~衝突~
~衝突~
どうしていいかわからなかった。
「とりあえず、練習しよっか」
美穂がそう言った。だが、それからしばらくハルキさんとこのスタジオが借りられなかった。
もちろん部として認めてもらえていないから部室なんてないし、学校で練習もできない。鉄橋の下で練習をしたいが、ドラムセットを持って移動するのもつらい。
だから、学校の近くの公園で練習をしていた。確かに前の世界でもこの公園は何度か練習をしたことがある場所だった。
けれど、前の世界ではハルキさんがスタジオを貸してくれたんだ。スタジオが埋まっている時は地下のライブハウスが開演するまで使わせてもらっていたことだってある。
だが、今回は「もっとうまくなってからだ」と言って使わせてもらえないのだ。それに、もう一つ。あの邦彦さんとヤスさんがスタジオを使っているんだ。
前の世界ではこれもなかった出来事だ。ハルキさんに理由を聞いたら「あいつらはちゃんと料金を払っている。そしてお前らは払っていない。そりゃ、お金払う方に使わせるだろう」って言われた。大学生ってずるいと思った。こっちは小遣いの中から必死でやりくりしていると言うのに。
「今日どうする?」
美穂が言う。俺たちはわかっていた。セッションをする。録音をして皆で聞く。だが、聞けば聞くほど、練習すればするほど、俺たちの音はずれて行った。だからこそ、ここ最近まとまりが悪くなっている。
「私は今日パス。ちょっとそういう気分じゃない」
そう言って吉良は先に学校を出て行った。行く先はわかっている。ゲーセンだ。しかも狭くて古い方。そこで座って練習をしている。
吉良はそこで練習をしているのだ。そして、気分転換にゲームをする。その繰り返しだ。そして、そのゲームを一緒にしているのが百瀬だ。
この二人は最近一緒に居ることが多い。元々百瀬の目的は吉良と仲良くなることだ。それがバンドでなくてもゲーセンでも問題はない。
「じゃあ、今日も俺たち二人で練習だな」
本当なら美穂と二人で練習なのだ。うれしいに決まっている。だが、5人目も見つからず、音もずれてばかりだ。テンションが上がらない。鉄橋の下に行って、チェリオを二人で飲む。もうすぐ梅雨がやってくる。心の中も曇天になりそうだ。
「うっし。やろう。というか、録音しよう。二人でも録音して確認してを繰り返したら何か見えてくるかも」
「そうだな」
そう言って俺らはまず、思い出の曲「To be with you」を選んだ。ギターを弾き始める。できるだけ美穂の声に合うようにギターを弾く。
美穂の声を包み込むように優しく、優しくギターを弾いていく。バラードだから余計に包み込むように、そう、まるで曲で美穂を抱きしめるように、音で優しく包み込むように。その瞬間風が吹いたように感じた。
何かが違う。そうだ、これだ。今俺と美穂は一つになった。あの時のライブのような感じだ。鳥肌が立った。一体感。これだ。何かが違ったんだ。
演奏が終わって俺は美穂を見た。美穂も俺の方を見ていた。
「聞こう。絶対今の良かったよ」
「おう。俺もそう思う」
二人で頬をくっつけて一つのイヤフォンで聞く。
「音がそろっている」
「最高」
俺たちはハイタッチをした。久しぶりに美穂の笑顔を見た気がした。
翌日。
俺たちは吉良と百瀬に二人で演奏した曲を聴いてもらった。だが、返って来たセリフはこうだった。
「これ、原曲とテンポが違いすぎる。原曲よりゆっくりだったり早かったりする。こんなのに合わせられない」
吉良がそう言って聞くのを辞める。百瀬はこう言ってきた。
「これはリズムを無視している。これじゃリズムは厳しいな」
よくバンドでは、ドラムとベースがリズム担当。ギターとヴォーカルがメロディー担当と言われている。
お互いがお互いのいいところを弾きだす必要があるのはわかっている。でも、どうやったら弾きだせるのかがわからない。
どうして前の世界ではそんなに苦労もせずにできたのだ。何が違うんだ。わからない。練習をあれだけしてきたのに。結局その日も自主練という形になった。
「ちょっと俺も考えたいな」
そう言って俺は鉄橋の下に降りずに橋を渡った。だが、横に美穂が付いてくる。
ここ数日各務は学校を休んでいる。こんな時一番相談に乗ってくれるのは各務だ。だが、各務は別に体調を崩しているわけでもない。なんでもピアノの関係で東京に行っているのだ。
