吉弟」
楠プロデューサーの声が耳に響く。放送では「準備できたようですね。では、お願いします。では、『Tycoon of Tycoon』の『さよならのキスを、思い出に』です」と流れた。
俺はまるで水の中にいるみたいに声が耳に聞こえなくなってきた。
「浩ちゃんはものすごいあがり症なの。だから、人前に出てしまうとギターがうまく弾けないの。だから誘うのなら他の人がいいわよ」
各務が言った通りだ。俺はプレッシャーで指が動いてくれない。ここまでみんなが協力してくれたのに。そう、俺はその場に座り込んでしまった。