明後日には戻ってくる。たまにこうやって各務は居なくなる位ことがある。困った時に各務に頼ってしまう癖がついている。あいつなら文句を言いながらどうにかしてくれる。
いつもそうだ。だが、いつまでも各務が横にいるわけじゃない。それにこれは俺たちの問題だ。だから俺たちだけで解決したい。
原曲とテンポが違いすぎる。確かに美穂はアレンジをして歌うのが好きなヤツだ。伸ばしたり、早めたりする。
それがすごく自然で、そして、その美穂の世界に引き込まれてしまう。だから振り落とされないようにいつも頑張って演奏をしてきたのだ。だからこそ原曲から離れてしまったのだろうか。
吉良は確かにものすごく正確なビートを刻む。いつだってテンポがずれないのだ。一度そう言えば吉良に聞いたことがある。その正確な理由に。だが、その答えは予想と違うものだった。
「だって、ゲームじゃ完璧じゃないとパーフェクト取れないのよ。だから私は原曲を追いかけている」
そう、吉良は基本俺らの音を聞いていない。だからこそずれやすいのだ。いや、吉良から言わせると俺らが勝手にずれていくのだそうだ。
だが、どうしようもない。それに百瀬だってそうだ。誰に合わせているのか全然わからない。百瀬が見ているのは吉良だけだ。そんなことを思っていたら家についた。
「へ~。ここが浩ちゃんの家なんだ。お邪魔しま~す」
ずっと、考え事をしていたから横に美穂が居たことに気が付かなかった。というか、美穂が静かに歩いているなんて想像もしていなかった。
「おい、俺より先に家に入るな」
そう言って俺は扉を開けた。そこには母親が居た。
「あら。お友達。珍しいわね。しかも、こんなかわいい子」
そう言いながら複雑な表情をしている。そりゃそうだ。うちには引きこもりの兄貴がいる。だからこそ家ではどう接していいのか俺にはわからない。
「は~い。かわいい子がお邪魔に着ました。よろしくお願いします」
そう言って、美穂は玄関を上がっていく。
「ねえ、ねえ。私どこに行ったらいいの?リビング?それとも浩ちゃんの部屋?」
リビングはまずいが部屋もまずい。部屋は片付いていただろうか。いや、そんな事より壁一枚横に兄貴がいるんだ。ゆっくり母親を見る。
「いいのよ。どっちでも。浩二が決めなさい」
その表情が怖かったからつい「俺の部屋で」と言ってしまった。リビングで母親と3人でいることで耐えられないからだ。
部屋のベッドに美穂が座っている。そりゃ、椅子に俺が座ったら美穂が座る場所はそこしかない。でも、なんだこれ。前の世界では美穂が家に押しかけてくるなんてなかったぞ。というか、この部屋に女の子が来ること自体が初めてだ。
各務と会う時は各務の家に行くことが常だ。各務の家は広く、俺の家は狭い。会えて狭いところで会う必要なんてないだろうっていつも俺は各務が来たいと言っても断っていた。それは、純粋に恥ずかしいからだ。
二人っきりになることの恥ずかしさに狭い部屋を見られることの恥ずかしさも重なるのだ。だが、美穂がこの部屋にいるのは違う意味で緊張する。俺はどうすればいいんだ。俺もベッドに座った方がいいのだろうか。
そう思っていたら美穂がハミングで曲を口ずさんでいる。その音が徐々に大きくなっていく。そしてその曲が何かに気が付いてびっくりした。そう、美穂が口ずさんでいるのはそう、「さよならのキスを、思い出に」なのだ。
「その曲は」
そう言いかけたら、壁の向こうから歌声が聞こえてきた。兄貴の声だ。兄貴が歌っている。兄貴が歌っているのを俺はここしばらく聞いていない。しかも、美穂がメロディーパートで兄貴がサブパートを歌っている。
美穂が手を叩くように体を動かしている。でも、手は叩いていない。俺に手を叩かせようとしているのだ。
手を叩く。そう言えば、前に各務が俺のためにテンポを合わせるために手を叩いてくれたことを思い出した。一定のリズムを刻み続ける。そのむずかしさを今、二人の声を聞きながら俺は考えていた。
リズムに合わせて二人の声が重なり合っていく。ただそれだけなのにものすごく曲が変わった気がした。
音楽はすべてを越える。でも、それは伝えたい人に向けて初めて実現するんだ。今俺の目の前で二人が奏でている音はまっすぐ一つに向かっている。
美穂は歌い終わるとものすごく興奮した顔をしていた。顔が真っ赤だ。
「やっぱりすごい。すごいよ。私やっぱりもっと歌って感動させたい。私も、浩ちゃんも、そしてみんなも。やっぱり話し合いたい。理解し合いたい」
「そうだな」
そう言った時に携帯が鳴った。各務からだ。明日からまた学校に行けるということだ。
朝、通学途中で各務を見かける。「おはよう」というその声を懐かしく思えた。たった数日各務がいなかっただけなのになんでか会いたくなってしまう。多分、各務なら何とかしてくれると思えてしまうからだ。
今バンドが奏でる音がバラバラなことを話した。そして、曲も聞いてもらった。各務が言う。
「問題点はわかったけれど、どうするのが一番なんだろう。やっぱり実演するのが一番かな」
そう言われた。放課後に公園に集まった。吉良も百瀬も何も言わずにちゃんと来てくれた。そして、集まるように言った各務が少し遅れてやってきた。その背中に大きなものを背負っている。取り出すと電子ピアノだ。各務が言う。
「あのね、みんながバラバラなのはお互いの音をちゃんと聞いてないから。まず、のぞみん。のぞみんはドラムを叩く時何を意識している?」
「原曲通りにたたく」
端的に吉良がそう答えた。各務が言う。
「そう、のぞみんは何があっても原曲通り叩くの。では、百瀬くんは?」
けだるそうに百瀬はこう言った。
「ずれを治すためにドラムとギターの音を聞いている」
そんな器用なことを百瀬はしていたのか。各務が言う。
「ベースはドラムに合わせて。そうじゃないと土台がしっかりしない。リズムが崩れると何もかもが壊れちゃう。じゃあ、次。浩ちゃん。何を聞いてギターを弾いているの?」
「そりゃ、ヴォーカルが歌いやすいようにだな」
というか、俺は美穂しか見ていない。それを感じられたのだろうか。
「じゃあ、野坂さんは?」
美穂が言う。
「歌いやすいように歌っている」
「そこよ。一番は。ヴォーカルが演奏を聴いていない。そして、そのヴォーカルに合わせるギター。メロディーがむちゃくちゃなの。それにベースが引っ張られて、戻そうとして失敗する。ドラムは一定のリズムを奏で続ける。これがこのバンドよ」
そう言われて俺は確かに美穂にだけ集中していた。確かにそれじゃ四人でやる意味がない。それに二人でだけだとうまく行くのも当たり前だ。各務が言う。
「だから一度私が間に入る。ピアノでリズムとメロディー両方を奏でるからちゃんと聞いて。私にみんな合わせるように。本当はメトロノームとかあればいいんだけれど、まだみんなそこまで音を拾えていないみたいだから」
そう言って各務はピアノを弾きだした。左手がリズム、右手がメロディーを奏でていく。ものすごく器用だ。
「そこ、ズレた」「やりなおし」「もっとちゃんと音を聴いて」「テンポ勝手に変えない」「そこ音ずれてる。難しいとこなら自主練して」
ハルキさんもスパルタだと思ったけれど、各務もスパルタだった。というか、この二人に共通しているのは、才能がない人間の気持ちがわからないのだろう。そう思った。
だが、徐々に良くなっているのがわかる。録音している内容がじょじょに変わってきているのだ。
もう、日が落ちて暗くなってきた。
「これで今日はラストね。集中して」
そう言われて俺は集中した。周りを見るとみんなも同じ表情をしている。
ギターを奏でる。意味は各務のピアノに集中する。その時感じた。音が一つに集まっていく。まるで大きな流れになって突き進んでいくのがわかる。録音した曲を聴くまでもない。お互いの顔を見るゆとりまである。
吉良は淡々とドラムを叩いているように見えるが顔がうっすらだけれど笑っている。百瀬は吉良を見ながらたまに俺や美穂を見る。そして美穂も俺だけじゃなくみんなを見ている。だが全員が共通していることがある。それは各務を見て、聞いて、引っ張られているのだ。
演奏が終わり、俺らは口から「今のはすごかったよな」「やったね」と次々に言った。バラバラだった俺たちの曲は一つになった。これでなんとかなる。そう思った。
けれど、翌日俺たちに待っていた事実は無情だった。
PTAを通じてクレームが入ったのだ。
「公園を占領している高校生がいる」「音がうるさいので練習を中止すること」
高坂先生に呼び出された俺たちはそう言われ、公園での練習が禁止となった。
そう、俺たちは練習場所を失ったのだ。
そして、もう一つ謝罪と言う意味で社会実習を言い渡された。




